02.青天の霹靂
転機は突然訪れた。青天の霹靂、なんて諺は、天気の急変も当然とする災厄が始まってから生まれたレスティアには意外でなくてピンと来ないが、一般にそう表現されるそれ。
彼女はそのとき、騎士タウンゼントに憧れこの国に来た作家イスズ著『ルシウム国境と東の魔狼』の三十八度目の通読をしていた。ルシウム国という山間の国でかつて崇められていた魔狼の変貌に関する旅行記のようなものだ。竜に関する発見はない、頭が悪いせいで気付けていないだけなのかもしれない。
ともかく、三十八度目の五十二ページを過ぎたところだった。夕食の時刻よりいくらも早い、少ない使用人は支度に追われるちょうど忙しい頃合い。そんな時分に、訪問者があったのだ。
男はここらではほとんど見かけない足の速そうな馬を連れている。染めにくい水色の布を纏っていた。
水色は、この国でも多く信仰を集めるリスタリステルワーナ神殿の持色である。早馬に乗った男はつまり、リスタリステルワーナ神殿の兵士であった。
神殿兵が居るのは大きな神殿のみで、彼は王都からやってきていた。屋敷に、夕食時のせいでない慌しさが生まれる。未練で本に目を通していたレスティアもそれに気がついた。扉の開けられた図書館までも届いたのだ。イスズは他の災厄について書いた本と同様に、見飽きた竜の呪いについて記述していた。
「つまり、どういうことでしょう?」
声はメイドのベリトだった。男が答える。
「だから、明日、ゼフォア様とアイシャ様がこの邸にいらっしゃるのだ。」
「ゼフォア様とアイシャ様?」
「女神リスタリステルワーナにお仕えする、最高位神官様と神託の巫女様だ。」
「まあ、まさか御冗談を。」
「冗談ではない。とにかく急ぎの報なのだ。取次ぎを頼む」
「まあまあまあ。明日だなんて、まさか。お返事も出せませんよ。」
「詳しい話をするためにも、早く! とにかく時間がない。」
「いいええ、だって、明日だなんて、ねえ。」
「間違いではないのだ、だから!」
張り上げまいと抑えられた声に、顔を出す。レスティアより先に、父が玄関に向かっていた。小さな風通しのいい屋敷のこと、王都の勝手では抑えた声も大きすぎる。
父であるメレド男爵は小柄で眉の下がった男である。彼はおっとりと口を開いた。話を聞いていたのかいないのか、神殿兵が抱えた苛立ちを飲み込まなければいけない穏やかさ。
「そのような方を足止めするでないよ。早く奥にお通ししなさい。」
「まあ、旦那さま。」
「貴方がこの屋敷の主人か。」
「ええ。ベリト」
「かしこまりましたとも。お客様、どうぞこちらへ」
廊下に顔を出していたレスティアは、幼子のように近づく客人の気配から身を隠す。我々はそれなりに敬虔だったはずだ、それが、王都の神殿から神官と巫女?
ありえない非日常に心臓がどくどく鳴る。緊張と、それから、もしかしたら手に入るかもしれない新しい竜の情報。いつもと違うというのは同時に変わったものを手にするチャンスだ。
とはいえ、そう大きな期待も持てない。
リスタリステルワーナ神殿は、祈りによって竜の災厄から世界を守る宗教である。
正式には愛と守護の女神リスタリステルワーナを祀っており、竜が現れるより古くから存在していたのだが、わかりやすい形で「災厄」が降り注ぐ途端に信者を増やし、今では世界中に根強い信仰を持つ。メレド男爵家も同様だった。
神殿自体はけして竜を悪としていない。愛と守護に明確な敵は必要ない。
だから、レスティアはその分け隔てない守護の一端が夢の中の竜まで覆うように祈るけれど、他の信仰者がそうする理由はないわけで、ほとんどの人々にとって自らの守護は竜の死と同義の祈りだった。
そんな状態で、神官も竜を悪と思っていないかレスティアにはわからない。思っていたのなら、彼女の望む“竜を救う方法”など持っているわけもない。
ただ、間違いなく「服地の基本」を十度読むよりは希望の持てる考えであることは確か。
最高位神官様や巫女様がもしも本当に来たとしても、どうせレスティアに多くかかわることはないだろう。
知らせを運んできた馬は休息が必要なはずで、その間にどうにか男と話す機会を見つけたい。信じがたい機会に父親が目を回しかけているのも知らず、レスティアはなんと聞けば不審がられないか首をひねるのだった。