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第10話 帰る場所。

 中崎先輩と別れたとき、時刻は二時を回っていた。自宅のドアを開けると良い匂いがもれてきて、母が顔を出した。

「希里、どこに行ってたの?」

「ジャスコ」

「二時間も何してたの」

「ノート買ってた」

「時間がかかりすぎなような気がするんだけど」

 母の声は冗談混じりだ。だから笑って、

「色々とあるんだよ」

 自分の部屋に入ろうとすると肩をつかまれた。

「何かあったの?」

「……どうして」

「暗い顔してる」

 思わず目をそらした。母親の目はごまかせないんだな。弱い私はすべてを話そうと決めた。でも、

「とりあえず、昼御飯食べさせて」


 母が作ってくれたのはオムライスだった。朱色のスプーンで赤い御飯をすくい、上に乗った固焼きの玉子と一緒に口に入れた。玉ねぎのシャリシャリという音がする。麦茶を飲み干し、最後の一口を飲み込んで、完食。食べた後はしばらく動きたくない。腹八分目なんて言葉、私の辞書には載っていないから。食べ終わったお皿を流し台に持っていくと、椅子に腰を下ろした。

「でね、お母さん」

 母は台所に立って洗い物をしているが、しっかりと聞こえているだろう。

「ジャスコで卓球部の先輩と会っちゃって、今まで話してたの」

「先輩?」

「うん。男卓の」

「何、告白でもされた?」

 こっちが、違う意味での告白をしたんだけどね。なるべく明るく聞こえるように言った。

「ううん。中崎くんの、お兄さんなの」

 返事は返ってこなかった。沈黙が重くのしかかる。聞こえなかったら、別にそれでもいいと思った。うつむいてテーブルにある濡れふきんを伸びた爪でいじる。

 母が正面の椅子に腰を下ろした。

「何を話したの」

 珍しく真面目な声に私は驚いて顔を上げると、母は真顔だった。

「何か言われたの?」

「大丈夫だよ」

 話し始めたのは自分なのに、何故だかいらいらした。

「希里は何も悪くないんだから、何を言われても気にしたら駄目だからね」

「だから何も言われてないって!」

 今までは、優しい言葉をかけてくれる度、安心して泣きそうになった。けれど今はそれに抗う気持ちがふつふつと湧き上がってくる。私は中崎先輩にひどいことを言われたわけではない。先輩の声がよみがえる。

 逃げていたら、いつまでも苦しいままなんだよ。

 母は煙草を取り出し、ライターで火をつけた。口にくわえて煙を吐くと、

「そんな言い方はないんじゃない?」

 と言った。

「ほっといてよ」

 自分で話しておきながら、これは矛盾だと思った。しかし怒りを抑える術を私は知らないし、反省をしようとも思わない。煙草の灰が灰皿に落ちたのを見届け、

「お母さんには分からないよ」

 と言い席を立った。

「馬鹿じゃないの」

 独り言のように母がつぶやいた。私は振り返らず勢いよく居間のドアを閉めて、大きなため息をついた。もう母とは口をきかないと心に誓ったのは、もうこれで何回目だろう。


 ベッドに横になり、腕を額に乗せのっぺらな白い天井を見つめる。母と喧嘩をした後は、いつもどっと疲れが押し寄せる。そして感じる無力感。怒りをぶつけたって何も生まれない、無駄。全部無駄。分かっているのに、口を閉じることができなかった。

 うつ伏せになると、枕に顔をうずめた。中崎先輩が脳裏に浮かぶ。あの後、先輩は私にお礼を言った。すっきりしたような、そんな顔だった。最期にメールアドレスを教えてほしいと言われ、私は目をこすりながら携帯電話についた赤外線で自分のアドレスを送信した。

 私は起き上がってドアの前に放りっぱなしだったバッグの中からノートの入った袋と携帯電話を出した。やっぱり。新着メールが来ていた。ベッドに腰かけてそのまま後ろに倒れると、メールを開く。

『中崎です。今日はありがとう。また、いつか話そう。田島さんのこととかも聞きたいから。迷惑かけて悪いとは思っているけど、まだ俺には知らないことがあるから。月岡さんには本当に感謝しています。じゃあまた』

 中崎、と書いてあって一瞬だけびくっとした。あの世からのメールなんて、そんな夢のあることは考えないけれど、そんなこと一度くらいはあってもいいのにね。もし、そんなことがあったらまず謝りたい。思いつく限りの謝罪の言葉を並べて……駄目だ、これじゃあ所詮自分の罪悪感を軽くする為の行為だ。中崎くんが自殺してから、時折叫びたくなるほどの激しい感情にかられることがあった。それは、小さい頃両親が死んだらどうなるのだろう、と考えたときの気持ちに似ている。どす黒いものが頭の中を支配して、呼吸が苦しくなるのだ。

 私は窓の外を眺めた。ランドセルを背負った小学生が黄色い声を出して友達と下校している。三年生の時のクラスメイトは、もう中崎くんのことはすっかり忘れて楽しい毎日を送っているのだろうか。本当に、私はいつまで後悔すれば気が済むのだろう。中崎くんのことも、美咲のことも。

 私は本棚の中から卒業アルバムを取り出した。青いカバーで、ずっしりと重い。ベッドに横になり足をぶらぶらさせながら適当にページを開いた。最初に目に入ったのは、部活動の写真。女卓の集合写真は右側の下部にあった。九人の笑顔がこちらを向いている。前列の一番端にいる背の低いのが私だ。美咲は――後列の、真ん中。髪の毛を二つにしばり、白い歯を見せている。放課後別々に部室に行くようになったのは、三年生が引退する一ヶ月前くらいだっただろうか。美咲が他の部員と笑い合う度、私は寂しさが増した。

 次に見たのは修学旅行の写真。クラスごとに撮られたもので私と美咲の間には山田さんが顔を突き出している。写真の中の山田さんはまっすぐに切り揃えた前髪をしていて、当時の私はそれを悪口の引き合いに出していた。自分勝手でしつこくて、何よりも私と美咲の中に入り込んできたのだから私は心底山田さんを嫌っていた。なのに、美咲はどこまで人がいいのか、

「寂しがり屋なんだよ」

 とくっついてくる山田さんを受け入れた。思えば、美咲は山田さんのことを良く知らなかったのかもしれない。だって、山田さんが本性を現すのは大体美咲がいないときだった。例えば彼女がトイレに行っていたり、宿題をやっていたりしたときに、山田さんトークは炸裂する。

「ね、ね。中崎くんってめちゃくちゃキモくない? あーゆー人、死んでほしいんだけど」

「何で希里ちゃん、うちにメールあんまり送ってくれないの?」

「中間テスト、数学凄い良い点数だったんだけどー」

 ここまで書けば、私は山田さんを好かない理由が分かってもらえると思う。幾度となく美咲には説明した。山田さんがどんな人なのか、中崎くんのことをどう思っているのか。それで、気が付いたら悪口ばかり言う人になってしまっていたんだよね。誇張して話すこともあったから、そのせいで信じてもらえなくなったのかもしれない。段々居心地が悪くなっていった。悪くなればなるほど、必死にどこへでも付いていった。なるべく美咲と山田さんを二人きりにしてはいけないと思ったから。ついに限界というものが見えてきたとき、私はあの言葉を言ってしまった。その時の美咲の傷付いた顔は今でも忘れない。次の日から、私は二人の元へ行かなくなった。

 行けなくなった。

 私はパタンと卒業アルバムを閉じる。自分でまいた種なんだよね、結局。どこで間違ったのだろう。今思い出しても仕方がない、私はベッドに横になって目をつむった。

 希里、という声と共にドアがノックされた。

「何ー?」

 返事をしながら私は急いで卒業アルバムを本棚に閉まった。

「夕飯、何か食べたいものある?」

 いつもより優しい母の声。さっきはあんなにいらついていたくせに。母は、絶対に自分からは謝らない。私は許さないぞ、と思うのだけれど、そういう気持ちを保つのはかなり疲れるものだ。それに、母とまた笑い合いたい。だから、明るい声で答えた。

「オムライス!」

「昼に食べたばかりじゃない」

「だって、好きなんだもん」

 やっぱり、私はお母さんが、この家が好きなんだと思った。安心できる、私の失いたくない場所。

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