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第1話 憂鬱な朝。

 暗闇に浮かび上がった建物、その屋上に人影があった。ここはどこなのか分からない。周りには誰もいなく、冷たい風が草木を揺らして音を立てていた。人影の顔は見えないはずなのに、何故か私はそれが中崎くんだと分かっていた。

「中崎くん、駄目!」

 私は叫んだ。人影がふらふらと屋上の縁へ近づいてゆく。すでに爪先ははみ出ていた。

 地面へ吸い込まれるかのように、中崎くんが落ちていった。ぐしゃり、と身体のひしゃげる音と、共に鮮血が飛び散る。顔を覆いたくなるような光景なのに、私は脇目も振らず仰向けに倒れている中崎くんに駆け寄った。

「中崎くん……」

 つぶやくと、つむっていた中崎くんの目がいきなり見開かれた。憎悪に燃えた瞳、そう感じた。そして私をまっすぐ見ながら、口を開いた。

「お前のせいだ!」

 空間が歪み、私の意識は遠のいていった。


 飛び起きると背中にべったりと汗をかいていた。息が乱れている。カーテンの開かれた窓からは明るい陽光が差し込んでいて、あれが夢だと分かり私はほっと息をついた。

 私は目をこすると、枕元にある時計に目をやった。六時二十七分、アラームが鳴る三分前だ。けたたましい目覚ましの音に起こされるより目覚めは良いが、やはり今日も軽い吐き気がする。布団に横になったままあくびをしながら伸びをしてみる。しかし頭は全く覚醒せず、私は掛け布団をあごまで引き寄せた。まぶたを閉じると頭がぼうっとしてきて、心地よい眠気に襲われる。

 明け方に一度目が冷めたせいか、二つの夢を見たことを覚えていた。一つは美咲と喋っている夢。彼女の長い髪も、目の下にあるほくろも手を伸ばせば届くほどの距離にあった。そしてもう一つが中崎くんの夢だ。彼の瞳が脳に焼き付いて離れない。夢の続きを見たい、そう切実に願う。もちろん美咲の夢をね。中崎くんの夢の続きなんて絶対に見たくない。

うとうとし始めた時、時計が大音量で鳴り響き私を現実の世界へと引き戻した。目覚ましを止めて仕方なく布団から起き上がると、少しめまいがした。これも寝不足のせいだろう。最後に時計を見たのは三時半頃だっただろうか。

美咲も私の夢を見る事はあるのかな、とふと思った。学校で彼女とすれ違う度、私の心はちくりと痛む。どうして同じ学校に入学してしまったのだろう。違う高校ならば、もう会う事もなく美咲なんて忘れられたのに。

丈の長いパジャマのズボンを引きずりながら、部屋を出て裸足で廊下をぺたぺたと歩く。突き当たりのガラスがはめ込まれたドアの向こうには、台所とローテーブルの置かれたリビングがある。中の様子を横目で見ながら、私は手前のトイレに入った。芳香剤の匂いが強すぎるトイレは、私の吐き気を増長させる。なのに何だかここから出たくなくて、用を足した後もしばらくの間、私は便座に座っていた。

リビングのドアを開けると、香ばしい香りが漂っていた。入ってすぐの台所には母が立っている。おはよう、などという挨拶をするのは何だか照れくさい、代わりに、

「めちゃくちゃ眠いー」

 と口に出す。母は振り向いて、

「今、パン焼いているから」

 と言った。血色の良い肌にぱっちりと開いた瞳、眠気のかけらもない顔だ。朝に強い人。私だって昔はそうだった。中崎くんと美咲の夢を見るようになるまでは。

 母の横をすり抜けて顔を洗い、タオルでごしごしと拭く。袖をめくり上げていなかったので、少しパジャマが濡れてしまった。眠気まなこのまま冷蔵庫の扉を開けたら、扉の角が額を襲い、思わず声を出す。

「痛っ」

 そんな私を見て母は笑った。私は額をさすりながらコップに麦茶を注ぐ。食パンが焼きあがると私はバターを塗り、皿に乗せた。私はテーブルの前に座り、テレビのチャンネルを変える。ブラウン管には、さっきまでの堅苦しいニュースから一変、上品なドレスを身にまとって笑顔を浮かべた芸能人が映っている。

 テレビに視線を向けたまま食パンを一口かじってみるが、どうも入っていかない。口に入れる度、高い吐き気の波がやってくる。食べるペースの遅い私に母は気付き、濡らしたふきんをテーブルに持ってきながら、

「食欲ないの?」

 と訊いてきた。私は食パンを口に含んだままこくりとうなずいた。

「でも、今日体育あるんでしょ? 半分くらい食べられたら無理してでも食べた方が良いよ」

 吐いていいのかよ、と心の中で毒づく。

 その時、壁に掛けている時計が『エリーゼのために』を鳴らした。滑らかなピアノ演奏、七時の到来だ。あと三十分で私は家を出ないといけない。そういえば、中学一年生の頃、休み時間に音楽室にあるピアノで美咲がこの曲を弾いていたな。たどたどしくも、綺麗なメロディだった。

 だから、余計この音楽が嫌いなんだ。

 どうにか半分ほど食べると、私は自分の部屋に戻る。学校の支度を始めなければ行けない。はあ、憂鬱だ。乱れた布団の真上に掛けてある制服を取って床に置き、パジャマを脱ぎ捨てる。そしてシャツをはおり、第一ボタン以外を留める。入学当時は第一ボタンも留めていたが、次第にルーズになってゆくのだ、皆。

 ふと美咲の姿が頭をよぎった。あの子は、第二ボタン辺りまで開けていたなあ。髪もいつの間にか茶色くなっている。本当は、校則違反。しかしきちんと守っている生徒はなかなかいない。私はというと、未だに髪も真っ黒だし、というか中学生の頃から見た目が変わってないしで、何だか置き去りにされたようだ。しかし美咲は随分変わった。

 そこまで考えたところで慌てて頭を振った。考えたら駄目だ、だって。

 もう、彼女は親友じゃないんだから。

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