第10話 力量
対峙する二人の男――下駄の男と狩野紫明の対決は一応の決着をみた。
江戸川南警察の組織暴力対策課刑事、後藤と白鷺組組長代理、武井は、その場に張り詰めていた空気が変わったことを肌で感じていたい。どちらが勝利者なのか――下駄の男と狩野紫明では身長差が10センチほどある。頭髪がない分、下駄の男が印象としてはもっと低く見えるのだが、存在感は下駄の男が圧倒している。どのようにして勝負が決したのか、立会人の二人にわからないが、勝敗は明らかだった。
二人の対決をから見守っていた武井は何が起きたのかを振り返る。
最初、下駄の男がよろめき、苦しんでいるように見えた。何かに足を取られたかのように自由が利かなくなっている様子だった。しかし、下駄の男が傘に身を隠し、くるくると回したところから様相が変わってきた。
何が起きたのかはわからないが、攻守入れ替わり、今度は狩野紫明の身動きが取れなくなり、そして持っていた傘を放り出したのである。次の瞬間、狩野紫明の額のあたりに赤い光線があたる。銃火器でターゲットに照準を合わせるためのレーザーライトである。そこで武井は紫明に姿を隠すように声を上げた。
武井の声に反応するようにレーザーライトは消滅する。しかし、何者かが狩野紫明を狙っているのは間違いない。武井はその使命を果たそうと、紫明を助けようとしたその時、敵である下駄の男が身を挺して狩野紫明をかばったのである。武井は狙撃者がどこから狙っていたのかをすぐに突き止め、二人を放置して狙撃ポイントに向かったのであった。だが一足早く刺客は姿を消してしまったが、そこに現れたのが苦虫を噛みつぶしたような顔で下駄の男を見ている後藤刑事である。
「狩野紫明、ここに長居は無用だ。さっさと行くぞ」
武井にとっては勝負の行方よりも狩野紫明の安全を確保することを優先しようとした。
後藤はゆっくりと下駄の男に向かって歩いていく。武井もその後に続いた。
「長居は無用かもしれないが、俺の前からとっととずらかろうというのは、少々虫がよくはないか? 武井」
武井はこの状況どう切り抜けるべきか、考えをめぐらす。レーザーライトはおそらく警告だったのだろう。狙撃するつもりがあれば、ライトなど使わずにできたはずである。狩野紫明の存在が公になるような事態――警察の捜査上にあがってくるようなことがある場合は、その危機を排除するというはっきりとした上層部の意思表示なのだろう。
坂口浩子は、権田聡に殺された。それは組織とは関係のない、まったく個人的な"不祥事"であったが、権田は組織の人間を使い、大胆にも近状の公園に遺体を埋めた。権田は組織の人間の弱みを握り、そのことをネタに死体遺棄を手伝わせて"共犯関係"を築くことで、更に自分の支配力を強めていく。大局には影響しない"些細な不祥事"を繰り返すことで、組織を私物化することに成功したのである。
権田のような輩を放置しておくことは、組織にとってはマイナスであるが、そのような存在を完全に排除することもできない。権田はお目こぼしの範囲内で好き勝手にやってきたのだったが、権田と繋がる組織の人間が次々と不可解な事故によって死亡するとおい事件が起きる。それが何者の手によるものなのか。組織内の抗争なのか、別の組織――海外マフィアや在日外国人マフィアによるものなのか。その憶測の中心に権田の名が浮上したのである。
あからさまに組織によって権田が消されたとなれば、痛くない腹を探られかねない。特に後藤刑事のようなたたき上げの現場の捜査官は、蟻の一穴を足がかりに、本丸を突こうとするかもしれない。それを嫌がる組織の上層部は、奇異であろうが、不自然であろうが、誰かが恣意的に後藤を排除したという形跡を残さない形で、暗殺を指示した。それが狩野紫明の"役目"だったのだと武井は理解している。
故に後藤と狩野紫明の接触はできるだけ避けたいが、下駄の男のこともある。武井は下駄の男のことをあまり知らないが、こうして対面するとなるほど只者ではないことはわかる。呪術のことはわからないが、純粋に人間の持つ力、生命力の強さは、狩野紫明のそれとは比べ物にならない。その下駄の男が、『まだ話がある』という気を発しているのはわかる。
「なぜじゃ。そうまでして力にこだわる。それに何ゆえあの姉妹に力を貸した。ただ利用しただけだとは、ワシには思えんのじゃ」
下駄の男は何かを知っている。狩野紫明にはそれがわかった。
「貴様、由紀子から何を聞いた?」
後藤刑事は下駄の男の背後、武井は紫明の背後にそれぞれ回り、二対二で向き合う形になる。
「あの娘は、お主の身を案じておった。利用されたことも承知のうえで、そして恐れておった。悲しんでおった、憐れんでおったよ」
なるほど下駄の男が本気で自分をつぶしに来なかったのはそういうことかと、紫明は納得をした。負けを認め、偽らざる真実を語った。
「それは簡単なこと。私もあの姉妹を憐れみ、悲しみ、そして畏れた。それに応えただけだ」
「ふむぅ。畏れか。なるほど、あの姉妹の中に己を見たかよ」
紫明は背を向けて天を見上げる。
「復習するは我にあり――それだけだ」
「待て、どこに行く。話は終わってないぞ」
後藤刑事がその場を立ち去ろうとする狩野紫明を引きとめようとする。
「ここはどうか。私の顔を立ててもらえませんか。後藤さん」
武井が割ってはいる。
「いずれ、きっちりとご挨拶はさせてもらいます」
武井は後藤の横にいる下駄の男に向かって、頭を下げた。
「私にはそちらの世界のことはよくわかりませんが、勝負事がどうなったのかはわかります。敗者の"けじめ"のつけ方もそれぞれの世界のこととは存じますが、こちら側にも事情というものがございます」
下駄の男は、あごに手を当ててしばらく考え事をするような素振りをみせると、何か思いついたらしくニヤニヤしながら答えた。
「旨い酒といい女、これで手を打とうじゃないか。なぁ、後藤よ」
「なにを勝手に決めて……」
後藤刑事は抗議をしようとしたが、それが受け付けられないことをすぐに悟り、押し黙った。
「また面白い男が現れたわい」
後藤は下駄の男をにらみつけた。後藤にとっては何一つ収穫がないまま、みすみす容疑者を取り逃したようなものである。だが、今のままでは狩野紫明を拘束できないのも確かである」。
「後藤よ、そう怒るな。外法を使うものにも己のルールというものがある。あの男は今後、無闇やたらに力を使うことはないじゃろう」
戦った者だからわかることもある。下駄の男の目はそういっている。後藤は引き下がるほかになかった。
「それにワシとの対決は終わったが、さて、あの男には第2ラウンド、第3ラウンドが待っておるじゃろう。ことはそれからでも遅くない」
任せるしかない。後藤刑事は雨の中に消えてゆく武井と狩野紫明の後姿を眺めながら、タバコに火をつけた。




