第2話 反逆者
礼儀も尊厳もかなぐり捨ててその身を抱きしめる。
輝きを失った瞳はもうどこも見ていない。
「……うっ……っ!」
どれほどそうしていたのか、目を閉じさせてやる。
冷たくなりつつある体をそっと横たえるとロアノスはふらふらと立ち上がった。全身がしびれてしまったかのように感覚がない。それでもまだ思考だけはなんとか出来ていた。
国王や教皇につけられていた傷。あれは剣で斬られた跡だけではない。
むしろ、剣で斬られた後、何かの獣に切り裂かれたと言った方が正しいだろう。それも生半可な大きさの獣ではない。少なくともロアノスより大きい。しかし、そんな大きな魔物などここに来るまで見ていない。
仮に細い通路や物陰に隠れていたとしても、家の様な場所であるこの王城内で異変があればすぐに気づくことができるはすだ。
そしてなにより気になることは、部屋に倒れる遺体の中にカナン公がいないことだ。状況から考えてカナン公が反乱を起こしたと見ていいだろう。
それでもなお、不可解な点は、伝説上の生き物であるはずのオルトロスの出現。それに妙に統率のとれた魔物の群。その魔物も普段見かけるものより数段大きく強かった。
しかし、それだけではカナン公が反乱を起こすような理由が思い当たらないのだ。
王国にとってもカナン公にとっても互いはなくてはならない存在だったはずであり、それを裏付けるかのように関係も良好。
カナン公も自らの領民のみならず、他の領地の民からも慕われるとても頼りになる領主だった。
ロアノス自身、彼を慕っていた。信頼を寄せていた数少ない人間の一人なのだ。
それが何故。
「……それも……私には、もはや、……関係ないか」
自然にため息が口から洩れる。
守れなかった。
守るべき人を誰一人守れず、何の情報もつかめず、生き残ってしまった。戦うことすらできなかったのだ。
こうして、いつも目の前で失っていくのだ。
(何が教会騎士団長だ……)
結局は『名前だけの存在』だったのではないか。それも、偽りの……。
「くそっ……!」
濡れた固い床を拳で殴りつけると頬をつたっていた涙をぬぐう。自分の力の無さをまざまざと感じていた。
しばらくそうしていたが、いつまでも彼を冷たい床に横たえておくわけにはいかない。かといってロアノスとて二人同時に大人の男を抱えることなどできない。
「……すぐに、戻ります」
何の意味もない事は分かっているが、寒くないようにと己のマントを外し教皇の体にかけると、王座の国王の元へ向かう。事が起きてから既に長い時間が経っていたのかその身体は冷え切っていた。
その肩に手を置いたままロアノスは、複雑な感情を抱いていた。
アルガデシア国王シェムロ・リ・アルガデシア。
教会騎士であるロアノスも何度か任務で顔を合わせたことはある。しかし、その中でここまで近づいたことはない。言葉すら交わしたことさえないのだ。
教会騎士として一言でも言葉を交わしていれば、抱いているこの感情も何か変わっていただろうか。それともただ単に心が麻痺しているだけなのか。
「…………」
感じた冷たい風にふと、顔をあげると、ステンドグラスになっている間のガラス窓の一枚が大きく割れていた。襲撃の際に割れたのだろうか。本格的に降り始めた雪がはらはらと舞い込んでいた。
しかし、割れているガラスは比較的高い場所にあり何か投げるなどしない限り届かない場所にある。そして室内で近衛兵たちが飛び道具を使うなど到底あり得ないことなのだ。
違和感に槍を片手に広間を見渡し驚愕する。
中央に人が立っていたのだ。いくら気が動転していたと言っても、最初から今まで全く気配さえ感じることが出来ていなかったのは異様だった。
大柄でかなりガッチリとしている。窓から差し込む月光だけでは下半身しかはっきりと見ることはできないが、それはロアノスにとって見慣れた人物であった。鎧の下の衣服は特徴的な色あせたような赤。
「あなたは……、カナン公……!」
次の瞬間、激情に駆られロアノスは床を蹴っていた。
「貴様あぁぁぁっ……!」
「ロアノス卿……!」
槍の穂先と巨大な刃が打ち合わされ空気が震える。
「カナン、貴様っ! よくも……よくも、このようなことが! 違うというのならば、弁解してみせろっ!」
「…………」
静かに攻撃を受け止めるカナンの表情は暗闇に沈み読み取れない。いったん引くと横から上へ斬りあげ回転させた勢いのまま柄でカナンの肩を強打する。
鎧に守られているためそこまで効果はないだろうが、これはあくまで気を引かせるため。案の定、動きを止めたその隙をついてカナンはロアノスの槍をその手から弾き飛ばしていた。
その槍と共に後方へ吹き飛ばされたロアノスは体勢を整えるとカナンの懐へ飛び込む。
すれ違いざまに下げていた剣を抜くと鎧に守られていない足を斬りつける。そのまま反撃の隙を与えないよう体をねじり振り返りながら剣を振り下ろすと、ガキン、という音と共にその剣が受け止められていた。
(馬鹿な……!)
確かにカナン公も戦場では名をはせた剣の名手だ。しかし、足を斬りつけられた直後の攻撃を受け止めるとは。
「さすがは、ロアノス卿。王座の間とはいえ柱が多く槍では不利とみて剣をとる判断は見事です」
「なにを……!」
(何故、ここまで余裕が……!)
カナン公とて人間。先ほどの傷もかなり深く刻んだはずなのだ。だというのにこの余裕。それどころか痛みを感じていないとさえ見える。
「くっ……。カナン、答えろ! 何故、このような真似をしたっ!」
「……あなたは、……ご存じないのですね。なら、……知らない方がよいこともあるのです。ロアノス卿」
「ふざけるなっ! たとえどんな理由があろうとも、このような暴挙、許されると思っているのか!?」
「……あなたは。……私は、あなただけは」
その声音は国王と教皇に刃を向けた者のものとは思えない。しかし、カナン兵が立ち塞がっていたのも、カナンが否定しないのも事実であり、たとえ彼が反乱を起こしていないと言ってもその証拠はない。それにカナン公は王座の間に共にいたはずなのだ。
彼以外はあり得ない。
「……許さん」
ロアノスの口から低い声が漏れる。
「……私にとって……唯一の、……だった、人……を」
空気にピリピリとしたものを感じカナンは目を見開く。
「……まさか、いや、しかし!」
「……貴様、だケハ……絶対に」
――ピシィィィッ!
「……!」
震え始めた空気と圧倒的な威圧感。受け止めていたカナンが段々と押され始める。
「……絶対に……許さンッ!」
「まさかロアノス、お前まで……!?」
カナンは喘ぐと体勢を立て直そうと一歩引く。刹那、限界を迎えていたのか大剣にひびが入り粉々に砕け散る。
「アアアァァァァッ!」
「……ぐうぁっ!」
鋭い太刀筋は分厚い鎧も切り裂きカナンの胸に大きな傷を刻み込む。血を流しながら後退するカナンに恐るべき速さで接近したロアノスはその心臓めがけて剣を突き出す。
カナンは間一髪でその攻撃を避けるが、完全に避けきれたわけではなかった。続いて繰り出された斬り上げ攻撃で眉間から右頬にかけて斬られる。
「……くっ!」
それでもカナンにとって幸いだったのはロアノスが怒りに我を忘れ攻撃に精細を欠いていたことだった。普段の冷静で頭の切れるロアノスならばとっくに勝負はついていただろう。
カナンは攻撃を避けられバランスを崩したロアノスの左手に向け落ちていたメイスを振り下ろす。
「らあっ!」
「ぐああぁぁっ!」
ロアノスは教会騎士の中でも変わった戦法をとる騎士であり、防御より素早さや動きやすさを重視する。故に、彼は重い金属でできた防具を身に着けておらず、攻撃を受けてしまった際のダメージは並みの騎士の比ではない。
無論、それも彼の抜き出た戦闘技術があるため問題ではなかったが、今は違う。
ゴキリ、と嫌な音が響き、左腕を押さえたロアノスは床に叩きつけられる。
「うっ……くうっ……。うぅ……」
「…………」
「……っマ、ダだ」
「……なに!?」
しかし、その瞳から闘志が消えることはなかった。すぐに立ち上がると右手のみで剣を持ちカナンにとびかかる。
「……カナンンッ!」
「くそっ!」
カナンはメイスを投げ捨てると落ちていた大剣を横に構えロアノスの剣を受け止める。
片手になった分、軽くなっているはずのその攻撃はしかし、先ほどまでの攻撃よりもはるかに重さを増していた。
――ビシイィィィッ!!
「!」
集中しなくとも分かるほど大気の震えが大きくなっていた。
「ロアノス、落ち着け……! お前は!」
しかし、その言葉はロアノスには聞こえていなかった。
「カナァァンン! 貴様、だけはっ!」
連続して重い攻撃が大剣に打ち付けられる。片腕による攻撃とは思えない速さだ。
「ハアァァァ!」
「っく! マズい……引きずら、れて……っ!」
室内に走った閃光にカナンは目を細める。その食いしばられた歯の隙間から低く籠った獣のような唸りが漏れる。
「グルアアアァァァァァッ!」
雄叫びと共に目に見えないほどの速さで硬質な物がロアノスの剣を弾き飛ばし、ほぼ同時に左腕を吹き飛ばす。
その力で宙を舞ったロアノスは柱に背中から打ち付けられズルズルと柱伝いに倒れ込んだ。
「グルルルゥゥゥ……」
先ほどまでカナン公が立っていた場所には狼が立っていた。
黄色く細長い瞳。鋭い牙と爪。その瞳に知性は見られない。
朦朧とする意識の中ロアノスは確信する。
あの人狼こそ国王と教皇を殺したモノだと。
「……っ。……人狼、メ……カナンッ! 貴様、ダけ……ハ。キサマ……だけハ」
自分でももはや何をし、何を言っているのかさえ分かっていなかった。全て夢の中のようにふわふわとした感覚。それでも目の前の魔物に対する憎悪だけはある。
恐らく、今まで感じたことのある憎悪の中で一、二を争うほどの。
咳き込みながら震える足で何とか立ち上がる。
自分の重心がおかしい。
つい先ほどまで自分が横たわっていた場所にある血だまりは温かかった。床についていた側が生暖かい。
(……そうか……左腕、か)
二の腕から先がなくなった腕を見下ろしても、そんな感想しかなかった。不思議なことに痛みもない。
そして、それを確認したときには、驚いたことに先ほどよりも思考がはっきりしていた。
それに、ここから生きて帰ることに何の意味がある、と皮肉な笑みを浮かべるとロアノスは人狼に向かって踏み出す。
「らあああぁっ!」
「グルル……!」
斬りつけた剣はいとも簡単にそのかぎ爪に弾き飛ばされる。
相手は今まで戦ってきたどの魔物よりも素早く力強い。それでも倒さねばならない。
「……!」
左右からのひっかき攻撃をバックステップで避けると、渾身の力で左胸へ向けて剣を突き出す。
しかし、人狼の方が素早かった。
空振りに終わった攻撃で突き出した両手をひっこめると、自らの胸に迫る刃を右手で薙ぎ払いそのまま突き出しロアノスの体を背後にあった柱に押し付けるようにして身動きをとれなくする。
「――!」
ちょうど左腕の傷口を押し付けられるようになったため走った激痛に声にならない悲鳴を上げると、一瞬暗くなりかけた視界、その中で人狼がいた場所めがけて再び右腕に持った剣を突き出す。
その攻撃がどうなったかをロアノスは知ることはできなかった。
ほぼ同時に人狼の左腕が振り下ろされ、右肩から左脇腹にかけて深くえぐったのだ。
さいごに見たのは、人狼の瞳でもなく、間の風景でもなかった。
暗闇にぽっかりと浮かんだ引き込まれそうな、しかし何もうつさず、何の感情も宿していない漆黒の瞳。
遠くに人狼の遠吠えと何かが割れる音を聞きながら、ロアノスの意識は深い闇の中に沈んでいった。




