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第21話 神聖な朝。

 早朝の学校は静かだった。生徒の喋り声や物音の聞こえない校舎内は、いつもより空気が綺麗に感じた。私はその空気を肺にいっぱい取り込んで、誰もいない教室を出た。自分の足音が廊下に響く。少しだけ遅刻だった。しかしそれも意図してやったこと、私よりは美咲が先に着いた方が良いと思ったからだ。制服のまま階段を降りる。

 一階に着くと、ボールの弾む音が耳に入った。まさか、美咲以外に誰か来ているのだろうか。私は忍び足で部室まで歩く。入る前に中の様子を知りたい。しかし窓から覗いたら私の姿が見つかる可能性があるので戸に耳をくっつけると、ガタンと音が鳴ってしまった。

「誰?」

 中から声が飛んできた。私は戸に手をかける。部室にはやはり美咲しかいなかった。彼女が立つ台の向こう側にはボールが沢山落ちていて、一人で練習していたのだと分かった。

「おはよう」

 とりあえずそう声をかける。でも美咲は答えず、私の顔を見て固まっていた。無理もない、この部室で一悶着あってからは一度も会話を交わしていないのだから。

「他の部員なら来ないよ」

 と告げると、意外にも美咲はすんなりと受け入れた。

「だろうね」

「どうして?」

「あの人が自分から朝練やろうなんていうのは変だと思ったし、それに皆の態度がおかしかったから。約束の時間が過ぎても誰も来ないし」

「私は来たよ」

 美咲は目を伏せた。返す言葉を考えているのだろう。だから私は付け足した。

「一緒に、朝練やろう?」

「ごめん」

「え?」

「言い過ぎた。でも、月岡さんにはやっぱり分からないと思う」

 あの日のことだと分かった。前髪が短くなったから顔がよく見える。美咲は目を腫らしていた。部員にあまり好かれていないと気付いたためか、それともクラスでの孤立のせいなのかは分からない。ただ、美咲は昨晩泣いたのだろうということは見て取れた。もしかしたら私のああいう言葉がずっと前から疎んじられていたのかと思うと、少し怖かった。

「……そうだよね。ごめん」

「私の方こそ」

「ううん。一緒に、朝練やろう?」

 私は無理に笑いながら再び言った。あの日のことには、もう私は触れない方がいい。私は、卓球をしに来たんだ。

「うん」

 美咲は小さく頷いた。そしてボールを拾い出したので、私も手伝おうとしたら、

「いい」

 と断られてしまった。気を取り直し、ラケットケースから自分のラケットを取り出してスカートの皺を伸ばしながら卓球台の前に立つ。無造作に床に置いてある箱に美咲は拾ったボールを入れ、全てを拾い終わると私に向き直った。美咲とプレーをするのは久しぶりだ。

「いい?」

 私は首を縦に振った。ラケットを構え、美咲の左手に乗ったボールを見つめる。回転のかかっていないボールが飛んでくる。ラケットを振るとボールは跳ね返り、ネットを越えてそれを美咲が打ち返す。ボールの音が部室に響いていた。普段なら謝るのはボールが遠くに飛んでしまったり相手にぶつかったりしてしまったときくらいなのに、私と美咲は失敗するだけでもごめんと口にした。お互い、気を使いすぎている。それでも、私は楽しかった。打ち返す度私のスカートが舞い上がるが、押さえる余裕なんてなかった。それに、美咲になら見られたって恥ずかしくない。お腹の位置でこぶしを作っている美咲の左手はとても細い。そんなところを見ているもんだから、私は空振りをしてしまった。

「ごめん」

 急いで棚に当たって跳ね返ったボールを取りに行く。同時に美咲も取りに行き、先に拾うと私に手渡した。

「はい」

「ありがとう」

 手渡される際に触れた手はとても冷たかった。恥ずかしそうに目を逸らす美咲。

「冷え性?」

「うん」

「よくさ、手が冷たい人は心が温かいって言うよね」

 言ってから口にしない方が良かったかと後悔した。気まずい空気が流れているので私は笑って、

「あ、だから私手が温かいのか」

「月岡さんは温かいよ。心」

 美咲はそう言うと、背を向けて台の前に戻った。ぶっきらぼうな言葉、だけど私は嬉しくてまた泣きそうになった。

「ダブルスさ、明日から練習しよっか」

 打ちながら美咲は言った。私は元気良く頷く。

「うん!」

「大会、勝とうね」

「もちろん」

 明日からは、緊張せずにダブルスの試合が出来るようになるだろう。朝練に来て本当に良かった、そう思う。しかし、大会が終わって六日後に迎える夏休み、それが過ぎても美咲は部室で独り弁当を食べる日が続くのだろうか。でも私には何も出来ない。

「部活のことは大丈夫だと思うよ」

 口にしたら何も分かっていない癖にとまた思われてしまうかもしれない。でも、私は言わずにはいられなかった。

「皆、また普通に接してくると思うよ」

「本当?」

「うん」

「なら、良かった」

 美咲は微笑んだ。

「もしあたしがいることで皆が嫌な思いしているなら、部活休まないといけないかなって思ったから」

 またしても他人のことを考えているのか。ここは怒るのが普通の反応だろう。

 人の声が聞こえてきた。私は卓球を中断して壁掛け時計に目をやったが、三時のところで針が止まっている。電池が切れているのだろう。だから窓の鍵を開け外を覗くと、茂みの向こうから制服に身を包んだ三人の女子生徒が歩いてくるのが見えた。

「もう登校する時間なのかも」

 私は窓を閉めた。

「終わりにしよっか」

 言いながら美咲はボールの入った箱を棚に戻し、

「月岡さんが来たこと、皆には言わないから」

 何で美咲は私の気持ちが分かるのだろう。確かに、なるべくなら黙っていてほしいと思っていた。

「ありがとう」

 聞こえているのだろうが返事は返ってこなかった。美咲は戸を開けると振り向いた。

「教室に帰ろう」

「うん」

 窓から離れて戸をすり抜けると、美咲はぴたりと閉めた。

 そして私たちは、大会までの時間の大部分をダブルスの練習に費やした。

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