第4話 蘇の指導者
《聖歴827年3月16日 アルガデシア王国大聖堂 鐘楼》
「…………」
教会の鐘楼から眼下に広がるアルガデシア王都を見下ろす影が一人。
その人物は白の装束に身を包み、右手で白い聖杖と同じく白い本を抱えていた。
目の前に息をのむほど素晴らしい景色が広がっているというのに、彼のぼんやりとした、しかしどこか力強さを秘めた瞳はその景色のどこにも向けられていない。
強い風が吹き込み、中身のない左袖が風にはためく。
コツコツという靴音をたてて彼の背後の階段から現れた従者は息を切らしつつ男に呼び掛ける。
「このような場所に、いらしたのですね。お願いですから、一声おかけください。……でないと、心配です」
「…………」
反応を返さない男に従者は怒ることなく歩み寄ると、視界に入るよう男の正面にまわる。従者にとってこれはもはや当たり前のことになっていた。
こうでもしない限り、彼はずっとこの場に居続けるだろう。
「聖下。……メルクシス教皇」
それでもなお黙り続ける男に初めてため息をつくとルノスは声を張り上げる。
「ロアノス『団長』!」
「……!」
そこで初めて気が付いたといった様子でロアノスは己を見上げる従者へ目を落とした。
「……ルノス? どうしたのだ?」
「メルクシス教皇、ゼヘル教会騎士副団長とエリス王国騎士団長が。まさか約束を覚えて……?」
不安そうに眉をひそめる従者に、ああ、と相槌を打つと踵をかえす。
「……そういえば、今日はあの二人が会いに来てくれるのだった。……行こうか」
「はい!」
長い裾を踏まないよう、気を付けながら階段を下りてゆく主の後をルノスは笑顔で追いかけた。
「ロアノス様の事、どう思う?」
これはゼヘルの言葉である。
死んだはず。
死を確認し、その身体の冷たささえ夢ではないと三人とも受け入れていた。
ソレは無事だった彼の部隊の騎士達と遺体を運び出していた時に起こった。もう少しだけ側にいたいというルノスの言葉で、最後に、と王座の間でロアノスを囲み佇んでいた時だった。
本来教皇しか触れることを許されていないため、運び出すまでの一時しのぎとして布で包みルノスが持っていた聖書。それが布の上からでも分かるほどの強さで光り出し、まるであの正門から見た時の閃光のようにひと際まぶしい光を放った後だった。
「……ぅ」
小さなうめき声が聞こえ、胸の上に置かれた右手の指先がピクリと動いた。
「……え?」
あまりの眩しさに目を閉じていたのが幸いしたのか、何事かと澄ましていた聴覚でギリギリ聞こえたほどの声量。他の二人にも聞こえていたのか、どちらもまさか、という顔をしている。
恐る恐る手を伸ばし口元に手を当てると、手のひらに微かに風を感じた。
「……ロアノス様が」
そのままそっと頬に触れてみると、通常の人よりは冷たいものの明らかに自分のものではない温かさを感じる。
「……ゼヘル隊長、エリス副団長! こ、これは」
長い睫毛が震え、うっすらと目が開く。焦点が合っていないのか、虚ろな蒼い瞳が一瞬だけ、ルノスを捉える。
「……ル……ノ」
「……!」
掠れた、しかしそれでももう二度と聞くことはないと思っていた声に、泣きはらしていた目に何度目か分からない涙が浮かぶ。
「……ロアノス様あぁぁぁ! う、……うわあぁぁぁん!!」
「これは、一体どういう!?」
「そ、それよりも、救護隊、……衛生兵じゃなくて、……医師を……マ、マリスを! あああぁ、私が呼んできます!」
年甲斐もなく声をあげて泣くルノスと、混乱するエリス。一番冷静と思われていたゼヘルも教会の救護所に駆け込んだ時には泣いて言葉が出てこなかったという。
それからが大変だった。
もともとアルガデシア王国には世継ぎがいなかった。唯一王家の血を引く王子は幼少期に行方不明になっている。
そして王国に仕えるカナン公国の大公であるグレイル・カナン公。
彼の反乱は王国だけでなく世界に大きな波紋を起こした。
名前こそアルガデシア聖教ではあるが、それは国内のみの名称で実態は世界規模の宗教団体。その教皇が反乱で亡くなったというのは大きな衝撃を引き起こした。
しかし、問題はそれだけではなかった。
突如として世界中の魔物が活性化し、さらには伝説上の生き物とされていた生物が各地で目撃、そして人を襲うようになったのだ。従来からいるものを魔物、伝説上の生き物を魔獣と呼ぶようになった。
伝説とたがわぬその力に対処は困難を極めた。
アルガデシア王国はこの事態に異例の決定をした。
国の状態が落ち着くまで王の座を空位とし、全権をアルガデシア聖教に委ねたのだ。その教皇選出には前教皇フェルトトゥムナの遺志が反映されたのだった。
過去に前教皇と共に教皇候補として名を連ね、自ら辞退しその座を譲った教会騎士団長。そして次期教会騎士団総長候補。彼の教皇就任は信者達から歓迎された。
だが。
「……私も、死んだと思っていたのだが」
「まあまあ、今こうして生きているんですし、その話は終わりにしましょう、ロアノス団長……じゃあなくて、メルクシス教皇」
ゼヘルの言葉にロアノスは苦笑すると、ロアノスでいいさ、と答える。
「では……ロアノス団長、お加減いかがですか?」
「……大分元には戻ってきている。……だが、まだ魔獣と戦うのはきついな」
その言葉にルノスは思わず立ち上がる。
「ば、馬鹿言わないでください! まだ大人しくしていてくださいとあれほど!」
「ルノス、団長として部下に稽古をつけるくらいいいだろう?」
「何をおっしゃっているのですか! 確かにあなたは騎士団長でもありますが、そのまえに教皇なんですよ!? また総長に、私が怒られてしまいます! もう少し自分の立場を考えてください……あ……」
「……ああ」
「……申し訳ありませんでした」
寂しそうな表情をした主にルノスは謝る。
だが、その表情さえルノスにとっては貴重なものだった。
あの反乱以降、ロアノスは表情に感情をあらわすということがほとんどできなくなっていた。ただ、感情が消えてしまったわけではない。時々、彼が遠くを見つめている時、何とも表現できない、それでも見ているこちらも胸が張り裂けそうな表情をしていることもある。
傷の治りも悪く、未だに辛そうにしていることもあり以前のロアノスからは想像できないほど、いってしまえば弱弱しい。目を離した隙にまたいなくなってしまうのではないか。そうとも思ってしまう。
そんな恐怖が彼らを捕らえていた。
「そういえば、明日は塔まで行くのだったな」
「はい、そうですね。神子との会談が……」
「……外に出るのも、久しぶりだな。就任記念の挨拶以来か。……それも、王都から外に出るのは、……あの日以来だな」
あの日。
『カナンの反乱』と呼ばれるようになったあの夜の惨劇。
全てが変わってしまった日でもある。
誰もが何かしらを失っていると言える。そんな中、ただ一人だけ、『すべて元に戻った』と言った人物がいる。ロアノスの父であるリアン・メルクシス公だ。
目を覚ましたロアノスに教皇就任の知らせを届けに来ていた公爵は、ルノスの目の前でロアノスに向かいそう言った。ただ一言だけ。しかしロアノスはその時ばかりは目を見開き驚いていた。
そして彼は、そうか、と答えたのだった。
その顔は悲しそうでもあり、悔しそうでもあった。そして、最初は気のせいかと思っていたが、ルノスは同時に確かに彼の恐怖を感じ取っていた。
その後は部屋を追い出されてしまい、何を話していたのか分からないが、しばらく経ってから部屋に戻ったルノスに彼は、すまなかった、と謝った。ルノスからしてみたら何のことだか全くもって理解できなかったがロアノスはそれで満足したらしい。
今日までアレは何のことだったのか聞けずにいた。
そして、それが明らかになるのはまだ先のことだった。
投稿忘れてた……




