ダイエットや~めた
二人はほとんど物を買わないのに、一時間ほどスーパーに滞在し、その後別れることになった。理沙のお腹がぐぅぐぅと鳴っていたが、決して物を買うことはなかった。ここで何かを買ってしまったら負けだと思い、ギリギリのところで抑えていたのだ。
理沙は家に着くなり、直ぐに自室へ向かった。自室にはデジタル表示の体重計が置いてある。いつも朝と夕方に計るのだ。
家の中には誰もいない。両親はまだ仕事中だ。そのことあり、室内はしんと静まり返っている。そんな中、理沙は服を脱ぎ、全裸になると、ゆっくりと体重計に乗った。
目標は三十八キロ台になることだ。いつも節制し、カロリーを抑えているのだから、体重が減るのは当たり前だ。理沙はそう考えなら体重計を見つめたが、そこで意外なことが起きた。
『四〇.七』
体重計にはそう表示されている。
(え、嘘でしょ……)
理沙は何が起きたのか良く分からなかった。一度体重計を下りて、リセットしてからもう一度体重計に乗った。今のは何かの間違いだ。そうだ。そうに違いない。そんな希望を抱きながら体重計に乗る理沙であったが、結果は四〇.七キロで変わらない。間違いないのである。
その体重を見て、理沙はパニックになる。
(きっと、ゼリーを食べたからリバウンドしたんだ)
それしか考えられなかった。あの時、ゼリーを我慢していたら、もっと体重は少なかったはずだ。理沙の脳内ではそのことばかりが目まぐるしく回る。
(吐こう)
理沙は時計を一瞥する。時刻は午後五時を表示している。カーテンの隙間から、夕焼けが差し込み、部屋を哀愁漂うオレンジ色に染め上げていた。理沙は服を着ることも忘れて、トイレに向かい、躊躇なく、人差し指を口の中に突っ込んだ。
既にゼリーを食べてから数時間経っている。すべてを吐くのは不可能であるが、とにかく痩せたい。太った体重を元に戻したい。その一念で理沙は懸命に吐こうと努力した。彼女は何度も過食嘔吐を繰り返していたので、吐くという行為には慣れているつもりだった。指を喉の奥まで入れると、気持ち悪くなり、胃酸が沸き上がって来る。喉が熱くなり焼け爛れていくような気分だ。
朝食を簡単に済ませ、昼は水だけの理沙の胃袋にはほとんど食べ物が入っていない。ゼリーもとっくに吸収されたようだ。吐いて出るのは胃液だけで、胃酸が食道や、口内に染み渡り、苦しい思いをする。
何度かえずきながら胃液を吐き出すと、口の中に不快な感じが残った。ゼリーは全く出ないが、吐くことは出来た。これで少しは体重が減るだろう。水を流し、洗面所で何度もうがいをする。その際、誤って水を飲まないように細心の注意を払った。
その後、再び自室へ戻り、直ぐに服を脱ぐ。そして、直ぐさま体重計に乗り、体重を測る。しかし、結果はあまり変わらない『四〇.四』三〇〇グラム減っただけである。理沙は愕然としながら体重計を見下ろした。どうして食べていないのに太るんだろう。目の前が真っ暗になる。とにかく体重を減らすにはどうすれば良いのだろうか?
下剤や利尿剤を使おうか? 理沙は机の中にしまってある下剤を取り出し、それを一気に飲み込んだ。体重を落としたい。念じるのはそれだけだった。下剤が効くまでには少し時間が掛かる。その間、家の外をウォーキングしよう。恐るべきストイックさで理沙は服を着て、外に向かう。そして、家の前の長い通りを行ったり来たりと繰り返した。二十分程だろうか? ウォーキングをしていると、便意がやって来る。直ぐに家に戻り、トイレに駆け込む。早く体の中にあるすべての物を出して楽になりたい。
トイレを済ませると、体中の水分がグッと抜けたのか、理沙の体はふらふらになった。顔は青ざめ、足取りも悪い。それでも部屋に向かい、体重計に乗る。『三十九・九』四十キロは切ったが、三十八キロ台にはならなかった。とりあえず、三十九キロになったことでようやく落ち着きを取り戻した。夕食を食べるのは止めよう。そうすれば朝には三十八キロ台になるかもしれない。
午後七時――。
夕食の時間である。ギリギリまでウォーキングをし、トイレにこもっていた理沙であったが、帰って来た母親に呼ばれ、リビングに向かった。
「ご飯出来たわよ」
母は言った。
青ざめた理沙は頷きながら、
「今日はいらない」
テーブルの上には、理沙が良く食べるこんにゃくや白滝、そしてもずくが乗っている。
「どうしたの? もの凄く顔色悪いけど」
心配そうに母は言う。確かに具合は悪い。ほとんど物を食べていないから、体はふらふらであるし、体重が一気に減ったということもあり、小刻みに震えている。それに脈も遅い。体が鉛のようになった気分だ。
「大丈夫。お母さん。あたし、今日のご飯いらない」
「何言ってるの! そんなに痩せてしまったんだから、少しは食べないと駄目よ。ただでさえ、こんにゃくやもずくなんかのカロリーの低い物ばかり食べてるんだから」
「でも、今日は食べられないの。体重が増えちゃったんだもん」
「増えたって、今何キロなの?」
「三十九キロ」
三十九キロという言葉を聞き、母は仰天した表情を浮かべる。身長からみて、三十九キロは痩せ過ぎである。本来なら後十五キロ体重が増えても良いはずなのだ。
「理沙、お願いよ。ご飯を食べて。このまま痩せてしまったら、倒れちゃうわよ」
「良いもん。太るくらいなら倒れたほうがマシ。とにかく今日のご飯はいらない」
「理沙!」母は叫ぶ。「このままダイエットし続けたら、栄養失調になって、骨も体も弱くなっちゃうのよ。一度、お医者さんに行きましょう。あなた病気よ」
自分のことを病気と言われ、理沙は狂ったように反応した。
「あたしは病気じゃない! どうしてそんなことを言うの。お母さんに酷い!」
そう吐き捨て、理沙はリビングから出て、自室のベッドにもぐり込んだ。立っているだけでも辛い。布団の中に入ると、溶けるように力が抜けていく。
(絶対にご飯は食べられない)
考えることはそればかりだった。今日食べなければ、明日の朝には三十八キロ台になるはず。そしたら次は三十六キロを目指そう。こうして際限のないダイエットが続くのである。理沙の体の限界は直ぐそこまで忍び寄っていた。そのことに理沙だけが気づかないのであった。
母が部屋まで夕食を食べるように呼びに来たが、理沙は一切反応しなかった。とにかく頭の中にあることは痩せるということで一杯だった。痩せていれば輝ける。細いパンツだって穿けるし、モデルのようにカッコよく、そして可愛くなれる。病的にまで細長いシルエットは理沙にとって絶対美なのだ。だから絶対に太るわけにはいかない。
太る。その言葉を思い出したとき、ふと、臺のことが思い浮かんだ。ダイエットをすると言い、結局していない臺。どんどん物を食べ、挙句の果てに、パウンドケーキを一本丸々食べてしまう臺。そうだ。臺にダイエットを止めさせ、とにかくもっと食べるように言おう。自分のことをこんなに苦しめた原因は、臺がゼリーなんか食べようと誘ったからだ。その償いはしてもらわなければならない。明日は沢山お菓子を食べてもらおう。そう心に誓った。
理沙は食事を摂らず、お腹がぐぅぐぅ鳴る中、朝を迎えた。体は相変わらず重く、震えている。体温も低くなったのか寒い。起きて直ぐトイレに向かった後、体重を測る。無論全裸だ。体重計に乗ると、『三十八.九』と表示された。
(やったぁ。とうとう三十八キロ台になった)
嬉しさで満たされる。食べなかった甲斐があった。理沙はふらふらになりながら、服を着てリビングに向かった。時刻は八時ということもあり、父親は仕事に出かけてしまったようで、母だけがいた。テレビを見ながら、トーストを食べている。
「おはよ。お母さん」
理沙はそれだけを言うと、冷蔵庫の中からミネラルウォーターを取り出し、それを飲んだ。すると、母が後ろから寄って来て、
「理沙、朝はしっかり食べなきゃ駄目よ。昨日の夜食べてないんだから」
「じゃあ、りんごとブロッコリーで良い。それ以外はいらない」
しかし、母は納得しない。
「理沙、お願いだから、もっと食べてよ。本当にあなた倒れてしまうわよ」
母の必死の懇願にも理沙は聞く耳を持たない。本当なら、りんごやブロッコリーだって食べたくない。微細なカロリーだって摂りたくないのである。
「倒れないし、あたしは大丈夫」
理沙はきっぱりと言った。
その言葉を聞き、母は深いため息をついた。何を言っても理沙は聞き入れない。そう察したのであろう。仕方なく、キッチンへ向かい、ブロッコリーを茹で、さらにりんごの皮をむき、それらを理沙の許まで運んだ。
理沙は早速昨日買って来た桑の葉ソルトをブロッコリーにかけた。茶色い塩がブロッコリーに染み渡り、ふんわりと良い香りがする。一口食べてみる。桑の葉がどんなものなのか分からない。しかし、いつも食べている食卓塩よりかは遥かに美味しい。
昨日の朝からほとんど物を食べていないため、ブロッコリーに塩をかけただけの粗末な食事でも高級レストランの絶品料理のように美味しく感じられた。一口大にカットしたブロッコリーを三つほど食べ、その後、小さくカットされたりんごを食べる。りんごダイエットというダイエット方法が流行り、それ以降、理沙はたまにりんごを食べるようにしている。朝りんごを食べることは体に良いらしい。りんごを二切れ食べ、理沙の食事は終わった。カロリーにしたら二〇〇キロカロリーないだろう。
食べても全然お腹一杯にならない。白滝でも追加して食べようかと思ったが、首を左右に振り、止めることにした。あんまり食べたらリバウンドしてしまう。
理沙は食事を終え、食器を流しまで運び、それらを洗った。その後、再びテーブルに戻り、お湯を飲む。母はその姿を見て、
「朝ごはん。本当にそれだけで良いの?」
と、尋ねた。顔は不安さで満ちている。
理沙はゆっくりとお湯を飲みながら答えた。
「うん。これ以上食べたら太っちゃうし。それにお腹一杯だし」
全くお腹一杯にはなっていないが、そう答えた。ケーキが食べたい。ご飯も食べたい。お菓子も食べたい。
「昼食はしっかり食べるのよ。お金置いていくから」
「分かったから、そんなに心配しないでよ。あたしは全然大丈夫だから」
とは言うものの、体力は徐々に削られていく。腹部がもぞもぞとむず痒いし、頭もぼうっとしている。おまけに体は起きたばかりだというのに重たい。
時刻は午前九時、母は仕事に向かうため家を出た。たちまち一人になる理沙。家の中はひっそりと静まり返り、理沙は自室で悶々としていた。リビングにいると、冷蔵庫を開けて、わしゃわしゃと食べ物を食べてしまうような気がして、あまり近づきたくなかった。早めに図書館に行こう。あそこに行けば食べ物のことは忘れられるかもしれない。理沙は着替えを済ませ、直ぐに図書館に行く準備を始める。タイトなスキニーデニムを穿いているというのに、その中で足が泳ぐ。明らかに痩せ過ぎの体が露になる。しかし、そんな状態でもあるにもかかわらず、理沙の目には自分が太って見えて仕方なかった。
(もっと痩せなくちゃ可愛くなれない)
考えることはそればかりだ。理沙は家を出て、途中にあるコンビニに寄った。直ぐにお菓子売り場まで行き、食べもしないのに、うろうろと回る。臺が先日食べていたパウンドケーキが売っている。それにチーズケーキやショートケーキもある。それを食い入るように見つめた後、カゴに入れた。
たっぷり三十分ほどコンビニにいた後、理沙は袋一杯のお菓子を買い、それを持って図書館に向かった。




