戦いの始まり
金貨を一枚借りてきた。
サグレサ王国には銀山があり、銀貨は造幣するが金貨はあまり作らない。
代わって、他国で造られた信用のある金貨が流通している。
この国で買い物の中心は、デナルと呼ばれる小ぶりの銀貨。
銀貨は六十枚で金貨一枚、金貨は二十枚で、一リルと言う通貨単位になる。
あとは銅貨が十枚で銀貨一枚、これだけ覚えておけば良い。
一円玉よりも薄い金貨だが、買取店で見てもらったところ、四グラム程でほぼ純金。
純度は、九十九パーセントを超えるそうだ。
「見たことの無い金貨だから、是非預からせて欲しい」と言われたが、丁重にお断りした。
ついでにコイン商にも持ち込んでみたが、同じことを言われた。
これなら、売るのに困らないだろう。
異世界に行くのも慣れたもので、上下が逆さまの穴を上手にくぐる。
木製ゴーレムのポンペイが扉を開けて案内してくれる、便利なやつだ。
何時ものキッチンに通され、しばらく待つとルシィがやって来たが様子が違う。
丈の長い寝間着にガウン、髪も結わずに垂らしたままだ。
「こんな格好ですいません」とルシィが謝る。
「どうしたの? 風邪?」
中世では、風邪で死ぬこともあったと言う、風邪薬でも持ってこようか。
「いえ、体を包むマナが抜けたことで、急激に疲れたみたいです。サガさんを見てると、大丈夫だと思ったのですが……」
そう言えば俺も、最初に戻った時は、疲労に襲われた。
このところは大丈夫だが、気をつけよう。
直ぐに元に戻りますからと言ったが、休んでて貰うことにした。
今日のところは、一人で問題ない。
行ったり来たりして、買ってきた荷物を運ぶ。
行き来の回数を減らすために、背の高いリュックを使うことにしたが、重いものや嵩張る物もないので、準備さえ出来ればあっと言う間だった。
あちこちで買った手鏡を三百枚ほど、プラスチック製のアクセや小物を百個余りと、組み立て自転車を一台。
化粧品は、簡単なパウダータイプの基礎化粧品と、リップや口紅とリップブラシ。
リキッドタイプは選ばずに、恐る恐る開けてみたが劣化した様子はない。
ほっとしたところで、許可を貰いルシィの寝室へ入れてもらった。
殺風景と言うほどではないが、女の子の部屋にしては色味に欠ける。
窓ガラスは透明度も低く歪んでいて、カーテンは麻か繊維を編み上げたものに見える。
今度、柄物のカーテンでも買ってこよう。
ルシィに、これを使ってみないかと、ファンデーションとリップを渡した。
使い方を教えて、じっと見ていると「恥ずかしいから出て行ってください!」と怒られた。
急いで飛び出すと、何故か一緒に追い出されたポンペイが、隣に立っていた。
「女の子の気持ちは分からんなあ」
ぽんっとポンペイの肩を叩いた。
妙に落ち着かず、扉の前をうろうろしていると、もう良いですよと声がかかった。
とりあえず、ノックをしてから入る。
「ほーこれは……」
かわいいねと言おうとしたが、面と向かって言えるタイプではなかった。
ルシィは髪もきちっと結っていた、それで時間がかかったのか。
「どうですか? 手鏡があると良いですね、何処でも髪を整えることができます」
「う、うん、よく似合うよ」
白すぎない肌に、ピンクのリップが良く似合う、今度はチークも買ってこよう。
ご機嫌になったルシィは、だいぶ元気が出てきたようだ。
寝てて良いと言ったが、手伝ってくれる。
魔術屋も兼ねたこの家の、通りに面したところに販売用の台を並べる。
周囲を見ると、他のお店も明日の準備で忙しそうだ。
昔は、市が立つ日はお祭りだったと読んだ事がある、これは期待できそうだ。
近所のおばさんらしき人が、ルシィに声をかけた。
「あらあら、おめかしして、どうしたの? こちらは? 旦那さん?」
違いますという間もなく、おばさんは続ける。
「ルシィちゃんいつの間に! 街の男の子達が悲しむわねえ。で、何処の方?」
これは全世界どころか、全異世界共通なのか……
「大叔母様を頼っていらしたのですけど、亡くなったのを知らなくて、代わってお手伝いしてるんです」
彼女の返答はこれだった、そういう台本か。
筋書きに沿って、挨拶だけすると、ルシィが代わりに営業してくれる。
「明日は、変わった物も沢山売るので、見に来て下さいね。ええ、こちらのサガさんが持ってきた商品です」
「でも高いんでしょう?」
「いえ、それがそうでも無いですよ」
ね? と話を振られたので、任せて下さいと答えた。
今気付いたが、サガヤさんから、サガさん呼びになっている。
昨日出かけた時も、翻訳ペンダントを通さないと、小ルシィはサガサガと呼んでいた。
最初からそうだったのかも知れないが、この魔法翻訳は、微妙な距離の近さまで表現出来るのだろうか。
何時か、サガヤとかサガとか呼び捨てになるのかな。
あなた、でも良いけど……と、下らない事を考えてると、ルシィが怪訝そうにこちらを見て言った。
「どうしたんですか、サガヤさん。変な顔をして」
はい、ごめんなさいと手を動かす。
機械翻訳よりも凄いじゃないか、魔法翻訳。
いよいよ明日は、決戦の日だ。
木でポップを作り、持ってきたペンキで値段や注意事項を書く。
この世界で、文字の読み書きは? と聞くと、商家なら出来ますとの事だった。
化粧品を買った人には、油で落ちますと伝えておこう。
この世界のオイルは天然物だし、植物性のものが豊富らしい。
街の人も店を開け、宿から旅人が出てきた頃合いに、奥の手を出すことにする。
松風号、絶影号、バイアリーターク号、名前は何にしようか。
苦労して持ち込んだ折りたたみ式自転車の出番だ。
背にはルシィに書いてもらった幟、『鏡・化粧品・珍品名品あります』を付けて、自転車の前には鏡を括り付ける。
「ほんとうにやるんですかぁ……?」と、ルシィは心底嫌がる様子だったが、綺麗事は言ってられない、宣伝は大事だ。
小型の自転車に乗って、街中を走り回る。
どうせ誰も俺のことを知らないと思うと、行動も大胆になる。
小さな街だ、人家が途切れるあたりまで来ると、遥か先に森や山、地平線が見える所も。
まだ未開発の土地が多く残るこの光景には、妙な感動を覚えた。
この街を宿場町にしている街道が、地平線の先へ落ち込んでいる、たぶんこの世界も丸い。
何周かした頃には、子供達が付いて回るようになった。
笑顔で手を振り、お母さんを街外れの魔術師の店まで連れてきてねと、頼んでおいた。
店に戻ると、既に数人が商品を見ていた。
ルシィが、やっと戻って来たのかと言いたげな顔で睨む。
さあいよいよ、これからだ。
今日中にもう一話くらい