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第9話 告白。

 私は辺りを見渡しながら、

「ここだと、ちょっと……」

「じゃあ、神社にでも行くか」

 ベンチから腰を上げたので、慌てて私も立ち上がった。もう脈が速くなっている。先輩はジュースを一気飲みすると、私の持っている缶も一緒にごみ箱に捨ててくれた。

 私は中崎先輩の後ろを自転車で走る。先輩の自転車は大きいから本当はもっとスピードが出るのだろうけれど、私に合わせてゆっくりと漕いでくれていた。どこの神社か大体見当はついている。通っていた中学校の側にある人気のないあそこだ、きっと。先輩は一言も話しかけてこない。今、何を考えているのだろう。私は何から先に言ったら良いか頭の中で整理していた。そんなことに気を取られすぎてしまい、後ろから来た車にクラクションを鳴らされてしまった。止まっていたトラックが排気ガスを吐き出しながら走り出す。このまま、轢かれてしまったらどんなに楽だろうかと思ったことが何度もあった。しかし今は思わない。中崎先輩に真実を話すまでは。

 懐かしい大通りを走ってゆくと、相田中学校が見えてきた。三年間通った、私の母校。美咲と一緒にこの道を歩いた記憶がよみがえった。先輩は大きな美容院を右に曲がった。すると、木々の生い茂った小さな神社が見えてくる。神社の脇に自転車を停め、鳥居をくぐった。陽光は寄り添って生えている木の葉で遮られているため、真っ昼間なのに薄暗かった。誰もいないところで男の子と二人きりなんて、普段なら少女漫画に出てきそうな甘いシチュエーションのはずなのだけれど、私が今から話すことを思うとそんな雰囲気になるわけがなかった。先輩は石段の真ん中辺りに腰を下ろした。私も隣に腰を下ろし足を投げ出した。石がひんやりとしていて気持ちいい。

 どうやって切り出すか、私は悩んでいた。意味もなく水飲み場に視線を移したり、空を仰いだりした。沈黙を破ったのは中崎先輩だった。

「弘樹に、夢ん中で言われた。後輩の女子を困らせるなって」

 後輩の女子とは私のことだろうか。先輩はこちらを向いて照れ臭そうに微笑んだ。

「話せることだけでいいから」

「はい」

 全て、話すつもりでいた。一箇所を除いて。深く息を吐き、口を開く。

「前から、からかわれていたりはしたんです。それで、三年生になって小さなことがきっかけで、いじめられるようになって……」

 一生開けたくなかった記憶の引き出しを開け、慎重に言葉を選びながら話す。

「最初は、休み時間にクラスメイトが本人にも聞こえるように大声で『中崎気持ち悪い』とかって言ったりしていました。弘樹くんは言い返さなかったんですけど」

 一つ嘘を吐いた。クラスメイトは悪口を言うときに『中崎』とは言っていない。代わりに使っていたのは『お兄ちゃま』だ。しかし、目の前にいるお兄さん本人が聞いたら、絶対に良い気持ちはしないだろう。だから嘘を吐いた。

「その内、悪口の内容が酷くなってきて。学校来るな、とか。その次に始まったのが、菌回しだったんです」

 横目で先輩の様子をうかがった。眉間に皺を寄せている。

 菌回し。それは、今まで暴言を吐くクラスメイトを他人事のように見ていた私にとっては、本当に辛いものだった。あれは、菌を回されたものは参加を余儀なくされる。誰かがわざと中崎くんにぶつかったり私物を触ったりして、触った手を他の人になすり付ける。これで、『菌』回しが始まる。菌を移された人は、また他の人に移し……という、無限に続くものだった。皆は菌を移されないように逃げ回る。移された人は他の人に移すまで注目を浴びているから、途中で止めることは出来なかった。私のところにも菌は回ってきた。その度に必死に他の人に移そうとした。いじめという罪から逃れるために。

「月岡さんのところにも菌は回ってきたよな? 何で止めることが出来なかったんだ?」

「怖かったからです」

 そう、私は怖かったのだ。皆と違うことをするのが。きっと、今もそうだと思う。

「弘樹は、そんなことをやられているのに気付いてた……よな」

「はい」

 残念ながら。だって「お兄ちゃま菌が移る!」っておどけて騒いでいた人もいたから。その言葉を聞くと、中崎くんは顔を赤くしていた。

「仲間はずれみたいにすることとかもあって、弘樹くんは孤立していました」

 鮮やかに記憶がよみがえってくる。掃除の時間に一つだけ誰にも運ばれない机、辛辣な悪口、そして続く菌回し。でも、心のどこかではこれくらいのいじめ、テレビで取り上げられるものと比べたら大したことはないと考えていた節があった。これはいじめなんかじゃない、とも。だって、物が隠されることも、教科書のページが悪口で埋め尽くされることもなかったから。

 ある日、中崎くんは言った。

「髪、切ったんだ」

 昨日、胸まであった髪を肩辺りまで短くしたのだ。

「うん」

「そっちの方がいいかも」

 笑った顔は、いつもと違う赤みをさしていた。

「そうかな」

 と笑い返してはみたものの、内心泣き出しそうだった。私だって菌を回しているのに、何で笑って話しかけられるの。菌回しをしているときよりも心が痛んだ。そしてこんなにも感じる後ろめたさが、やっぱり自分も加害者なのだということを気付かせた。

「そんなことがあって、弘樹くんは……」

 言葉に詰まる。私は、ずっと怖かったんだ。いきなりのことだった。思ってもみなかった。その知らせを聞いたとき、愕然とした。先輩は目をつむり私の言葉を待っているようだった。瞼に浮かんできた中崎くんの笑顔をかき消すように、勢いよく言った。

「自殺したんです」

 鼻の奥がつんとした。口に出してみると短い言葉、だけど心の中を渦巻く感情は一言では表せない。後悔、罪悪感、そしてやるせないこの思い。

 私たちが、中崎くんを殺したんだ。

「ああ」

 ため息にも似た声を出し、先輩は頭をうなだれる。かける言葉が見つからない。あれはいつ頃だっただろう。そうだ、九月だった。夏休みが明け、もうすぐで体育祭だった。自ら命を絶った中崎くん。詳しいことは知らない。先生の口から告げられたとき、誰も口を開こうとはしなかった。黙っていれば分からなかったかもしれないのに、いじめていたことを明かした人が何人もいた。先生は泣きながら私たちを叱った。

「お前らが中崎を殺したんだ!」

 その言葉は、一生忘れることが出来ないと思う。

 そして中崎くんは、卒業出来なかった。

「なあ、何で、弘樹はいじめられてしまったんだ?」

「変わっていたから、だと思います」

「それだけで……?」

「それだけです」

 それだけでもいじめられる理由としては充分なんだ。私が学んだのは、皆と同じじゃなきゃいじめられるということ。

 それと、もう一つ。人は、付き合う人によって変わってしまうということ。山田さんと仲良くなってから、美咲は中崎くんにいじめをするようになった。

「弘樹は、自宅があるマンションの屋上から飛び降りたんだ。十階建てのマンションだった」

「やめて下さい……」

 私は強くかぶりを振った。だって、それじゃあ私の見た夢と似ているじゃないか。今まで知らなかったのにあんな夢を見るなんて、まるで中崎くんが私に見せたように思えた。――怖い。

「聞きたくない……」

「逃げるなよ」

 そう言った先輩の目には、涙が浮かんでいた。

「逃げていたら、いつまでも苦しいままなんだよ! 俺ら家族だって逃げたかったけど、認めないといけなかったんだ。もう弘樹はいないことを。月岡さんもそのことに真正面から向き合わない限り、いつまでも本当の涙は流せないんだよ」

 電流が走ったみたいに心を打たれた。先輩は中崎くんのために泣いている。なら、私が流す涙は誰のためのものなのだろう? 後悔、罪悪感……結局、自分のためなんだ。中崎くんがいなくなったことを悲しむ涙なんて、一回も流してなんかいないんだ。頬を生温かいものが伝い、口の中がしょっぱくなった。これも自分のための不浄な涙。私も、「お兄ちゃまが自殺なんかしたせいで怒られたじゃないか」と泣いていたクラスメイトと同じだ。初めて、皆と同じということが嫌になった。

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