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漂流軍艦  作者: 青葉 加古
4/19

怪鳥

「中止、中止! 上で何かあったらしい。エレベーター降ろすなよ!」


 『綾瀬』最後部、飛行甲板の下にある水上偵察機格納庫区域で、ひげ面をした山屋整備長の声が響く。


 この怒号に、水偵用の昇降エレベーターを降ろすため、ボタンを押さんとしていた整備兵の指が止まった。


 すぐに自走台車に載せられていた水偵が、元の位置へと戻される中、格納庫内にあるガラス張りの塔乗員待機室では、『綾瀬』飛行機隊の面々が、緊張した空気に包まれていた。


 飛行機隊とは言っても小さなものだ。栃内飛行機隊隊長を含め、六名の小部隊である。有する水偵は常備三機。これが、軍艦『綾瀬』飛行機隊の全戦力だ。


「この『綾瀬』で白兵戦ですか? しかも、化物と!?」


 まさかの展開だった。腫れた左目にあてがっていた氷嚢を、思わず床に落とす惣太郎だ。


 それは当然であろう。


 今先ほどまで、惣太郎は突然の偵察を命じられ、チャートで南東諸島までの航路を確認していたからである。それが急転直下のこの事態だ。


「そうだ。そういう訳で南東諸島への偵察飛行はお預けだよ、清水」


 『綾瀬』飛行長兼『綾瀬』飛行機隊隊長である栃内の顔は、真剣そのものだった。


 栃内は、四十歳。全世界大戦争では、何度も強行偵察をしたことのある、歴戦の猛者だ。オールバックの髪形と、ニヒルな顔立ちから、花街の芸者達によく持てる壮年士官でもあった。


「いいかよく聞け諸君。本艦は正体不明の生物から襲撃を受け、上甲板では目下戦闘中である。我々は、武装後に整備科と共同して上甲板にあがり、化物を攻撃撃退する」


「隊長、質問です!」 


 惣太郎の横にいる、年の頃二十歳の青年が、今にも泣き出しそうな声で挙手をした。


 力士を思わせる立派な体躯だ。イガグリ頭に、焼き海苔のような太い眉。丸い目玉にだんご鼻。彼の名は、中野純平。惣太郎が操縦する『綾瀬』二号機の後席偵察員だ。


「質問って、なんだ中野兵曹?」


「ハ、ハイッ! て、敵が化物であることは、間違いないのですか? つ、つまり本物なんですか?」


 中野は本気だ。余りにも必死な形相に、栃内が思わず吹き出した。


「信じろって話が無理だよな。だが中野よ、残念ながら化物は本物だ。しかし俺も海軍に入って、まさか化物退治をやらされるとは思わなかったぞ」


「やっぱり本当なんですね。あぁー!」


 悲鳴をあげて、中野が両手で顔面を覆った。



「なんだ中野? お前、妖怪化物の類いは苦手なんかい?」


 面白い事を聞いたと顔に書いてあるのは、『綾瀬』一号機の後席偵察員、本城准尉である。


「お前を見れば、化物のほうがぶったまげそうなんだがなぁ」



 『綾瀬』三号機操縦員、渥木兵曹長の軽口に、三号機の偵察員を務める高坂兵曹が思わず吹き出す。


「自分は、小さい頃天狗様に会ったことがあるんです。それ以来、どうもダメで……」


「天狗だって?」


 中野の言葉に、一同大爆笑だ。


「お取り込み中で申し訳ないんだが、早くしてくれねぇかな? 後ろがつかえてるんでね」


 声の主は呆れた表情で搭乗員待機室の入口に立つ、山屋整備長だった。彼の後ろには、いつの間にか整備兵達がズラリと列をなして並んでいる。これを見て、栃内の顔が引き締まった。


「よし、これから武器を渡す! 受領した者は格納庫に集合!」


 回れ右をした栃内のすぐ目の前には、第三武器庫のドアがあった。


 観音開きのドアが開かれ、栃内と山屋が次々と小銃を手渡してゆく。


 鉄兜を被り、惣太郎が小銃を手に搭乗員待機室を出たときだ、


「少尉、少尉!」


 と惣太郎を呼ぶ者がいた。それは、実験科の技師達だった。


「私に何か、御用でも?」


 何だろうと惣太郎が見つめると、なんだか様子がおかしい。技師達の鬼気迫る雰囲気に圧倒されそうだ。


「少尉、僕達にも小銃か拳銃をお貸し願いませんでしょうか!」


「小銃か拳銃を!?」


 目を白黒させる惣太郎だ。返答やいかに、と固唾をのんで見守る技師達に、惣太郎は諭すように言った。


「あなた方は、民間人なので武装したりするのは原則禁止なんです。本艦の危機に戦闘へ参加しようとするその心意気は立派ですが、後は軍人に任せてお戻りください」


 『綾瀬』の実験科員は皆、雨宮財閥の雨宮兵器開発研究所の技師さん、つまり民間人だった。理由は明快で、技官を全て海軍造兵本部が抱え込んで離さないからである。


 だからわざわざ危険な事は、やらないでいいのだ。それが民間人のいる実験科なのだから。


 それにこの人達は試作兵器を試作品から実用兵器へと昇華させる極めて重要な任務を帯びているのだ。こんな化物退治ごときで命を落とすことなど、あってはならないのである。


「そうはいきませんな!是非とも銃器を貸して貰いたい!」


 ズイッと出てきたのは、いかにも頑固そうな年配の技師だった。その凄い剣幕に、思わず惣太郎が後ずさる。


「まあまあ、落ち着いて下さい。それなら、訳を聞かせてくれませんか? 訳を!」


 この言葉に、年配の技師が直ぐに反応した。


「実は、レスティスお嬢様が防空指揮所へ電探の様子を見に行ったきり、戻って来ないんじゃよ……」


「えッ! 雨宮さんが!?」


 惣太郎は驚愕した。この衝撃は、自分の母が倒れたときと同じか、いやそれ以上の心の動揺、激震であった。


「それは本当ですか? 間違いなく、雨宮さんは防空指揮所へ?」



 惣太郎は、自分の声が震えているのがわかった。


「間違いないからお願いに来たんじゃ。だから……、我々が連れ戻しにいきますから、少尉さん頼む! 銃を貸して下され! お嬢様の身に何かあったら、出張で不在の雨宮技師長に会わせる顔がないんじゃ! だから、だからどうか……」


 涙声になって、技師が土下座を仕掛けたときだ、惣太郎が突然脱兎のごとく前甲板の方へ駆け出した。


「雨宮さんは、必ず私が連れ戻して来ます! だから、あなた方は自室に戻って下さい!」


 惣太郎が振り向きざま、呆気に取られている技師たちに叫ぶ。この声に中野が気付いて仰天した。


「アッ!? ちょっと清水少尉、何処へ行くんですか!」




 中野の叫び声に返事もせず、惣太郎は前甲板の方へと消えていった。









 『綾瀬』艦上に背筋も凍りつくような、おぞましい怪鳥の断末魔が轟いた。


 先頭を切って走っていた怪鳥が、小銃の一斉射撃を正面からまともに受けて、揉んどりうって倒れ込んだのである。


 途端に後続の怪鳥達が、逃げるようにしてパッと翼を広げて飛び上がった。


「逃がすな!」


「くたばれぇ!」


 撃退する好奇だと見て、空中に舞う怪鳥を狙い水兵達が猛射を浴びせる。


「おい、アレを狙え!」


 軍刀を飛翔する怪鳥に、指揮官の中尉が向けたときだ。


 死んだと思われた怪鳥がムクリと起きあがって、奇声をあげながら中尉に飛びかかってきた。


「うわぁ―!」


 振り向きざまに斬り捨てようとしたが、怪鳥が中尉の左胸に飛び込むのが早かった。


 白い軍服に鮮血のシミが瞬く間に拡がっていく。怪鳥が牙を鋭く立てて噛みついているのだ。


 肉食獣が狩りで仕止めた獲物にするようにして、怪鳥が激しく首を振る。中尉が軍刀を投げ棄て、必死の形相で怪鳥を引き離さんとしたが、惨劇の結末は、あっという間だった。


「がはああ―!」


 中尉が白目をむき、この世の者とは思えない雄叫びをあげた瞬間、血まみれの怪鳥の顔が中尉の背中から飛び出してきた。そして牙をガチガチと鳴らし威嚇する。


 中尉の壮絶な最後を目の当たりにして、腰が抜けた。怖じ気ついた。またもや逃げ出す兵が続出した。


「あっ! こらっ、逃げるな!」


「クソッ! 人間様を舐めるなよ。敵討ちだ!」


 次席指揮官の下士官が、軍刀を拾った。数人の勇敢な水兵が血まみれの怪鳥に小銃を構えると、怪鳥が中尉の屍を震い棄てて飛びかかってきた。


「撃てぇ―!」


 一斉に小銃が発砲され怪鳥に命中した。揉んどりうつ怪鳥だが、尚も起きあがろうとしている。


「この、しぶとい化物めが!止めじゃあ!」



 怒りの形相で、下士官と水兵が駆け寄り、絞り出すようにして立ち上がった怪鳥の頭に軍刀が降り下ろされ、その蒲鉾色の身体に鋭く銃剣が刺突された。


「どうだっ! やったぞ!」


 雄叫びをあげる下士官は次の瞬間、水兵らと共に身体に熱いものを感じながら、弾け飛んでいた。


「タタタタタッ!」


 乾いた連続の射撃音だ。それは、翼を羽ばたかせながら空中で停止ししている怪鳥からだった。


 丸腰と思われた怪鳥が、そうではなかったのだ。武装した怪鳥も紛れていたのである。


 空中を舞いながら、短機関銃を乱射する怪鳥の群れの跳梁が始まった。


 『綾瀬』艦体に容赦なく銃弾が突き刺さる。


 遮蔽物に身を隠せなかった者や逃げ遅れた者は、躊躇なく撃たれ倒れていく。


 砲塔付きの機関銃座と、高角砲塔には短機関銃が効かないと見れば、そこへ舞い降りた。


 すると、怪鳥が砲塔内部へ侵入しようと、ハッチをこじ開けるべく激しい足蹴りだ。次に至近から銃を掃射して破壊を試みたかと思えば、砲身にも取り付いた。


「振り落とせ―!」


 高角砲塔が急な動きを見せ、怪鳥を振り落とした。怪鳥が甲板に叩きつけられた場所、そこは中甲板にあるハッチの前だった。


 ちょうどそこへ中甲板のハッチが開かれ、中から武装した増援の水兵達がバラバラと現れた。そこへ怪鳥が落下していたもんだから、たまらない。


「わっ―! 出た―!」


「馬鹿、浮き足立つな! コイツを仕留めるんだ!」


 悲鳴と怒号が飛び交う中、怪鳥は銃弾を浴び全身を刺突されて絶命した。そこへ、空から一匹の怪鳥がハッチ目掛けて突っ込んで来た。


 その勢いに数名の兵が倒れるほどだ。


 これを狙ってたかのように、怪鳥はまんまとハッチ内に入り込み、後甲板に向け走り出した。


「マズイ、艦内に侵入したぞ! 逃がすな、追え―!」


 数人の水兵が怪鳥を追って、艦内に引き返す。すると、怪鳥は短機関銃の猛射を浴びせてきた。狭い艦内だ。隠れる間もなく、追手の水兵が全滅すると、奇声をあげながら怪鳥は奥へと奥へと進んで行った。


〈なんだ?〉


 ラッタルを幾つか駆けあがり、中甲板に続く通路へと出た惣太郎は、反射的に足を止めていた。


 怪鳥の奇声に気づいたのだ。


 すると、前から異形の生物がまっすぐこっちに近づいてくるのが見えるではないか。


 息をのむ惣太郎へ向けて、怪鳥が突然短機関銃を乱射した。


 怪鳥が発砲するのと同時に、惣太郎が伏せる。そして、すぐに小銃のコッキングレバーを、


「ガチャリッ!」


 と引く惣太郎だ。これで、いつでも撃てる。だが、惣太郎はトリガーを引かないどころか、腰が引いていた。


「う~ん……。さて、どうしようかな」


 命あるものに向けて撃ったことがない惣太郎に何ということだろう、こんなところで迷いが生じたのだ。


 惣太郎の鉄兜、伏射の姿勢でいる身体の横を、銃弾が掠める。



 それでも撃たない惣太郎に、怪鳥は組みやすしと思ったか、怪鳥が不意に立ち止まった。おちょぼ口を笑うように広げて、しっかりと狙いを定めた。その行動は、惣太郎と違ってまったく迷いがない。


 まるで、


「アバヨ、オ馬鹿ナ人間サン」


 と告げるかのように、怪鳥が「ピギャッ!」と声を発しながらトリガーを引いた刹那、


「わぁ―!」


 突然、怪鳥と惣太郎の間にある横の通路から、一人の水兵が躍り出てきて怪鳥に小銃を撃ちこんだ。それと同時に、水兵は怪鳥の放った銃弾で蜂の巣だ。


 水兵が鮮血を散らしながら倒れこむのを見て、惣太郎が我に返ったかのように大声をあげていた。


「このおッ―! 当たれ―!」


 惣太郎は無我夢中で発砲していた。弾が命中するたびに怪鳥が、ビクンと連続して体を反応させている。


「カチッ、カチッ!」


 惣太郎の小銃が火を吹くのを止めた。弾切れを起こしたのだ。


「クソッ! 簡単に倒れないのか奴は!」


 悪態をつきながら惣太郎は慌てて、腰に手をやり、弾薬の入っている胴乱から実包を取り出そうとした。


 すると頭を激しく左右に振った怪鳥が、銃撃の止んだ間隙をついて再度、惣太郎へ短機関銃の照準を合わせ、ゆっくりと余裕たっぷりにトリガーを引いた。


 ところがだ、短機関銃が火を吹くことはなかった。こちらも弾切れを起こしたのである。予備の弾倉は、既にない。


 怪鳥は全ての弾薬を使いきったと悟やいなや、苛立ち気に短機関銃を床に投げ棄てて、奇声をあげ惣太郎を目掛けて駆けだしてきた。


 実包を取り出し、小銃に弾を装填し終えた惣太郎の眼前に、ガマ口を開けた怪鳥が飛び掛かって来た。


「うわぁ!」


 間一髪、惣太郎は怪鳥に頭を飲み込まれる寸前で膝だちとなり、咄嗟に銃を横に銃身のまん中で辛うじて『口撃』を防いでいた。


 しかし、物凄い力だ。銃身を支える惣太郎の細い両腕が、早くも震えだす。


 銃を噛み砕かん勢いで、怪鳥が激しく牙を鳴らす。惣太郎の状況はかなり不利だ。


 腰に吊るした銃剣で、突き刺してやろうかとも思うが、両腕が塞がっているのでそうは行かない。


「グホッ!」


 不意に、惣太郎は異物が食道を逆流するかのような感覚に襲われた。



 怪鳥の右腕が惣太郎のみぞおちに、深く食い込んでいた。


 さらに一発、もう一発、惣太郎のボディーをサンドバッグに見立てたかのように、怪鳥のパンチが炸裂する。


 しかしどうだ、充血した目を見開いている惣太郎だったが、容易にダウンしなかった。これには怪鳥が狼狽えたようだ。盛んに繰り出していたパンチが止まった。


「残念でしたね、化物さん! 顔面は弱いが、腹筋だけは鋼の作りなんでね!」


 一瞬の隙をついた惣太郎が、怪鳥の顎目掛けて渾身の力で頭突きをかます。避けるまもなく錨のマークの入った鉄兜が、会心的に怪鳥の顎へとヒットした。


 思わず後ろへのけ反った怪鳥だ。反射的に惣太郎が小銃を構えんとするが、急に息が詰まって蛙を潰したような声を出していた。


 踵があがる、次は爪先が地を離れ、惣太郎の顔に苦悶の表情が浮かぶ。


 手にしてた小銃が床に転がった。足をバタつかせている間に、すっかり怪鳥を見下ろせる状態の惣太郎だ。


 絶体絶命。


 怪鳥の長い両腕が、しっかりと惣太郎の首を捕らえ、高々と持ち上げられていた。







「対空戦闘! 機銃は翔んでる化け物を撃てぇ!」


 山下が伝声管に叫んだ。


 待ってましたとばかりに、砲塔付きの四十ミリと、二十ミリの連装機銃が忙しく動き出し、砲身が怪鳥に指向されたとたん、勢いよく火を吹いた。


 頭が消し飛ぶ、翼は折れ、体の半分を失って墜落する怪鳥が続出だ。


「オーマイガッ! ねぇ、これって信じられる? 本物のモンスターよ!」


「おまえが、どうしたんですか雨宮さん? モンスター?何のことです? 意味がわからないんですが……。それより頭下げて、危ないですよ」


 嬉々としているようにも見えるレスティスに、少年兵が呆れた口調で言う。


「なんてこったい神様! 化物だぜ! と言ってんのよ。もっと勉強しなさい」


〈一言多い、お姉さまだな〉


 下唇を尖らし、少年兵が空を睨んだ。この会話が聞こえたのか、すぐ近くで立つ伊東副長が笑いをこらえている。


 レスティスは、甲板での惨状を見ていない。いや見せてもらえなかった。怪鳥が空中に舞い上がったときから、伏せてろと無理矢理に屈むよう強要されていた。


 下へ行けとも言われたが、実験科員待機室へ降りてしまうと、からきし外の状況が分からなくなる。


 だから現実世界ではあり得ない化物への興味が勝って、レスティスは防空指揮所に今だ留まっていた。


「ホントに不思議よねぇ。化物がこんなところに出てくるなんて。まるで、お伽の国に『綾瀬』が、テレポーテーションをしたようね!」


 テレポーテーションの意味を知らない少年兵は押し黙ったままだったが、伊東副長が眉を寄せて反応した。


「今、テレポーテーションと言ったかね?」


「えぇ……。テレポーテーションと言いましたよ。それが、何か?」


「それだ、テレポーテーション……。瞬間移動か、しかし何故……」


「あの……。副長、もしもし? アーユーオーケイ?」


 絶句する伊東副長を心配して、レスティスが声をかけたが、それをかき消すほどの絶叫が響いた。


「危ない! 伏せろ―!」


 山下が叫ぶと同時に、防空指揮所に銃弾が突き刺さり、数名の見張り員が声をあげて倒れた。


「きゃあっ―!」

 

 レスティスが黄色い悲鳴をあげる。


 するとどうだ、防空指揮所の直上で狙いを定めていた怪鳥の動きが止まった。


 そして、顔を上にカラスのような鳴き声をあげはじめた。それに共鳴して、他の怪鳥も動揺に鳴き始める。


「なんだ、いったい?」


 山下が呆気に取られる。攻撃の手を緩め、狂ったようにして怪鳥が、


「ギャーギャー」


 と鳴き喚きながら防空指揮所の方へと移動を始めた。








「ゴハッ!」




 惣太郎は床に転げ落ちていた。怪鳥が急に手を離したのだ。


 そして怪鳥は惣太郎に何をするわけでもなく、鳴きながら踵を返して立ち去りだした。


 訳のわからないまま、惣太郎が締め上げられた首もとを押さえ、ゲホゲホとむせながらその背中を見つめていると、惣太郎の後ろから中野の叫び声が響いた。


「少尉、伏せてくださあい!」


 途端に軽快な射撃音ではないか。背後から撃たれ、怪鳥が踊るように弾けている。


 これは、腰だめの姿勢で中野が軽機関銃を発射したものであった。キンキンと空薬莢が床に落ち、硝煙が視界いっぱいに漂う。


凄まじい火箭が怪鳥を幾つも貫いたころ、弾倉が空になったと同時に、まるで糸の切れた操り人形のようにして怪鳥が崩れ落ちた。


「大丈夫でしたか、清水少尉?」


 巨体を揺らしながら心配そうな顔をして、中野が惣太郎に駆けよって来た。


「大丈夫……。大丈夫です。中野君のお陰で助かりました」


「いやあ、そんなことないですよ」


 謙遜する中野である。差し出された中野の手を借りて、惣太郎が立ち上がった。転がっていた小銃も中野が拾い上げ、惣太郎の手に戻された。


 それにしても危ないところだった。


 何故なのかは知らないが、あのとき怪鳥が手を離さなければ、確実に惣太郎の命はなかったのだ。

 あの異形の姿をした生物がまだ艦外にウヨウヨいる。ますますレスティスの身が心配になるというものではないか。


 しかし、と惣太郎は思った。


「中野君、化物が苦手なんて嘘ですね」


 二、三歩前甲板の方へフラりと歩きだしながら惣太郎が言った。


「えっ?どうして、そう思われるんですか?」


「だって、アイツをみても君は逃げださなかったじゃないですか。さすが海軍の軍人です。射撃もお見事でしたよ」


 惣太郎に褒められて、ニンマリとなる中野だ。


「エヘヘ……。止めてくださいよ少尉。何だかくすぐったいな。ですが少尉の頭突きもお見事でした。果敢にもあの化物と一騎討ちなんて、恐れ入りました」


 豪快に笑い飛ばす中野だったが、惣太郎の表情が一変した。中野の顔をマジマジと見る惣太郎である。


「中野君、いったい君はいつからそこに居たんです? さては、私が締め上げられてるときには既に……」


 失言に気付いた中野が、慌てて両手で口を覆うが、もう遅かった。


 怪鳥が惣太郎に襲いかかったとき、中野はすぐそこまで駆けつけていたのだが、怪鳥の姿に驚き一旦は尻尾を巻いて逃げ出していたのだ。しかし、良心の呵責に苛まれて勇気を振り絞り戻ってきたのが真相だった。


「エヘヘ、でも少尉が無事で何よりでした」


 笑って誤魔化す中野である。呆れ顔だが、つられて笑う惣太郎だ。


「あなたって人は……。次はもう少し早く助けて下さい。危うく三途の川を渡るところだったんでね」


 そう告げて尚も前甲板へ向かおうとする惣太郎に、中野が不思議そうに訊いた。


「少尉、どこへ行くんですか? 水偵格納庫は逆ですよ戻りましょう」


「防空指揮所です。中野君も行きますか?」


「防空指揮所? どうして、また?」


「実験科の雨宮さんが、そこに居るんです。だから連れ戻しに行きます」


「雨宮さんが!? あのやんちゃ姉さん、何を考えてんだ?」


 さも迷惑そうな中野の表情だ。


「ほっときましょう、少尉! 我々は白兵戦が下令されてるんです。命令に復帰すべきですよ」


「中野君……」


 振り向いた惣太郎の表情が険しい。


「あの人は意味もなく防空指揮所へ行ったんじゃない。あの嵐です。彼女は試作兵器の電探が心配になって、様子を見に行ったんだ。実験科の技師として、その責任感から出た行動を中野君は理解ができないのですか?」


「そうだったんですか……。言葉が過ぎたようですね、スミマセン」


 神妙になる中野だった。しかし直ぐに突出している腹を凹め背筋を伸ばした。

「しかし命令は絶対ですよ。雨宮さんは防空指揮所の連中に任せて、我々は命令に復しましょう。ね、少尉!」


「中野君、私は戻りませんよ」


「へっ!?」


 中野には信じられない言葉だった。


 軍隊において上官の命令は絶対である。それは惣太郎がよく知っているはずだ。それを平然と否、毅然とと言うべきか白兵戦を拒否する惣太郎の態度であるから、中野は理解に苦しんだ。


「それはマズイですよ。今ならまだ間に合いあいますから、そう言わず戻りましょう」


 懇願にも似た中野の口調だが、惣太郎の返事は素っ気ないものだった。


「戻りたければ、君だけ戻って下さい。私は行きますよ」


「なんて、無茶苦茶な……」


「無茶苦茶? どこがです?」


「あなたのしようとしていることが、坑命だからですよ」


「坑命? 私は命令違反をするつもりは、ありません」


 やけに落ち着き払ってキッパリと言う惣太郎の態度に、中野が鼻で笑った。


「なに言ってるんですか? 隊長の命令そっちのけで防空指揮所へ行こうとしてるのは、どなたですか?」


 語気荒く中野が強い口調である。


「まだ分からないのですか? 中野君、これは義務なのです」


「義務?」


「そう義務です。民間人を守るのは、我々軍人の役目じゃないですか。命令だからといって、いま窮地にたたされている民間人を、君は簡単に見捨てられますか?」


「まあ、確かに……。見捨てられませんよね」


「その通り」


 惣太郎が、ようやくニッコリと笑った。


「私が雨宮さんの居場所を知ったのは、集合前です。だから、さっさと連れ戻すつもりでした。それに彼女は試作兵器の開発者の一人なんですよ。何かあったら、第十一特務艦隊にとって取り返しのつかない大きな損失です。これで、行かないわけがない。」


「確かに……。少尉、あなたは初めからその考えで……」


「そういうことです。分かりましたか? それならまた後で」


 そう中野に告げて、惣太郎が防空指揮所へと駆け出した。すると、


「待って下さい、自分も行きますよ」


 息をあげながら中野が叫び、走ってくる。


「本当ですか? あなたが居れば鬼に金棒だ。だけど、途中で逃げ出さないでください」


「まいったなあ……。少尉、自分達はペアじゃないですか。もう絶対に逃げません」


「頼りにしてますよ中野兵曹。さあ、早く急ぎましょう」


 惣太郎が拳骨を中野に突き出した。中野がニヤリとして、拳でタッチだ。まるで、若武者と厳つい従兵のような、この二人。目的を同じくして、急ぎ防空指揮所へと駆けていった。






「ベルフォルト中佐、中佐!」


 眼下の白い戦艦に見つからぬよう、巧みに断雲の中を飛ぶのは、巨大飛行艇ウンゲテュームだ。


 そのコクピットへ息急き切って駆け込んで来たのは、体のラインがハッキリと判るレザースーツ姿の女性士官だった。


 赤毛のショートヘアーに、瞳は澄んだ青色をしている。嫌味のない高くスラリとした鼻。プルンとした唇にさした紅が、やけにケバケバしいが、これでも歳は二十一だ。


 彼女の名は、フェイ・ケスマン。大エーデルセン帝国教皇庁武装警護隊の大尉である。


 彼女の姿を見た途端に機関士が、軽く冷やかしの口笛を吹く。


「騒々しいな……。どうしたフェイ?」


 室内灯の暗い明かりに照らされて、座席で静かに鎮座しているベルフォルト・バッヘムの声色が、彼にしては珍しく少し苛立ちを帯びていた。



 今は軍帽で隠れて見えないが、自慢の金髪はポマードでがっちりと七三に分けられている。細い眉に眼光鋭い切れ長の目、そして凛とした鼻と薄い唇だ。


 長身痩躯の体に黒い軍服を着用しているので、彼が教皇庁武装警護隊に所属していることがわかる。


 しかも弱冠、二十四歳で中佐である。いかにベルフォルトが優秀な軍人であるのかが、わかるであろう。


「中佐、聞いて下さいッ!」


 ベルフォルトの心中を察することもなく、大声のフェイである。


「熊さんが……、いやバルドゥールさんが、俺を出せ出せとカーゴ内で騒いでるんです」


「バルドゥールが? やはりキメラ兵からの反応があったのか?」


 色めき立つベルフォルトに、フェイが深く頷いた。その表情は困惑の色がありありだ。


「キメラ兵が呼んでるようですが、私にはちっとも聞こえません」


 肩を竦めてみせるフェイである。


「人間とは違うのだよ、キメラは。これも古代文明の生物兵器の能力とやらの賜物だ」


 ベルフォルトが感心した面持ちと声だ。


「しかし、危ないところでリブル共和国に一杯喰わされるところでしたな。貨客船と思われた仮装巡洋艦に古代人の女は乗っておらず、後続の戦艦に乗船とは、なんとも姑息な手段です。囮のトラップを仕掛けてくるとは」


 ベルフォルトの側で、参謀肩章をぶらさげたリスティッヒ少佐が丸メガネをずりあげながら言った。


「しかし、我々は偶然にもあの白い戦艦を発見できた。これも天佑というものだ」


 リスティッヒ参謀の言葉に応じていた、ベルフォルトの顔つきが変わった。


「フェイ、吊光弾の残弾は?」


「残り三です」


「ロケットランドセルの予備は?」


「あとひとつ有ります」


「そうか、ならば隠れんぼは終りだ。バルドゥールに準備を急がせろ。本機は、吊光弾を全弾投下後に降下に移り、あの白い戦艦に肉薄する」


「分かりました」



 フェイがカーゴへ行くのを見届けてから、リスティッヒがベルフォルトに心配そうな顔を向けた。


「中佐、ひとつ気がかりなことがあります」


「気がかりなこと? なんだ?」


「あの白い戦艦、最新の軍艦目録にも載ってませんでした。先ほどの激しい対空弾幕からして、もしや余程の相手なのでは?」


「最新鋭艦か? それは面白い。古代人の女を乗せているのだから、それ相応の護衛をしてもらおうではないか」


 毅然と告げて勢いよくベルフォルトが立ち上がった。


「機長、聞いての通りである! 相手は戦艦だ。仮装巡洋艦とは比べ物にならない火力だが、やれるかね?」


 ベルフォルトの質問に、機外正面を見据えていた機長が嘲りの笑いを浮かべながら振り返った。


「無礼なッ! 何が可笑しい? ラックマン空軍少佐!」


 叱責の声をあげたのは、リスティッヒ参謀だった。


「何が可笑しいだと? ちゃんちゃら可笑しいでしょ。英雄だか貴公子だか知らないが、教皇庁武装警護隊の中佐さんは、何にもわかんないのかい?」


 激昂だった。腰のホルスターに手をやり、立ち上がったリスティッヒ参謀が自動式拳銃をラックマンに向ける。


 それを静かに手で制したのは、ベルフォルだった。


「いやあ、スマン。なにぶん青二才なもんでね。階級は、私よりも下だが軍歴は君の方が長い。今後も色々とご教示願いたいものだ。さて、もう一度訊こう。ラックマン機長、やれるかね?」


 不敵な笑みのベルフォルトに、無骨な笑みでラックマンが答えた。


「大エーデルセン帝国空軍を舐めてもらっては困りますなあ、中佐殿」


「フフフ……。さすがは皇帝陛下の空軍だ。よくわかったよ、ラックマン機長。その腕前とくと拝見させてもらおうか」



 ウンゲテュームから、吊光弾が全部投下されると同時に、断雲を突き抜け降下が始まった。


 目指すは、白い戦艦『綾瀬』だ。『綾瀬』は怪鳥キメラ兵に翻弄されながら、敵の新手である巨大飛行艇ウンゲテュームの急接近を、今だ知らないでいるのだった。


 

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