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気ままに行こう!  作者: 空魚
時に取り残された場所
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時に取り残された場所-6

 再び扉を通り抜け、わたしはシャグシェルシーへ舞い戻った。第二の試練の時と同じように無表情なまま出迎えた案内者を見やる。彼女の体勢は扉に入る前とほとんど変わっていない。

「第三の試練、突破おめでとうございます」

 機械的に紡ぎだされた言葉にわたしは苦笑した。

「ありがとう。でも、そんなに四角四面じゃなくていいわ」

 湖水で濡れそぼった髪の水を飛ばし、次いで重量を増した外套を脱ぐ。ティシェの泉の水は癒しの効果があるせいか不快さはなかったけれど、やはり水浸しなのは気になる。

「祝福ってそういうものじゃないでしょ」

 言いながら鎧の金具を外して地面に置き、ブーツを脱いで逆さまに振る。案の定、靴の中からも水は滴り落ちた。

「言ったはずです。私に心を求めるな、と」

 暗く陰った瞳を逸らす案内者。その横顔からは感情が読み取れない。どうやら感情が絡む話は一切タブーらしい。

「そうだったわね」

 火球を唱え、わたしは防具を乾かし始めた。握りこぶし程の大きさの火の玉が、ちらちらと装備品を照らし出す。しばらくの間、二人とも一言も発しなかった。堪え難い程に沈黙が降り積もってゆく。

「そう言えばまだ名前を聞いてなかったわ。あんた、名前は何ていうの?」

 ふいに答えやすそうな質問を思いつき、わたしは静寂を破った。彼女はわたしを一瞥すると、すぐに目を伏せた。

「……私に名はありません」

「何よ、それ」

 思いもよらぬ答えにたじろぐ。彼女は戸惑うわたしの瞳をジッと見据えた。

「借り物の名はありますが、その名を名乗ることは禁じられています」

「借り物の名?」

 意味が分からず眉根を寄せると、案内者は小さく頷いた。

「ええ。この姿の本当の持ち主の名です」

 余計に意味がわからない。

「いずれにせよ、私が貴女に答えられる名はありません」

 そう言って彼女は口をつぐんだ。もうこれ以上、この件について答えることはないと言外に告げるように。

 取りつく島もない様子に溜め息を吐く。ある程度乾いた防具を再び身に付け、わたしは彼女に向き直った。

「……そうやって今までずっと一人で生きてきたのね」

 龍王(あいつ)が『時の試練』を定めてからどれだけの時が経ったか、想像するだけで気が遠くなる。鎖楼王はわたしを六百年ぶりの挑戦者だと言っていた。それよりももっとずっと長い間、こんな何もない場所で、いつ来るかわからない訪問者を彼女は待ち続けてきたのだ。名前すら与えられず、たった一人で。

「それが主の御意思です」

 あまりにも理不尽な仕打ちに胸焼けがする。何だってこんな役割を彼女が背負わなければならないんだ。

「こんなところ、出て行ったらいいじゃない」

 咄嗟にそう言い返すと、彼女は首を横に振った。

「前にもお伝えしたように私はエネルギー体に過ぎません。この場所から離れられないように創られているのです」

 あの男らしいやり方だと思った。自分が必要だと思う形でしか他人の存在を許さない。わたしに対してそうだったように。

「何故貴女は泣いているのですか?」

 指摘されて初めて頬が濡れていたことに気付く。わたしは慌てて涙を拭った。

「……私の前で涙を流した人は貴女で二人目です」

 彼女は無表情なまま、扉の方へ近寄った。

「以前、私に涙を見せた人は、私をここから連れ出そうとしました」

 言って、彼女は扉の内側に腕を差し伸べた。腕はこちら側とあちら側の境界にさしかかると、指先から順番に消えていった。そのまま無頓着に足を踏み出す案内者。その爪先も消え失せる。

「ちょっ――」

 焦燥に駆られ、わたしは彼女を力一杯こちら側に引き戻した。と同時に焼け付くような痛みを両腕に感じた。が、今度は手を離すわけにはいかない。

「何考えてるのよ!」

 彼女は笑っていた。けれど、それは笑顔には見えなかった。

「何って、何も考えていません。どちらにせよ、この体が消えてもまた新しい体がここに戻るだけです。何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも何度でも――」

 壊れたように同じ言葉を繰り返す案内者。わたしはどうしたらいいかわからず、相手を抱きすくめた。腕だけでなく、全身に痛みが広がる。

「落ち着いて。お願いだから」

 痛みを押して腕の力を込めると、彼女はようやく「何度でも」という言葉を紡ぐのをやめた。

「……どうして貴女は私を放っておいてくれないんですか」

 掠れ声で呻くようにそう言い、顔を上げる案内者。その瞳は昏く、底なしの穴が空いているようだった。

「貴女はじきにここを去る。けれど、私はこの先、何十年も、何百年も、何千年もここにいなくてはならないのです」

「…………ごめん」

 触れてはならない部分に土足で踏み込んでしまったことにようやく気付く。弁解の言葉もない。

「わたしが悪かったわ」

 体を離し、唇を噛む。彼女が心を求めるなと言った意味を思い知らされるようだった。こんな風に相手を追い込んでしまった自分が腹立たしくて仕方がない。

「……貴女が謝る必要はありません」

 つかの間の沈黙の後、案内者はそう告げた。その面には既に何の感情もない。けれど、心無しか声の固さは和らいだように感じられた。

「私の方こそ取り乱したりして申し訳ありませんでした。ただ、潰えた望みを偲ぶことは、私にとって劇薬を呷るに等しいことなのです」

 彼女はわたしの腕を取ると、前にそうしたように全身に浮いた水泡を癒した。

「さあ、もうこの話は終いにしましょう。私には無限の時間がありますが、貴女には限られた時間しかないのですから」

 スペイリーさんとマリンの顔が思い浮かぶ。彼女の言う通り、わたしには時間がない。ここで時間を割くことは、二人との約束を反古にすることを意味する。

「……わかったわ」

 彼女を救いたい。けれど、今のわたしにはその手だてが見つからなかった。

「最後の試練は意志に関するものです」

 彼女はそれまでと同様に簡潔に説明すると両腕を掲げた。青い光を纏っていた扉は、今度は燃えるような緋色の光に染まった。

「ただし、この試練には棄権する権利が与えられます」

 第二の試練を受ける際、彼女が言っていたことを思い出す。表向きには後一つ、望む者には後二つって、こういうことだったのか。

「どうして?」

「最後の試練は第三の試練を及第した者同士で力を奪い合うためです」

 わたしは絶句した。それって、どちらかは必ず力を失うってことじゃないか。

 案内者は淡々と続けた。

「もっとも、同時期に複数の挑戦者が現れることは滅多にありません。ですから、最終試練を望む方は時と空間を超えた場所で相手の方と戦っていただくことになります」

 緋色の光が一際強く輝く。闘争心をかき立てるように。

「棄権するとどうなるの?」

「最終試練後に付与される力を得ることなくお帰りいただくことになります。ですがその場合、この試練への挑戦権は永久に剥奪されます」

 つまり、チャンスは一度きりということか。

「それなら挑戦しないわけにはいかないわね」

 わたしは扉に歩み寄った。確かにリスクはある。けれど、ここまで来て最後の試練を受けずに戻る気にはなれない。

 ところが、取っ手に触れるや否や、それまで緋色に輝いていた扉は急激にその光を弱めた。

「えっ?」

 今までとは違う反応に困惑する。案内者の方へ振り向くと、彼女もその異変に気付いたらしく静かにわたしの方へ近寄った。

「これ、明らかにおかしいわよね」

 手を離すと、光は元のように内側から吹き出すようにして勢いを取り戻した。

「ええ。こんなことが起きたのは初めてです」

 言いながら、扉に触れる案内者。

「特に異常はないようですが……」

 どうやら異変の原因を探っているようだ。さらに集中するためか、彼女は両目を伏せた。

「もう一度、扉に触れてください」

 指示された通り再び扉に触れる。すると、今度は僅かな光さえ消え失せた。

「……扉が貴女が通ることを拒絶しているようですね」

 彼女はわたしに向き直ると続けた。

「今はまだその時ではない、と」

「どういうこと?」

 即座に聞き返す。が、彼女は首を横に振った。

「わかりません。先ほども申し上げたとおり、未だかつてこのようなことが起きたことはありませんでしたから」

「……あんたがわからないなら仕方ないわね」

 今ひとつ腑に落ちないけれど、欲を出して全てを台無しにするよりは良かったのかもしれない。幸い短剣の名も思い出したし、鎖楼王から授かった弓もある。力に不足はないだろう。

「ですが、貴女はいつの日にか再びここを訪れることになるでしょう。それまで貴女の最終試練への挑戦権は保留とさせていただきます」

 保留と聞いて、わたしは少しほっとした。それなら、本当に力が必要になったときに試練を受けることができる。

「それじゃ、わたしはわたしがすべきことをしに行くわ」

「では、貴女が向かうべき場所へ道をつなぎましょう」

 案内者は両腕を胸の前で重ね合わせた。彼女の動きに合わせて緋色の光が黄金の輝きに変化する。

「ありがとう。またね」

 手を差し出すと、彼女は躊躇うように一拍置いてからわたしの手を握り返した。それは、彼女なりの精一杯の感情表現だった。

「御武運をお祈り申し上げます」

 扉を押し開ける。今度は光が弱まることはなく、逆にその輝きを増すようだった。

 わたしは足を踏み出した。何だかとても長い夢を見ていたような、不思議な気分に浸りながら。

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