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漂流軍艦  作者: 青葉 加古
6/19

別世界

「ゴン、ゴン、ゴゴンッ!」 


 夜空を飛翔する、ウンゲテュームのカーゴハッチが閉じられた。


「約束通り、眠り姫をお連れしたぞ!」


 窮屈そうにして吼えているのは、バルドゥールだ。その人間ばなれした逞しい胸板には、すっかり気を失ってしまったレスティスが、しっかりと抱き抱えられている。


 機内電話を手に、カーゴ内の一番奥でフェイが叫んだ。


「お帰り、バルドゥールさん! 直ぐに中佐を呼ぶからね!」


「あぁ、頼む」


 ドスのきいた声で応じて、バルドゥールがフェイに向かって歩き出す。


 カーゴ内の両脇には、帰還を果たしたキメラ兵だ。その全ての固体が鎖に繋がれ、グッタリしている。


そんなキメラ兵を数人の監視兵が見張っていた。


(敵を侮りすぎたか。半数以上が戻ってないとは……)


 出撃前には、カーゴ内にいっぱいのキメラ兵だったはずだ。軽い衝撃を覚えながら、バルドゥールが電話を切り終えたフェイの前で立ち止まった。


「すぐに中佐が来るそうよ。怪我は、ない?」


 戻ってきたキメラ兵の殆どが傷ついている。だから心配そうな眼差しをバルドゥールに向ける、フェイだ。


「大丈夫だ。俺に怪我はない」


「それなら、よかった。流石は、熊さんだね。中佐もきっと喜ぶわよ」


 すると、フェイの背後から手を叩く音が聞こえてきた。


 それはリスティッヒを連れて現れた、ベルフォルトだった。


「上出来ではないか、バルドゥール。よくやってくれた!」


 バルドゥールを前にして言う、ベルフォルトだ。その表には、笑みを浮かべている。


「中佐にお誉め頂き、このバルドゥール喜びに堪えません……。さぁ、どうかお改めください……」


 片膝をつき、そっと優しくバルドゥールがレスティスを床に横たえる。


「中佐、これを……」


 フェイが、ベルフォルトから預かっていた、女が写っているセピア色の写真を胸元から取り出した。


 何かの記念に撮ったのであろうか。そこには椅子に座り、優しそうな笑みを浮かべる若い女性が写っている。この人物こそが、ベルフォルト達の追っている古代人の女だった。


 フェイから写真を黙って受け取ったベルフォルトが、レスティスに目を落とす。


「なかなかの美人じゃないか」


「そうかしら? 普通ですよ。格好も作業着だし」


 思わず、ベルフォルトの口からついて出た言葉に噛み付くフェイだ。


 それには答えず、片膝をついてレスティスを覗き込もうとするベルフォルトに、フェイから金切り声があがった。


「中佐、あまり近寄らないで下さいね!」


 とんだ邪魔が入ったもので、キッとフェイを睨み付けるベルフォルトである。


「ベルフォルト中佐」


「わかっている」


 バルドゥールの重く低い声に促されて、ベルフォルトがようやくレスティスを覗き込んだ。そして、手にしている写真とレスティスをジッと見比べて、深く頷くのだった。


「確かに古代人の女、貰い受けたぞ」


 口許が緩むベルフォルトである。


「間違いないので?」


 後ろで控えるリスティッヒが、引きつった表情で確認の声を掛けると、ベルフォルトは勢いよく立ち上がった。


「見ろこの女を。写真と瓜二つだぞ」


「うおッ! そうですな、そうですなッ! これは瓜二つ。どうやら間違いなさそうですぞ。やりましたな、中佐!」


 写真とレスティスを交互に見た途端に、色めき立つリスティッヒだ。


「なにぃ!? 当たりなのう?」


 リスティッヒのオーバーな程の喜びように、フェイが思わず声を掛けると、ベルフォルトが顔を向けてコクン、と頷いて見せた。


「やった―! おめでとうございます、中佐!」


 歓喜の声をあげるフェイに、ベルフォルトが優しく微笑んだ。


「リブルの暗号のお陰で、案外と容易く女を手に入れることができた。しかし、頭の痛い問題があるようだ」


「えっ!? 問題?」


 急に笑顔が消えて囁くベルフォルトに、リスティッヒが眉ねを寄せた。


「あぁ、大問題だ。分からんかな……。オイッ! この眠り姫を外に連れていくんだ」


 キメラ兵を見張っている監視兵に命じて、肩に担がれレスティスが連れて行かれる。


「フェイには、彼女の付き添いを頼みたいのだが?」


「了解しました!」


 ベルフォルトからレスティスを遠ざけられて、嬉しかったか。鼻歌交じりにスタコラと監視兵の後を追う、フェイだった。


「さてさて、話しの続きだ」


 神妙な顔つきになって、ベルフォルトが語り出した。


「古代人の女は、極秘扱いだ。なのに何故、リブルがこれを知っている? もはや教皇庁の極秘計画が露見していると考えてもいい事態だ」


「確かに……。ここで、リブルに最後の一手を封じられれば、古代人の女を手に入れても何の意味もありませんからな」


「その通りだ」


 リスティッヒの的を得ている言葉に、ベルフォルトが頷く。


「我々が欲しいのは、たったの二つだ。だが、その何れとも我々と戦争中のリブル国内だ」


「しかし、その一つは手の内ですぞ」


 捜していた古代人の女を手に入れて、ヒヒヒと笑うリスティッヒだ。


「奴等が動く前に、急がねばならん。リスティッヒ参謀、予てからの計画を実行に移す。だが、予定を繰り上げてだ」


「それは、いつ頃になるので?」


「早いほうがいい。エックスデーは今日の夜明けにする」


「えっ!? 夜明けでありますか?」


 ベルフォルトの性急さに、リスティッヒが狼狽える。


「何も驚くことはないさ。兵は神速を尊ぶというものだ。ヒンメルに、宝島への準備を急げと伝えてくれよ。しかし……」


 ベルフォルトが思案顔で辺りを見回した。その視線は、キメラ兵に注がれている。


「彼らキメラ兵にも、参加してもらいたかったものだ」


 ポツリと漏らしたベルフォルトの言葉に反応したのは、バルドゥールだった。


「主命とあらば、我ら勇んで馳せ参じますが?」


「おうおう、キメラ風情が勇ましいねぇ。泣けてくるじゃないか」


 茶化すリスティッヒを、黙れと言わんばかりに睨み付けるバルドゥールだ。これには思わず危険を感じて、リスティッヒは大人しく口を閉じるしかなかった。


「いや、君の気持は有難いが見てみたまえ。戦艦相手にキメラ兵の半分以上が、殺られた。残りも、満身創痍がほとんどだ。君達の補充は、簡単ではないのだよ。だから今回は遠慮して、次回に期待するさ」


「それも、主命とあらば……」


 ベルフォルトに優しく諭されて、残念そうに肩を落とす、バルドゥールである。


「ところで、君もゆっくり休むことだ。狭いと思うが、もうしばらく辛抱してくれ」


「わかりました……」


 バルドゥールが素直に頷く。そう告げて、ベルフォルトはリスティッヒに目配せを送ると、カーゴ内を一緒に後にした。


 ウンゲテュームは帰路を邪魔されることもなく、順調に大エーデルセン帝国の勢力圏に近づいている。もう夜明けが近い。次なる作戦に思いを馳せながら、コックピットに向かうベルフォルトであった。







 『綾瀬』の狭い艦内通路を、重苦しい足取りで歩いてるのは『綾瀬』飛行長兼隊長の栃内と、惣太郎である。


 特に交わす会話もないままに、やがて二人は押し黙ったまま、艦長室の前でピタリと歩みを止めていた。


 その隣は、元司令長官室。昨日まで、雨宮レスティスが寝起きに使っていた部屋だ。


 チラリと、そのドアに視線を移す惣太郎から、自然とため息が漏れる。


「朝っぱらから、ため息はイカンな。清水、さっきも言ったが雨宮君が連れ去られたのは、貴様のせいではない。あまり深く考えるな」


「あっ、はい……。わかってます」


 沈んだ声で答える惣太郎を心配そうに横目で見ながら、栃内が艦長室のドアをノックした。


「飛行科の、栃内と清水であります」


「おう、入れ」


「失礼します」


 艦長室から山下の普段と変わらない声に応じて、ガチャッと栃内がドアを開けると、何かの書類に目を通していたか。


 椅子に座り老眼鏡を鼻先にかけた、山下が視界に飛び込んできた。


「ご苦労さん。まあ、そこにかけてくれ」


 老眼鏡を取り、山下にかざされたソファーへ揃って腰を下ろす、栃内と惣太郎だ。


 そこへ惣太郎をジロジロ見ながら、山下もテーブルを挟んで腰を下ろしてきた。


「よく眠れたか、清水少尉?」


「はい……。みんな忙しい中を、なんだかすみません」


「なんだぁ!? せっかく寝かしてやったのに暗い顔しやがって!」


 はた目で見てもわかるほど、全くもって気合いの抜けてる惣太郎に、山下が声を荒あげる。

 それには理由があった。山下、栃内とも徹夜明けだからである。


 それは、昨晩の襲撃の処理や、仮装巡洋艦沈没地点での救助作業に忙殺されていたからだ。


 その結果、『綾瀬』の人的被害は死者が十八名、負傷者二十九名。仮装巡洋艦からの救助者は三十二名であった。


 そんな猫の手も借りたいぐらいに忙しい中、惣太郎と中野だけは何故か、山下から休養を強制されたのだ。


「しかし……、お前さん、見かけによらず男前だな」


 さらに雷が落ちるかと思いきや、一転した山下の言葉になんの事やらわからず、キョトンとする惣太郎だ。


 ニヤニヤしながら、山下が自身の右目に指を差す。


 どうやら、当直将校に殴られて惣太郎の左目に出現している、青タンの事を言ってるようだ。


「そんなこと、ないですよ……」


 殴られた理由が理由である。ボソッと言う惣太郎に、


「いや、少尉はなかなかの男だ。それに昨晩の、化物に対する態度とその勇気も、海軍軍人として立派である」


 と称賛の声をあげる山下だ。


「だから栃内飛行長にも言われたと思うが、あまり気にするな。それと、我々は雨宮君の救出に全力をあげるつもりだ」


「救出……。本当ですか、艦長!」


 すっかり沈んでいた顔が、パッと明るくなる惣太郎に、


「うむ」


 と神妙な顔つきになって、山下が深く頷く。


「あれは油断だった。まさかこの世に、花火を背負った人さらいの化物が現れるとは思わんからな。彼女は大事な仲間だ。必ず救出しなければならん。その時は少尉、しっかり頼むぞ」


「はい!」


 顔を引き締め、凛とした声で返事をした惣太郎が、目をらんらんとさせて身を乗り出してきた。


「では、さっそく私を救出に向かわせてくれませんか? あの飛行艇が飛び去った先に、奴らのアジトが必ずあるはずですよ」


「おいおい。元気になったのはいいが、せっかちだね。たいした情報もないのにすぐに飛んでくつもりか、清水?」


 栃内がすっかり呆れ顔である。しかし、惣太郎からしてみれば当然であった。


 レスティスを拐ったのは人外の生物、バルドゥールだからだ。早く助け出さないと、今にもレスティスをとって食いかねない奴ではないか。


 だから、いてもたってもいられない惣太郎なのだが、百戦錬磨の幹部達は、至って冷静かつ大人な対応だった。


「飛行長の言う通りだ」


 山下が眉間に皺を寄せる。


「飛行艇が去った先にアジトがあるとは限らんぞ。しかも相手は、海賊ごときのような輩ではない。大エーデルセン帝国を名乗る、れっきとした軍組織だ。迂闊なことはできん」


 昨日の件もあって、大エーデルセン帝国の名を口にする、山下の口調が自然とキツくなる。


 羽根つきの化物に襲撃され、レスティスを拉致した相手であるのだから、その忌々しい感情は至極当然であろう。


「大エーデルセン帝国?」


 この聞き覚えのない国名に、首を傾げる惣太郎だった。


「艦長、大エーデルセン帝国とは知らない国の名前です。あの化物といい、いったい何がどうなってるんですか?」


 惣太郎の質問に、山下と栃内が思わず顔を見合わせる。


「そうだった。君は何も知らないんだったな」


 そう言って、一つ咳払いをした山下が重い口を開いた。


「単刀直入に言おう。大エーデルセン帝国とは、この世界に存在する軍事国家の事だ」


 艦長室が微妙な空気に包まれる。思いもよらない山下の言葉に、困惑の表情を浮かべる惣太郎だ。


「この世界に存在する、軍事国家……? あのう仰っている意味が、よく分からないんですが……?」


「つまりだな、清水。信じられないと思うんだが……」


 隣に座る栃内が、厳しい眼差しで惣太郎に顔を向けてきた。


「どうやら我々は、『綾瀬』ごと知らない世界に瞬間移動してしまったようなんだ。そこにあるのが大エーデルセン帝国だ」


「瞬間移動? テレポーテーションをしたとでも!?」


 惣太郎の声が裏返る。栃内の言っている事が、突拍子すぎるからだ。


 空間と空間を瞬間移動する、すなわちテレポーテーションを真面目に実用化しようとしている海軍は、確かに外国において存在する。


 巨費を投じて転送装置なる物を作り、実験もやったが結果は大失敗。 


 当たり前である。


 瞬間移動を現実化するなど今の科学技術力では、夢のまた夢のはずだからだ。そういった類いのものは、物語や娯楽映画の空想の世界の話なことぐらい惣太郎にでも分かるのである。


 ところがだ、テレポーテーションによって『綾瀬』が未知の世界に移動したと、あろうことか全世界大戦争を戦ってきた猛者二人が真剣に語っている。ちゃんちゃら可笑しいではないか。惣太郎からしてみれば、悪い冗談としか思えなかった。


「あぁ、そうだ。テレポーテーションをこの『綾瀬』がやっちまったんだよ。本当にな」


 余りにも荒唐無稽な話しだからであろう。栃内が自虐的に笑う。


「しかもだ、他の場所に移動するだけならまだしも、『綾瀬』に乗る誰もが知らん別世界に瞬間移動ときたもんだ。状況は最悪。帰る国がなくなっちまったと言うわけさ」


「帰る国がなくなった? まさか嘘ですよね?」


「貴様に嘘ついて、何の得がある? 残念だがこの世界には、我が神聖八島帝国はない。あるのは知らぬ国ばかり。いま俺たちは未知なる星の海の上を、『綾瀬』で漂流してるのと一緒の状態なんだよ」


「しかも帰る当てのない漂流をな」


 山下が、仏頂面で吐き捨てる。


「なんで、またこんな事に。まさか、実験艦なんで『綾瀬』に転送装置を積んでたとか?」


「そんな物、ありゃあせん」


 惣太郎にギロリと目を呉れる、山下だ。


「雨宮技師長から、前に話しはあったが、彼はアレコレ手を出しすぎる。だから却下したよ。恐らくだが、あの低気圧が出現したあたりから、おかしな事ばかりだ。それが原因で超常現象が起きたんだろう」


 昨日の出来事を思い出して、ため息を吐く山下だ。そして一時の間を置いて、再び語りだした。


「だが、本当に困った事になったもんだ。救助したリブル共和国人も、あのバルドゥールとやらと一緒で、神聖八島帝国なぞ知らんと言う。もう信じるしかないんだよ」


 すっかり観念した表情で、自身に言い聞かせるようにして話す山下に、栃内が感心した口調で訊いてきた。


「しかし捕虜の尋問、言葉の件もあります。よく出来ましたね」


 知らない世界のことだ。これが一番に難渋するかと予想されていたが、意外に事が上手く進んだらしい。山下の表情が和らいだからだ。


「言葉か……、驚くな。文字はお互いに読めないが、不思議と言葉が通じるんだ。伊東副長の報告によるとだな……」


 それはまさしくお伽の国の話しだった。


 大昔、この世界にはグロース帝国なる国があったこと。そこの大皇帝の命令で竜を狩り尽くし、そして集めた竜の血で、大地を染めたとたんに万国共通、言葉が通じるようになったらしい、と言うのだ。


「これも摩訶不思議な世界の成せる技、ですか?」


 面食らった表情の栃内の横で惣太郎が頷き、山下は引きつり笑いを浮かべている。


「そうだろうなぁ。だが、なんとも人を食った話しだよ。そのお陰で、我々は助かっているがな」


「それよりも、早く雨宮さんを助ける事は出来ないんですか? 知らない世界なら尚更ですし、化物に誘拐されたんですよ」


「それは、十分わかっとる」


 必死の形相で訴える惣太郎を、山下が冷静に見つめた。


「安心しろ、少尉。この世界も我々と一緒でな、人間様が支配している。きのうの化物は初出で、あの熊野郎、どうやら大エーデルセン帝国の中佐、ベルフォルトに使われとるようなんだ。もちろん人間だ」


「大エーデルセン帝国の、ベルフォルト? つまりそいつが、雨宮さんの誘拐を指示したんですね。それは、何故ですか?」


「わからん」


 アッサリ言ってのける山下である。しかし、それが事実なのだからしょうがない。


 防空指揮所におけるバルドゥールとのやりとりで、何の為にレスティスを拐いに来たのかまでは語ってないからだ。それでも山下は確たる理由などないけれども、悪魔でレスティスの安否には楽観論者であった。


「ただ、いま言えることはベルフォルトがすぐに雨宮君へ危害を加える事は、ないということだ」


「艦長、危害を加えないと言えるその根拠は、いったいなんなんですか?」


 自信に満ちた表情で語る山下に、惣太郎が訝しげに訊いた。


 あの物騒な化物を操る組織である。レスティスの命がかかっているかもしれないのに、何故そうも簡単に断言ができるのか、惣太郎にはとてつもなく不思議でならなかった。


「ん? 簡単な事だ。バルドゥールは、古代人の女を貰いに来たと言っていた。なんの目的かは謎だが、わざわざ軍艦に挑んでまで誘拐するほどだぞ。そんな重要人物を無下に扱うことなど、するはずがないじゃないか。それにだ……」


「それに?」


 山下が、ニタリと笑った。


「奴らは大きなミスを犯している。雨宮君が古代人の女? そんなこと、あるはずがないのだからな。間違いに気づいて、案外と奴らから接触を試みて来るかもしれんぞ」


「あっ……」


 これほど明快な答えはないであろう。目から鱗が落ちる思いの惣太郎だった。


 山下の言う通り、レスティスは、古代人の女などではない。惣太郎の世界の、神聖八島帝国人なのだ。この別世界で役に立つはずがないのである。流石は年の功。山下はそこまで読んでるから、話は尚も饒舌だった。


「未開の地ならまだしも、飛行艇やロケットまで持ってる相手だ。彼らも一応、我々と同等の文明人なんだ。軽率な事はすまいて……。どうだ? 少しは、安心納得したかな少尉?」


「はい。少しは」


 胸のつかえが何だかなくなって、安堵の表情になる惣太郎だった。


「それは、よかった。雨宮君の救出も大事だが。その前に、少尉にはやらねばならぬ事があるんだよ」


「なんだか、わかります。私は飛行科のパイロットです。偵察ですよね」


「そうだ。ゆっくり休んで寝ろと、言ったったのはその為だ」


 栃内に目配せを送る山下だ。承知して栃内が口を開いた。


「清水には、リブル共和国の偵察に行ってもらう」


「リブル共和国に偵察ですか?」


「そうだ。これは非常に重大な任務だ。ここから西に行くとプラージュと云う港湾都市があるらしいんだが、そこへ飛んでもらう」


「お安いご用です。ただ、大エーデルセン帝国ではなくリブル共和国の偵察が先なんですね」


「あぁ。厄介なことに、両国は戦争中でな。そんな時に、『綾瀬』がリブルの仮装巡洋艦を沈めてしまったからなぁ」


「つまり、敵として認識された」


「恐らく、その可能性がかなり高い。沈没直前に仮装巡洋艦が、無電を発信している。そうでしたね、艦長?」


 憂色の色も露に、山下が頷いて見せる。


「高い頻度で海上部隊がおるやも知れん。リブル人も港湾都市プラージュがある事以外、詳しくは容易に語らんからな」


 これ以上の交戦を望まない山下の声が非常に重苦しい。


 それは、ここで銃火を交えることが無意味だからだ。迷いこんだ世界で不幸にも沈めてしまった仮装巡洋艦には悪いが、元々『綾瀬』は無関係なのである。


 あえて言えば、救助しようと近づいて、砲口を向けられたから撃ったまでなのだ。


 しかし、リブル共和国側がそうは取らない事ぐらい、山下にも重々わかっている。ここは戦時下なのだ。 


 間違いなく、『綾瀬』を大エーデルセン帝国海軍艦か、敵性艦と認識したはずである。


 帰る国が今はない『綾瀬』だ。いたずらに敵を作ることなど、得策ではないのであった。


「もしかすると既に『綾瀬』の掃討部隊が出撃してるやもしれん。ここは、なんとしても交戦を避けなければならん」


 そう、山下はこの言葉通りリブル共和国海軍の出現の危惧に、恐れおののいていた。出撃していれば逃げの一手を打つつもりなのだ。


「わかりました。その方面へ進出して、敵情を探ればよいのですね?」


 任務を理解して、惣太郎が真剣な顔つきで山下を見る。


「そうだ。プラージュへの道中、リブル艦隊を見つけたら報せてくれ。だが、もし艦隊に出会わなければ、そのままプラージュに直行して偵察を敢行するのだ」


「了解です。直ちにプラージュ偵察の準備にかかります」


「うむ。だが少尉、無理は禁物だ。君達は今や『綾瀬』の大事な目なのだ。必ず帰ってくるんだ」


「わかりました。無理はせず、必ずや『綾瀬』に帰って参ります」


 惣太郎の凛々しい態度を頼もしく感じながら、山下が慇懃に頷く。斯くして、命令は下った。惣太郎は、別世界での偵察を行う重責を背負い、空を飛ぶことになった。






 雲ひとつない快晴の空だ。偵察を行うには絶好の天気日和である。


 自走台車に引き出された水上偵察機の『綾瀬』二号機は、今やカタパルトに載せられ、レシプロエンジンの試運転も終えて発進の時を待っていた。


 まるで葉巻のような胴体には迷彩が施され、上下の主翼は、この水上偵察機が複葉機であることを物語っている。


 そして胴体の下には、水上機特有の巨大なフロートだ。翼端には、対で小振りの補助フロートが取り付けられているこの水上偵察機、正式な名称を三七式水上偵察機と云い、海軍では標準的に配備されている水偵なのである。


 しかも偵察機のクセに格闘戦もできる、けっこう優秀な機体なのだ。


「燃料よし、オイルよし……」


 各計器を確認する惣太郎を、脚立に乗って整備兵がジッと見守りながら、エンジンが変な音をたててないか、注意を払う。フラップや方向舵にも違和感はない。やがて、出撃の時がきた。


「全て異常なし、発進準備よし」


「了解です。少尉、ここへ来て初めての飛行ですよね。お気をつけて」


「ありがとう、大丈夫です。直ぐに帰ってくるんで」


 整備兵が俊敏に脚立を降り、握っていた小さな赤旗を水偵発進指揮所に詰めている栃内に向かって振るや、栃内が艦外スピーカーのマイクを握った。


「二号機、カタパルト発進よーい!」


 ワラワラとカタパルトから離れ、整備兵達が遠巻きに見守る中、栃内の声が飛行甲板に響き渡る。


 吹きさらしのコックピットだ。風よけのゴーグルをおろし、惣太郎が伝声管に叫ぶ。


「中野兵曹、今さらですが八ミリやカメラの調子は確認しましたか?」


「バッチリですよ、少尉! いつでも撮れます!」


 中野の元気な声に、思わずニコリとなる惣太郎だ。


「わかりました。撮影の方は、宜しくお願いしますよ」


「射出!」


 栃内からの下令と同時に、カタパルトの射手が引き金をガチッ、と引いた。


「ボンッ!」


 カタパルトの後ろから白煙が上がるや、勢いよく滑るようにして、三七水偵が海上へと射出された。


 スロットルレバーでエンジンの出力を上げて、蒼空の高みへと快調に三七水偵が上昇して行く。


「あんな新入りに、いきなり実戦偵察を任せて、大丈夫なのか?」


 指揮所から飛行甲板に降り、空を見上げていた栃内の後ろから山屋整備長が声を掛けてきた。


「行きたいのは山々だが、ここは敵性海域だ。俺たちは潜水艦の警戒にあたる事になったんだよ」


「そうか。まぁ確かに、このフネが沈められたらもとも子もないからな。仕方ない人選か」


 眩しそうに栃内と山屋が空を見上げると、三七水偵が『綾瀬』上空をグルリと回っている。


 やがて、舵をプラージュの方向へと切った三七水偵は翼を振り、爆音を轟かせて空の彼方へと飛び去って行くのであった。



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