第20話 過去の手紙。
部室に戻ると、私はすぐにいつもと違う『何か』を感じ取った。二人の部員が煙草を吸っているせいもあるのかもしれないが、それだけではない。美咲にむける皆の目が冷たかった。あっちゃんが懇願するような瞳で私を見つめている。
それよりも、煙草というのはまずいでしょう。吸っている人が結構いるのは知っていたが、部室では吸わないでほしい。部員が口にくわえると先がぽっと赤くなり、紫煙をくゆらしている。
「だから、部室では煙草吸わないでよ。煙いし」
本当に美咲は煙たそうだ。煙で目が潤んでいる。それならもう少し喫煙している子たちから離れればいいと思うが、彼女の正義感からだろう。美咲は続けた。
「あたし、何か気にさわること言った?」
私はやっと気が付いた。そういうことか。彼女たちは美咲を『こらしめている』最中なのだろう。それにしては、何とも下らなく、小さなこらしめだろうか。
「だから止めてって」
美咲は何度か手を伸ばして煙草を取り上げようと試みるが、煙草が動く度びくりとして手を引っ込める。先端には火が点いているのだから怖いのは当たり前だ。特に吸ったことのない人にとっては。
「何だよ、良い子ぶっちゃってさあ。もう彼氏とはやっちゃったんでしょ? あっ、彼氏じゃなかった、元彼だあ」
煙草を吸っている部員は下品に笑った。指に挟んだ煙草の灰が今にも落ちそうだ。美咲はうつむいて、手に握りこぶしを作った。あっちゃんが私の方へ歩いてきて身体をすり寄せた。これはやばい雰囲気だってことは私も分かっている。だから意を決して煙草を吸っている部員に言った。
「有沢さんたち、先生に見つかったらやばいよ」
私の言いたいことはそうじゃないのだけれど。とにかく、これ以上美咲には話しかけないで。
「先生なんてほとんどここには来ないじゃん」
ごもっともだ。そう言いつつも、灰が落ちるとさすがにまずいと思ったのか、二人は目配せしたあと部室を出ていった。
美咲がロッカーを蹴る。私は何も言葉をかけられなかった。やはりこういうときの美咲の扱い方は難しい。ただ一つ、やっぱり私は口を出さない方がいいだろうと思った。前回でこりごりだ。
「彼氏と別れたって本当?」
馬鹿、そんなことは絶対に今訊いたらいけないだろう。質問したのは噂好きだと有名な女の子だ。彼女まで、美咲をこらしめるつもりなのか。案の定、美咲は顔を上げてその子を睨んだ。
「捨てられたの? もしかして、やり逃げされたとか、」
「何してるのお」
「もめごとはいかんぞ」
冗談めいた口調で煙草を吸っていた二人が戻ってきた。美咲は噂好きの子から視線をそらし、大きな声で、
「早く部活やろう」
と言った。サボっていた癖に、という声が聞こえた。
「ねえ、大会も近いんだし明日朝練やろうよ」
明るい声で提案したのは、美咲と一番仲の良い部員。空気が緊迫した。しかし、何も知らない美咲は、
「そうだね。やろっか」
と言った。何か、意図があるに違いない。それは皆も感じていたことだろう。
ナツエも体育館から戻ってきて、美咲がトイレに行った直後、先ほど朝練を提案した部員が言った。
「朝練の話なんだけど、皆は行くなよ」
ごくりと私は息をのんだ。
「朝早く来たのに誰も来なかったら面白いじゃん。だから、皆は絶対行ったら駄目だからね」
「それ、ナイスアイディア。約束だからな」
と煙草を吸っていた部員が念を押す。部室で部員が来るのをずっと待っている美咲の姿を想像し、出来ることなら断りたかった。しかし、断れるような雰囲気ではない。あっちゃんもナツエも黙って頷いていた。
戻ってきた美咲が、何時から朝練やる? などと言う度私はいたたまれない気持ちになる。本当に、皆は来ないつもりだろう。私だって、結局そうしてしまうに決まっている。美咲と二人きりなんて非常に気まずいし。何食わぬ顔で美咲と話す部員たち。
「じゃ、また明日の朝ねー」
と私たちに言い、美咲は部室を出てゆく。皆は忍び笑いをした。小さなことに思えても、美咲は絶対に傷付く。私はどうしたらいい?
そんなことを何度も考えながら私は帰宅した。自分の部屋に入り、勉強机の上に出しっぱなしのプリクラ帳を寝転がったまま開いた。一番始めのページには、まだ小学生のような二人のぎこちない笑顔がある。私は青いボーダーのTシャツ、美咲は赤いトレーナー。この日、私は生まれて初めてプリクラを撮った。次のページを開いても、美咲とのツーショット。指でハート型を作っている。まだ三年前に撮ったものなのに、酷く遠いことのようだった。どんどんページを開いてゆくと、山田さんが写っているプリクラがあった。私と美咲と、山田さん。彼女の首元のところには、一本の傷が走っていた。私がハサミを握って付けたものだ。今思うと、自分が酷く情けない。
これが、美咲と撮った最後のプリクラ。
次のページを開くと私と、そして私のグループの子たちが写っていた。しばらくそのメンバーのプリクラが続くと、あとは白紙。真っ白なページを送った。最後のページを開いた瞬間、私の視界を白いものが覆った。見てみると、それは小さく折られた手紙だった。何故、プリクラ帳に手紙なんかが挟まっているのだろう? 宛名は『希里へ』。差出人の名前を見なくても筆跡ですぐに分かった。
中学生の頃、手紙交換するのが女の子の間で流行っていた。可愛いメモ帳に色とりどりのペンで他愛のない内容を綴り、複雑な折り方をして教室で友達に渡す。私と美咲も毎日のように手紙交換をしていた。美咲からもらった手紙は全てとっておいた。しかし卒業と同時に捨ててしまい、手元には一通も残っていない……はずだった。私は起き上がり、口を固く結んで手紙を開く。
『希里へ
ハロー♪ あんなに長い手紙ありがとう! 嬉しくて涙ボロボロ出ちゃったよ(笑)。ていうか、宿題終わらないよお(涙)。かなり難しいし。明日希里の写させてもらおうかなー……いやいや、そんなのはいけないよね。もう少し頑張ってみまーす。
今日部活で先生に言われたことなんて気にするなよ! 希里はすっごく努力しているもん。素質だってあるよ! あたしが保証する(あたしじゃ意味ないか)。
そうだ、前話したあたし的クラスの中で可愛い人ランキング! 三位、美代子ちゃん。すごく美人だよね。二位、新島さん。超可愛くない? 一位は……もちろん希里! めちゃくちゃ可愛いもん。あたしが男子だったら一目ボレですな(笑)。あたしたち、かなり気が合うと思うんだよね。ホントーに大好きだよ! 何があっても、あたしは希里の味方だから。
希里と出会えて本当に良かったって思うな。
何かラブレターみたいになっちゃったね(笑)。じゃあ、また明日!
FROM 美咲』
涙を抑えずにはいられなかった。目からぽとりと水滴が落ち、ピンク色の文字が書き連なれた手紙に染みを作った。何で、美咲と出会わなければ良かったなんて思ったんだろう。美咲とは沢山の思い出があるのに。卓球の顧問に怒られた時は慰めてくれたり、私の描いたポスターが賞を取ったときは我が身のことのように喜んでくれたり、数え切れないほど笑い合ったり。私は幸せだったと思う。美咲からは、沢山のものをもらったから。もしも出会っていなかったら、卓球部に入ることもなかっただろうし、何よりもあんなに楽しくはなかったと思う。
美咲と出会えて良かった。
人は皆変わってゆく。きっと、美咲と親友じゃなくなったのは山田さんのせいじゃないんだ。美咲と過ごした日々は楽しかった。それで、いいじゃないか。私が今やらなければいけないことは、美咲を求めることでも避けることでもない。私は枕元に置いたティッシュで目を拭きながら、またプリクラ帳に手紙を挟み元の場所へ戻した。私にはある決意が芽生えていた。
明日の朝、早く起きよう。
私は、美咲が好きだから。それが、今私がやれる唯一のこと。