時に取り残された場所-4
「世を統べし七精霊
動の精霊、火の精よ
我が魔力を喰い、汝が力開放せよ!」
先手必勝とばかりに火球を唱える。
空中に凝り固まった紅蓮の炎は、凄まじい勢いで鎖楼王がいた辺りの石柱を飲み込んだ。
が、こんな単純な攻撃では精霊王に毛ほどの傷も負わせることはできない。案の定、相手の姿は炎を呑み込むように膨れ上がり、そのまま湖の中へ消えた。気配を追いつつ、短剣を抜く。
「ただの火球にしては火力がすごいの。どれ、一つわしの力も見せてやろう」
湖面が小刻みに震え、水霊王の気配は水に溶け込んだ。多くの水霊の気配が探索を邪魔する。視界に頼るしかない。注意を凝らし、息を殺す。
背後から滝飛沫のような水が水を叩きつける音がして、わたしは素早く振り向いた。直後、にぶい衝撃が脇腹を直撃する。わたしは吹っ飛ばされて石柱の一つに激突した。
「クッ」
息が一瞬途絶える。口の中に錆の味が広がる。口の端を切ったらしい。必死に空気を肺に送り込もうとして大きくあえいだがままならない。視界が歪むのを感じて、わたしは自分の胸を力一杯殴った。
「……はぁ」
気道を空気が通り抜けたが、まなじりに涙が浮かんだ。
「ほう、根性があるのう」
態勢を整えて鎖楼王を見据える。相手はいつの間にかしなやかに体をくねらせる竜の姿を取っていた。鎖楼王は竜の頭部に上半身だけ突き出た形で髭をさするしぐさをした。だが、そんな悠長な態度を見せたのはほんの一時のこと。鎖楼王はすぐさま真剣な面持ちとなり、その手をわたしに向かって振った。
「行け」
向かって右手の方角から、先程攻撃してきた竜の尾が出現する。わたしは上空に身を転じてそれをかわした。
「痛ぅ」
体をひねったとき、脇腹にジクリと痛みが走った。あばらのどこかにヒビが入ったらしい。
「あばらをやったな。無理せず降参せい。わしとてお主のような娘っ子をいたぶる趣味は無いんじゃ」
と言いつつも攻撃の手をゆるめない鎖楼王。
「あきらめることは嫌いなの」
わたしは吐き捨てながら、試しに竜の尾に切りかかってみた。が、案の定すり抜けるだけで手応えがない。実体とはいえ、幻に切り掛かるのと大差なかった。
「無駄じゃよ」
鎖楼王は余裕綽々たる態度を崩さない。けれど、そういう態度が隙を生むんだよ?
わたしはもう一度火球の呪文を唱えて鎖楼王が姿を転じた竜に放った。蒸気を上げて火球の当たった長い胴の一部が蒸発する。切り離された頭の部分が重力に従って落下したが、年老いた精霊王はすぐに先程と同じような竜を創り出して声高らかに笑った。
「無駄じゃと言っておろうに。何ならほれ、こうしてやるわい」
言葉と同時に湖の水面がさざ波立ち、間欠泉のように天に吹き上がった。
「こんなの反則よっ!」
爺ちゃんが乗っている竜と同じものが四匹に増える。竜はわたしを敵と認識するや否や体をくねらせて突っ込んできた。
「ほっほっほ、これもわしの力の一部じゃ。手加減はせんと言ったじゃろ?」
こうなると、自在に空中を動けることが唯一の救いだった。迫り来る激流の攻撃をかわしながら、短剣を握る右手に力を込める。
「『契約に則り汝の力を我に与えよ。我が名はレン=シュミット。汝と血の契約を結びし者』」
短剣の能力を解除する言葉を口早に唱える。
「『汝の身に氷の力を宿せ、睡蓮』」
呼びかけに応じるように刀身が青く輝いた。掌から魔力が吸い上げられるのがわかる。
「それは睡蓮が身を転じたものか」
鎖楼王の顔に驚きの色が走った。そう、睡蓮というのはこの短剣がまだ水霊であったころの名前。ビゼ=アの王族の命を奪おうとした、精霊らしからぬ精霊が形を変えたもの。
「ええ、そうよ」
剣それ自体に宿った氷の力が飛沫を氷の結晶に換える。本来、氷剣のような補助魔法は術者本人が自分にかけることはできないが、精霊自身が力を直接行使する場合は話は別だ。代償としてそれなりの魔力を必要とするけれど。
実はこのやり方、師匠の十八番だったりする。あの人は契約の石に特定の精霊を宿して力を行使する魔法剣士だけど、中には輝輪のように目の代わりを務める精霊さえいる。あんなことができる人は師匠以外に見たことがない。
「睡蓮程度の力ではわしは倒せんよ」
普通に向かって行っては無理だろう。それは認める。けれど、
「どうかしら」
わたしはもう一度、火球を唱えた。注意深く、魔力を白炎の鎧と柘榴石の指輪とに振り分ける。発動を遅らせ幾度も呪文を唱え、慎重に魔法を重ねていく。
「ほう、面白いことをしおる」
攻撃を妨害すべく、水の破片が鋭い矢となって飛んできた。雹のように降り注ぐ飛礫。わたしは素早くそれをかわしつつ、溜めに溜めた火球を解き放った。
大小様々な紅蓮の炎は弾けるように様々な方向へ飛び散った。あるものは竜の胴を直撃し、あるものは呑み込まれる。
「痛くも痒くもないのぅ」
高らかに笑い声を上げる爺ちゃん。だが、わたしはあることに気付き、竜が体を復元するよりも早く同じ方法で火球を放った。その行方を目で追う。やはり今度も同じ傾向が見られた。
「同じことを繰り返しても仕方あるまい」
相手の言葉を聞き流し、再び魔法を練ることだけに意識を払う。鎖楼王は同じことの繰り返しに、少し苛立ったような口調で問いかけてきた。
「それが何だというのかね?」
「さて何かしら?」
はぐらかすように答えると、老王は威高な調子で宣言した。
「言葉で理解できぬなら、体に解らせるまでよ」
竜の角をつかむ鎖楼王。わたしはしびれを切らして近づいてきた竜の頭に飛びかかり、相手が自分の失態に気づいたと同時に竜の角に向かって短剣を一閃させた。
短剣が触れたところから角が白く濁ってゆく。もう一度、剣を凪ぐ。鋭い音を立てて角が弾け飛んだ。破損したところからさらに氷結化が進んでゆく。
だが、まだだ。
凍り付いてゆく龍の頭部が重力に従って水の中へ落ちた。大きな水柱が上がる。
わたしは僅かに生まれた一瞬の隙を突き、先ほど鎖楼王が腰掛けていた環状列石の中央の柱へ移動した。その頭頂部に目的のものを見つける。そこには竜の形をした瑠璃のレリーフが埋め込まれていた。
「それに手を出すではない」
背後から静止の声がかかる。だが、鎖楼王は一足遅かった。わたしは既に短剣の切っ先をレリーフにあてがっていたのだから。
わたしは肩越しに鎖楼王を見た。相手の顔には今までにない、険しい表情が浮かんでいる。
「鎖楼王の爺ちゃん、降参してくれる? 本来ならまだまだ戦えるんだろうけど、わたしにはあまり時間がないの」
緊張に鼓動を速めながらも譲歩を迫る。実際のところ、わたしにはこのレリーフが何なのかはよくわからなかった。鎖楼王はこの場所をやたら庇っていたから、重要なものであることは間違いないはずだけど。
「……爺ちゃんとな。このわしを爺ちゃんと呼ぶか。なるほど、確かにそうなのかもしれん」
ところが、思いもよらない理由で鎖楼王は相好を崩した。愉快そうに笑う老王。わたしはあっけにとられて相手の顔をまじまじと見た。
「よかろう。何やら事情もあるようじゃし、今回は貸しにしておいてやるわい」
にこやかに告げ、鎖楼王はトントンと腰を叩いた。
「……本当にいいの?」
にわかに信じがたく、ついそんなことを尋ねてしまう。
「無理にとは言わんがな。何ならほれ、もう一戦、交えるか?」
わたしは慌てて首を横に振った。が、無理な体勢のまま首を振ったため、忘れていた痛みが脳天を突き抜けた。痛い。
「ほれ、さっさとここの水を飲むのじゃ。ここがティシェの泉だということを忘れたのか?」
言われてみればそうだった。
短剣を納めると、わたしは掌に水をすくって口に含んだ。薄荷のような香りの液体が喉を滑り落ちてゆく。それはじんわりと体に染み渡り、徐々に脇腹の痛みを散らしていった。
「ところでお主、何故この石がわしの本体だとわかった?」
少し肩をすくめ、わたしはさっき感じたことをありのままに話した。
「何度か攻撃しているうちに、何かが引っかかって確認したの。そうしたら、炎が竜の胴に当たる時は素知らぬ顔をしているのに、この方角に炎が飛ぶ時だけは必ず呑み込んでいた。それに、鎖楼王の爺ちゃん、この石柱群から少しずつ離れて行ってたしね。それが本体だなんて今初めて知ったけど、重要な何かであることぐらい察しがついたわ」
爺ちゃんは面食らったように目を見開いた。
「六百年とは長い年月じゃのう」
遠い目をする鎖楼王。六百年前、誰を相手にしたのか知らないけど、よほど洞察力のない相手に当たったらしい。
「それならこれで、第三の試練は突破ってことよね?」
「そうじゃな」
小さくガッツポーズする。それじゃ、そろそろあの場所に戻らないと。
わたしはここからシャグシェルシーへ戻る道を尋ねた。だが、爺ちゃんは茶目っ気たっぷりに目配せすると、次のように申し出てくれた。
「そう急くな。お主に良いものを授けよう」
え、何かくれるの? ついつい顔が緩んだわたしに、鎖楼王が苦笑する。だが、次に続いた言葉を耳にし、わたしは眉根を寄せた。
「お主、自分の力を制御できず、困っておるじゃろう?」
鎖楼王の爺ちゃんはわたしの目をのぞき込むようにして言った。
「戦っておる間、わしは何だか恐ろしかった。お主がいつその力を解放するのか……わしはつい勝ちを急いでしまった。こんな思いをしたのは実に何年ぶりじゃろうて」
わたしの中に眠る異質な力の気配を鎖楼王は感じ取っていたらしい。
「でも、わたしにはこの力の使い方がわからないのよ」
今までこの力は厄介なだけで、使いこなす類のものではなかった。実際のところ、魔力の性質が違うせいで精霊との契約にもほとんど使えない。わたしがそれなりに魔法を扱えるのも、道具に依るところが大きかった。
「じゃが、その力をただ眠らせておくのはもったいない。其方、何かいらぬ武具を持っておらぬか?」
わたしは躊躇した。この力が扱えるようになるのは助かる。けれど、またいつ暴走するかわらない力を安易に使って大丈夫なのだろうか。
「心配せずともよい。寧ろ、それだけの力を持ちながら制御する術を持たねば、タガを失った時、全てが無に帰す」
耳の痛い忠告に、わたしはギュッと目を閉じた。リマでの出来事が脳裏に翻る。
そう、鎖楼王の言う通り、わたしはこの力を制御すべきだ。これ以上、暴走させないためにも。
「わかったわ」
わたしは意を決して目を開けた。そして、腰からクロスボウの留め金を外し、ケースごとそれを鎖楼王に手渡した。
「少し待っておれ。亜仙、そこにおるのじゃろう? 隠れておらずともよい」
意外な名前を耳にし、わたしは辺りを見回した。
「すみません。つい気になってしまい……」
こちらの様子を伺うように、奥の石柱の影から恐る恐る姿を現す亜仙くん。その姿を目にし、鎖楼王は朗らかに笑った。
「よいよい。少しの間、話し相手をしておってくれ」
「わかりました」
それだけ言うと水の精霊王は環状列石の中央の柱に向き直った。