第一話 ガデス国王直属軍隊
どんな世界、どんな時代でも戦争は存在する。
地位を求める者、領地を求める者。侵略する者、侵略される者。
さまざまな思惑が交錯する戦争。
ガデスは1700年以上王政が続く国。山に囲まれている地形により、他国からの侵略はない。
そのため、長い間平和が続いていた。しかし、現在は山を切り開き、国を拡大。
さらなる領地拡大のために近隣諸国に攻め込んでいた。
その力となる軍隊、ワイルドブレンド♯。純血で形成された軍隊。
個々に隊が存在し、十人の隊長によって統率されている。
その十人の中でも一番隊から五番隊までの隊長は別格であり、それぞれに役割が与えられていた。
そんな隊長たちが率いる隊に入ることは、本来ならば容易なことではない。
しかし、ジェイドは父親のコネによって、五番隊への入隊が決定していた。
五番隊・精兵訓練部隊。その名の通り、兵を訓練するための部隊。
五番隊での訓練を終えれば六番隊から十番隊までのような平凡な隊ではなく、一番隊から四番隊のような特殊な部隊に入れるのだ。五番隊への入隊も下の隊を経験して、力を認められてから入れるもの。ジェイドにはそのような実力は一切ない。あるのは、父親のコネのみ。
父親が代表取締役をするのは有名な武器製造会社・ブルーリザード社。ガデスの軍事力拡大に貢献した会社であった。
そのため、御曹司であるジェイドは人間でありながら、まともな入隊試験も受けずに入ることとなった。
国に貢献できるということで、ワイルドブレンド♯への入隊を希望する若者は多い。
それでもジェイドは乗り気にはなれなかった。
まだ十八歳であり、世の中を知らない。それなのに、軍隊という閉鎖的空間に入らなければならない。
そのうえ、ジェイドは戦争が嫌いであった。
そんな気持ちを持ちながらも父親に反抗することができず、ワイルドブレンド♯の本拠地であるバラックまで来てしまった。
面倒を見てくれることになる五番隊隊長と対面するため、バラック内にある貴賓室で待つ。
隊長がどのような人物なのか気になり、父親に聞いてみようと考える。
「お父さん、あの……その……」
「何だ?言いたいことがあるなら、はっきり言いなさい。入隊したら、家には帰れないんだぞ」
威圧のある父親の声に、ジェイドは委縮する。
父親は豪族であり、息子であるジェイドにも威圧的に接する。
ジェイドは口を噤み、敷かれた絨毯を見つめる。
しばらくすると、ドアが開く。隊長が入ってきても、ジェイドは顔を上げられずにいた。
父親は隊長に一方的に話しかけ、ジェイドにあいさつするように促す。
ゆっくりと立ち上がり、顔をあげる。
てっきり隊長になれる人物は、経験を積んだ筋肉隆々の中年だと思っていた。
しかし、ジェイドの目の前にいる隊長は青年とも少年とも言えない。
とてもではないが成人しているようには見えなかった。
さらに銀髪を三つ編みにしていて、青い瞳をしている。
青色を基調とした軍服を身にまとい、頬には隊長を示すフェイスペイントがされていた。
純血と会うのは初めてであり、ジェイドは戸惑いを隠せない。
隊長は優しく笑い、ジェイドに手を差し出す。
「ジェイド君、初めまして。俺が五番隊隊長のイグニアス・クレイヴだ。以後、よろしくな」
「よろしくお願いします」
差し出された手を握り、頭を下げる。そこで目の前にいるイグニアスが隊長だと思い知らされる。
イグニアスの手はキレイな顔に似あわず、マメで手の皮が厚くなっていた。
あいさつが終わり、父親は不敵に笑う。
「どうですか、うちの息子は?」
「見込みがありますよ。訓練すれば、きっといい軍人になると思います」
イグニアスの答えに父親が満足気に笑う。
そして、息子であるジェイドに言葉をかけることなく貴賓室から出て行った。
隊長のイグニアスと二人きりとなり、さらに緊張してしまう。
年が近く見えても、隊長は隊長。無礼があって、家に帰されるわけにはいかない。
そんなジェイドの様子に気づき、イグニアスは苦笑する。
「そんな緊張しなくてもいい。ジェイドも十八歳だよな。だったら、俺と同い年だ。ため口でいい」
「で、でもクレイヴさんは隊長です。僕なんかが馴れ慣れしくしていいわけがありません」
「いい気持ち構えだ。けど、本当に俺はため口でいいぞ。ジェイドはあの会社の御曹司だからな」
イグニアスの言い方にジェイドはムッとする。
父親の息子ということで態度を変えられるのが一番嫌いであった。
「そういうの、やめていただけませんか。僕は僕として見て欲しいです」
「そうか。じゃあ、俺は隊長としてではなく、一個人として見て欲しいもんだ」
隊長というのに発言が軽すぎる。ジェイドは怪訝な顔をしながら、浅くタメ息をつく。
「ため口は慣れていないので出来ません。呼び方はどうすればいいですか?」
「やっぱりイグニアスと呼んで欲しいな」
「分かりました。イグニアス隊長と呼びます」
ジェイドの答えに不満そうであったが、それ以上言わずにジェイドと共に貴賓室を出る。
そして、連れて行かれたのは資料スペース。
歴史書で出てくる昔の武器などが置いてある。
イグニアスはガラスケースに入った剣の前で止まり、ジェイドに微笑みかける。
「この剣は二百年前、純人戦争で活躍したブレイヴが愛用していた剣なんだ。本で見たことあるだろ?」
「えぇ。でも、ブレイヴは架空の人物ではないんですか」
ブレイヴとは二百年前の女王であるリールの日記に出てくる人物。義母によって捨てられたリールを拾い、師匠とした鍛えた人物。龍神の息子でもあり、銀髪の青目。その顔は美しく、誰もが魅了される人物。
しかし、そんなブレイヴはリール女王の日記にしか出てこない。龍神の息子だというのに肖像画も写真も存在しない。そんなことから、リール女王が創作した架空の人物だと言われる。
現在の歴史書はリール女王の日記を元にして作られた部分もある。しかし、ブレイヴという人物についてだけは未だに存在の有無が協議されていた。ガラスケースに入っている剣もブレイヴの愛用していたものとは言われているものの、実際は不明。国王の居城である城の倉庫に保管してあったもの。材質は鉄でも鋼でもない何か。ブレイヴが実際いた人物であるのならば、その父親である二代目龍神の牙が使われていることになる。だが、本当に龍神の牙かもわからない。龍神は現在、行方不明となっていた。
ジェイドの応答にイグニアスの眉間にシワが寄る。
「俺はいたと信じる。ブレイヴは俺の目標なんだ。だから髪を銀色に染めて、青色のコンタクトを入れている」
言われて見ればイグニアスの容姿は、ブレイヴの想像図によく似ていた。
そこまで好きなのかと感心しながら、ケースの中の剣を見つめる。
持ち主を失った剣は、凍ったように冷たく見えた。
「何でブレイヴが目標なんですか?」
「ブレイヴはいつも人のために戦っていたらしい。だから強かったんだと思う。俺は強くなりたい」
何故強くなりたいのか気になった。しかし、話が長くなりそうだったので聞くのは控えた。
それから一通り、バラック内を案内され、昼食の時間となる。
「そろそろ昼飯の時間だ。誘いたい奴がいるから、ちょっと寄り道するぞ」
有無を言わさず、隊長しか入ることができない建物に連れていかれる。
そこは隊長専用の寮であった。寮といっても、外で言うマンションに近い。
セキュリティによって守られているため、重要な用でなければ入ることすら許されない。
それぐらいは初めてバラックに来たジェイドでも知っている。
それなのにイグニアスは何事もないかのように、ジェイドを連れ入れようとする。
「た、隊長!待ってください!」
「何だ?早くしないと昼の時間が終わっちまう」
「ここが何処かわかっているんですか!?僕みたいな一般兵が入っていい場所じゃないです!」
「俺が一緒だから気にすんな」
イグニアスは笑い、ジェイドの手を引き隊長の宿舎へと入る。
中は別世界と思えるほど豪華であった。
エレベータに乗り、四階へ行く。そのフロアごとに一人の隊長が住んでいる。
格の違いにジェイドはただ驚くことしかできない。
玄関の前に来て、イグニアスがチャイムを鳴らす。
一分も経たないうちに男が出てきた。イグニアス同様、若い男。
髪と瞳が紫色で、顔を半分隠す漆黒のマスクをつけている。頬に書かれた隊長であることを示すフェイスペイントもマスクによって判別できない程度に隠れてしまっていた。
闇色に近いで紫色の瞳が、ジェイドを睨む。とてもではないが、イグニアスと気が合うようには見えない。
それなのに、イグニアスは嬉しそうに話しかける。
「スレイト、昼飯食べに行こうぜ」
スレイトと呼ばれた男は嫌そうに目を細める。
「そいつは誰だ。ここは一般兵を入れていいところではない」
「こいつは新しく入ったジェイド。ジェイドも一緒に食べるけどいいよな」
「嫌だといっても聞かないだろう」
嫌々ながらもスレイトは部屋から出て、イグニアスたちと共に食堂へと向かう。
その道中、スレイトは一言も発さず、ただイグニアスの話を聞いている。
何故、仲良さそうにしているかわからない。
「お二人はどうして仲がいいんですか?」
「別に仲良くなどない」
「冷たいなぁ。俺たちは同じ年に隊長になったんだ。だから、一緒に昼飯を食べているんだぜ」
そう説明するイグニアスはとても嬉しそうであった。
食堂に着き、ジェイドは自分の立場を思い知らされる。
他の一般兵は質素な食事なのにも関わらず、ジェイドは隊長と同じ食事。
明らかに優待されている。しかし、イグニアスが用意してくれたものであり、つっ返すわけにもいかなかった。
向かいにスレイトが座り、気まずい食事が始まる。
イグニアスが美味しそうに料理を食べている半面、スレイトは作業のように黙々と食べている。
食事は美味しかったが、周りの一般兵からの視線が痛くて、早くその場から逃れたかった。
あまり食事の進んでいないジェイドに気付き、イグニアスは怪訝な表情で首を傾げる。
「どうしたんだ?口に合わないか?」
「イグニアス隊長、何で僕にかまうんですか?普通の隊員は隊長と一緒に食事なんてしませんよね」
「なぁジェイド、俺たちはそこまで特別な存在なのか。たしかに隊長となることで住んでる場所は変わったし、食事だって違う。でも、それらは暗殺防止のためだけだし。特別だと実感できない」
イグニアスが考えを偽っているようには見えない。しかし、だからといって頷けるわけがなかった。
さっさと食べ終えて、逃げるように席を立つ。
イグニアスに呼び止められたが、聞こえないフリをした。
食堂から出たが、バラックについて何も知らないことに気付く。
まだバラックでの住む場所すら知らない。
どうするか困っているジェイドに、食堂から出てきた隊員が話しかける。
「見かけない顔だな。新しく入隊したのか?」
「はい。ジェイドといいます」
「へぇ……あんたが噂の……」
隊員の瞳が鋭くなった。だが、ジェイドに気付かれる前に笑顔となる。
「今日来たばっかりだろ。宿舎の場所は分かるか?」
「分からないです」
「じゃあ、案内してやるよ」
隊員は優しく笑い、ジェイドを連れて歩き始める。バラック内には軍部が全部収容されており、さまざまな建物が立ち並んでいた。その様子は一つの街であり、初めて訪れるジェイドは迷いそうであった。しばらく歩き、一つの建物の前に来る。他の建物と違い、広いが一階建てであり宿舎には見えない。
「ここは……」
「倉庫に決まってるだろ」
「え……」
骨が軋むほどに背中が強く蹴られ、倉庫の扉に倒れこむ。その反動で扉が開き、倉庫の中に入った。
広い倉庫の中は薄暗い白熱灯によって照らされていて、さまざまなサイズの木箱が置かれている。
倒れた拍子に肘をすり剥き、痛みにジェイドは顔をしかめる。
隊員はそんなジェイドを見下ろしながら、倉庫の扉を閉めた。
ジェイドは身の危険を感じて立ち上がろうとしたが、その前に顔を殴り飛ばされる。
隊員の力は強く、再び床へ倒れ込んでしまう。そんなジェイドに隊員は馬乗りとなり、口に布を詰め込み手首を後ろ手で縛り上げる。
「お前、本当に男か?確かめてやるよ」
ジェイドの服のボタンに手をかけ、一つずつ外していく。その手つきがいやらしく、ジェイドに悪寒が走る。
抵抗しようと体をよじるが、男が乗っているために無駄な抵抗であった。
最後のボタンが外され、胸板が曝け出される。
もちろん、ジェイドは男であるためにふくよかな胸などはない。
そのことに男が残念そうにタメ息をつく。
「なんだ、男か。てっきり隊長の愛人かと思った。でも、相手はできるか」
何故、同じ軍の仲間に屈辱的なことをされるか分からず、ジェイドは戸惑った表情で隊員を見つめる。
そのことに男が瞳を鋭くさせる。
「何だよ、その目。それぐらいの理由なきゃ、おかしいだろ。お前みたいな人間が隊長と一緒にいることがおかしいんだよ。人間のくせに……」
憎しみのこもった声と共に腹部に拳が入れられる。吐きそうになりながら、必死に耐える。布を口に詰め込まれた状態で吐いてしまったら、窒息することは目に見えていた。
「隊長はあんな性格だから、誘われても断れなかったんだろ。だとしても、お前が気に入らない!何で何の苦労もなしに、しかも人間で五番隊に入れるんだよ!!」
男が放つ言葉。全てが正論。人間で五番隊にいることは本来ありえないこと。
五番隊に入るのには、国王主催の武闘大会で幾度も成績を残さなければならない。
さらに軍に五年以上在籍し、軍に貢献したことを五番隊の隊長に認められなければならない。
そして、純血であることが絶対の条件となっている。
それなのにも関わらず、人間のジェイドは五番隊に入り、イグニアスと共にいた。
男が狂喜に満ちた笑みを浮かべる。
「大人しくしてろよ。大人しくしてたら、解放してやるから」
「っ……」
覚悟を決めた時、倉庫の扉が開け放たれる。
逆光であり扉を開けた人物の顔が見えない。しかし、ジェイドは男の反応で現れた人物が推測できた。
目が慣れてきて、ジェイドは現れた人物を見上げる。
「クレイヴ隊長……」
イグニアスは無言でジェイドに近づき、口から布を取り出して縛っていた紐を解く。
そして、部下である隊員を睨みつける。
「何のつもりだ。新人いじめにしてはやりすぎているぞ」
部下に対する表情は、ジェイドの知っているイグニアスとは違う。
威圧のある瞳が、隊員を見据えていた。それはまさしく隊長の姿。
隊員は震えて、何も言えない様子でイグニアスを見つめる。
イグニアスは腕を組み、深くタメ息をつく。
「非常に残念だ。俺の隊からこんな事をする奴が出るとは……」
「違います……」
「何が違うんだ? 言い訳したいのならしてみろ。ジェイドに何をしようとした?」
その問いに隊員は口を噤む。イグニアスは再びタメ息をついた。
「悪いが俺は上の隊に信用できる者を送る義務がある。お前は一からやり直せ。明日には移動できるように準備をしろ」
そう命令してイグニアスはジェイドを連れて、倉庫を出る。外にはスレイトもいて、不機嫌そうな雰囲気をかもし出していた。そんなスレイトに気付き、イグニアスが苦々しく笑う。
「そんな顔するなよ、スレイト」
「お前は私の言うことを聞かない。だから、こういうことになるんだ」
スレイトに小言を言われ、イグニアスの表情が曇る。二人の会話から、イグニアスは以前から注意を受けていたようだった。スレイトはイグニアスを睨む。
「これで分かったら、もう部下と馴れ合うのは止めるんだな。隊長としての威厳があるうちに……」
「断る。俺には俺なりの考えがあるんだ。信念を曲げるつもりはない」
「……好きにしろ」
完全に機嫌を損ねたらしく、スレイトは背を向けて立ち去ってしまった。そんなスレイトを見送り、イグニアスはジェイドの顔を覗きこむ。
「顔は傷ついてないな」
「何で顔の心配なんですか。肘を擦り剥いています」
「だって、せっかく可愛い顔なのに勿体無いだろ。まぁ、肘見せろ」
イグニアスの発言に突っ込む気になれず、ジェイドは黙って肘を見せる。
肘からは血が流れ、新品の軍服が赤く染まっていた。
「せっかくの軍服が……。まぁ、とりあえず軍医のところに行こうぜ。ここの軍医はいいぞ。美人なんだ」
「はぁ……」
「興味ないのか?超美人の女医だぞ。噂だとクロサギの…」
「それより傷を診てほしいです」
素っ気ない言い返しにイグニアスはタメ息をついた。
軍医に会うために治療室に入る。だが、軍医の姿がない。
「あれ、出張治療でもしてるのかな。待つのもなんだし、俺が診てやろうか?」
「遠慮します」
「おいおい、これでも俺は隊長なんだぜ。それなりに仲間の傷の手当てはしてきた」
「自分でやります」
ジェイドはそう言って、置いてあった消毒液を手に取ろうとした。しかし、その前にイグニアスが取ってしまう。
「イグニアス隊長……」
「これが欲しいか?欲しいなら、俺のことをイグニアスって呼べ」
「じゃあ、いりません」
「素直じゃねぇな。ほら、椅子に座れ」
座るように命令され、ジェイドは大人しく椅子へ座った。イグニアスは慣れた手つきで消毒液をコットンへふくませる。そして、さっさと治療を終わらせた。予想以上の早さに目を丸くする。
「さすが隊長ですね」
「褒めても何もやらねぇよ」
「ありがとうございます。じゃあ、僕の部屋を教えてくれませんか。大人しくしますので」
「ダメだ」
イグニアスは笑みを浮かべ、ジェイドの肩に手を置く。
「今日は俺の部屋に泊まれ」
「嫌です!お断りします!」
即答されて、イグニアスが苦々しく笑う。
「別に変なことはしねぇよ」
「変なことってなんですか!? とにかく嫌です!また同じことに……。隊長は隊長としての自覚を持ってください」
ジェイドの言葉に、先ほどまで笑っていたイグニアスが眉間にシワを寄せる。
「何でそんなことを言うんだ。俺はお前が心配だから言っているんだ。それに俺と一緒にいたほうが安全だろ。命令を聞け」
「命令だったんですか……」
「隊長命令。だから、聞け。また同じことがあっても、助けてやれないかもしれない」
強く言われ、ジェイドは大人しく頷いた。結局は守られる存在。
駄々をこねて、これ以上はイグニアスに迷惑をかけるわけにはいかなかった。
イグニアスに案内され、隊長用の宿舎に入る。イグニアスが住んでいるのは三階。
部屋に入り、ジェイドは目を丸くする。イグニアスの部屋は広い。
それは外観から分かっていた。驚いたのは、その部屋の使い方。
広い部屋の壁には天井まで届く本棚が並んでいる。その本棚に入っている本は漫画や雑誌には見えない。
「たくさん本がありますね」
「あぁ。興味あるなら見ていいぞ。俺は風呂に入ってくる」
本棚から一冊取り出し、表紙を眺める。少し古ぼけた本は歴史書であった。よく見れば、並んでいる本も歴史に関係したものばかり。手に取った本はちょうどガデスについて書かれたものであった。
昔、ガデスは他国からの侵略を阻むほどの深い森に囲まれていた。国王制が長く続き、独自の歴史を作ってきた。しかし、そのために正式な歴史書というものが少ない。そこで二百年前の女王であるリール・ベナインの日記を元に、現在の歴史書は作られていた。日記という媒体のために、人によっての解釈が異なる。そのために解釈の違う多数の歴史書が存在していた。
本に跡をつけないように開き、軽く目を通す。やはり、歴史書ということで教科書では習わないことが書かれていた。
読みふけっていると、イグニアスに呼ばれる。振り返ると、見たことのない姿をしたイグニアスが立っていた。三つ編みを解き、銀髪であった髪は茶色となっている。瞳の色も青ではなく、混じりけのない黒色。
あまりにも違いにジェイドはイグニアスを見つめてしまう。そのことにイグニアスの眉間にシワが寄る。
「髪と瞳は色を変えてるって言っただろ」
「えぇ。でも、驚きますよ。雰囲気まで違います」
「そうか?」
不機嫌そうであった表情が、一気にいつもの明るいものとなった。そして、頬が紅色に染まる。
「そんなに見るなよ!恥ずかしいじゃねぇか!」
「何でですか?それが本当の姿なんですよね」
「人に見せるのは数年振りだ。スレイトにだって今は見せないんだぞ」
「そうなんですか」
恥ずかしいようで、イグニアスは頬を染めたまま目を合わせないようにしている。そんなイグニアスの様子が面白くて、ジェイドはつい笑ってしまった。イグニアスは笑われたことにムッとする。
「笑うな!さっさと風呂入れ!」
「は、はい!」
怒らせても意味がないため、ジェイドは浴室へと向かう。湯船に浸かりながら、イグニアスの種族について考える。ジェイドは今まで純血というものに会ったことがなかった。それ故に本で調べてあったために、純血の髪の色や瞳を見ても驚くことはなかった。しかし、純血でありながら茶髪で黒目という種族は知らない。考えるよりも聞くほうが早い。そう思い、風呂から上がった。
イグニアスはソファーに座り、得物である剣の手入れをしていた。髪の色が違うために全くの別人に見える。別人に見えるのはそれだけではない。手入れをするイグニアスの表情は何処か淋しげであった。
「イグニアス隊長」
「お、上がったか。湯加減はどうだった?」
「よかったです。あの、一つ聞きたいことがあるんですけどいいですか?」
「ん?何だ?」
純血で占められているバラックで種族のことを聞くぐらい、問題ないと思い質問をした。しかし、予想とは反してイグニアスの眉間に深いシワが刻まれる。
「聞いてどうする?」
「どうするって……気になっただけなんですけど、教えてくれないんですか?」
「興味本位で聞くな。お前だって、聞かれたくないことが一つぐらいあるだろ」
イグニアスは自分の種族を言うことを完全に拒んでいる。そんな状態で聞けるわけがなく、ジェイドはただ諦めることしかできなかった。