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第7話 二人の会話。

 気が付くと私は泣いていた。ひどい頭痛がし、ハーフパンツには斑点が出来ている。ここから先は思い出したくもなかった。

「最初は、どんないじめだったんだ?」

 保健室から外を眺めている中崎先輩が言った。

「――勘弁して下さい」

「俺には知る権利がある。まだ、誰からも聞いていないんだ」

「それなら、美咲に聞いてください」

 ずるい自分。けれど美咲は聞かれても絶対に言わないと思う。私なんかよりもずっと険しい位置にいたのだから。思えば、中崎くんの一件も私たちの仲に亀裂が生じた原因の一つだろう。いや、それでは語弊があるかもしれない。それ以前の出来事が問題で、それに伴って美咲との友情は壊れてゆき、そして彼女は中崎くんをいじめる側に回ったのだ。

「田島さんはどんな人?」

「優しい子です」

 それは今も変わらない。なかなか卓球がうまくならない子にはあきれるほど丁寧に教えてあげていたし、あと片付けも率先してやっている。

「とりあえず、話はまたにしよう。そろそろ戻らないとまずいし。ボールぶつけたのは本当に悪かった。弘樹のこと蒸し返したのも。けれど、他のやつらには終わったことでも家族にとっては一生忘れられないことなんだよ」

 振り向いた顔は先ほどよりも少し穏やかになっていた。家族、という言葉が心にずしんとくる。

「……分かりました」

 鼻をすすりながら答える。先輩は深くうなずき窓枠から手を離すと、

「じゃあ、またな」

 と保健室を出て行った。少し間を空け私はそっと戸から顔を出す。中崎先輩の後ろ姿が遠ざかってゆく。しかし彼は階段の前で立ち止まると、壁に顔を押し付け、隠れん坊の鬼が数を数えている時のような格好をした。背中が、震えている。私は見たくないのに中崎先輩から目を離せない。唇を噛みながら先輩が立ち去るのを、ただ、待っていた。

 しばらくして私は体育館に戻った。こんな気持ちじゃ部活なんてやれない、早退するためだ。

「希里、大丈夫だった?」

 あっちゃんがラケットで顔を仰ぎながら寄ってきた。何だか、自分が中崎くんのお兄さんと話していたなんて夢みたいだ。

「大丈夫。でも具合悪いから早退するよ。部長どこにいる?」

「えーっと、あれ、いないねえ。じゃあ学年部長に言って伝えてもらえば?」

 一瞬、心臓が凍りついた。気付いているんじゃなかったの? 必死に目で自分の気持ちを伝えようとするが、あっちゃんは悪意のない笑みを浮かべているだけだ。仕方なくこう答えるしかなかった。

「うん……そうする」

 美咲は顔にタオルをかけている。周りには私の苦手な派手な女の子たち。何故あんな子たちと付き合っているのだろう。どんどん自分から離れてゆくようだった。私は緊張しながら歩み寄り、

「美咲」

 と声をかける。美咲は顔からタオルをとり私の顔を確認すると、かすかに表情を曇らせたように見えた。思えば、高校に入って初めて自分から話しかけたような気がする。

「何?」

 無機質な声が返ってくる。

「あの、私早退するから、部長が来たら伝えてくれる? 今見当たらなくて」

「分かった」

 と、美咲は目を合わせないまま答えると、またタオルを顔にかけた。これ以上の会話を拒否しているかのように。周りにいる女の子たちの視線が痛い。だから私は逃げるようにその場から立ち去った。

 生徒玄関に行くと、自動販売機の前に見覚えのある女の子がいた。

「山田さん?」

「あれ、希里ちゃん部活終わったの?」

「ううん。ボール目にぶつかっちゃったから、早退したの」

「そっかー。じゃあさ、これから一緒にジャスコ行こうよ」

「え、部活は?」

 山田さんは確か茶道部だったと記憶している。

「今終わったところなんだあ」

 屈託のない笑み、それが今はやけに鼻についた。

「でも、私怪我しているし」

「大丈夫だよ、全然腫れたりしてないし」

 この子は本当に純粋というか、私の沈んだ声にさえ全く気付かないんだな。

「けど今日電車で来たし」

「大丈夫だよー、歩いたって十分くらいだし」

 彼女のあまりの鈍感さとしぶとさに、断るのが面倒臭くなった。

「じゃあ行こっか」

「うん!」

 山田さんは床に置いてあった通学バッグを持ち、いかにも軽そうな足取りでこちらに歩いてくる。単純な人だ。それも当たり前かもしれない、だって、山田さんは私を友達と思っているらしいから。私も別に否定はしませんけど、ね。

 山田さんがげた箱から大きなスニーカーを放り出すと、砂埃が舞い上がった。女子高生でスニーカーというのはかなり珍しい。

「山田さん何でローファーじゃないの?」

「中学生の時は皆もスニーカーだったじゃん」

「そうだけど……」

 別にスニーカーを履いているのを否定しているわけではない。しかし、切り替えというものをこの子は知らないのだろうか。ほとんど変わっていない私が言えることではないけれど、身だしなみなどには気を付けるようになった。山田さんは他の女子高生と比べると明らかに浮いていた。

「希里ちゃんと遊ぶのって久しぶりだね」

 と彼女は無邪気に笑う。私は自転車の鍵をいつも入れているブレザーのポケットを探りながら適当に返事をし、しかし自転車で来ていないことを思い出す。生徒玄関を出ると、生ぬるい風邪がスカートをめくり上げた。私の方はスパッツを履いていたから平気だけど、山田さんははっきりと白い下着が見えてしまった。私は慌てて目を逸らしながら駐輪場まで歩く。山田さんは自転車の前かごに通学バッグを入れてサドルにまたがると「あちっ」と声を出した。どうやら日に当たって熱くなっているらしい。ジャスコは自転車で五分ちょっとの所にある。早足で歩く私の横を、自転車でゆっくりと走る山田さんがしきりに話しかけてくる。

「そういえばもうすぐテストだよね。嫌だあー」

「うん」

「テスト勉強してる?」

「全然。山田さんは」

「結構しているよ。英語は一時間で、数学は一日三時間くらい」

「へえ、すごいね。でも山田さんは数学得意だから勉強しなくてもいいじゃん」

 少しだけ皮肉を込めたつもりだった。勉強時間を言ったのが自慢げに聞こえる私は、心が歪んでいるのかもしれない。数学『だけ』は得意なんだよね。

 角を曲がると桃色の背景にJUSCOと書かれた文字が目に入った。ふいに思い出した。中学三年生の頃、初めて山田さんと一緒にここに来たことを。隣には、美咲もいた。

「そういえば、中学の頃一緒に来たことあったよねえ」

 山田さんも同じことを考えていたらしい。しかしその出来事の捉え方は私とまるで違うと思う。

「田島美咲もいたよね」

 彼女が低い声でフルネームを呼ぶのには、ちゃんとした意味がある。思い出すと切なくなる私と、忌々しくなる山田さん、その違いは歴然だ。

「前から訊こうと思っていたんだけど、美咲と喧嘩でもしたの?」

 はたから見ていても分かる。山田さんが美咲の悪口を言っているのを小耳に挟んだこともあった。

「喧嘩っていうわけじゃないけど……。まあ、中に入ってから話そうよ」

 山田さんが駐車場に自転車を停めると、私たちはジャスコに入った。冷房がきき過ぎていて寒いくらいだ。お店の並んだところにある座席に座り、昼休みのときに飲みきれなかった麦茶の入ったペットボトルをテーブルの上に置く。一口飲んでから、

「それで、何があったの」

 山田さんはテーブルの上に置いた携帯電話のストラップをいじっている。

「何かー、気が合わなかったんだよね。結局さ」

 何が『結局』なのか分からない。苛々するのを抑えようと麦茶を喉に流し込んだ。

「だって、美咲と山田さんあんなに仲良かったじゃない。何かあったんじゃないの?」

 言い方に熱を帯びてしまうのは仕方のないことだった。美咲とギクシャクし始めたのは、この目の前にいるあどけない顔をした女の子が原因だというのに、そんな簡単に合わなかっただなんて言わないでほしかった。無性に叫びたくなる。私たちの仲を壊したのは何だったの? って。中学三年生のとき、中崎くん同様初めて同じクラスになった山田さん。好かれているのか、はたまた嫌われているのか私は全く情報を持っていなかった。もし持っていたならば、なかなかクラスに馴染めない様子の彼女に話しかけることなどはしなかった。美咲にも耳打ちしていただろう。

「山田さんも、一緒に同じ係やろうよ」

 と優しすぎる美咲が言ったのが、私にとっては運のつきだった。それから山田さんは私たちにいつもまとわり付いてきた。軽い人見知りをしてしまう私とは違い、愛想があり話しやすい美咲にはかなり懐いていた、と言っても過言ではない。意外にも、美咲はそんな山田さんを好意的に思っていたようで、妹のように可愛がっていた。恋愛で例えたらまさに三角関係だ。そんなこともあって、余計山田さんのことは好きになれなかった。

「私、やっぱり帰る」

 そう言い放つと、山田さんは目を白黒させて呆気にとられた顔になる。私はいつもそうなんだ。心の中であれこれと考えるだけで、言語化ということをしないから誰にも何も伝わらないのかもしれない。自分の生き方に、私は自信が持てずにいた。

「思い出したの。お母さん今具合悪くて、早く帰った方がいいから」

 お母さん、ごめんなさい。嘘を吐くのは苦手だったが、こう言うしか手立てはない……と思う。

「本当?」

「本当だよ」

「でもさあ、まだ来たばかりだし、もうちょっといいじゃん」

 よくありませんから。そう思いつつも、

「じゃあ、五時までね」

 言い負かされるのもいつものことだった。薬用リップクリームを荒れた唇に付けながら椅子に座り直す。

「希里ちゃんはさあ、最近どうなの。あの人と」

 組んだ手の上であごを乗せ、山田さんが尋ねた。私は言いよどんだ。真実を口にするのははばかれる。しかし嘘を言うのは極力避けたいし、美咲のことを嫌っている山田さんになら大丈夫かもしれない。正直に、言ってしまおうか。

「何か、避けられてるみたい」

 笑ってはみたが余計に哀しくなってくる。

「マジで? 最悪だねー、あんなに仲良かったのに。希里ちゃん、利用されていただけじゃない?」

 これにはカチンときた。

「それはないよ」

「きっとそれ、気付いてないだけだよ。そういえば中三の途中から二人ともほとんど口きいてなかったもんね。うちと希里ちゃんは中三の時から仲良くなったけど」

 頬杖をついて横を向き、ため息を一つ吐いた。思い込みの激しい人には言い返しても無駄だ。山田さんと話していると、時折ひどいむなしさに襲われる。

「だからさ、もう卓球辞めちゃえば?」

「いや、何でそうなる」

「だってあの人も卓球部じゃん。一緒なのって嫌でしょ。うちんとこは部活に入らなくても大丈夫だしさー。もしそんなに卓球好きってわけじゃなかったら、辞めちゃいなよ」

 さすがに黙ってはいられなかった。山田さんをまっすぐ見つめる。

「好きだから卓球やってるの。美咲がいるからなんて理由で辞めるなんて、そんなこと、私はしない」

 山田さんの目玉がたじろいだように左右に動く。

 勝った。

「じゃあ、もう五時過ぎちゃってるから帰るね。じゃあ」

 返事を待たずに腰を上げる。

「あ、うん。ばいばい」

 取って付けたような笑みで山田さんは小さく手を振った。

 まだ明るくむしむしとした帰り道、バス停まで歩きながら考える。もし、美咲が私に嫌なことを言ったりしていたら、とっくに卓球なんて辞めていただろうな。

 私は弱い人間だ。

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