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漂流軍艦  作者: 青葉 加古
5/19

拉致

「アレ!? 消えた?」


 モニターを監視していた電探員の声色は、明らかに慌てていた。


「おい、どうした?」


 電探長が、顔をしかめてモニターを覗き込む。


「本艦直上にいた、飛行機の反応が消えたんです」


「消えた? どうせ試作品だ。故障だろ?」


 今まで散々、試作電探の動作不良に付き合わされてきた電探長が、頭ごなしに決めつける。


「それも考えられますが、試作十八号電探は今まで実験した試作電探の中では、秀逸な奴ですよ。これまでの物に比べて故障なんか有りましたっけ?」


 電探員の疑問も、もっともだった。


 確かに試作十八号電探の性能と、その運用における故障の少ない信頼性は、今まで試されてきた幾つかの試作電探と比べれば、目に見えて格段にあがっている。


 だから海軍中央が、いよいよ正式に試作十八号電探を採用するのではと、評判がたつ程の試作品でもあった。


 その実感は電探長にもあったのだろう。しかめっ面が急に消えた。


「それもそうだな……。わかった、念のため雨宮技師に伝えてみよう」


 そう言って電探長は、急いで受話器を取りあげた。







 『綾瀬』艦外では、艦橋付近の空中に集まりだしていた怪鳥の動きに、またもや変化が見られた。


 まず鳴くのを止めた。そして、パッと四方に散って行く。


 するとどうだ、攻撃が緩慢になっていた動作が一変。闘志剥き出しで再び攻撃に移ったのだ。


 勢いよく、一匹の怪鳥が艦橋正面に躍り出た。


「伏せろ―!」


 吉松航海長が叫んだと同時に、艦橋へ激しい銃撃だ。艦橋の窓が音をたてて砕け散る。その上にある防空指揮所も、猛射を受けた。


 だが、ここへきて彼ら怪鳥達に予想外の事態が起こりだしていた。


 弾切れである。


 想定外の『綾瀬』の抵抗だったのか、撃ちあいを演じている内に、ストックも含めて全ての弾丸を使い果たしてしまったのだ。


 次々に短機関銃を投げ棄てる怪鳥が続出する。


 そして怪鳥が、がま口広げて防空指揮所に突っ込んで来た。肉弾攻撃だ。


 しかし、防空指揮所に陣取る小銃で武装した水兵達と、艦橋周りに配置されている機関銃座から必死の阻止射撃を怪鳥達は喰らった。


 頭や翼、蒲鉾色の身体を無数の銃弾に射抜かれて、怪鳥が海へ甲板へと力尽きて堕ちて行く。


「凄い! これは絶対八ミリで記録を撮るべきね。世紀の激闘、軍艦『綾瀬』モンスターと交戦す! タイトルはこれでバッチリじゃなくて?」


「知りませんよ、そんなの。危ないからもう下がってください」


 レスティスの提案に、まったく興味のない少年兵だ。


 このときになってようやく山下が、退避もせずに今だレスティスが防空指揮所に留まっている事に気づいた。


「雨宮君、ここは危ないから早く退避しろ!」


「お言葉ですが艦長、お断りします」


「な、なんだって?」


 レスティスの以外な言葉に、山下が目を白黒とさせる。


「こんなところで、本物のモンスターに出くわすなんて、一生に一度あるかないか。いえ、ないでしょうね。だからこんなチャンスに巡りあったんですもの、この目で見とかないときっと後悔するわ」


「なんだとぉ……」


 よくもいけしゃあしゃあと言えたレスティスである。


 山下の双眉がつり上がり、こめかみに血管が太く浮かびあがった。


 相手は人間ではないが、今現実に怪鳥と戦闘中なのだ。山下にとって悪夢のような出来事ではないか。


 死人も負傷者も出て、銃弾が飛び交う戦場と化している。お遊びではないのだから、観戦などもっての他なのだ。


「雨宮君、艦長は君の安全を考えてのことなんだ。ここは実験科へ戻ったほうがいい」


 伊東副長が諭すように言うと、


「そうですよ、もう戻って、戻って」


 邪魔者を追い払いたいかのように、少年兵がシッシッあっち行ってと手首を振った。


「戻らないと言ったら、戻らないのッ!」


 キッとなって立ち上がるレスティスに、山下の怒りの沸点がちょうどにならんとしたときだ。


 不意に勢いよく電探室直通の電話がけたたましく鳴り響いた。


「山下だが、なんだ?」


「げえ、艦長!? す、スミマセンでした!」


 電探長にとって想定外である。レスティスではなく、電話には艦長の山下が出たからだ。しかも許可なく電探にスイッチを入れてあることもあって、思わず謝る電探長だ。


「スミマセン? なにが? こっちは忙しいんだ早く言え!」


「は、はい! 現在、試作電探は稼働中であります。直上に飛行機を捕捉してましたが、飛行機をロスト!」


「飛行機をロスト?」


 山下の左眉が、吊り上がったときだ。


「左五十度、飛行艇! かなり大きい!」


 見張り員の絶叫だった。山下が反射的にその方角を見て息をのんだ。


「うわあ、大きな飛行機!」


 驚きと感動が入り交じったレスティスの声だった。


 見たことのない、巨大な飛行艇である。


 全体的に丸みを帯び、ずんぐりむっくりとしていて、重厚なシルエットだ。それにしても目を見張る程のドでかい主翼ではないか。その主翼の後ろに、いっぱいのレシプロエンジンだ。胴体に大きく描かれた黄金の双頭のワシは、大エーデルセン帝国の軍用機の証だった。


「対空戦闘! 左砲戦、目標飛行艇!」


 ガチャリと乱暴に電話を切って、山下が伝声管に叫ぶ。


 巨大飛行艇ウンゲテュームの高度は、ゼロに等しかった。


 なんの真似か、その巨体は着水でもするのかと思われるほど、海面スレスレなのだ。これでは、試作電探がその機影を見失うのも当然だった。


 ウンゲテュームのエンジン音が唸りをあげる。ウンゲテュームは『綾瀬』の進行方向に対し、左斜めから遮る形で突入する姿勢をとった。


「目標、左舷向かって来る飛行艇! 撃ち方はじめぃ!」


 飛び交う怪鳥はひとまず置いて、四十ミリと二十ミリ機関銃に高角砲が加わって、ウンゲテューム目掛け一斉に火を吹いた。


 赤と青の曳航弾の混じった火箭がウンゲテュームに吸い込まれるようにして突き刺ささり、


「ドカンッ! ドカンッ!」


 と高角砲弾が炸裂して、たちまちパッとウンゲテュームの周辺に黒い煙りの塊が次々と出現する。


「当たった! 命中!」


 見張り員から歓声の声があがった。


 ウンゲテューム右翼のエンジン一基が突然、炎をあげてバラバラと崩れたのだ。その残骸は機体後方に流れ、火を吹くエンジンから白い煙りを引き出した。


(やったか!?)


 山下は、ウンゲテュームの右翼が燃料に引火して爆発するのではと期待して、凝視した。


 ところが山下の願いも虚しくウンゲテュームは、爆砕するどころかハリネズミのように装備している機銃で、猛烈なる機銃掃射を『綾瀬』に浴びせ出したのだ。


 ウンゲテュームの機体上部にある、ドーム型の短砲身百五ミリ連装速射砲塔が動いた。砲口を『綾瀬』に向け発砲だ。途端に水柱が出現して、『綾瀬』の甲板を洗い流す。


「アイツは、大砲を持っとるのか!?」


 山下が、驚きの声だ。


 ウンゲテューム機体側面からも発砲の閃光が煌めき、『綾瀬』右舷海面に水柱が林立した。そしてばく進を続けるウンゲテュームから黒煙が吹きだし、その黒煙の尾を引きながらウンゲテュームが『綾瀬』の舳先を掠め去ってゆく。


「煙幕!?」


 いよいよ何をするつもりなのか。ウンゲテュームを睨み付ける山下の目の前は、瞬く間に煙幕で覆われた。







「ラックマン機長、何をするつもりだッ!」


 顔面蒼白となって、ウンゲテュームのコックピットでヒステリックな声をあげているのは、リスティッヒだ。


 まあ、そうなるのも分からなくもない。だって、ドーム形の見張り窓で外を眺めていた、リスティッヒの目の前でエンジンが吹っ飛んだからだ。


「ピャアピャア騒ぐなよ! お手並み拝見するんだろ! だったら大人しく座ってろ!」


 操縦輪を握る、ラックマンが怒鳴り返す。


「デカイ口を叩くなッ! 何の真似だ? 安易に戦艦の弾幕の中に降りて、あげく煙幕展長とは?」


「肉薄しろと言ったのは、そっちだぞ!」


 鼻を大きく膨らませて、ラックマンが捲し立てた。


「参謀さんが分からないのなら、教えてやる! こっちはカーゴの『荷物』を無事に降ろさないといけねぇ。だから、奴の火力がどれ程なのか試したんだよ。お陰で正面切って奴と対峙するのは得策じゃないと悟ったまでさ!」


「なら、煙幕は?」


「あー本当にうるさい奴だな。そんなに知りたいなら、隣にいる元空軍少年航空団員に訊いてみなよ」


「なんだって?」


 驚いた表情で、リスティッヒがコックピット中央に座るベルフォルトの顔を覗き込んだ。


「これでも一応、パイロットでね。だが昔の話しだよ。 今ではだいぶ腕がなまっている。しかし私が少年航空兵だった事を、よく知っていたな機長」


「アンタは目立ちすぎなんだよ。それより、気が散って集中ができねぇ。撃ち落とされたくなかったら、そいつを黙らせてくれ」


「あぁ、こんな所で戦死はごめん被りたいものだ……。」


 ベルフォルトがリスティッヒの方へ顔を向けると、苦虫を噛み潰したような表情で歯ぎしりしている。


「煙幕展長はバルドゥールが降下するための目隠しだ。しかし、こちらも相手が見えないのだから、これは見物だぞリスティッヒ参謀」


 ラックマンに対して、聞こえよがしに言うベルフォルトがニヤリと笑うが、リスティッヒは笑えない。


「しかし、この鈍重な飛行艇であのような操縦は無謀どころか無能もいいところ。このままだと、本当に撃ち落とされますぞ」


「そうは思わないな。ラックマン機長が無能なら、あの弾幕だ。もう既に撃墜だろう。まぁ、見届けてやろうではないか」


 サラリと告げるベルフォルトの表情に憂いはない。


 しかし、このような状況下でも憎々しい程のベルフォルトの落ち着きっぷりである。どこか、白い戦艦との交戦を楽しんでいるかのようにも見える。


 これでは何を言っても無駄だと悟ったであろうリスティッヒが、


「中佐がおっしゃるのであれば」


 と諦め顔で、すっかり黙り込んでしまった。


「そうそう。お客様におかれましては、ご搭乗中お静かに願います」


 軽口を叩きながら、ラックマンが不意に胸ポケットから一枚のコインを取り出して、軽く空中に弾いた。


 そして直ぐに落下したコインをキャッチするかと思いきや、失敗だ。虚しくコインが床に転がってしまった。


「こんな大事な時に余裕だな、機長」


 ラックマンの奇妙な行動に、ベルフォルトが声を掛ける。


「中佐殿、俺は賭け事が大好きでね。しかも運がいい。だから表が出れば左、裏が出たら右と決めてたんだが……」


「直感で白い戦艦の動きを読むつもりだと? しかし、コインは床だ。 やり直すかね?」


「いーや」


 大げさに首を横に振るラックマンだった。


「ウンゲテュームから煙幕張られて、何かやらかすと読んだはずだ。コインは下にある。裏の、裏の裏をかいて舵は真っ直ぐ、あの白い戦艦は直進で来る」


 自信たっぷりに告げて、ラックマンはカーゴ直通のマイクスイッチをオンにした。


「こちら機長だ。これからカウントダウンを始める。いいか、ゼロになったらジャンプしろ。そこからはあんたの仕事だ、幸運を祈るよ。」






 ブツッ、と言ってマイクが切れた。


「だってさ。バルドゥールさん! 頑張ってください」


 ガランとしているカーゴ内で、フェイが見上げて激励の言葉を投げ掛けた。


 カーゴ内の天井を見ているのではない。窮屈そうに前屈みになっていても、バルドゥールが余りにも大きいのだ。


 身長は三メートル、グリズリ―の頭を持ち人語を解するバルドゥールーは、教皇庁武装警護隊軍医ファビアン少佐が、ベルフォルトにプレゼントしたキメラである。



「ねえ、もう一度最後に女の写真を見ておこうか?」


 レザースーツのファスナーを胸元まで下ろして、ベルフォルトから預かった写真を取り出そうとしたフェイに、


「その必要はない」


 と重くドスの効いた声でバルドゥールが拒否した。


「え~、本当に大丈夫なんですか?」


 心配そうな顔つきでバルドゥールを見つめるフェイである。バルドゥールが、鼻で笑った。


「もうとっくに覚えた。だから大船に乗ったつもりで任せておけ。このバルドゥール、必ずや中佐に古代人の女を献上差し上げる」


「頼もしい~! 絶対連れて帰ってきてね、熊さん!」


 思わずバルドゥールのゴツイ足に抱きつく、フェイだ。


 なんだか、とても柔らかいものが触れている。


 人間の女は華奢でそんなものなのだと、バルドゥールが学習だ。しかし、とも思うバルドゥールである。


(どうも、この女といると調子が狂う)


 バルドゥールは、内心舌打ちしながら抱きついて離れない、フェイを見下ろしていた。







 スッカリと煙幕で視界を遮られた『綾瀬』の飛行甲板から勇ましい雄叫びが響き渡った。


 栃内率いる武装した飛行科と整備兵達がこの混乱をついて突撃を敢行したのだ。


 艦上で右往左往している怪鳥の前に、煙りのモヤの中から、突然幾つもの銃剣の切っ先が現れた。

 前からだけではない。後ろからもである。


 これは栃内の突撃に、他隊が呼応したものだ


 全身を銃剣でメッタ刺しにされ、血煙りを噴出させながら、断末魔の悲鳴をあげる怪鳥が、あちらこちらで続出する。


 だが生命力の強い怪鳥でもある。倒れ伏せて、尚も立ち上がらんとしようものなら、容赦なく弾丸を頭部に全身にブチ込んだ。


 形勢不利と判断したのか本能か。艦上に残っていた怪鳥が翼を広げ、空へと次々に逃げ出して行く。空中からの反撃もピタリとなくなった。


 全ての銃声が止んだ。自然と万歳を唱える歓声が艦上から万雷となって沸きあがる。


「艦上の化物は制圧しました!」


「でかした。だが油断はするな。警戒しつつ今のうちに、戦死者を収容して、負傷者の手当てを急がせろ」


 あの飛行艇の爆音が、まだ遠くから響いてくる。だから、水兵の報告に振り向きもせず、山下は煙幕に包まれた空を睨みながら告げた。


「艦長、これでは飛行艇どころか何も見えませんな!」


 伊東副長の声に山下が、苛立ち気に答える。


「全くだ。化物を撃退したが、どこぞの飛行艇が健在となれば、喜び半分と言うところだよ」


 そう吐き捨てながら、山下が受話器を取った。


「電探、敵機を捕捉出来ないか?」


「いえ、尚も反応はなし」


「そうか、捕捉しだい直ぐに知らせろ。それと、俺に許可なく電探を稼働した件は不問だ。よく知らせてくれた」


「あ、ありがとうございます!」


 フンッと鼻で笑って、受話器を置く山下をレスティスがニヤケて見つめている。


「なんだ?」


「試作十八号電探を頼りにするなんて。あの子を作った実験科としては、技術者冥利につきるなあ、と思って」


「今はこんなときだ。使える物は、使わねばならん」


「それで、飛行艇は?」


 レスティスの質問に、厳しい表情で山下が答えた。


「分からん。巧く稼働してる電探で捕捉出来てないとなると、あの飛行艇はまだかなりの低空飛行なんだろう」


「しかし、すっかり化物の姿も消えました。もしかすると、化物の回収に飛行艇は降りてきたのでは?」


「それはないんじゃないかしら? 羽根つきだから、そのまま戻ればいいことじゃなくて?」


「俺も雨宮君と、同じ考えだ」


 伊東副長の憶測を否定するレスティスに、山下が深く頷いて同調した。


「煙幕を張るような相手だ。何かをしでかすつもりだろう。ここは、さっさと煙幕の中を突っ切るまでさ」


「では、舵はそのままで?」


「その通り。真っ直ぐでいい」


「あっ!」


 何かに気付いた、レスティスの声だった。


「聞こえる。聞こえるわよ、正面から絶対来る!」


 山下と、伊東副長の顔に緊張が走る。


 ちょうど煙幕の端を『綾瀬』が抜けたときだった。視界が急に広がるその先には、なんという気迫だろう。機体をぶつけるつもりか。


 殺気を帯びたウンゲテュームが『綾瀬』正面、躊躇なく真っ直ぐと向かってくる。


 途端に艦橋周りの火砲が思い出したかのように射撃だ。ウンゲテュームからも機銃で応戦する。


「艦長、主砲を撃たせて下さい!」


 伝声管から闘志満々な大声は、加藤砲術長だった。


「その意気よしだ、砲術長! 弾は?」


「一九式徹甲弾! 照準よしッ! 発射準備よしッ!」


「宜しい、主砲撃ち方始め!」


 山下の号令に、伊東副長が驚いた。


「無理です艦長! 徹甲弾で飛行機を落とせるわけがない!」


「対空弾に換装してる時間はない! かまわんから撃てぇ!」


 砲身は真っ直ぐ正面そのままに、


「グワッーン!」


 雷のような砲声が『綾瀬』艦首、第一番連装主砲塔から轟いた。


 期待を込めて放たれた主砲弾である。当たれば確実に飛行艇など一撃粉砕だが、やはり伊東副長の言う通りだった。


 虚しくウンゲテュームの両脇を掠めるや、その遥か後ろに主砲弾弾着の巨大な二本の水柱を立ち上がらせるだけに終わった。


 やられたらやり返す。ウンゲテューム上部の砲塔からもパッと、閃光が煌めいた。


 『綾瀬』艦首、舳先の前に高々と水柱が出現だ。その中を突っ切ると同時に、爆音を轟かせたウンゲテュームが何かを『綾瀬』に投下して、マストをスレスレに艦尾上空へと去って行く。それは一瞬の出来事だった。


「何を落としたんだ、アイツは!」


 防空指揮所が騒然とする中、艦首に投下された物体がスクッと立ち上がった。どうやら体躯のよい人間のようである。そして突然、第一番砲塔目掛けて走りだしたものだ。


 物凄い瞬発力と脚力だ。たちまち、第一番主砲塔の上に軽く跳び乗ったかと思えば、


「ダンッ!」


 と音を残して、防空指揮所へと勢いよく跳ね降りてきた。


 凄まじい跳躍力ではないか。その人間離れしたその動作に、山下をはじめこれを目撃した全員、声もでない。


 唖然とする間もなく防空指揮所の全員が、ギョッとなって固まった。


 人間ではない巨大な人外の生物、化物だったからだ。


 熊の頭部だ。背には攻城戦用の砲弾のようなでかい筒を背負い、銀色の耐火性のありそうな服を待とっている。そうキメラのバルドゥールだ。


「ほう……。なんの真似だ? 皆東洋人ではないか? これが本当にリブル共和国の戦艦なのか?」 


「しゃ、喋った……」


 化物である重く低いバルドゥール声に、レスティスが思わず驚きの声を漏らす。


「何をしている! ボヤッとするな囲めッ!」


 伊東副長の一喝でグルリと銃剣を向けて水兵達が、バルドゥールを取り囲む。


 勇ましくではない。このバルドゥールに恐怖して、皆へっぴり腰で今にも逃げだしそうだ。


「この艦は、リブル共和国などの軍艦ではない! 神聖八島帝国軍艦『綾瀬』だ!」


 その囲みの外から、恐れも見せずに威風堂々と化物の前に一歩進み出て大喝を浴びせる剛胆な人物がいた。


「俺は山下重蔵。この艦の艦長である! あの飛行艇といい羽根つきの化物といい貴様らは、いったい何者かッ!」



「グワハハ……。威勢のいい老人だ」


 牙を見せ肩を揺らして笑う、バルドゥールだ。


「何だとッ! 俺を老人呼ばわりするかっ!」


「怒るな東洋人の老人よ。耳をかっぽじってよく聞くんだな。俺の名は、バルドゥール。古代人の女をもらい受けに参上したまでだ」


「な、なにい?」


 山下は困惑の色を露にした。


 もちろんだが、この艦に古代人の女と呼ばれる人物などいないからだ。


「あの飛行艇から来たお前だ。それは貴様の意志か? それとも誰かの命令か?」


「無論、我が主である大エーデルセン帝国教皇庁武装警護隊、ベルフォルト中佐からのご命令だ」


「大エーデルセン帝国だと……」


 山下が絶句した。


 リブル共和国に続いて、大エーデルセン帝国の名が、化物の口から出たからだ。


 しかしそれよりも、とにかく今はこの危機を凌がねばならないと瞬時に判断した山下が、ゴクリと喉を鳴らした。


「一つ言っておこう……。この軍艦に、お前が探している古代人の女とやらはいない。だから今すぐ、ここから立ち去れ」


「ホラはいかんね。ホラは」


 バルドゥールが人差し指を立てて、チッチッチと、舌を鳴らす。


「もうお芝居は終りだ、リブル人よ。貴様らの暗号文ひとつで、よくもここまで我らを謀ったものだ」


「謀った?」


 なんの事だと、山下の左眉がつり上がる。


「古代人の女を貨客船で護送だと? 襲撃してみれば仮装巡洋艦のあげく、女も居なかった」


「お前達か……、あの仮装巡洋艦を襲ったのは」


 合点がいった表情の山下だ。


「即ち仮装巡洋艦は囮。貴様らは我々が仮装巡洋艦を襲撃している間に、古代人の女を連れて逃走の魂胆、今やもう破綻したのだ」


「なるほど、だがそれは誤解だ」


「誤解なものか。いい加減に猿芝居は止めろと言っている。だがリブルの念の入れよう、よくぞここまで東洋人を仕込んだものだ」


 そう吐き捨てて、動こうとするバルドゥールの気配に、怯むことなく山下が手で制した。


「待て、動くな! お前はこの水兵達の銃が見えんのか? 動けば、蜂の巣だぞ」


「怪我をしたくなければ、そこをどくことだリブルの勇敢な老人よ。もう時間がない」


 バルドゥールの眼光が鋭い刃のようだ。これは、本気で何かをやるつもりだ。


 しかし、山下は怯まなかった。


「もう一度言うぞ。この船は、リブル共和国の軍艦ではない。ここに居るのは、神聖八島帝国の軍人のみ。だから早く立ち去れ化物めッ!」


「そんな国、聞いたこともないわッ!」


 バルドゥールが吼え、牙をむいて襲いかかってきた。


 一瞬の間に山下が跳ね飛ばされ、床に強打する。水兵をもなぎ倒し獲物を捕獲するようにして、バルドゥールはその先にある華奢な体を、ムンズと掴まえていた。


「キャーッ! ちょっと何?」


 凄い力だ。もがくレスティスだったが、ピクリともできない。


「やめろっー!」


 すっかり怖じけ付いて手も足も出ない水兵達の中にあって、果敢にも素手で少年兵がバルドゥールに殴りかかる。


 するとバルドゥールは巨大な手で少年兵の顔を鷲掴みにするや否や、まるでゴミでも捨てるかのようにして、海上へと容易く放り投げた。


「なんてことを、するのッ! 誰かっ、助けてあげて!」


 バルドゥールが、喚きちらすレスティスの顔を覗き込んだ。


「間違いない、古代人の女だ!」


「はあ!? アタシが!? 何言ってんの人違いだから、離してッ!」


 足だけをジタバタさせて必死に抵抗するレスティスを、バルドゥールは軽々と抱き寄せた。


 これは本当に何処かへと、連れて行くつもりだと悟ったレスティスの顔から血の気が引いていく。

「離せッ! 化物!」


 殺気を帯びた声だ。後ろからである。山下ではない。バルドゥールが振り向くと、細身の青年が不意な銃剣突撃だ。それは、惣太郎だった。


「小癪なりッ!」


 叫びながら、バルドゥールが正面から蹴りをかます。まともに蹴りを喰らった惣太郎が後ろへ吹っ飛んだ。


 沫や防空指揮所外の外へ転落の勢いだったが、軽機関銃を投げ棄て全身で受け止めてくれた中野のお陰で助かった。


「清水少尉!」


 レスティスの悲痛な声に小銃をにぎる拳に力が入る。ガバッと小銃を構える惣太郎だ。


「雨宮さんを、離せッ! その人に何の用なんだ?」


 ガチャリと小銃のコッキングレバーを引く惣太郎だ。


「雨宮さん?」


 一瞬だけ何かを躊躇したバルドゥールだったが、直ぐに気を取り直したのであろう。その目を怒らせた。


「お前などに語る必要はない! もう時間がないのでな、若僧。この女は頂いて行く!」


「なにおう!」


「待たんか、雨宮君に当たったらどうする!」


 伊東副長に助け起こされた山下が叫ぶ。


「大丈夫です! 頭を狙います」


 キッパリと言って惣太郎がトリガーに指をかけた。


「清水少尉!」


 必死な眼差しでレスティスが叫ぶ。その声に、胸が押し潰されそうになる惣太郎だ。


「ホントに撃つんですか、清水少尉?」


 傍らで歯を鳴らしながら、心配そうに中野が訊いてきた。


「あの馬鹿力です。今はこれしか方法がない」


「でも……」


「じゃあ、中野君が撃ちますか?」


「とんでもない! 無理無理、無理です」


「それなら、黙っててください」


 眼光鋭く惣太郎がバルドゥールーの頭に狙いを定め、ゆっくりとトリガーを引かんとした瞬間、


「あっ!?」


 惣太郎が戸惑いの声をあげた。


 何も見えない。真っ暗闇だ。なんということか。タイミング悪く、吊光弾が全て燃え尽きてしまったのだ。


「言っただろ、時間がないとなっ!」


 バルドゥールーが雄叫びをあげた途端、防空指揮所に眩い発射炎が吹きあがった。


 それは、バルドゥールの背中に背負った砲弾のような物、ロケットランドセルからだった。火を吹いて、たちまち上昇だ。


「清水少尉!」


「雨宮さーん!」


 火炎に向かって叫んだ惣太郎だったが、直ぐにレスティスの声は聞こえなくなった。


 断雲の群れがすっかり流れ去って、二つの青白い月が浮かぶ夜空に、ウンゲテュームから発光信号がチカッチカッと光る。


 ロケットが噴出する炎はその光を目指して空高く飛翔し、やがて惣太郎の目の前から虚しく消えていった。





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