第12話 ダブルス。
「よろしく」
美咲から話しかけてきたのは何ヶ月ぶりだろう。こんなに近くに彼女がいる。
「うん」
それしか言えなかった。自分の隣に美咲がいるのを何度も思い描いていたはずなのに、それが現実となった今、私は逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
ボールが飛んでくる。美咲が強く打ち返して素早く後ろに下がり、左斜め後ろにいた私は前面に出るとボールをバックハンドで打ち返す。ダブルスというのは、一人でやるよりプレッシャーがかかる。自分が失敗したら相手に悪いから。ましてや相手が美咲となれば――私の心臓は押しつぶされそうだった。
「あっ」
私は小さく声を漏らした。打ち返したボールがネットを越えてくれなかったのだ。向こうのペアに点が加算される。
「ごめんね」
本当に申し訳なさそうに私は謝った。まだ美咲のことが好きなんだという、精一杯の訴え。
「ううん」
少しだけ笑ってくれた。急激に身体が火照り、叫び出したいほどの感情がせり上がってくる。
また親友に戻りたい。
「あ、」
今度は美咲が声を上げた。ボールがラケットを持った手に当たり、卓球の右側を通り過ぎて床で虚しくバウンドした。美咲はすぐにボールを拾いに行き相手のペアに投げる。そして前を向いたまま言った。
「ごめん」
「いや、全然っ」
慌てて答えたら舌がもつれた。美咲が謝ったことに驚いたわけではない、細くて不安げな声だったからだ。相手に悪いと思っているのは、もしかしたら美咲も同じなのではないか。
今度はボールがネットにすれてこちらのコートに落ち、打ち返すことが出来なかった。
「失礼しましたー」
相手は満面の笑みで声を揃えて頭を下げた。
「ホントに失礼だよ」
美咲が冗談臭く言った。私は向こうのペアと仲良くはないのだけれど、美咲はしいていうなら部員全員と仲良しなのだ。ただし、私以外。こんなにすぐ側にいるのに、美咲は遠いんだ。私は三人の笑顔を引っ込めさせるかのように、力強くサーブを打ち込んだ。他の部員は和やかな雰囲気でラリーをしていた。大会の出場メンバーが決まってからは体育館で部活をすることが多くなり、メンバーに選ばれなかった人はお喋りが多くなった。
田島・月岡組、顧問は相性が良いなどと言っていたけれど大して強くないペアに負けてしまったではないか。理由は分かっている、相手に気を使いすぎてプレッシャーが高まる結果、ミスが多くなってしまうのだ。それは美咲も同じかもしれない、サーブミスを二回もしていた。試合が終わると美咲はタオルで汗を拭きながらそっと私から離れた。するといつの間にか体育館に来ていた顧問が、倉庫の前に立ったまま私と美咲を呼び出した。
「さっきの試合見ていたんだが、二人ともいつもよりミスが多かったな」
腕組みをしながら顧問は言った。
「はい……」
目を見ていると威圧感を感じるため、私は視線を顎に向けた。
「まあ、始めのうちは息が合わないかもしれないけどなあ。大会まであまり時間がないんだからしっかり頑張れ」
私たちは最後まで息が合うことはないと思った。
「分かりました」
美咲がしっかりとした口調で答えた。あまり校則を守ってはいないものの、責任感はあるし頭は良い方だしで教師から信頼されているのだ。昔は何をするにも自身がなさそうだったのに、変わったなあと成長を見守る母親のような気持ちになった。
顧問の話が終わり美咲の後ろを歩いて一年女卓がプレーしている所に戻る際、試合が終わって休憩しようとしている中崎先輩が目に入った。壁にもたれラケットを見つめている。しかしいきなり顔を上げ、私と目が合った。私は意味もなく髪の毛を触りながら視線を逸らす。だけど、ペットボトルに入ったスポーツ飲料を飲むあっちゃんに話しかけられるまで、中崎先輩の視線をいつまでも背中に感じていた。
「月岡さん」
一瞬誰に呼ばれたのか分からなかった。けれど斜め後ろに私に視線を向けた美咲がいて、久しぶりに名前を呼んでくれた嬉しさともう一つの事実にダメージを受けた。
美咲、私のこと名字で呼んだ。
前までは『希里』と発音の関係から口角を上げて、笑みを浮かべているように呼んでくれたのに。
「何、美咲」
私は二、三回瞬きをして平気な顔を装った。美咲、と言ったのには意図がある、親しみを込めるためだ。美咲は額に張り付いた長い前髪を指で伸ばしながら、
「横回転、かけられる」
と、ほとんど抑揚のない声で訊いてきた。
「右回転なら出来るけど、左回転はちょっと……」
私たちのやり取りを皆が見ているような気がして緊張し、機械的な声になった。そう、という風に美咲が頷く。
「じゃあ大会では合図してから横回転サーブを打ってくれる。あたし、横回転苦手だから」
知らなかった、美咲にも苦手なことがあるなんて。それよりも、私に頼み事をしてくれたのが嬉しくて、少しだけ微笑みながら頷いた。
「よし、練習の続きやろう。――誰かダブルスで試合してくれる人いる?」
美咲は周りを見渡しながら声を出すが、誰も反応がない。あぐらをかいてお喋りをしている美咲と仲の良い部員が、
「だってうちら大会出ないし」
と言った。美咲は何か言い返そうとしたが、視線を逸らして口を閉じた。そして小さなため息をつく。私も何か役に立てればと思い、美咲の次に強い子と打ち合ってるナツエに声をかけた。
「ねえ、ダブルスの試合してくれない?」
「えー」
ナツエは嫌そうな顔になる。
「お願い! 一試合だけでいいからさ、」
「月岡さん、言いよ別に」
近寄ってきた美咲の声に遮られ、私は閉口した。
「ダブルスの練習は終わりにしよう」
有無を言わせない口調。私の言葉を待たず、美咲はきびすを返して友達の元へ行く。ナツエが面白そうに、
「あーあ、希里、ふられちゃったね」
悪気があって言っているわけではないと思う。しかし今はナツエが、いや、全てが目障り耳障りだった。




