消えた王女-3
謁見の間へ続く控え室には幾人かの同業者が集まっていた。
部屋の出入り口には兵が二人一組で立っており、不振な行動を取る者がいないか気を配っている。一種独特な雰囲気の中、わたしは少し緊張して自分の番が来るのを待っていた。
「次の者」
呼ばれて立ち上がるとあからさまに軽視するような視線が注がれるのがわかった。女子供がこんなところに何の用があると言わんばかりだ。いつものことなのでわたしはその視線を無視して謁見の間へ歩を進めた。
部屋に入り指定された場所に膝をついて礼を取る。相手が王族だからというのもあるが、下手なことをすると仕事を干される等の不利益が発生するためだ。
「顔を上げよ。其の方、名は?」
言われた通り顔をあげ、わたしは不躾にも正面から王を見据えた。螺鈿細工の施された紫檀の豪奢な椅子に座った上品な壮年の王は気を悪くするでもなく威厳ある態度を崩していない。どうやらこのお方は人を見た目で判断するような人物ではないらしい。
「レン=シュミットと申します。陛下に確認していただきたいものがあり、馳せ参じました」
わたしは懐からスペイリー姫からの手紙を差し出した。王と王妃の段座下にいた側近の男がわたしと彼等の仲介を果たす。王は側近から手紙を受け取ると素早くその文章に目を通した。
「確かにこれはスペイリーの筆跡。そなた、これをどこで?」
王は傍らに座る王妃に読み終わった手紙を手渡した。ほっそりとした美麗な夫人は手紙に目を通すと艶やかな光沢を放つ絹でできた服の袖で目頭を押さえた。
「先日、フェイドゥから使者が」
使者が魔族だったことを伝えるのはさすがに憚られた。おかしな誤解をされる可能性もある。わたしは間髪入れずに疑問に思っていたことを切り出した。
「この国で起きていることと何か関係があるのでしょうか」
「街を見たのだな」
王は肘受けに体を預けると、ゆっくりと頷いた。
「今、国を挙げて打開策を探っているがあいにく解決する手だてがない。衛兵の大半も国民と変わらぬ有様でな」
苦悩の滲む目の下にはうっすらと黒い隈ができていた。
「こうして人を募ったのも、止むに止まれぬ事情があってのことなのだ」
わたしは王の意を汲んで頷いた。あのおふれはその内部事情により出されたものだったらしい。衛兵まで街の人達と同じ状態に陥っていては無理もない。
「陛下、具体的にご説明願えませんか?」
単刀直入に尋ねると王は少しの間目を伏せてから大柄な体を揺らして咳をした。その咳が合図となって、相席していた兵の表情が引き締まる。本題に入ることもあり、わたしは気を引き締めて王の次の言葉を待った。
「最初の異変があったのは昨年の秋祭のことだ。幾つかの催しがなされる中、スペイリーは忽然と姿を消した」
抑揚ある声音が静かな室内に響き渡る。
「事が発覚した当初は何が起きたか把握することは不可能だった。だが、王女の失踪から一月程経った頃、あろうことか魔王ウェルネスから使者が送られてきたのだ」
抑制された怒りが言葉の端々に滲む。王は当時の出来事を思い出したのか、悔しそうに体を戦慄かせた。
「奴の使者はスペイリーの代わりに我が民の命を五万差し出せと要求してきた。だが、わしはそれを拒んだ。いくら娘の身を案じようとも、民を身代わりにすることなどできぬ」
事の重大さにわたしは息を呑んだ。五万って……この街の人口の何割かにあたるんじゃなかろうか。
「だが、拒んだ日を境に一人、また一人と気力を失ってゆく者が現れだした。最初はごく僅かだった。だが、その異常は流行病のように瞬く間に広まり、手を打とうとしたときにはもう遅すぎた。この国はウェルネスに呪われたのだ」
やがて王は疲れ果てたようにぐったりと王座に沈み込んだ。
「いずれ今は正常な者も同じ道を辿るだろう。そうなる前にウェルネスを倒さねばならぬ」
絞り出された言葉は最初、王と対峙した時よりも年寄りめいて聞こえた。恐らく、わたしがふれを見てここへ来るよりも前に幾人もの傭兵が王の依頼を受けたのだろう。だが、未だ誰一人として成功していないのだ。
わたしはあの魔族が届けたもう一通の手紙のことを思い浮かべた。ウェルネスからの手紙には「助力を乞いたい」とあった。ガルディナ王の言葉に嘘はなさそうだが、魔王がこの国を呪っているという解釈はどうもしっくりこない。どちらにせよ、真相を明らかにするにはフェイドゥへ向かうしかないようだ。
「わたしにまかせていただけないでしょうか」
真直ぐに王の目を見やり、わたしは続けた。
「齢十六、女の賞金稼ぎでは頼りなく感じるかもしれませんが、わたしはレム=ファウスターの元で修行を積んできた者。腕には自信があります」
そう。わたしの師匠は盲目の魔法剣士レム=ファウスターだった。尋常ではない魔力を有する師匠は魔法に対する造詣が深く、高位魔法を扱う業界屈指の賞金稼ぎである。複数の精霊王と契約を結んでいる人間なんてあの人以外にはそうそういないだろう。
師匠の名前を口にした途端、謁見の間にいた面々から感嘆の声が漏れた。それほどに師匠の名は一般に知れ渡っている。
ところが王だけはしばらく無言でわたしの目を見返していた。何かそこに信頼に足る手がかりを探すように。
「スペイリー姫の手紙がわたしに届けられたのも何かの縁でしょう。命あれば力の限りを尽くす所存です」
何とか信頼を得ようとしてわたしはそう言葉を続けた。すると、娘の名前を耳にした王はきつく眉根を寄せた。眦に涙を溜めつつも、それを呑み込むように彼は口を開いた。
「……ならばそなたにこの国の未来を託そう。何分相手はあの魔王ウェルネスだ。要りようの物があれば揃えられるだけの資金を遣わす。用意させる故しばし待て」
王は先ほどの側近を呼び寄せるとその耳元で何やら二、三言呟いた。
「レン=シュミットよ。可能であれば……否、何も言うまい」
王が何を言わんとしたかは十分すぎる程わかった。スペイリー姫を余程大切に思っているのだろう。できることならば、王女を救い出してほしいと考えるのは当然だ。
少し羨ましく思いながら王に向けていた視線を王妃へ移す。彼女もまたガルディナ王が何を言いかけたのか理解し、瞼を赤く腫らしていた。
わたしの両親も生きていたらこんな風に心配してくれたのだろうか。わたしの家族はわたしが十歳の時に流行病で死んでしまったから、今更知りようがないのだけれど。
「これへ」
側近の男がずっしりと重そうな革袋を持って戻ってくると、王は立ち上がってわたしの前へ進み出た。
「頼むぞ」
下賜された革袋を拝受し、わたしは再び王へ令の姿勢を取った。
「仰せのままに」
一言告げ、謁見の間を後にする。
控え室を通り抜けてその扉を閉じた丁度その時、二人のお兄さんとすれ違った。恐らく彼等もあのおふれを見て王に謁見を求めに来たのだろう。片方は背が高くて落ち着いた空気を纏っている。もう一方はわたしよりも少し高めの背丈で、血の気の多そうな顔をしていた。いわゆる凸凹コンビといった印象。二人の身につけている装束は海炎のものらしい細かな文様が刻まれていた。黒と藍の糸で織られた風通の服には要所要所鋲が打ち付けられている。
「おいおいこんなガキでも謁見できるのかよ?」
入れ違いになったとき、背の低い方がそんなことを呟いた。小さな声だったけどかえってそれが癪に障った。聞こえても構わないと無意識に判断したのだろう。
「——我が魔力を喰い、汝が力開放せよ」
ちょっと脅かしてやろうと思ってわたしは火球の呪文を素早く唱えた。待合室へ続く扉を二人が開けようとした瞬間、振り向き様に魔法を解き放つ。けれど、次の瞬間生まれたのは人の姿なんて軽く呑み込んでしまうほどの大きさの巨大な炎の塊だった。
そうだった。わたしが今、身につけているのは白炎の鎧。どうやらこの鎧の紅玉、今まで媒体にして来た柘榴石とは比べ物がないほど精霊への干渉率が高いらしい。
「何事だ!」
突然の出来事を理解できずに二人は口々に悪態を吐いた。控え室にも炎が吹き込んだのだろう。扉の内側に控えていた衛兵がそこにいた二人を捕らえるのに時間はかからなかった。
「やば……」
わたしは青ざめた。折角王から直々に依頼を受けたのに、こんなところで捕まるわけにはいかない。
わたしは近くの窓に手をかけると、さっさとそこから城外へ飛び出した。
こうして自業自得とはいえ不運な目に合わせてしまった二人のお兄さん達を置き去りにし、わたしの新しい旅は始まったのだった。