第17話 回復。
「希里、ごめんね!」
朝、教室に入るなりグループの子たちが寄ってきた。
「本人に確かめたんだけど、うちらの誤解だったよ。マジ悪かった」
「希里ちんのこと信じなくてごめんね」
ナツエは決して目を合わそうとしない。何も言わず、また皆の後ろに隠れている。自分の席まで歩くとグループの子たちも付いてきて、完全に私の機嫌をうかがっている様子だった。昨日まではこちらを見ようとすらしなかったのに。態度が豹変し過ぎでちょっと笑える。机を囲むようにして立つ彼女たち。私は名前を呼んでやった。
「ナツエ」
するとナツエはびくりとして私と視線を合わせた。怯えた瞳、何故そんなにびくびくしているのだろう。結局、後ろめたいのだろうな。
「……ごめんね」
ともすれば教室の喧騒にかき消されそうな小さな声だった。けれどその言葉は私の耳にきちんと届き、今まで自分から何も出来なかったナツエが謝るのは相当な勇気がいったのだろうと考えると、少しばかり持っていた憎しみなんてどうでも良くなった。
「ううん」
「あっそうだ、今週の土曜日皆で遊びに行こうよ」
リーダー格の子が机を叩きながら提案する。
「いいねー、行こう行こう」
「どこ行こっか?」
ナツエは口を開いたり閉じたり、口を挟んでいいのか迷っている様子だった。だから私は話を振る。
「ナツエは、どこか行きたいところある?」
彼女は一瞬驚いた表情になり、しかしすぐに照れたような笑みを浮かべて首をかしげた。肩にかかった黒い髪がさらりと揺れてYシャツの白を目立たせる。
「うんと……渋谷」
その言葉に私は机にしまおうとしていた教科書を落としてしまった。渋谷と聞いて真っ先に頭に浮かぶのは、今時のファッションに身を包んだ十代の女の子たち。ナツエのイメージとはかけ離れている。私も他人のことは言えないが。
「まさか、なっちゃんから渋谷に行きたいなんて言うとは思わなかった。もしかして熱でもあるの?」
冗談好きが笑う。
「私は正常だってばー。まだ一度も行ったことがないから、いつか行きたいと思ってたんだ」
リーダー格の子が、
「うちはよく行くから案内出来るよ」
「じゃあ本当に行こっか? 私も百年ほど行ってなかったし」
「ちょ、何歳だよ」
「希里は渋谷で大丈夫?」
大丈夫だよ、と答えた直後チャイムが鳴った。
「あ、じゃあまた後でね」
彼女たちは手を振ってそれぞれの席に向かった。椅子を動かす音や話し声、独りのときは耳を塞ぎたくなるようだったのに今は平気だった。やっぱり私には、グループが必要なんだ。たまに疲れたり、汚いものに思えても、今のポジションにいる限り楽しんでやろうじゃないか。私はまっすぐ前を向き、背筋を伸ばして背もたれに寄りかかった。
そういえば。
美咲は、今も部室で弁当を食べているのだろうか。何があったのだろう。クラスに友達はいないのだろうか。女卓に美咲と同じクラスの人はいないし、誰なら知っているのだろうか。そう考えを巡らせているうち、ぱっとある人物が浮かび上がった。
山田さん。
美咲と同じクラスだった。
朝読書の時間が終わると、後ろの棚に学級文庫の本を返したあっちゃんが私の隣で立ち止まり、軽く肩を叩いて、
「良かったね」
と言った。私が独りだったときに教室では全く声をかけてくれなかったが、他のグループに所属しているのだから仕様がないと思う。それに、普段より部活で話しかけてくれることから、心配してくれているのは分かっていた。
「待って」
自分の席に戻ろうとしていたあっちゃんは振り向いた。
「あっちゃんは、美咲のこと嫌い?」
話が唐突過ぎただろうか。あっちゃんは鳩が豆鉄砲を食らったような顔になったが、
「嫌いじゃないよ」
とはっきり言った。その答えに安心している自分に気付き、やはり私は実のところ美咲を忘れられないのだろうと感じる。あっちゃんが背を向け歩き出したのでほっと息を吐いた。もし、「希里は?」などと訊かれたら私は答えられなかっただろうから。
「希里ー!」
声のした方を見ると、グループの子たちが私に向かって手招きをしていた。三十八人もの生徒が教室に収まっているのに、彼女たちは真っ白な背景に赤いペンで描かれた三つの丸のよう。その丸は互いに重ね合っていて、より濃い赤色になっている、何故だかそんな感じがした。席を立ちグループの元へ向かうと、皆は笑顔で迎えてくれた。人に求められるって、こんなにも嬉しいことなんだ。独りだったあの十日間は無駄ではなかったような気がする。失ってみて初めて、どれほど自分にとって大切なものなのか気付かされた。これからは結束するための目的であっちゃんの悪口を言うことはない、何となくそう感じた。
「そうだ、皆で写真撮ろうよ」
リーダー格の子が色付きリップクリームを厚い唇に塗りながら言う。
「復活記念にさ」
窓辺に並ぶと、後ろから差し込む陽光が背中を照り付ける。リーダー格の子が携帯電話を自分たちに向けて構え、
「じゃあ撮るよ」
隣のナツエの腕が接触していた。何でこんなにも人と触れるのって嬉しいんだろう。レンズに笑顔を向けるとシャッター音がした。撮れた写真を確かめると、多少逆光で黒っぽくはなっているもののしっかりと四人は写っている。身長も顔立ちも違うが、プリクラを撮るときのすました笑顔とは違う、三日月の形になった目と白い歯を皆見せていた。
「良かった」
というナツエのつぶやきはすごく私の身に染みた。
皆と友達で良かった。
そして授業中、こっそり山田さんにメールを送る。普段なら私からメールを送ることは有り得ない。けれど私は美咲のことが気になってしまい、後悔をするのは嫌だったからだ。それにもし嫌なことを言われても、私には友達がいる。
『訊きたいことがあるから、今日の放課後会わない?』
美咲の言葉で空いた穴は今も完全には塞がっていない。でも、だからと言って美咲がこのまま部活にも来なく、大会、そして夏休みが過ぎてゆくのはそんなのきっといいはずがない。山田さんのことも、このまま嫌な思い出として終わりたくなかった。




