あなたの健康と幸せのために…
俺は横断歩道で信号が変わるのを待っていた。
「あの」
後ろから声をかけられ、俺は振り返った。
女が立っていた。
中年一歩手前といったところか。夜の繁華街には珍しい化粧気のない顔に見た三分後には忘れてしまいそうな地味な格好をしている。
女は俺を見て小さくつぶやいた。
「あなたの…」
「はい?」
俺は聞き返した。
「あなたの健康と幸せのために…らせてください」
街にはときどきワケの分からない連中が出没する。
そして、手相を見ましょう、だの、フリーハグだの、一体何のためだか分からないことをしてあげようと申し出る。
この女もそのたぐいだ。
いつもだったら無視するか「けっこうです」と言って断るだろう。
だが、安酒で重くなった胃をかかえた今晩の俺は反抗する気力もなくしていた。
「ご自由に」
そうつぶやくと、目をつぶってこみ上がってきた酸っぱいげっぷを飲み下した。
すると。
バキッ。
いやな音とともに足に激痛が走り、俺は気を失った。
今、俺は病院に入院している。
右足の大腿骨を骨折しており、完治するまで三ヶ月はかかるそうだ。
警察から聞かされた目撃者の証言によると、俺はそばに立っていた女に突然ハンマーのようなもので足を殴られたらしい。
あのとき近くには他に誰もいなかったから、俺に話しかけた女のしわざに違いない。
『あなたの健康と幸せのために…らせてください』
俺はてっきり女は
「祈らせてください」
と言ったと思ったが、どうやら
「折らせてください」
だったようだ。
事件直後、俺は無差別に俺を襲った女に怒りを覚えたが、正直、今はどうでもいい、いや感謝してもいいとさえ思っている。
なぜなら。
ケガで搬送されたときに念のため受けた精密検査で胃にしこりが見つかり、悪化する前に緊急手術で除去することができたのだ。
そして。
「検温の時間で〜す」
ドアを開け、甘い声が俺を呼ぶ。
極上ボディのでらべっぴんな看護士が俺の担当になり、動けない俺のためにあ〜んなことやこ〜んなことをしてくれる。
それだけではない。
来月にはここを出ることになっているが、入院中に彼女と愛を育んだ俺は、その後は彼女のアパートで一緒に住む予定だ。
俺は健康で幸せになりました。




