雨が降っている
窓ガラスに水滴がいくつもいくつもぶつかってきて、それから幾筋もの流れとなって去って行く。
ハルカは、もう1時間も窓際に座り込んで、飽きずに雨を眺めていた。
雨が降り始めたのは3日前だった。それからずっと降り続いている。
雨が降ることは予報されていたので、ハルカのうちでも準備することができた。この家を建てるとき、作った人は雨が降るなんて全然考えていなかったらしく、出入口に雨が溜まったり、車庫の下の土が流されて車庫がひっくりかえりそうになったりしたが、ハルカのお父さんはなんとか間に合ってあちこちに手当した。
それでも最初は大変で、考えもしなかったようなところから雨漏りしたりしたので、ハルカも雨が降り始めた頃は手伝ったのだが、今はもう子供に出来ることがなくなってしまった。
お父さんは出かけている。
町内会で、このまま雨が止まなかったらどうするか決めるらしい。お母さんは何も言わないけど、心配している。
隣の区ではお引っ越しが始まっているらしい。こっちより早く雨が降り始めたから、それだけ大変なのだろう。でも、引っ越しした人がどこに行くかは決まっていないみたいだ。
困るのは、傘がないことだった。
うちでは、雨が降り出す前になんとか手に入った傘はひとつだけで、それはお父さんが使っている。お父さんが使わないときでも、お母さんが使う。
だから、ハルカはもう3日も外に出ていなかった。
もちろん、傘がなければ雨の中に出られないということはない。ハルカみたいな子供でも、こんな雨でどうにかなることはほとんどないと思う。
だけど、別の区では学校帰りに雨に降られた子供が3人も行方不明になっていて、だから区の偉い人が子供の外出禁止を決めたのだ。
傘があれば、子供でも外に出てもいいことになっている。けれど、傘はハルカのうちだけではなくどこでも不足していたし、雨のせいで大人たちの仕事が増えていたから、子供はほとんど外に出られない。
学校も臨時休校になってしまった。
ハルカはいつもはお父さんかお母さんに送ってもらっていたのだけれど、どうせ雨のせいでクルマは出せないし、第一先生もいないから学校に行ってもしょうがない。
学校が休みになったのはうれしいけど、外で遊べないし友達にも会えないのなら学校があった方がよっぽどましだ。
お母さんも、いつもは勉強しなさいと言うところを、言うのを忘れているらしい。きっと心配でそれどころではないのだろう。
だから、ハルカは雨を見ていたのだ。
雨を見るといっても、お空はまっくらで、雨が降り出してからはいつもの星も全然見えなくなってしまったので、窓に落ちてくる雨粒を見るしかない。
けれども、ハルカは飽きずに雨を見つめていた。
生まれて初めて雨というものを見たからだ。
お父さんは、子供の頃見たことがあると言っていたけど、お母さんも初めてだった。
大体、雨という言葉を、ハルカは聞いたことがなかった。学校でも習った覚えがない。
まだエレメンタリースクールのミドルクラスだから習ってないのかと思ったけれど、お兄ちゃんも知らなかった。お兄ちゃんはもうジュニアハイに行っているのだから、習っているのなら忘れるはずがない。
それにしても、雨というのは面白い。
水が、凍りもしないで降ってくる。
それも数え切れないくらいたくさんの細かい粒になって。
外に出ていって、上を向いて口を開けたら雨が飲めるのだろうか。
お父さんは、雨なんかのんじゃいけない、本当の水じゃないのだからと言っていたけれど。
ビュアーの古いメモリで「雨」を引いてみたら、雨について色々なことが判った。本当に古いメモリらしく、入っていたビジュアルプレートも平板写真をスキャンしたものだった。
だけど、そのプレートではハルカくらいの子供たちが雨のなかを平気で駆け回っていた。
ひょっとしたら、雨の中なら裸足で走っても大丈夫なのかもしれない。
もちろん、ハルカはそんなことはしない。
しないけど、想像してみることは出来た。
月に一度だけ行けるナチュラルセンターでは、水着だけで思いきり走ることができる。それだけじゃなくて、プールで泳ぐこともできる。
そのあと、シャワーをあびるのだけれど、これはハルカのうちにもあるからそんなに楽しくはない。
水が頭から落ちてくるというのは、シャワーのようなものなのかも知れない。でもシャワーでは狭い部屋でじっとしていなくてはならないけれど、ビュアーの子供たちは走り回っていたのだ。だから、きっと全然違うかんじがするはずだ。
きっと、雨粒が斜めに降り注いで来て顔や身体に当たるだろう。
痛いかもしれない。シャワーのときでも、お湯を強く出すと当たったところが痛いから。
それに、きっと雨粒は冷たいはずだ。「外」に降るのだから。
シャワーで前にうっかりして水をかぶったときのことを思い出すと、ハルカは思わず身震いした。きっと最低でもあれくらいはびっくりするに違いない。
それに走っているときのかんじが一緒になるのだ。
痛くて、冷たくて、心臓がどきどきいって、それから何か別なものがある。
それでもハルカは、雨の中で走ってみたかった。
地球に行きたいとは思わない。でも、雨の中を走るのはやってみたかった。
マスクなしで走るのは気持ちがいい。センターでも出来るけど、それはやっぱり偽物なんだから、ほんとに気持ちがいいのではなくて、きっと嘘なのだ。
ほんとの気持ち良さって、全然違うのかもしれない。
でも……。
雨は、降り続いていた。
(END)