時に取り残された場所-5
鎖楼王の邪魔にならないよう、わたし達はその場を離れて比較的低い石柱の集まる場所へ移動した。それぞれ座りやすそうな場所を選び、腰掛ける。目の前に広がる湖を眺めながら、わたしは口を開いた。
「亜仙くん、どうして戻らなかったの?」
風に乗り、白く輝く鳥たちが湖面に舞い降りてくる。平穏を取り戻した泉に帰ってきたようだ。
「……心配だったんです。鎖楼王さまはいつもはお優しい方ですが、こういうことに関しては手を抜いたりする方ではありませんから。失礼ですがレン=シュミットさんが勝利されるようにはとても思えなかったのです」
亜仙くんは申し訳なさそうに答えた。けれど、そう思われても仕方ない。幾千年もの時を生き抜いてきたとされる鎖楼王とわたしとでは、経験も実績もかけ離れているのだから。
「そっか。ところで、この遺跡は何なの?」
話題を変え、周囲を見渡しながら尋ねる。この石柱群、よく見ると弧影の碑と同じような模様が刻まれている。ハーディーなら何か知っていそうだが、あの性格からして素直に教えてくれるとはとても思えない。
「旧時代の遺跡です。まだ人や魔族が生まれるよりずっと以前の」
かたや、亜仙くんは躊躇いもなくそう答えた。懐かしそうに目を細めて。
「……この遺跡、そんなに昔のものなの?」
旧時代の資料となる古文書は片手に余る数しか発見されていない。各地域に残る幾つかの遺跡も構築時期はそれほど解明されていないし、師匠も旧時代のことは詳しく知らなかった。けれど、人が生まれるよりも前の時代のことなんて知る由もないのだから、当然なのかもしれない。
「ええ。あの頃はまだ龍王さまは全ての存在を愛していらっしゃいました。けれど、いつの頃からかあの方は変わってしまった。今はもう僕には龍王さまのお心がわかりません。この『時の試練』だってそうです。僕には世界に戦乱の種を撒き散らそうとしていらっしゃるように思えてならないんです」
辛そうに顔を歪める亜仙くん。わたしはジッと自分の足のつま先を見つめた。第二の試練の際、思い出した記憶が脳裏に甦る。わたしを、リマの街の人々を裏切った凍えるような目をした男の顔が現れ、そして消えた。母さんがとても辛そうな顔をしてわたしに語りかける姿がその後に続く。
「……亜仙くん、それがわたしの親父だって言ったら驚く?」
「えっ」
亜仙くんは思慮深げな栗色の瞳を驚きに見開いた。
「母さんから何度も聞かされたわ。『貴女は龍王の子よ』って」
頭に刷り込むように繰り返しそう教えられた。何度も、何度も。
「子供の頃、わたしにはその意味がわからなかった。龍王信仰では人は誰もが龍王の子だと教えられるから。でも、それだけじゃないことは次第にわかっていったわ。わたしは親父が普通の人と違うことを知っていたから」
表向きは石細工の行商を手がけていたが、わたしはこんな光景を見かけたことがある。親父が何かの原石と思われる黒いごつごつとした石に息を吹きかけると、それはたちどころに澄んだ鉱物の塊となった。そのことを母さんに言ったら口止めされたっけ。
「龍王の娘……」
口ごもり、畏怖の表情を浮かべる亜仙くん。
「自分の力を満足に制御することもできない出来損ないだけどね」
毛繕いする水鳥たちをぼんやり眺めながら、わたしは自嘲気味に笑った。
「母さんはいつもわたしの中にある力を恐れてた。この力は異質な魔力に対して拒否反応を示すから当然よね。わたしには特有のアレルギーがあるんだけど、多分それは防衛本能のようなものなのよ」
わたしの中にある力は恐らく親父から譲り受けたものだ。普通の人が持っている魔力とは根本的に性質が違うせいで、炎系列の初歩魔法である火球を身につけることすら苦労したっけ。
「鎖楼王にも言ったように、わたしは自分の力の使い方がわからない。でも、制御する方法を知らないままだったら……また同じことを繰り返すだけよね」
わたしは一旦言葉を切った。この先を話しても大丈夫だろうか?
「レン=シュミットさん」
亜仙くんがしばらく無言になったわたしを気遣うように名を呼んだ。彼は精霊だから嘘を吐いたり、裏切ることはない。彼の瞳に浮かんでいるのは純粋な労りだけだ。わたしは意を決し、口を開いた。
「ちょっと暗い話なんだけど、聞いてくれる?」
樹霊は神妙な面持ちで頷いた。多分、わたしの表情が思いのほか曇っていたせいだろう。
「それで貴女の気が晴れるなら」
承諾を得、わたしは偽りに埋もれていた記憶をとつとつと話し始めた。
「六年前、わたしの家族はそれなりに幸せに暮らしていた。けれど、十歳の誕生日を迎えた夏至の日、親父はわたしの力を触発して街を滅ぼしたの」
そう。前の試練と実際の結末は違う。わたしは自分の中から溢れ出した力を止めることができず、一つの街を地上から消した。
「わたしはあの時、全てを失った。母さんも、お兄ちゃんも、街の皆も……わたしがこの手で殺したのよ」
掌を握り締め、苦痛が落ち着くのをしばらく待つ。きな臭い記憶が鼻先をかすめる。あの雨の冷たさを体が思い出したのか、急激に体温が下がる。わたしは震えをごまかすように自身をかき抱いた。
「親父が何を思ってあんなことをしたのか、わたしにはわからない。知りたくもない。あいつは、あの男は何の罪のない人まで巻き込んだんだから」
怒りと憎しみが体の奥から突き上げてくる。のうのうと生きてきた自分にさえ腹が立つ。
「わたしは一時的にその記憶を失い、これまで生きてきた。親父が作った『時の試練』で記憶を取り戻すなんて皮肉よね」
絞り出すように話し終え、わたしは大きな溜め息を吐いた。
「……そうだったんですか」
「聞いてくれてありがとう。ちょっとスッキリしたわ」
重い空気を払拭するように、わたしは大きく伸びをした。すると、亜仙くんは苦笑いをした。
「貴女は強いですね」
「そんなことはないわ。生きるためにはきれいごとじゃすまないこともあるし、一つ一つ気にしてたら身が持たないだけよ」
慌てて弁解するように口走る。
「でも、貴女はそれを外に出さないだけだから」
すると、そう言って亜仙くんは慈愛に満ちた表情を浮かべた。外面をどう取り繕っても見透かされそうで、気恥ずかしい。
「これこれ、何を困らせとるんじゃ? 亜仙」
わたしが対応に苦慮していたとき、丁度いいところに鎖楼王が姿を現した。日の光にきらめきながら。
「終わったの?」
尋ねると爺ちゃんは大きく頷き、わたしの前まで来て両手を前に出すよう促した。
「ほれ、受け取るがいい」
手渡されたクロスボウを見てわたしは驚いた。掌の上に乗る程の大きさに縮まっている。そのうえ、元の弓にはなかった装飾がそれには施されていた。要の部分に七色の光の帯を含む上質の虹石が埋め込まれていたのだ。
「随分小さくなっちゃったわね」
弓は引けるが、以前の威力は望めそうにない。どうやらこれは今までとは使い方が異なるらしい。
「これ、どうやって使うの?」
虹石は全ての魔法を媒介することができる稀少な石の一つだ。わざわざこの石を埋め込んだからにはただの装飾ではないだろう。
「それは形のないお主の力を様々な属性の力に変換させて使う弓じゃ。属性を決めるときは一言、精霊王の名を口にすればよい。弦を引き、お主の望む結果を思い浮かべよ。様々な効果が望めるはずじゃ」
わたしは目を見開いた。まさかこんな形で自分の力が扱えるようになるとは夢にも思わなかった。
「ただ、一つだけ注意点がある。この弓を使う際は精霊の力が介入しない故、魔力の消耗が激しい。一日に使える回数は限られるじゃろう。気をつけて使うのじゃぞ? 龍王さまの御子よ」
「盗み聞きしてたの?」
弓(とりあえず『精霊王の弓』と呼ぶことにする)を腰にさげると、わたしは呆れたように言った。
「盗み聞きとは人聞きの悪い。聞こえてきたんじゃよ」
ニカリと全開の笑みを浮かべる鎖楼王。まぁ、いいか。
「それじゃ、わたしは帰るわ。色々ありがとうね」
亜仙くんはにっこりと笑った。胸の奥がじんとくる温かい微笑み。鎖楼王の爺ちゃんはうんうんと頷きながら片手をスッと挙げて言った。
「お帰りはこちらじゃ」
扉が湖面の上に出現する。わたしは柱に腰かけるのをやめ、扉に近づこうとしたのだが……思いっきり湖の中に落ちた。
「レン=シュミットさん、腰を下ろしてしまっては駄目ですよ」
亜仙くんがあきれたように言う。先に教えてよね。
「何というか、龍王さまの娘にしては頼りないような気もするがの……」
それが別れ際、鎖楼王が呟いた言葉だった。