時に取り残された場所-3
青く澄んだ湖は日の光を受けて涼やかに煌めいていた。時折風が水面を吹き渡り、幾千もの光の欠片がそこを彩る。湖の敷石は石英の玉砂利であるらしく、光の反射に青白く浮き上がって見える。水底は光が様々な模様を描き、その上を銀の小魚が群れをなして泳いでいた。
「他の精霊達はどこへ行ったの?」
ここへ来てから亜仙くんの他には誰にも会っていないことに気付き、問いかける。すると、亜仙くんはクスクスと軽やかな笑い声をあげた。
「目を凝らして良く見てください」
指摘され、注意深く辺りを見回す。爽やかな風が髪をあおった。目にかかった髪を撫で上げた直後、わたしは驚きに息をのんだ。
「全てが僕たちであり、僕たちはその一部なんです」
打ち寄せる波間に美麗な姿が現れては消える。小魚と思っていたものが滑らかな姿態をくねらせわたしに微笑みかけた。銀の肌を惜しげもなく日の下に晒して。
「僕たちは必要に応じて相手が認識しやすい姿を取ります。ですが、ここではそうする必要がほとんどありません」
後ろを振り返り、渚の奥に広がる森を眺める。それぞれの木々は生を謳歌するように隆々と枝を張り出している。その緑の輝かしさに明らかな意思を感じ、わたしは亜仙くんに向き直った。
「じゃあ、やっぱりさっきの木に悪いことしたわね」
「大丈夫ですよ。彼はわざとそうしたわけじゃないことを理解していましたし、むしろあなたを傷つけたことを申し訳なく思っていましたから」
亜仙くんは優しく微笑みかけると再び湖を進み始めた。
「さあ、先を急ぎましょう」
わたし達は泉の上を音もなく進んで行った。やがて、水の中から幾つもの天青石の石柱が突き出している場所へ到着した。
「ここが水霊宮?」
尋ねると、亜仙くんは「ええ」と頷いた。そしてさらに石柱の中央へわたしを誘った。
「鎖楼王さま、亜仙です。挑戦者の方をお連れいたしました」
涼やかな声が湖面に響き渡る。
「亜仙か。ご苦労であった。下がって良いぞ」
水の精霊王は環状列石の中心部にある低い円柱に腰掛けていた。足は泉と一体化しており、その体も湖水と同じように澄んでいる。まるで老人姿のガラスの彫刻が展示されているようだ。
「あなたが鎖楼王……」
「六百年ぶりかの。今回はえらく若い女子じゃ」
ほっほっほと朗らかに笑う鎖楼王。この人にとってみれば取るに足らない相手なのだろうけれど、真面目にやってもらわないと困る。
「其方、名は?」
「レン=シュミットよ」
名前を耳にし、相手の表情がほんの僅かに強ばる。が、すぐに元の好々爺の趣が面を覆った。
「よいこらせっと」
掛け声と共に立ち上がる鎖楼王。何だかイマイチ迫力に欠けるな。
「では僕はこれで下がります。レン=シュミットさん、頑張ってくださいね」
そう言って亜仙くんはわたしに微笑みかけた。
「おや、亜仙。お主はこの女子の味方をするか」
片方の眉を吊り上げ、問いかける鎖楼王。
「すみません。鎖楼王さま」
亜仙くんは素直に頭を下げた。
「よいよい。そうか、この女子の味方をするか」
得心がいったように鎖楼王が頷く。亜仙くんはそんなご老体に恭しく頭を下げるとその場を立ち去った。
「其方、レン=シュミットと申したな。手加減はせぬ。己の腕を過信せず、全力で戦うがよい」
「望むところよ!」
こうして第三の試練は始まった。