第二話 無口な隊長と妖艶狐
次の日から始まった訓練。それはイグニアスとの個別のものであった。
優遇などは関係なく、ジェイドはこれまで家の外からあまり出たことがなかった。
そのために基本的な体力が全くなく、先に入隊した他の隊員に追いつけるわけがない。
早く他の隊員と共に訓練できるために、イグニアスが付きっきりで面倒を見ることになったと説明される。
午前の訓練が終わり、疲れから立っていることができず、その場に座り込む。
そんなジェイドの様子にイグニアスが呆れたようにタメ息をつく。
「まだ午前中だ。もっとしっかりしろ」
「無茶言わないでください。僕は今までこんな運動したことなかったんですから」
「言い訳無用。ほら、メシにするぞ」
イグニアスもジェイドと全く同じことをしていた。
それなのにイグニアスは疲れた様子どころか、汗一つかいていない。
やはり隊長は格が違うのだと思いつつ、立ち上がる。
立ち上がっただけだというのに太股の筋肉がひきつる。
まとも歩くことができずにいると、イグニアスが苦笑した。
「しょうがない。午後も訓練あるけど、シャワー浴びてこいよ」
「え、でも……」
「忘れているようだけど、隊長の宿舎にスレイトを迎えに行くんだぞ。動き回れるのか?」
「わかりました。シャワー浴びてきます」
シャワー室はバラック敷地の食堂よりも奥にある。
グランドから近いといっても、本来の目的の食堂よりも遠いのは問題である。
幸い、小さめではあるがグランドの傍にもシャワー室はあった。
スレイトを呼びに行くといっても、ジェイドのシャワーを浴びるよりも時間はかからない。
イグニアスたちを待たせないために、軽くシャワーを浴びて外へ出る。
外ではイグニアスが一人で待っていた。その表情は少しだけ暗い。
「どうかしたんですか?」
「スレイトは仕事で外に出てた。今日は二人で食べるぞ」
「仕事……」
スレイトが隊長であることは知っているが、どの隊の隊長であるかは知らない。
本来なら頬に描かれたフェイスペイントで分かるのだが、仮面によって分からなかった。
「スレイト隊長は何の仕事をしているのですか?」
「もちろん、隊の仕事。スレイトは四番隊・特殊暗殺部隊の隊長だからな」
暗殺部隊と聞き、ジェイドは口を噤む。ワイルドブレンド♯は近隣で一番の大きな軍団。
暗殺を担う者がいてもおかしくはない。
しかし、イグニアスのような明るい人物の友人であるスラストが暗殺をしているとは思わなかった。
「あの……暗殺って、俺に教えていいんですか。そういうのは機密情報ですよね」
暗殺者というのは影の存在。同じ軍とはいえ、人前に現れてはいけないと思ってしまう。
そんなジェイドの考えにイグニアスは苦笑する。
「まぁ、正確に言うと暗殺ではないかもな。スレイトが殺すのは国王に背く豪族などの地位が高い者。さすがに予告はしないが、正体を隠して殺すわけじゃない」
「豪族……」
豪族と聞き、ジェイドの背筋が冷える。ジェイドはブルーリザード社の御曹司であると同時に豪族。
ジェイドの反応にイグニアスはそのことを思い出し、ハッと表情を変える。
「そういえばジェイドも豪族だったな」
「そうですよ。それより王に背く者なんているんですか?王は良君なのに」
現在のガデスの王は女性であり、アヴァリスという。
領地を広めるために近隣諸国へ侵略しているが、外交や内政を怠らず国を潤している。
他国には私腹を肥やすために国さえも利用する国王もいる。
そんな国王たちと比べれば、ガデスの女王は良君といえる。
ジェイドの言葉にイグニアスの表情に影が落ちる。
「人は良くなれば悪くもなる。他人から見れば王は悪なのかもしれない」
「イグニアス隊長、貴方は王のことをどう思っていますか?というか会ったことありますか?」
「当たり前だ。ガデス武闘大会で優勝すれば嫌でも会える。王は……苦手だ」
「何でですか?」
本当に国王が苦手らしく、イグニアスは顔をしかめている。
噂でも実際でもイグニアスは気さくな人物。
そんなイグニアスが苦手というのだから、余程のことだと感じる。
イグニアスは顔をしかめたまま、タメ息をつく。
「最近の王はおかしい。何かあればすぐに近隣の国へ攻め込む。国はこんなにも豊かなのに」
「そういうのなら、何で軍にいるんですか。協力しているのと同じです」
いくらイグニアスとはいえ、隊長相手とは思えない発言。
しかし、そんなことを気にすることなく、イグニアスは首を横に振る。
「俺の夢は軍にいなきゃ叶えられない。それに王は苦手なだけで嫌いなわけじゃない。だから、軍にいる」
イグニアスの目標がブレイヴだということは知っている。しかし、夢までは知らなかった。
「イグニアス隊長の夢は何ですか?」
「俺の夢か?俺は一番隊隊長になるのが夢だ。ブレイヴは今でいう一番隊隊長だったらしいからな」
「立派な夢ですね」
「ジェイドの夢は何なんだ?」
質問を返され、ジェイドは困惑する。夢など持ったことがなかった。
代表取締役を父親として持った時点で、会社を継ぐことは決まっていた。
ワイルドブレンド♯に入隊したのも、会社に入る上での勉強にすぎない。
会社を継ぐための勉強しかしていない。もっといえば、継ぐための生活しかしていない。
継がないことなど考えられなかった。
もし、父親の会社が継げなくなったとしても、母親が何処かの会社に入れることも予想できる。
だから、今まで夢など考えたこともなかった。
「夢はありません」
「ないって、何でだ?」
「貴方にはわからないでしょうね」
イグニアスは隊長になる実力がある。そして、意思も強い。
さすがに地位や身分や生い立ちは知らないが、夢を持っている。
だからこそ、距離を感じて仲良くなろうとは思わない。
ジェイドの言葉にイグニアスの表情が無となる。
「あぁ、分からないな」
その後、昼食や午後の訓練の時も最低限の会話しかないまま一日が終わった。
一日目はイグニアスの泊まったため、与えられた個室へ初めて入る。
部屋の半分はベッドに占められ、最低限の生活家具しか置かれていない。
ジェイドはコネで入ったとはいえ、ジェイドは一般兵。
部屋は寝るための部屋でしかない。
でも、そんな狭い部屋だからこそ、ジェイドは何故か嬉しく感じた。
実家の部屋は比べ物にならないほどに広い部屋。
しかし、必ずというぐらいに付き人がいて、監視されているようなものであった。
寝るだけの部屋のためか、設置されている電気も薄暗く、すぐに眠気を誘う。
疲れていることもあり、その日はシャワーを浴びることなくベッドへ横になった。
目が覚めて、壁にかけられた時計を見る。日が上がる前の早朝。
再び寝ることも考えたが、軍服が肌に張り付く感覚に気付き顔をしかめる。
シャワーを浴びないまま寝てしまったため、軍服は訓練の時に着ていたもの。
軍服を脱ぎ、代わりにTシャツを着る。
シャワーを浴びるためには宿舎を出なければいけなかった。
バラック内であるならば宿舎から外出は禁止されていないが、外出は想定されていないように灯りは少ない。
まだバラックに慣れていないため、地図を見ながらシャワー室を目指す。
シャワー室といっても、一般兵が利用できる広さの建物。
だが、早朝ということがあり人の姿はない。
しかし、日が昇れば朝の訓練が終わった隊員が殺到する。
人が来る前に部屋へ戻ろうと思い、蛇口を捻った。熱く透明の湯が体に降り注ぐ。
汗を洗い流し、体を温めていく。
「え……」
いつの間にか隣の個室に誰かがいる。気配が一切なかった。
軍なのだから、一人ぐらい気配がない人がいてもおかしくはない。
そんな人物に気付くのと同時に、石鹸を忘れていることにも気づく。
人がいるのなら借りようと思い、ためらうことなく声をかける。
「すみません。石鹸を貸してもらえませんか」
「どうぞ」
短い返事と共に、隣の個室から石鹸が降ってくる。
それを受け取り、ありがたく使わせてもらう。
すぐに返そうと考えたが、投げ返すのは失礼だと思い、脱衣所で返すことにした。
シャワーを浴び終わり、服を着る。間もなく、石鹸を貸してくれた人物が出てきた。
その人物の顔を見て、すぐに目をそらす。
「す、すみません!!」
「何で謝るのかな?」
「だ、だって……」
出てきた人物は橙色の髪に淡紅色の瞳をしていた。
純血で形成されたワイルドブレンド♯なのだから、そんな人物がいてもおかしくはない。
だが、問題はそこではない。出てきた人物は女性。
「いや、違うから。オレ、男だから」
ジェイドの様子に隣の個室を使っていた男性は苦笑する。
否定され、ジェイドは恐る恐る顔を向けた。
男性は女性のように美しく、端麗な顔立ちをしている。
顔だけではない。軍人とは思えないほどに色白で華奢な体でもあった。
ジェイドがその男性を女性と間違えたのも無理もない。
女と間違われても男性は気を悪くした様子もなく、服が置いてある籠の前に立つ。
それを追い、借りていた石鹸を返す。男性はそれを受け取り、笑みを浮かべる。
「見ない顔だ。最近、入ったのかい?」
「はい。一昨日入りました」
「何番隊だい?ちなみにオレは三番隊」
『五番隊』と答えれば、男性が驚いたように目を丸くした。
何故驚くのか分からず、ジェイドは首を傾げる。
「どうしました?」
「嘘だろ。だって、君は見たところ……人間じゃないか。それに最初から五番隊って……」
驚いた理由が分かり、ジェイドは苦々しい表情を浮かべる。
「事情がありまして。気にしないでください」
「へぇ。五番隊の隊長さんはいい人かい?」
「えぇ。会ったことないんですか?」
「うん」
またおかしな話であった。五番隊は上の隊と下の隊との通過点。
三番隊にいるというならば、五番隊にも入っていたはず。
それなのにその男性は会ったことがないという。
疑問に思っていると、男性が笑みを浮かべる。
「今の五番隊の隊長さんは二年前になったんだ。オレはそれよりも前に五番隊にいたから」
「そうですか。三番隊って、どんなところなんですか?」
「三番隊・軍務軍法研究部隊。戦争には出ない。他の隊とは関わりがないんだ。隊長同士はあるらしいけど」
男性は話しながら軍服に着替え終わる。
軍服を着たことで男性の華奢な体は隠されて、男性だと分かりやすくなった。
「君は面白いね。軍隊に入ったら覚えてないとおかないといけないことがあるのに知らない」
無知と言われても言い返せない。実際、ワイルドブレンド♯について知らないことが多い。
言い返せないでいると男性が優しく笑いながら、手を差し出してくる。
「オレはアンジャスト・シンシア。君の名前は?」
「ジェイドです。よろしくお願いします」
「うん、よろしく」
手を握り、アンジャストの口が弧を描く。
「ジェイド、朝食まで時間があるからワイルドブレンド♯について教えてあげようか?」
「いいんですか?」
「うん。ちょうど話相手が欲しかったところだし」
アンジャストに誘われ、二人で談話室へ入る。コーヒーを淹れ、席に着く。
早朝ということもあり、シャワー室同様に談話室にも人はいない。
席に着いて、アンジャストはジェイドの質問に何でも答えてくれた。
冗談を言うのがとても上手く、笑みが絶えない。
純血としても珍しい橙色の髪、淡紅色の瞳という風貌なのに全く気にならない。
「オレね、三番隊だけどもう一つの仕事をしてるんだ。だから、バラックで会うことは少ないかも」
「もう一つの仕事ってなんですか?」
「内緒」
とても優しく、妖艶な声で言う。それが女性のように思わせ、ジェイドの心臓は緊張から跳ね上がる。
男性だとわかっているのに、アンジャストの魅力に魅かれてしまう。
妖しく、優しい笑み。何かを隠しているような態度。
話しているうちにいつのまにか朝食の時間となる。
決められた時間でないと朝食は食べられない。
「アンジャストさんも行きましょう」
「いや、オレは仕事あるんだ。ごめんね」
「そうですか……」
食事をしながら、話の続きをしようと思っていたため肩を落とす。
そんな反応をするジェイドに、アンジャストは優しく笑う。
「さっきは会うことないって言ったけど、ずっと仕事してるわけじゃない。また会えるよ」
「本当ですか?」
「あぁ。約束する。君の部屋番号を教えてくれ。暇ができたら会いに行くよ」
ジェイドはアンジャストに部屋番号を教えた。アンジャストもジェイドに部屋番号を教える。
「僕が会いに行ってもいいんですか?」
「う~ん、悪くはないけどいないかも。それに君は入隊したばかりだから忙しいだろ」
「そうですね。では、また会いましょうね」
アンジャストと別れ、ジェイドは食堂へ向かった。