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人を殺しても無罪なんてあるの?  作者: ゆらゆらゆらり
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判決はくだった

「本当に最低。人として最低の男よ。絶対死刑よ! そうよね?」


 強い言葉とは対照的に、白い割烹着はふわりと柔らかにソファーに着地した。


「あぁ、そうだなぁ。最低の男だ。でも、判決はどう出るかな……?」


 俺はチラリと横を覗き見た。


 んっ?


 何だか悲しそうな顔がそこにある。

 麻衣子に合わせるように言ったつもりだが、どう出るかな、という言葉は余計だったかもしれない。なんだか今日は麻衣子の様子が気になってしかたがない。

 とにかく今は平静をよそわなくてはならない。感づかれるわけにはいかないのだ。


 でも、大丈夫そうだ。


 彼女はすぐに険しい顔を画面へと戻し、睨むように見つめている。

 その画面では、『これは無罪です』とある教授が言い放った。

 すると麻衣子は、


「無罪なんかにしたら許さないから!」


 手にしたコーヒーカップをテーブルに叩き置き、黒い液体が飛び散った。

 俺は無言のまま近くのティッシュを何枚かとり、テーブルを拭いた。そして、一枚をそっと麻衣子に差しだした。


「ありがとう」


 鋭い視線を画面からはなすことなく、小声で言葉を返してきた。

 VTRで言っていた男の言葉が頭をよぎる。


『結婚する時は理想の女性だったのに……』


 まさにその通りだ。麻衣子も理想の女性だった。俺が望んでいた女性だった。でも、悲しいことに変わってしまった。

 結婚して2年、見た目は変わっていないけど、中身は変わってしまった。

 一緒に暮らすようになり環境が変化したからだろうか、新たな人との付き合いができたからだろうか、性格も態度も変わってきた。

 友人に話せば、そんなの当たり前だという。人はいろいろなことを考え、成長していくのだから変わるのは当たり前だと。それが人なのだからと。


 でも、俺はあの頃の麻衣子が好きなんだ。あの頃のままでいて欲しいんだ。


 人は言うだろう。それなら別れろと。

 でも、別れるぐらいならこの手で……。

 麻衣子は俺と別れたなら、誰かと一緒になる。他の男のものになる。


 そんなの許せない。


 気持ちが高ぶってくる。左の手が拳となって握りしめられている。


 いかん! 落ち着かなくては。


 気持ちを落ち着かせようと右手に持ったコーヒーをひと口飲み、テーブルの上に置いた。

 テレビではあいかわらず討論が続いている。専門家たちの中には興奮してきたのか、身ぶり手ぶりで立ち上がって持論を主張している者もいる。

 とその時、急に男性キャスターが討論を止めた。


『すいません。どうやら何か情報が入るようです』


 その声に立ち上がっていた専門家も、語るように冷静に話していた教授も、誰もが口を閉ざした。


『それでは裁判所前の田中さん。リポートをお願いします』


 その声に俺は身を乗りだした。麻衣子も立ち上がりそうな勢いで身を乗りだしている。


『こちら裁判所前の田中です。まもなく判決がでる模様です』


 早口でしゃべるリポーターから興奮が伝わってくる。

 裁判所前には多くの人が集まっているのだろう。リポーターの後ろにも多くの人たちが映っており、ザワザワとした雰囲気が伝わってくる。報道陣もたくさん集まっているのだろう、きっと今はどのチャンネルにしても裁判所前からの中継が行われているはずだ。


 そんな中、裁判所から一人の男が飛びだしてきた。手には何かを持っている。


『判決が出た模様です!』


 リポーターの叫ぶような声が聞こえてきた。

 他の局のリポーターも叫んでいるのだろう、他の叫び声も聞こえてくる。周りから発せられるざわめきが大きくなっている。


 小太りの男が走ってやってきた。

 つんのめりそうな勢いで立ち止まった男は、口を半開きにして肩を上下させている。荒い息遣いが聞こえてくる。


 早く、早くそれを開け!


 男は折りたたまれた白い紙を持っている。開けば男の背丈くらいありそうな大きな紙を二つ折りにしている。

 時代は変わっても、この手法は変わらない。


 どっちだ? どっちなんだ!


 男が腕を伸ばし、紙を高々と掲げた。そして、開くと同時に叫んだ。紙いっぱいに墨で書かれたその文字を――『無罪!』

 ものすごい数のシャッター音がする。集まった人たちの言葉にはならぬどよめきも聞こえてくる。リポーターが早口で繰り返す。


『無罪です!』


 映しだされた何とかという、ありふれた名前のリポーターが微かに揺れている。現場が混乱してカメラマンが押されているのかもしれない。


 判決はでた。

 妻を殺した男は無罪だった。あの男は犯行の全てを認めていた。でも、男は無罪だった。

 俺は止まっていた息をゆっくり吐きだした。体からジワジワと溢れてくるものがある。興奮する自分を抑えようとコーヒーカップに手を伸ばした。

 カップを持ち上げようとしたが、すぐに手を放した。

 手が震えている。

 横の麻衣子を覗き見ると、唇を噛みしめ、目の前を睨み付けている。

 彼女は、俺の視線を感じたのか、顔を向けてきた。涙はないが体は小刻みに震えている。そして、噛みしめられていた唇が動いた。


「こんなのおかしいよねぇ、たっちゃん」


 まっすぐな瞳で俺を見つめてくる。昔と変わらぬ美しい顔がそこにある。弱々しい声と表情が胸に突き刺さる。


 俺は今でも君を愛している。でも、理想の女性を求めてしまう。新しい人を求めてしまう。


 この2年の間に手掛ける仕事は大きくなり、より多くの金を手に入れた。そうなるともっといい人に出会えるような気がしてしまう。最低の男といわれようが、一度思ってしまったら、どうすることもできない。

 君のちょっとした変化でも許せなくなる。少しでも理想の人から変わってしまうことが許せない。


 俺は成功者であり、人生の勝者だ。そんな俺ならもっといい人が……。


 俺は麻衣子のまっすぐな視線から逃げるように、画面へと目を向け、


「そうだな。おかしいような」


 横から感じていた視線が、身を引くようにはなれていく。

 俺のリアクションが、彼女の期待とは違ったからかもしれない。


 何だか優しい日差しを感じる。高層マンションの上階に位置するここからは、都心であるにもかかわらず富士山を見ることができる。

 広々としたリビングのソファーに座る俺たちを、太陽はどんな思いで覗き見ているのだろう。

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