プロローグ
いくつもの爪痕が刻まれた硬い岩肌。空は黒く濁り、乾いた風に吹かれた木々は砂となる。
荒野はどこまで続くのか、蜃気楼でさえ映すものを知ることないままでいた。鮮やかな色はひとかけもない、不毛の大地と人々が想像する通りの景色。
グウ、と声がした。低い唸り。身の毛もよだつ低音が地を這う。
荒野の中心には不自然な窪み。掘られた土が周囲に積まれ、風が崩した。グウ、グルルルルル。唸りは呻きでもあった。
褪せた色彩の中に、鮮やかな、黒が居た。
土埃が吹き付けようと光沢は失せず、鎧のような外殻は艶やかな質感を見せる。
長い首、鱗。その鋭い爪は地に立てられ、声に合わせて新たな痕を残した。たった一体の黒い竜だった。かれの周りには古ぼけた鎖が巻きつき、しかし届く限り削られた地面は、縫いとめる鎖から放たれんとするもがきによるのではない。
びたん、と鞭のような尾が叩きつけられた。竜は体躯を丸めている。
断続的に響く唸り声は荒い息の合間。鋭い瞳は強く閉じられ、色さえ窺い知ることはできない。
竜は苦しんでいた。人間ならば脂汗さえ流していたに違いない。
かれを傷つけるものも、傷つけたものも、まして労わるものさえ、荒野にはない。
かれはたったひとりだった。
たったひとり、苦痛に耐えていた。
かれは悪くないのに。かれが悪いんじゃないのに。
風が吹いた。地面を擦る尾の、舞い上げた砂が浮いて去る。この地に在る命はたったひとつ、残りはすべて中身がない。遠くの木がまたひとつ崩れた。
竜の呻きを風音が遮る。地面が削れる。鎖は暴れる竜を苦しめず、ただ静かにかれをそこに留めさせる。
もう耐えなくていい、と、言いたかった。そっと手を伸ばす。
竜はこちらに気付かない。食いしばられた口から鋭い牙が覗く。皺の寄った鼻先に、手が触れようとした。
にわかに竜の呻きが止み、ふっと息が吐かれる。そして――――、