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愛しくて。

作者: 楽椎名


「自分らしく……、生きなさい……」

 そう言われた三日後、父が死んだ事を告げられた。

 それは蝉時雨が耳に障る暑苦しい夏の出来事だった。

 僕が意外に感じたのは母の落ち着いた様子である。

 半世紀を共に過ごし愛し合った人生のパートナーがこの世を去ったと言うのに、どこか冷静な佇まいでいた。 僕は酷く慌てていると言うのに。

 哀しくないの? とは口が裂けても聞けなかった。

 答えを聞くのが怖かったのもそうだし、何より本当に悲しんでいたらと思うと失礼だと感じたから。

 ただ平静とした状態のまま、眠る父に線香を上げる母の背中を僕は黙って眺めていた。

 ふと、父と共に歩んだ過去を振り返る。

 子供の頃、よく肩車してもらったこと。 一緒にお風呂に入ったこと。 一緒に寝たこと。 テーマパークに連れて行ってくれたこと。 誕生日を祝ってもらったこと。 齢を取るに連れて、喧嘩が多くなったこと。 父が重い病気を煩わせたこと。

 全てが長い年月が経った思い出の筈なのに、つい昨日のことの様に浮かび上がる。

 余りにも美しく、(かな)しい思い出。

 (かな)しくて、愛しくて、愛し過ぎて、気が付けば、僕の頬には熱い雫が伝っていた。

 三日前に、電話越しで父に最後に言われた事を思い出す。


 自分らしく生きなさい。


 苦しそうで、消え入りそうな、でもどこか力のある最後の言葉。

 亡くなる一歩手前の人間の声はこんなにも胸を締め付けるものなのだろうか?

 居た堪れなくなった僕は、溢れそうになる涙を堪えながら、また今度お見舞いに行くねと告げて電話を切った事を思い出す。

 父さん……、父さん!

 僕は何かしてやれたのだろうか? ちゃんと愛してあげられたのだろうか?

 考えれば考える程、今まで迷惑をかけてきた父に対しての罪悪感が込み上げてくる。

 この日が来ることを知っていたなら、父が元気な時に、もっと心を開いてぶつかり合えばよかった……。

 賽は投げられたら戻っては来ないと言う事を、昔から気づいていた筈なのに。

 涙で視界が歪んでいく。

 今まで僕に向けてくれた幾千億の父の笑顔。

 思い出しては、ただ消えてゆく……。



 ×××



 親戚や兄弟が集まり、夜通しで亡くなった父の事を語ってからはあっという間だった。

 式場に父と今まで関わってきた沢山の会社の上司、後輩、知人、友達がぞろぞろと入場してきては受付で香典を渡してくる。

 驚いた。 父さんは陽気で優しい人だからそこそこ人が集まるだろうと想像していたが、その予想を大きく上回る程の人数だった。

 大半の人たちは父の他界に大粒の涙を流していた。

 こんなにも人望が厚かったのだな、と僕は改めて父の偉大さを痛感した。

 そうこうしていく内に、人々はそれぞれの席に着き、こうして葬式が始まった。

 お坊さんが前へと出て、一礼し、お経を唱え始める。

 嗚呼、始まってしまった……。

 流れる様に唱えるお坊さんの声に、僕は何度目になるか解らない父との思い出を振り返った。

 元気な父さん。 口煩い父さん。 愛しい……、父さん……。

 決まった流れを総て終えると、お経は止み、坊さんは僕たち家族と参加者全員に向かって一礼し、式場から去って行った。

 こうして父さんの葬式は終わった。

 父さんの為に来てくれた人々が次々と挨拶を交わしては去って行く。

 残った僕たち家族とその親族はお坊さんに以前、父さんが寺に訪れてきた事を話してくれた。

 どうやら父さんはこの日が来ることを予想して葬式を立てていたらしい。 今日、この世を去るなんて解らないのに。

 その話を聴いた僕はますます遣る瀬無くなり、唇を噛みしめ、グッと涙を堪えた。

 嘘、無理だった。

 頬には生温かい雫が伝っているのを感じた。

 

(かな)しくて堪らないよ……、父さん……。



 ×××



父の葬式が終えてから、あっと言う間に二ヶ月が経過してしまった。

未だに父の死が受け入れられない僕は、悲壮感を漂わせながらも精一杯笑顔を作りながら仕事を熟して日々を過ごしていた。

残暑の続くある日の事、これを誰もいない所で目を通すように、と母が突然一通の手紙を寄越してきた。

誰からだろうか? 思考を巡らせながらも僕は母の言う通りに自分の部屋へとその手紙を持って行った。

差出人の欄に目を通すと何と亡くなった父からのものだった。

これは母に宛てたものではないのだろうかと宛先の欄を確認するが、間違いなく僕の名前が記されていた。

僕は机に入っている鋏を取り出して封を切り、手紙を開いた。



 ―――

 拝啓、愛おしい息子へ。

 お前がこの手紙に目を通していると言う事はきっと私は天に召されたのだろう。

 愛おしい息子よ、私はお前や、お前の兄、姉、そして妻に幸せを与えられたのだろうか?

 単身赴任で忙しい身だったとはいえ、家事や育児を総て妻に押しつけてしまった事は少しばかりの後悔がある。

 余りお前たちの傍に居てやれなかったことも。

 私と妻の宝である息子よ、私はお前の自慢の父親であれただろうか?

 年が経つに連れて、互いに行き違いが生じたな。

 私が癌を煩わせた時、真っ先に兄弟でお前が心配してくれたのは今でも覚えている。

 闘病生活の時、優しいお前の不器用な慰めが私の心の支えであった。

 それと同時にお前たちともっと傍に居てやれば良かったと後悔している。

 私が亡くなって前が見えなくとも、もう振り向かないでくれ。

 大好きなお前たちは笑っていてくれ。

 それだけが私の望みだ。

 時が経ち、私がただの灰となって春風に抱かれて空に消えても、お前が私にくれた絶え間ない優しさは決して忘れはしない。

 本当にありがとう、さようなら……。

 追伸、私はお前を、家族を愛している。

 ―――



 思わず涙を流しながらも笑ってしまった。

 父にしては余りにも臭い台詞を並べるものだから。

 でも、心なしか元気が出た。

 ありがとう、父さん。

 僕はこれからも頑張って生ける気がする。


 本当に……、本当にありがとう……。


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― 新着の感想 ―
[一言]  葵枝燕と申します。  『愛しくて。』、拝読しました。  亡くなった大切な人に、自分は何かすることができたのかーー生きているなら、誰しもが考えることだと思います。でもそれは、生を終えようとす…
[一言] 私も父を亡くしているので、共感出来ました。 他の作品も時間を見付けて読ませて頂きますね。 執筆頑張って下さい。
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