第16話 9人−1人。
美咲が部活に来なくなって、もう一週間経つ。大会までの日にちもあまりないというのに。無断欠席する学年部長に対して、皆は冷たかった。
「この時期に学年部長さんがサボるなんてどういうこと?」
「しかも美咲学校には来てるよ。今日廊下で会って部活のこと言ったらシカトされたし」
口々に不満を口にする一年部員たち。私は聞こえないふりをして卓球を続けた。あの日の出来事を思い出す度、美咲に押された肩が痛いように感じる。腹が立つわけじゃない、美咲にそんなことをされたのが哀しかった。美咲に浴びせられた言葉が与えたダメージは大きく、おまけにまだグループに弾かれたままだし、心に空いた穴を埋めるものは何も見つからなかった。
ナツエと縁切りをしている今、卓球の相手をしてくれるのはあっちゃんだけだった。
「あ、ごめん」
あっちゃんの打ったボールがあらぬ方向に飛び、私は苦笑しながら小走りで拾いに行った。
「あっちゃんはさ、少しラケットの向きが上過ぎるんだと思うよ」
「あー、だから変なところに飛んじゃうのか」
あっちゃんはラケットの角度を調整し数回素振りをしたあと、サーブを打った。しかしボールは台をバウンドせずに飛んできた。
「うーん」
とうなるあっちゃん。
「今のはラケットを振る位置が高すぎたからだと思うよ」
あまり言うと『偉そうに』と思われるだろうか。しかし、あっちゃんは突然笑い出し、
「希里って美咲ちゃんみたいだね」
と言った。そういえば、アドバイスをするのは美咲の役目だと思ってしたことがなかったのに、何故私はしてしまっているのだろう。自分でも不思議だった。
「ねえ、皆卓球はちょっと中断して集まれよ」
そう言ったのは卓球が一番下手な部員だった。隣の台でプレーしていた部員と私たちは打つのを止め、棚の前の輪の中に入った。一人少ないことを除けば、あっちゃんが部活を辞めると言い出して説得したときと似ていた。皆を集めた部員は言った。
「今話していたんだけどさ、もし美咲が部活に出てきたらちょっとやっちゃわない?」
「やるって、何を」
あっちゃんが訊いた。
「こらしめるってことだよ。だって美咲、前からちょっとウザいなーって思ってたし」
「そうそう」
相づちを打ったのは、前に美咲とジャスコで一緒にいた部員だった。こういうのを私は何度も目にしてきていて、その度、つくづく人間というものが嫌になる。今日まで味方だった人が、明日敵になるかどうかなんて誰にも分からない。部員の一人が、
「どこら辺がウザいって感じてた?」
と訊くと、練習しろなどとうるさい、何でもかんでも仕切ろうとするのが鼻につく、しまいには飲み会に誘っても断られることまでを彼女たちは挙げた。
「とりあえずうちらが何かいい案考えておくから、美咲が出てきても何食わぬ顔して接しときなよ」
と言い、とりあえず会議は終わった。私は、くだらないとしか思わなかった。ふとゴミ箱に目をやると、あの日私が捨てたコンビニの袋があった。美咲の言葉が鮮明によみがえる。その都度私は思わずにはいられなかった。
美咲と出会わなければ良かったのに。
今日の活動場所は体育館だ。顧問は美咲が来ていないのを見て眉をひそめた。
「大会まであと二週間なのに何を考えているんだ? 田島は」
大きなため息をつくと私にこう言った。
「大会の十日前になっても来なかったら、田島の代わりに他の奴とペアを組ませるからな」
何でだろう、望んでいたことのはずなのに全然嬉しくない。そればかりか焦る気持ちが沸いてきた。
顧問が他の部員に指導しているうちに美咲にメールを送った。アドレス変更のメールだけは最近送ったから、すぐに私だと分かるだろう。しかし、送ってすぐに携帯電話が振動し、来たのはエラー通知で私はがっくりした。アドレスを変えられてしまっている。どうして部活に来ないの? 私と顔を合わせたくないから? それも有り得るかもしれない。
私はみんなの足下を眺める。大きなくるぶし、汚れた体育館履き。どれもが慌しく動いていた。その時、体育館から出ていこうとする足を発見し顔を上げてみると、中崎先輩だった。周りをきょろきょろしながら歩み寄って声をかけると、先輩は肩をびくりとさせた。
「先輩、挙動不審ですよ」
「いや、一年生から呼び出されていてさ、顧問に見つかったらまずいだろ?」
「へえ、女の子ですか?」
「月岡さんの友達だよ」
私はぎょっとした。とっさにナツエの姿を捜すが、いない、どこにも見当たらない。
「俺が弘樹のことについてしつこく聞き出したことにするよ。本当のことを言ったら益々疑われるだろ? 嫌かな」
普通、嫌なのは先輩の方だろう。自分の弟が自殺したことを話さなければいけないということだし、しつこく訊き出したなんてシナリオじゃ先輩の印象が悪くなってしまう。
「じゃ」
止める間もなく先輩は行ってしまった。
卓球をしている間は何もかも忘れられる。私はあっちゃんが打つボールを返すことだけに集中していた。すると、あっちゃんの打ったボールは台にバウンドせず、男卓がやっている方まで転がっていった。ごめんなさいと卓球台に顔を伏せるあっちゃんを見て微笑みながら、私はボールを取りに行く。身体を屈めてボールを拾い、ふと先輩はもう戻ってきたかと辺りを見渡すと、彼はラケットを磨いている最中だった。穏やかな顔をしていた。
「分かってくれたと思うよ」
生徒玄関で先輩は言った。
「少なくとも誤解は解けたはずだ」
もう独りで休み時間を過ごさなくてもいいのだろうか。また、グループの子たちと話せるのだろうか。
「ありがとうございます」
私は頭を下げた。
「それにしても参っちゃうよな。今日の昼休みに来て、いきなり『月岡希里とどういう関係なんですか』だもんな」
先輩は頭をかきながら笑った。
「長い髪の女の子、いましたよね。その子は卓球部なんですけど、先輩のこと好きらしいです」
「ああ、いたいた。でも俺はああいう女子とは無理だな」
「どうしてですか?」
「だって、ずるいもん。他の人は色々訊いてくるのに、その人だけは一言も喋らなかった。自分で何にも言えないのに、ずるいよ」
私もそう思う。向こうから部員が歩いてくるのが見えた。先輩も気付いたらしく、早口で、
「あ、こうやって話しているのを他人に見られたら、また疑われちゃうよな。じゃ、また明日」
と、自分の学年のげた箱へ向かった。遠ざかる背中に、心の中で語りかける。
ありがとう。
心に空いた穴が、少しだけ塞がったような気がした。