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第6話 消したいキオク。

 そりゃあ、噂では聞いていましたけど。八の字眉毛でたれ目、いかにも気弱そうな中崎くん。いじめとまではいかなくても、よくからかわれていることは私も知っていた。でも私には関係がないと思っていた節があり、同じクラスになっても別に何の感情もわかなかった、中学三年生の始業式。

 私の隣の席だった。先生が話しているときも、机に目を伏している男の子。休み時間になっても、自分の殻にこもるかのように、見るからに小難しそうな本をいつも読んでいた。

 けれど、例えば英語の時間、教科書に載った対話文を隣の席の人と二人一組になって読まなければいけないとき。ぶっきらぼうな口調ではあったが、中崎くんは私の読めない単語の読み方をぼそっと教えてくれた。例えば理科の時間、プリントをノートに貼らなければいけないとき。「のり持ってる?」と訊いたら、ふで箱から出して無言で私に渡してくれた。本当に些細なことではあるけれど、そんなことがあったもんで中崎くんを嫌いにはどうしてもなれなかったのだ。

でも、皆は違ったらしい。

「中崎って暗くない?」

 そう友達に尋ねられた事がある。否定は出来ない、私は同意した。まだ、この頃は安全だったのだ。この程度の陰口、学校という空間の中ではそこら中に充満している。

「あいつマジウザいんだけど~。気持ち悪いし」

 まだこれも大丈夫、日常会話だ。

「希里隣の席じゃん。どんな感じ?」

「数学の問題を教えてあげたりしても、お礼を言われたことがないね」

 これくらいだ、私がちょっと不満なのは。でも、正直男の子の悪口にはあまり興味がない。私が陰口を叩くのは、大抵山田さんの事だった。けれどこれはまた別の話。

「なあ、中崎数学のテスト何点だった?」

 少し柄の悪いクラスではリーダー格の男の子が、にやにやと笑みを浮かべて中崎くんに訊いた。

「教えねえよ」

 彼はぼそっと答える。

「何だよ、ほら見せろよ」

 無理やり中崎くんの手から答案用紙を奪う。点数を見ると男の子は大声で笑った。

「十八点かよ? 俺より悪いじゃんか」

 皆に聞こえてしまうだろ、と私は思ったが女の子の点数公開よりは男の子のそれの方がまだ笑い話になる。クラスメイトの笑い声がちらほら聞こえてきた。こういう風景を見ていると平和だなあ、と感じる。しかしその空気をぶち壊したのは中崎くんだった。

「俺のこと馬鹿にすんじゃねえよ」

 笑い声が止んだ。憎悪のこもった瞳で男の子のことを見ていた。これからどうなるのだろう。皆もパフォーマンスを見るかのような目で中崎くんたちに視線を向けている。

「あ? 何だよその言い方」

 男の子が細い目で睨みつける。しかし中崎くんはひるまなかった。

「お前よりは真面目なんだよ」

 数秒の沈黙の後、男の子は吹き出した。

「何だそれ、自慢にもなんねえんだよ」

 私もそう思う。真面目と言うのは時折悪口を言われる一要素にもなり得るのだ。中崎くんは席を立ち、椅子を乱暴にしまうと足で蹴った。お喋りに花を咲かせていた女の子たちもその音に意識が引かれる。そのまま、中崎くんは無言で教室を出て行った。

 そんな一件があった後、明らかに中崎くんに対する皆の態度は変わった。もちろん、良い方にではなく。私も、今回の件で中崎くんがあまり好かれていない理由が分かった気がした。でも、一人だけ中崎くんの悪口を言わなかった人を私は知っている。

「中崎くんも、可哀想だよね」

 同情的に言う、美咲。だから彼女の前だけでは私も本音を話せた。

「うん。確かにずれてるところはあるかもしれないけどさ、皆もあそこまで言うことはないような気がする」

「だよねー」

 二年生のときクラスが別々になってしまっても、部活ではいつも一緒だし頻繁に遊んだりもしていた。けれど、やっぱり同じクラスというのは良いものだ。

「中崎、明日の持ち物訊いてきてよ」

 ある日、中崎くんと同じ国語係の男の子が言った。

「ヤだよ、俺昨日も訊いてきたじゃん」

「根暗の癖にそんな口きいてんじゃねーよ。俺が連絡黒板に書くからさ、なあ、いいだろ?」

 一緒にいる他の男の子たちが笑った。こういう光景を見る度、素直に言うことを聞いてればいいのになあ、と思う。でも、言っちゃうんだよね。

「ふざけんなよ、俺は絶対嫌だから」

 そう吐き捨て、トイレへと逃げ込む。男の子達は口を歪ませた。やっぱり、中崎くんはずれていると思った。

 いつだっただろうか、中崎くんが一週間ほど学校を欠席したことがあった。クラスメイトは、

「ついに不登校になっちゃった?」

 などと冗談めかす。しかし私は笑えない、だってそれは大いに有り得ることだから。

 先日、決定的なことが起きた。

「中崎。この問題を解きなさい」

 数学の時間に指され、それは大して難しくない問題だったのに、中崎くんは銅像と化していた。

「分からないか?」

 しかし彼は耳まで真っ赤にしながら、分かります! と粘った。一向に答えは口から出てこない。こっそり教えてあげようかとも思ったが、あまりにも教室が静かなので出来なかった。先生が助け舟を出す。

「これを移行すると、いくつになる?」

「……十八エックス」

「移行するんだから、記号が変わるだろ」

 しかし中崎くんは押し黙ってしまったので、先生はため息をついて結局全て解いた。嫌な空気が教室を流れた。問題は、授業中に先生が職員室へ忘れ物を取りに行ったときに起こった。

「なあなあ」

 と中崎くんの後ろの席の男の子が、彼の背中をシャープペンシルで突っついた。

「何だよ」

「中崎さあ、あんな問題も解けなかったら入試とかヤバくないか?」

 ペンをもてあそびながら私は会話に耳をかたむけていた。中崎くんのことが気になるから、変な意味ではなくて。

「お前だけには言われたくないよ」

 振り返っていた中崎くんはぷいと横を向く。

「心配してやってんのに。だから嫌われるんだよ、お兄ちゃま」

 男の子は悪態をついた。つんつんと立ったその髪や整った眉毛は、中崎くんと全然違う。お兄ちゃま、というのは最近中崎くんに付けられたあだ名だった。噂によると、よくお兄さんの自慢話を披露するらしい。

「ふざけんな」

 中崎くんはいきなり席を立ち、男の子の胸倉を掴んだ。何事かと皆は一斉に目を向ける。

「おい、やめろよ」

 学級委員が止めるが中崎くんは止めようとしない。

「兄ちゃんを馬鹿にするな」

 やっぱり、やっぱり何かがずれている。格好の付かない台詞だし、これじゃあ余計お兄ちゃまと呼ばれてしまうだろう。このもどかしい気持ちを本人に伝えられたらどんなにすっきりすることか。

「大体、俺のどこが悪いんだよ」

 そう呟いた姿は、可哀想というよりも滑稽だった。男がそんな言葉を吐くなよ、私は心の中で叫ぶ。

「全部だよ、お兄ちゃま」

 傍観していたリーダー格の男の子が答え、くっくっと笑う。すると、

「もういい」

 中崎くんは胸倉から手を放して席に着いた。丸まった背中がとても可哀想。ショックを受けてしまったんだろうな。胸倉を掴まれていた男の子は怒りの収まらない様子で舌打ちをした。

「あーあ、うざったいやつがいる」

 皆にも聞こえる声で、派手な女の子が言った。心拍数が早くなる。誰もが察知したと思う。いじめが始まるのは時間の問題だ、と。

 次の週、中崎くんは学校へ出てきた。来なくていいのに、という声がいつ聞こえてこないか心配だった。そして美咲はどこまでもお人好しだ。

「風邪?」

 と彼女が聞くと、中崎くんは、

「いや」

 と視線を合わせないまま答えた。美咲は同情的な目を向けたまま呟いた。

「……そっか」

「――どうもな」

 それは教室の喧騒にかき消されそうなほど小さな声だったが、一緒にいた私の耳にははっきりと聞こえた。

 英語の時間、皆より一足先に対話文を中崎くんとペアになって読むのが終わった後、何を思ったのか唐突に言い出した。

「そういえば月岡さん、数学の小テスト九十三点だったんだってな」

「何で知ってるの?」

「田島さんと喋ってるの聞いたから」

 他人の事にはあまり興味がない人だと思ったのに。ページをめくる手を止めた。

「すごいよな」

 付け足して笑みを浮かべる。私も笑い返したけど、心中は複雑だった。褒められたら、君がいじめに遭ったときに私が苦しくなってしまうから。

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