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漂流軍艦  作者: 青葉 加古
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古城

加筆訂正してあります。宜しくお願いします!

 モロシカ島の古城へ向かう道中、ベルホルトは、サイドカーに揺られながら、感慨深く物思いに更けっていた。



 思えば、第6禁庫の調査が秘かに着手される数日前のこと。


 シトシトと雨が降る中を、教皇の使者が突然、ベルホルトの自宅を訪れたのだ。全ての始まりは、そこからだった。


「おめでとうございます、中佐。貴方の謹慎は今日で終わりです。明日から教皇様の命令で極秘に設置される、検証委員会の委員として働いて貰いますよ」


 教皇の使者である、ファビアン・ブォルフラム武装警護隊軍医少佐がニコニコしながらベルホルトに告げた。


 

 冴えない顔つきだが、ご立派にも鼻の下にチョビ髭を生やしたこの壮年の軍医は、最近まで民間のしがない医学研究所で研究員をしていた。


 しかし教皇により召し抱えられ軍籍を得て、さらには独立研究所を与えられた幸運な男である。


「検証委員? 遂に教皇庁は私の軍籍までも剥奪し、いずれ矯正収容所送りにするおつもりか?」


 険しい表情で、ベルホルトがファビアンを睨み付ける。


 矯正収容所とは、教皇庁武装警護隊が管理する施設で、元々は国教の教えに背いた者を矯正、導いていく為に設置されたものだ。


 ところがリブル共和国との開戦後、武装警護隊が戦場で捕らえた捕虜を収容する役割を担い、また教皇庁にとって好ましくない人物も、政治犯ならぬ『異教徒』の烙印を押され、秘かに収容していた。


「とんでもございません。教皇様は勿論のこと、我々教皇庁は、中佐を真の英雄だと思っております」


 英雄呼ばわりされても、ベルフォルトの表情は硬いままだった。この胡散臭い成り上がり者のファビアンに、いささかの心も許していないのだから当然だ。


「南方戦線での指揮は、お見事でした。その軍才は、我々にとっては必要なもの。なので中佐の軍籍はそのままに、出向という形で古代グロース帝国の検証を行なってもらいたいのです」


「古代グロース帝国? 実在したのかどうかも怪しい、あの伝説の王朝のことか?」


「その通りです」


 穏やかな笑みを浮かべながら、サラリと言うファビアンだ。


「正気の沙汰とは思えんな。教皇庁の幹部には、教皇様に物が言える人物が居ないと見える」


 ベルフォルトが呆れたようにして、鼻で笑った。


「それは、どういう意味で?」


「知りたいのなら、言わせてもらおう。現在我が帝国は戦争中だ」


「そんなこと、百も承知です」


「ならば尚更だ。平時ならいざ知らず、いま呑気に古代帝国の検証など極秘にやってる場合なのかね? 文化活動ごときは、戦争が終結してからでもやれると、私なら教皇様に助言するのだが」


 おべっか使いだらけの側近達に対する、痛烈な批判だった。


 ベルホルトが嘲りの笑みを浮かべ、客間に微妙な空気が流れた。


「仕方ないですね……。つまり中佐は、検証委員会に参加したくないと……おっしゃる?」


「無論だよ。私もいい歳なのでね、お伽噺には、まったく興味が湧かないものだ」


「それでは、これをご覧ください」


 嫌な顔一つ見せず、ファビアンは、くたびれた黒鞄から白黒の写真を数枚取り出すと、テーブルに並べた。


「あっ、それとこの写真に写っているのは、第一級機密事項になってるので、あしからず。他言無用ですぞ」


「あぁ、わかったよ」


 機密事項の写真を嬉々として提示するファビアンに違和感を覚えながらも、ベルフォルトはソファから身を乗り出し、写真を手にした。


「これは……?」


 ベルホルトの表情に確かな変化が表れた。写真に写っていたのが、翼のある奇妙な獣だったからだ。


「始めに言っておきますが、これは合成写真ではありません。伝説の怪獣、グライフです。リブル共和国で、グリフォンと呼ばれている奴ですな。こいつは、研究所で私が造りました」



「君が、これを!?」


 ベルホルトが目を丸くして、再び写真を凝視する。鷲の頭に翼、そして上半身。下半身は獅子である。間違いない、伝説の怪獣グライフである。


「そんなに驚くことでもありません。私の家には、代々伝わる家宝の本が有りましてね。一部を筆写したのみの代物ですが、グロースの古文書ですよ」


「古文書?」


 眉間に皺を寄せるベルフォルトだ。


「えぇ……」


 深く頷いてみせて、ファビアンが話しを続けた。


「古文書を教皇様に手紙を添えて献上したお陰で、私は召し抱えられ長年の夢が叶いました。大金と立派な設備が整えば、このように古代グロースのキメラ合成技術を再現出来たしだいです」


「キメラ合成技術? そんなものが、現実に存在するのか……!?」


 絶句するベルホルトだった。


 高度な生成及び合成技術を必要とするキメラの作成は、今後百年は無理だとか、絶対に完成出来ないと云われていたものだ。


 しかし、目の前に居る男がこの偉業を容易く達成している事にベルホルトは驚愕し、そして教皇が秘密裏に、この研究を後押ししてる事に愕然とした。


「今度、私のラボへご招待します。そこでグライフに会わせましょう。それに是非とも、中佐へプレゼントしたい物がありましてね」


「プレゼント? なんだ、それは?」


「テディベアです」


「テディベア? 冗談ではない。私には、人形遊びの趣味はなくてね。だが、ひょっとするとテディベアとはコイツの事か?」


 一枚の写真を手に取りジッと見ると、ベルホルトはファビアンにそれを突きだした。


 そこには、人工羊水に満たされた巨大な硝子容器に(うずくま)って浮かぶ、キメラとおぼしき生物が写っていた。


 頭部と上半身は熊のようだ。下半身は人間である。


「グリズリーと人間のキメラか。これを私に?」


「はい。彼は、まだ赤子同然ですが、人語を理解できる成功品です。今後、中佐のお役に立つこと間違いなし。ただ、この検証委員を引き受けて貰えればの話しですがね」


 用意周到。ベルフォルトを検証委員会へ引き込むべく、ファビアンはキメラの手土産を準備していたのだ。


 武人ベルフォルトなら、この見るからに屈強なキメラに食指を動かすと読んでいたファビアンだったが、簡単に事は進まなかった。


「ふむ……。そんなことより一つ訊くが、教皇様は何故、君にキメラ造りをお許しになっている? まさか、奇跡の動物と称して寄付目当ての見世物の為かね?」


「ご冗談を!」


 突然、ファビアンが血色ばって声を荒らげた。


「古代グロースは精鋭なる兵士の他に、キメラを生物兵器として利用しておりました。それをお知りになった教皇様がその再来を企図し、お許しになられたのであって、決して金目当てなどではありません」


 ベルホルトの言葉が余ほど心外だったのであろう。ファビアンが語気を強めて言ったものだ。


「ふうん、キメラは生物兵器として利用するつもりなのか……。しかし、神をも恐れぬ所業だな」


「キメラ造りが神の教えに背いてることぐらい、教皇様も重々承知の上。リブルとの戦争、負ける訳にはいかないのです。これも勝利の為と、中佐にはご理解いただければ宜しいかと」



「勝利の為か」


 ベルホルトは神妙な顔つきになって、黙り込んでしまった。


 国教会のトップたる教皇が、教えに背いてまで生物兵器のキメラ造りに邁進である。


 これには、並々ならぬ教皇の決意と意志を感じずにはいられない、ベルフォルトだったからだ。


 雷鳴が轟いた。


 思わず窓の外へ目を転じる、ベルフォルトにファビアンだ。外の雨足が激しくなり、土砂降りになっている。


 この憂鬱な天候を見たファビアンが、あるグロースの伝承を不意に思い出した。


「凄い雨ですなぁ……。ところで、中佐。古代グロースの科学技術は、キメラ合成技術だけではありませんよ。このような天気を、今すぐにでも快晴に変えてしまう技術をも持ってると云われてるのです」


「なんだと?」



「それだけでは、ありません。中佐は、グロースの雷火伝説をご存知で」


「知らんね」


 ぶっきらぼうに答えるベルホルトだった。


「キメラ兵を動員してもグロースは、世界制覇をなし得ませんでした。しかし、一撃で都市を消滅出来る超常の力、雷火の登場で世界は遂に、グロースにひれ伏したのです」


「一撃で都市が消滅とは、凄いものだな」


 ベルホルトの目の色が変わるのを、ファビアンは見逃さなかった。


「実を申しますと、教皇様はこの超常の力をも、強くご所望でしてね。それを得た暁には、戦争終結どころか世界を一変させるおつもりなのです」


「世界を一変させるとは、興味のある話だ。しかしファビアン軍医、超常の力、にわかには信じられない内容だが?」


 この男、ベルフォルトはやがて落ちる。そう確信したファビアンの瞳に妖しい光が宿り、そして低く重い声で応じた。


「えぇ……、まあそうでしょうなぁ。ですが、古文書を元にグライフは三千年の時を越えて今、我々の目の前に復活を遂げたのです。それで十分なのでは?」


「フフフ、動かぬ証拠があると言うわけか」


 ベルフォルトが不適に笑った。


 確かにそうだ。


 グロースの古文書には、キメラ生成の秘法が記され、現実にファビアンの手によって伝説の怪獣が蘇ったのだ。


 ならば、超常の力であるグロースの雷火も、あながち嘘とは言い切れない。これを手にすることが出来れば、世界が一変する。


 逸る心を抑えて、ベルフォルトが訊いた。


「それなら、どこで手に入れられるのだ? その超常の力とやらは。君の古文書に、その方法は載ってないのか?」


「いえ、私が献上した古文書には雷火についての記述は、ありませんでした」


「それは残念だ。すると、他の古文書を血眼になって探すしか方法はないな」


 小さな顎に手をあてて、思案顔のベルフォルトに、ファビアンがゆっくりと首を振った。


「キメラの件もあります。あれは、大昔から禁書の類いなはずなので、その殆どが梵書扱いでありましょう。探しても無駄です」


「では、教皇様のご意志に反して諦めるとでも?」


「そうでは、ありません。実は古文書の在処、私にひとつ心当たりがありましてね」


「ほう、それは何処に?」


 ベルホルトが身を乗り出してきたのを見て、ファビアンはニタリと笑って言った。


「教皇庁『開かずの間』第6禁庫ですよ。あそこは、禁書の宝庫。必ずやグロースの古文書があるはずです」


「そうか、禁庫があったか。なるほど、あそこなら確かに古文書がありそうだ。しかし超常の力か……。いや、面白い話しではある」


 ファビアンの話に、すっかり引き込まれたベルホルトの表情が緩む。


「第6禁庫の調査は数日後です。これは教皇庁が極秘に進める大事業となりましょう。どうです、我々と一緒に壮大な夢を探求してみませんか?」


「わかった。了解したよ」


「おおッ! 承諾してくれますか中佐。なんと今日は素晴らしい日であろうかッ!」


 ベルフォルトが清々しい表情でキッパリと快諾した途端に、ファビアンは興奮で喜びを爆発させた。


「公務に復帰一番の仕事が、教皇庁の極秘事業とは、光栄だ。感謝するよ」


「中佐が検証委員会に参加すれば、我々にとっても幸いです。では明日、必ずや教皇庁へお越しください。お待ちしております」


「ああ、宜しく頼む」


 二人は、満面の笑みを浮かべながら固い握手を交わして、別れたものである。


 こうして、ベルホルトは、古代グロース帝国の古文書の検証という、本来の軍務とはかけ離れた極秘の任務に参加して、彼は十分に満足する事ができたのだった。


 第6禁庫の調査が着手されると、ファビアンの予見通り古文書は発見された。


 そしてグロースの雷火に関する検証で、ここモロシカ島にグロースの遺構とされる石碑があるのではと、検証委員会で結論付けらたのである。


 石碑は敵国リブル共和国領内だ。早期の接収が求められる為、ベルホルトはモロシカ島攻略を提案。


 教皇はこの案を良しとし、ベルホルトを武装警護隊情報保安局に移動させて、第69独立任務部隊を編成するよう命令したのだった。


 そして、実行に移された空挺奇襲作戦は成功。さすがのベルホルトも心踊るというものだ。


「中佐、見えましたぞ!古城は、もうまもなくです!」


 リスティッヒが叫ぶ。ベルホルトは舞い上がる土埃の中に浮かぶ、古城を見て深く頷いた。







 丘の上に建つ古城では、ここに置かれているモロシカ島警備中隊海上監視哨の制圧を終えた武装警護隊の空挺部隊が、ベルホルトの到着を待っていた。


「前方より、車列! 味方です!」


 緩やかな坂道にモクモクと立ち上る土埃を、注意深く監視していた兵士が、双眼鏡を下ろして叫ぶ。軍用モーターサイクルの車列を認めたのである。


「ベルホルト中佐がお見えだ! 集合、集合!」


 一帯を制圧、掃討も終えて小休憩中の空挺小隊に緊張が走る。


「小隊! 横一列に、整列!」


 小隊長の指示通り、機敏に兵が動く。


「捧げ銃!」


 車列が小隊の眼前に現れた。不動の姿勢で敬礼する小隊長の前へ、ベルホルトをサイドカーに乗せた、軍用モーターサイクルが、ピタリと停車する。


 装着していたゴーグルを外し、颯爽とサイドカーから降り立ったベルホルトは、何処か貴公子然としていて、その雰囲気に空挺小隊一同、極度の緊張に包まれた。


「お待ちしておりました、中佐」


 小隊長の言葉に、ベルホルトが微笑んだ。


「ご苦労だった、少尉。私の部隊は、小さくてね。君達のような空挺兵はいないんだ。協力に感謝するよ」


「中佐のような、お方にお誉め頂き、光栄であります!」


 声を上ずらせ、小隊長は満面の笑みで、ベルホルトが差し出した手を固く握った。


「さて、少尉。まだ下の方が、固唾いてないようなのだ。君達はすぐに大隊長の加勢に向かうといい。後は、我々にまかせたまえ」


「わかりました。小隊は、直ちに加勢へ向かいます」


「うん。健闘を祈る。大いに軍功をあげることだな」


 再び不動の姿勢で敬礼するや、小隊長は出発を自隊に告げ駆け足で坂を降って行く。その入れ替わりに、ベルホルトの護衛兵が着剣の上、小銃を手に警戒にあたる。


 さあ、ここからがベルホルトの仕事だ。


「ベルフォルト中佐、中佐!」」


 不意にベルホルトを呼ぶ声がする。凛としていて、涼しげな女の声だ。


 声のする方、城門へ顔を向けるとその声の主は、手を振りながら駆けてくるフェイであった。


「空挺部隊への道案内、ご苦労だったなフェイ。これからは、私の道案内を頼む」


「ありがとうございます中佐。わかりました、早速行きましょう。石碑は、この奥です」


 踵を返し先頭を行くフェイに迷いはない。まるで、自分の庭を歩くようにして、歩を進めて行く。


「行くぞ、リスティッヒ参謀」


 ベルホルトに促されたリスティッヒが、銃撃戦で蜂の巣ように変わり果てた立哨詰め所の前を通り、朽ちかけた城門をそそくさと潜り抜けて、足早に二人の後を追う。


 緑に乏しいモロシカ島だが、不思議な事に城内だけは木々が生い茂っていて、ちょっとした森のようである。


 ただ、左右を見渡せば、崩れた城壁だ。それに無惨にも尖塔が幾つもうち壊されたようになっている。草木の間には、大小様々な石が無造作に転がっていて、これでは古城というより廃城と呼んだほうがよさそうだ。


「確かに、ここで?」


 怪訝な口調で、リスティッヒが辺りを見回す。


「それは愚問と言うものだ、リスティッヒ参謀。間違いなくここだよ。そうだな? フェイ大尉?」


 ベルホルトの問い掛けに、フェイが直ぐ様自信ありげに応じた。


「心配なさらなくても大丈夫ですよ、リスティッヒ参謀。もうすぐご覧に差し上げますよ。グロースの石碑の在処は、ちゃーんと調べあげてありますから!」


「そうかい、そうかい。そこまではっきりと言うのなら、間違いなく石碑はあるようだ。しかしだ、お前さんは、きちんとこの目で確認したのかね?」


 フェイの鼻にかけた言い方が勘にさわったか、丸目がねを中指でずり上げながら、リスティッヒが、意地悪い顔つきで疑問をぶつけた。


「いえ……。み、見てませんが……。だけど、きっとこの先です!」


「自分の目で確認もしないで、よくも言えた口だな、フェイ大尉。なかったらどうするんだね? 検証委員会の判断は、悪までも推論。空挺大隊まで動員してるんだ。これで空振りだったら、情報保安局はもとより、中佐の顔に泥を塗ることになるぞ」


 フェイが、突然立ち止まって勢いよく振り向いた。その小さな肩はうち震え、拳を固く握っている。リスティッヒの物言いに頭に来たようで、フェイの顔は真っ赤だ。


 フェイがリスティッヒに何かを言い掛けた時、ベルホルトが間に割り込んで来た。


「オイオイ。二人とも止めないか。私は、こんな事で時間を費やしたくないのだよ」


「ですが、中佐! リスティッヒ参謀が……」


 よほど悔しかったのであろう。瞳を潤ませ、フェイが食い下がる。


 しかしだ、ベルホルトの表情は微動だにしない。無表情である。そして強い口調でキッパリと言った。


「よしたまえ、フェイ大尉。これは、命令だ」


 ベルホルトの刺すような鋭い視線にフェイは、すっかり戦意喪失してしまった。


「わ、わかりました中佐。フェイ大尉は、中佐の命令に従います」


 力なく項垂れるフェイを横目に、薄笑いを浮かべながら、丸目がねをずり上げるリスティッヒだったが、


「ところで、リスティッヒ参謀。私は、君の疑問に対して愚問だと、言ったはずだ」


 振り向きざまに、ベルホルトのこの重い口調である。リスティッヒの背筋が、ピンッと伸びた。


「グロースの石碑が確かにあると確信したから、私はここにいるのだ。要らぬ心配は、よしてもらおう」


「ハッ! 申し訳ありません中佐」


 ベルフォルトの鋭い眼差しからくる威圧感に押されて、リスティッヒの体が硬直する。


 しかし、ベルフォルトはそんなのはお構いなしに、尚も畳み掛けるようにして言った。


「それと、君はここへ来てまだ日も浅い。知らぬ事も多いと思うから言っておくが、彼女は優秀な軍人だ」


「フェイ大尉が、優秀な軍人……、でありますか?」


「そうだ。大尉は、私の右腕と言っても過言ではないのだよ。それだけはよく覚えておいておくのだな」


「は、はい……」


 フェイと同じく、リスティッヒも力なく項垂れるしかなかった。



 だが確かにベルホルトの言葉通りなのだ。確信がなければ、空挺大隊を動かしこんな小島を占領する必要など、元々ないのである。


 それだけベルホルトは、古文書の解読を信用していたし、尚且つ軍を動かす動機を明確にするため、ちゃんと裏も取ってあった。


 空挺奇襲作戦の数ヶ月前、当然ながらベルホルトは、工作員をモロシカ島へ潜入させていたのである。しかも、うら若い女性、女スパイだ。


 戦場とは無縁のモロシカ島だが、徴兵や志願で出征する若者も少なからずいた。


 ある日、モロシカ島で若い兵士の葬儀が厳かに執り行われた。墓地に一人息子の亡骸を葬り、悲嘆にくれる老父母の前に突然現れたのが、若い女。彼女はレイニーと名乗った。


 この女こそ、ベルホルトが送り込んだ女工作員、あのケスマン・フェイ大尉だった。


 フェイは、兵士と結婚の約束をしていて、お腹には三ヶ月の赤ちゃんがいると言うものだから、老父母は驚いた。


 しかも、ここに置いてくれ、帰らない、この島で愛する人の子を産むと言う。


 帰るように諭し説得するが、女の固い意思に根負けして、老父母とフェイの奇妙な生活が始まった。


 甲斐甲斐しく老父母の世話をし、十指に足りない牧畜の家業を手伝うフェイに、老父母は感謝した。


 フェイの噂は島中へと瞬く間に広がり、美談として概ね好意的に受け止められた。


 都会とは違い、閉鎖的な島社会に巧く潜入できたフェイが暗躍した事は、言うまでもない。


 モロシカ島の公共機関の場所はもちろんの事、モロシカ島警備中隊長の自宅、中隊の規模、装備は類に漏れず、抜かりなく本命である古城の件もフェイは調べあげた。


 目的の石碑は、どうやら円錐の形をしており、台座に鎮座しているらしい。それは、黒一色の鉱石で、ツルリとした表面には、孔雀のような長い尾と巨大な羽を持つ怪鳥と奇怪な文字が刻まれてるそうだ。


 場所は、むかし城館のあった内城の広場の奥。煉瓦造りの倉庫の裏とのこと。


 深夜、この目で確かめてやろうと、フェイは肌に密着した黒のレザースーツに着替えて、果敢にも古城内へ何度か侵入を試みている。


 こじんまりとした砦のような城であったが、モロシカ島の古城はフェイの侵入を拒んだ。


 侵入の試みが五度目になる予定だった、双月の夜の日。


 つまり、二つの満月が現れた夜のことだ。


 フェイは、一糸も纏わない姿を、惜し気もなく夜空の下に晒していた。家の裏で大きなタライに井戸水を張り、水浴びをしていたのだ。



 タオルをもう一枚持って行ってあげようと、老母が気を利かせて、



「レイニーや、これも使うといい」


 と背後から声を掛けた時だった。


 無心で水を浴びていたのであろう。小さな叫び声を発し、驚いてフェイは立ち上がっていた。



「なんだぁ、お義母さんですか。びっくりしましたぁ」


 顔を横だけ向けて安堵の溜め息を洩らす、フェイである。


「ありゃ。済まなかったねぇ、驚かせて。ほら、タオルをもう一枚持って来たんだよ」


「ありがとう。遠慮なく、使いますわ」


 嬉しそうな声で、フェイが振り向く。


 双月の淡い光に照らされて、フェイの瑞々しい裸体はどこか幻想的で著名な画家が描いた美しい絵画のようだった。そうまるで、光を帯びた妖精のようである。


 しかしだ。フェイを見た老母は、彼女の体に違和感を感じた。おかしい。フェイの体に妊婦特有の変化が見られないからだ。


 フェイがモロシカ島へ来て、はや三ヶ月。赤ちゃんが出来て、もう六ヶ月になるはずなのだが、フェイのお腹の張りは見る限り皆無であった。


「おやおや、どうしたことだい? あんたのお腹、すっかりペチャンコじゃないか?」


 老母が驚きの声をあげた。


 しかしフェイは慌てるそぶりもなく、なに食わぬ顔で自身のお腹を愛でるようにして、なで始めた。


「あら、そうかしら? これでもお腹は、大きくなった方ですよ。だけど、お義母さまが、心配なら明日からもっと栄養をつけなくっちゃ」


「これで、大きくなったのかい? おかしいね……?」


 じっくりと頭の先から爪先まで、フェイを観察した老母が首を傾げた。


「昔の事だから、すっかり忘れたんかのう。アタシの時は、もっと大きかったと思うが……。まぁ母乳の出はよさそうだから、明日からはいっぱい食う事じゃね」


 ニコリと老母は笑みを浮かべて、その場を立ち去って行った。


 冷静に対処したのが幸いしたか。これ以上の追求はなかったから、フェイは胸を撫で下ろしたものだ。


 元々この企画であるから、当然母乳など出るはずがないのだが、お陰で乗り切ることが出来た。


 小さな綻びは、やがてとてつもなく大きくなるものである。もはや長居は無用。やはり、老母も女性で有るがゆえに、いつまでお腹の事を騙し通せるかわかったもんじゃない。


 しかしフェイは、天を味方につけていたと言える。


 この日の深夜。


 ラジオで、大エーデルセン帝国の放送を聴いていたところ、フェイ宛の暗号が発信されたのだ。


 その内容は、双月の満月が出現した日から、三日後の深夜に迎えを寄越すから浜で待て、となっているではないか。フェイが、神に感謝したことは、いうまでもない。


 三日後、フェイはベルホルトが手配した巨大輸送飛行艇のウンゲテュームによって収容され、モロシカ島の情報という手土産を持って無事に帰還を果たした。


 これで、武装警護隊を動員できる。


 報告書に目をとおし、フェイの証言を聞いたベルホルトの判断だ。


 グロースの石碑を直接確認出来なかったとは言え、武装警護隊を動かす根拠にしては、上出来な工作活動の成果であった。


 そして、全ては今のところ、うまく事が運んでいる。


 だから、グロースの石碑を間近にして、くだらん仲間内の揉め事は、ごめん被りたいベルホルトだった。



「さぁ、フェイ。気を取り直して、案内を続けてくれないか? 早くグロースの石碑とやらを私に見せてくれ」


 ベルホルトの催促に、フェイが頷いて再び歩き出した。その後を、ベルホルトにリスティッヒが黙々と付いてくる。


 所詮、小城だ。道を横に折れ、かつての城門跡をいくつか通り抜けると、芝が一面に広がっている、ちょっとした広場に出た。ここは、かつて城館があった内城である。


「中佐、あれが海上監視哨の兵舎です」


 フェイが指差す広場の中央に、平屋の監視哨兼兵舎があった。そこから、北西に道が続いており、監視塔として使用されている北西の尖塔が遠望出来る。


「見ろ、倉庫があるぞ!」


 ベルホルトの視界に映ったのは、内城の北側、赤い煉瓦作りの倉庫の屋根が、木々の間から見える。その倉庫の裏にグロースの石碑があるはずだ。


「行くぞ! 付いてこい!」


 脱兎の如く、駆け出すベルホルトだ。


「あっ!? 中佐? 待って下さい、中佐ぁ!」


 フェイの声を無視して、ベルホルトは夢中で駆け出していた。全力疾走である。耳に聴こえてくるのは、自身の荒い息遣いだけだ。


 「ハハハ……」


 超常の力に魅せられた心が、無意識にそうさせているのであろうか。自然とベルフォルトから笑い声がこぼれる。


 石碑に引き寄せられるようにして、ベルホルトは倉庫へと繋がる道をひた走ったところで、急に立ち止まった。


 眼前には倉庫だ。肩で息をしながら、ゆっくりと裏へ回る。もう慌てることはない。呼吸を整えるベルホルトだ。


「あったぞ。これが、グロースの石碑かっ!」


 遂に見つけた。


 木漏れ日の中を石碑はひっそりと、誰かを待つようにして佇んでいた。


 それは、ベルホルトの背丈ほどもある大きな真っ黒い鉱石だった。だが、確かに報告通り円錐の形だが頂点は天空ではなく、台座に突き刺さっている。


 それは、台座と合わさって眺めてみると、重要な書類に押す印鑑のようにも見える。


 ベルホルトは、なんの躊躇もなく台座の階段へと足を踏み出した。五段しかない階段を登ったところで、フェイと、リスティッヒが駆けつけて来た。


「おお! これが、石碑ですか中佐!」


 リスティッヒの目がギラギラ輝き、フェイは石碑が本当に存在したことで目を細めている。


「ああ、そうだ。これは、グロースの石碑だろう。その証拠に……」


 石碑の表面を、ベルホルトがマジマジと覗き込んだ。


 「ここで、グロースの為に唄え舞え……。そして、グロースの雷火と業火を心して受けよ、とある……」


 ベルホルトが、


「ククク……」


 と笑う。言いようのない心のそこから沸き上がってくる、高揚感にベルホルトは包まれていた。


 石碑に刻まれているのが、古代グロース文字だったからだ。


 古代グロースにのめり込んでいたベルホルトは、自ら古代文字を学び、簡単な文字なら読めるようになっていた。


 この石碑では読めない文字が殆どだが、これで間違いない。ベルホルトは古文書にあった、古代グロースの遺構である石碑を見つけ手に入れたのだから。


「舞台は整った。後は、ヒロインのご登場を願うまでだ」


 ベルホルトが不適な笑みを浮かべる。


「古代人の女ですな」 


「そうだ」


 リスティッヒの声に深く頷くベルフォルトだ。


 超常の力は、石碑と古代人の女が対になって発動される。それは、古文書を解読してみて新たに判明したことだった。


 それはグロース帝国の軍神を祀る巫女だけが発動できる。その人物こそが、巫女の末裔たる古代人の女なのだ。


 すぐに人探しが始まった。わかったことは、女がリブル人であること。国内ならまだしも、交戦中の敵国人である。多数の工作員を潜入させて探らせたが、その発見には困難を極めていた。


 ところがだ、運の良いことにリブル共和国の暗号によって、古代人の女が護送中であることが判明すると、素早く奪還に動き、それを拉致して手に入れた。それがレスティスである。後は彼女を、石碑の前に連れて来るのみだ。


「リスティッヒ、病院船『ゲオルギーネ』に打電だ」


「ハッ!」


 背筋を伸ばし、不動の姿勢で命令を待つリスティッヒだ。


「石碑があったとファビアン軍医に伝えて、ここに来るよう言うんだ。もちろん、古代人の女も連れてな」


「わかりました。しかし中佐、輸送船の手配はしないので?」


「輸送船? 何の為に?」


 眉根を寄せるベルフォルトが、どこか白々しい。


 病院船『ゲオルギーネ』は、南方戦線に程近い町、ラッシェルの沖合に停泊していた。


 ラッシェルには軍需物資が集積されていて、リブル共和国軍と対峙する大エーデルセン帝国南方軍にとって、いわば兵站の拠点と云われている場所なのだ。


 そこならば、物資を降ろして空船になった輸送船が、わんさとあるはずなのである。そんなこと、ベルフォルトならば十分に把握しているはずなので、思わず不信な目を向けるリスティッヒだった。


「何って、中佐らしくありませんなぁ。捕虜やこの島の住民を、ここで飼うおつもりで? それともまさか、矯正収容所送りにしないのですか?」


「あぁ、実はファビアンから達ての頼みがあってね。捕虜や住民は全員、彼の病院船に収容することにしたよ」


「あの病院船にですか!」


 リスティッヒが驚愕するのも、無理はなかった。


 病院船『ゲオルギーネ』が、実は名前ばかりの代物で、船内は多数のラボ室でいっぱいだからだ。


 ここで、昨日出撃したキメラ兵も多数造られている。だからある意味『ゲオルギーネ』は病院船ではなく、キメラ工場と呼んでも、おかしくはない。


 それを知っているリスティッヒは、ファビアンの意図を直ぐに察知したものだ。収容した人々を、キメラ合成の材料にするつもりだと。


「それは、もう決定なので?」


 恐る恐る訊くリスティッヒに、ベルフォルトがつれなく答える。


「もちろんだ。教皇様からも許可は取ってある。キメラ兵の増強は決定事項でね、ファビアンに反対はできん」


「左様ですか……」


 顔を引きつらせるリスティッヒのすぐ横で、


「中佐に、お願いがあります!」


 と勢いよく挙手をするフェイである。余りにも大きな声に、流石のベルフォルトも目を白黒とさせたものだ。


「どうしたんだ、フェイ? 急に突然?」


「フェイからも達てのお願いです。フェイがここで、お世話になった老夫婦だけは、助けてあげてくださいませんか中佐?」


「君が、お世話になった老夫婦?」


「そうです。なんとか助けてあげてください」


 フェイには珍しく必死の形相である。だがベルフォルトは押しだまって、なにやら思案顔だ。しばしの間そうしていると、何かが解けたか不意に鼻で笑った。


「誰のことかと思えば、君が騙し込んだ老夫婦のことを言っているのか」


「それは、余りなお言葉!」


 リスティッヒがプッと吹き出し、フェイは顔を膨らませる。


「左に同じ! 酷い言い方です中佐。あれは任務なんです!」

「ハハハ……。しかしだフェイ、残念ながら全てを収容とあってな。流石の私でも、無理な相談だ」


「それを知ってて、お願いしてるんです!」


 尚もすがるフェイだ。その熱意と強さのこもった眼差しが、ベルフォルトに突き刺さる。するとどうだろう、思いが伝わったか、


「わかった」


 とベルフォルトが笑って言った。


「本来なら難しいところだが、君の真剣さに免じて助けてやろう」


 この言葉に、フェイが満面の笑みでベルフォルトに抱きついてきた。


「ありがとうございます! 中佐!」


「止めんかフェイ、人前だぞ」


 余程嬉しいのか、狼狽えるベルフォルトを離さないフェイだ。それを見つめるリスティッヒが、すっかり呆れている。


「公私の区別は別けて欲しいものですが……。中佐、本当に大丈夫ですか? 実験やキメラの材料に、ファビアンはうるさい奴との評判ですぞ」


「心配するな。それより、明日の舞台が楽しみだ。はてさて、どんな力が手に入るのか」


 いよいよ、ファビアンの到着で超常の力が発動される。世界が大エーデルセン帝国教皇に、ひれ伏す時が間近に迫って、逸る気持ちを抑えながら、不敵に笑うベルフォルトだった。



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