ジン
一人称 達也視点
なんだか体が熱い。いや、寒い。腹の辺りが熱い。いや、苦しい。息が苦しい。体の力が……。
俺は腹を押さえながら床に膝をついた。真っ白なシャツも押さえた手もどんどん真っ赤に染まっていく。痛みと苦痛、恐怖が襲ってくる。
呼吸が苦しい。息を吸おうとしても、酸素が中に入ってこない。体の震えが止まらない。
「なんで……」
苦しい息の中で必死に顔を上げると、麻衣子が俺を見下ろしている。
真っ白な割烹着に赤い滲みができている。ぶらりと下げられた腕の先、握られた包丁から赤い雫がゆっくりと流れ落ち、小さな赤い溜りを作っている。
「包丁を……隠し持っていたのか……」
「たっちゃん、割烹着って便利よね。内側にもポケットが付けられるのよ。しかも、ゆったりしていて大きいから中に何を入れても分からないの。それに洗濯も楽だし」
麻衣子の軽い声が返ってくる。息苦しくて、目も何だかぼやけてきて、よく見えないが笑顔で言っているような明るい声だ。
「なんで、こんなことを……」
いろいろ聞きたいことがあるのに苦しくて、これしか言葉にできない。
「私はたっちゃんとずっと一緒に暮らしていきたかった。でも……」
声はさっきのような明るい声でなく、涙をこらえるような声に変わり、
「たっちゃん、自分では気付いてないかもしれないけど、あの事件の裁判が始まってからずっと変だった。当たり前だよね。ある意味あの事件の夫婦は、私たちと変わらないんだもんね。あの奥さんと私は同じなんだもんね。それに、あの男とたっちゃんも……」
「いや、俺は……違う。あの男とは……」
荒くなる息遣いの中、必死に言葉を振り絞った。
「そうなのかな? でも、私を殺そうとしていた。ちゃんと分かってたよ。ソファーの下にそれを隠していたことも」
彼女の視線の先――俺の横に転がっている鈍器に手を伸ばそうとしたが、体に力が入らずそのまま転がってしまった。
「ちゃんと分かってた。たっちゃんは無罪の判決がでたら、私を殺そうとしていることを。だから、私は包丁を……」
かすれゆく視界の中に麻衣子の姿が映った。
目の前にしゃがんだ麻衣子が言葉を続ける。
「でも、たっちゃん。あなたがもし、私を人として認めてくれたなら、人として死ぬことが出来たなら……私は愛するあなたが望むなら殺されてもよかった」
「俺……は麻衣子を……認めて……い……た……よ」
「ううん。あなたは最後まで私を、私たちを認めてなかったわ。あなたは決して私を人と呼ばなかった。〝人工知能〟を持った〝人造人間〟の最初の呼び名であった人という呼び方をしていたわ。さっきも大事な人ではなく大事な人と呼んでいたわ。だから、私は……」
「麻衣………」
俺は伝えたいことを伝えられないまま、遠のく意識の中で麻衣子の声を聞いた。
「さよなら。たっちゃん」




