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ルナベル大陸の東に位置する国、ウォルト王国。広大な面積も他国を圧倒する軍事力も持っておらず、小国でありながらこの国は他国から一目置かれる存在であった。
それはこの国が唯一魔術を有しているからに他ならない。
はるか昔には大陸全土に魔術を扱える者が存在していたが、人間が魔術を使って争いごとを繰り返していくうちに、何故かウォルト王国にしか魔力を宿して生まれてくる子供がいなくなったのだ。
そして魔術や人間の血によって荒れ果てた大地を歩き、ウォルト王国に足を踏み入れたとある魔術師はこう言ったという。
『神はお怒りになられたのだ。せっかく与えていただいた神なる力を、争いごとにしか使わず自然を汚すことしか出来ない我らに。だから我らから魔力を取り上げたのであろう』
その魔術師の目には、青々とした葉を付けた大樹や透き通った湖が。肌には心地よい柔らかな風が。そんな心癒される美しい自然が息づいていたウォルト王国を、魔術師は【神に赦された国】と呼んだ。
そして大陸全土にいた魔術師は数を減らし、ウォルト王国にしか存在しなくなった。ウォルト王国の国王はその魔術師の言葉を信じ、魔術を争いに使用することを禁止し、自然と共に共存することを提言したという。いつしか他国はそんなウォルト王国に敬意を示し、【不可侵の国】とするようになったのであった。
そんな今でも緑豊かな自然の国の王宮で、一人の男が長い廊下を走っていた。乱れる髪の毛も、慌てて礼をする侍女達にも目もくれず、ある場所を目指して廊下を駆けていく。その後ろには彼を追ってまた別の男が走りながら声をかけていた。
「おっ、王っ! お、お待ち、くださいっ!」
息も切れ切れに後ろの男は声をかける。しかし前を走る男は一瞬だけ後ろに視線を向けるだけで、止まる気配をみせない。そのまま走るスピードも衰えることはなく、徐々に距離が開いてきたことに後ろの男は追いかけるのを諦めた。そして膝に両手を乗せ、全身で息を整えるように呼吸を繰り返す。
「まったく、お待ちくださいと言っておりますのに……。まぁ、それも仕方のないことか」
呆れながら話す彼の表情には、薄らと嬉しそうな笑みが浮かぶ。粗方息を整えると、背筋を伸ばしてもう姿が見えなくなった彼を追うために歩き出した。
そして先ほど王と呼ばれた男こそここウォルト王国の国王である、ガイア・ムアンダ・ウォルトである。ある報告を受けて執務室からずっと走り続けていた彼は、ある扉の前でやっと立ち止る。焦げ茶色の扉は華美な模様ではないが、よく見れば品の良い繊細な模様が彫られている。その扉を蹴破るようにして部屋に入ると、開口一番ガイアは叫んだ。
「ミリー!!」
部屋の中には数人の女性がいた。一人はベッドに横たわる若い女性。その傍には妙齢の女性。そして慌ただしく部屋の中を移動する二人の若い女性。ミリーと呼ばれたベッドに横たわる女性は、入ってきたガイアににっこりと笑みを向けた。
「あなた。仕事は大丈夫なの?」
「仕事なんていつでも大丈夫だ。それよりも……、その子が……?」
「えぇ、そうよ」
ガイアがじっと見つめる先には、ミリーが優しく包むように抱き締めている赤子がいた。泣き疲れたのか、顔を真っ赤にして眠る赤子をガイアに見せるようにミリーは抱き直すと、傍にいた妙齢の女性に視線を向ける。
「この子と、その子。双子よ」
ミリーの言葉にガイアは驚きに目を見開くと、妙齢の女性が抱く赤子とミリーが抱く赤子を見比べる。そしてここに来て初めて顔を綻ばせた。
「最高だ、ミリー! これでこの国も安泰だ!」
従者から王妃であるミリーが出産したと報告があったのは、つい先刻。陣痛が始まったと聞いてからは既に仕事に身が入らない状態だった。部屋の中を歩き回ったり、椅子から立ち上がったかと思えばまた座ったり。仕事をするのかと思えばインクを机の上に零したり。そんな自分に部屋にいた宰相からは「野生の熊みたいですよ。ミリー様が見たら落ち着きがなくてみっともないと言われてしまいますよ」と、呆れた表情を隠しもせずに言われてしまった。しかしそんないつも冷静な宰相も、先ほどは自分を追いかけながら走っていた。いつもならどんなことがあっても自分のペースを崩すことのない彼のことだ。通常であればいくら自分が慌てて部屋から出たとしても、彼も走るなんてことはないだろう。なんだかんだで、彼もミリーの出産が嬉しくて仕方なかったらしい。
今頃走り疲れてゆっくり歩いてきているだろう宰相を思い浮かべ、ガイアは再度笑みを零す。そして妻を見れば、疲れながらも慈愛を浮かべた表情で我が子を見つめていた。そんな妻にガイアは更に笑みを深めると、ベッドに腰掛けて労うように妻の背中を優しく撫でる。
「ありがとう、ミリー。こんなに素敵で嬉しい出来事は初めてだよ」
蕩けるようなガイアの表情に、ミリーだけでなく部屋にいた女性全員が顔を赤らめる。そんなこと知りもしない彼は、妻に抱かれている我が子にそっと触れるだけのキスをしたのだった。
こうしてウォルト王国に双子の兄妹が誕生した。そのことは瞬く間に国中を始め大陸中に知れ渡り、各国から祝福の言葉が届けられ、国中が歓喜に沸いたのだった。