消えた王女-2
本日も晴天なり。澄んだ空気の中を朝日が繊細な音を奏でるようにして街中に降り注いでいる。さて、今日こそは謁見の時間に間に合うように城へ向かわないと。
朝のさわやかな空気に気を良くし、鼻歌を歌いながらわたしは部屋の窓から室内に視線を移した。部屋にはあの古い防具が鎮座している。
「やっぱりちょっと古すぎるかな」
昨日の夜、若干手入れしたもののやはり古いものは古い。ガルディナ王は賢王と名高い人だと聞いたことがあるし、人を見た目で判断しないことを祈ろう。
服を着替え、荷物の整理をしている最中にズボンのポケットを探っていたら昨日のあの手紙が出てきてしまった。人が折角昨日のことは忘れようとしていたのに。
あの時、ホントはこの手紙がどうしてわたし宛に届けられたのか奴に聞くつもりだった。けれど、あの魔族がふざけた真似をしたものだからうやむやなまま一時的にポケットに押し込まれていたのだ。
「うーん」
もう一度内容を確認するため封筒から手紙を取り出す。と、一緒にこぼれ落ちたものがあった。焦げ茶色の小さな……これは種だろうか? 芥子粒ほどの大きさの種だから、きっと何かの拍子で紛れ込んだものだろう。とはいえ何となく捨てがたかったため、わたしはその種を封筒に戻し、手紙を開いた。
「それにしてもこの内容、ワケがわからないわ」
第一、魔王が一介の賞金稼ぎに助力を乞うってどういうことなんだ。何かしたいことがあるならいくらでも配下がいるだろうに。詳しいことは何も書かれていないところを見ると、聞きに来いってことなんだろう。行かなかったらそれはそれで厄介なことになるんだろうな……頭が痛い。
そしてこのスペイリー姫の手紙。こちらもわたしに助けを求める内容だけど、どうやら魔王の元から助けてほしいって意味ではないような気がする。大体、そんな手紙ならウェルネスはわざわざスペイリー姫の手紙を同封しないだろう。しかもこのガルディナ王への謝罪の言葉は何なんだ?
わたしは手紙を懐にしまうと、髪を梳かしながらスペイリー姫の言葉を反芻した。
「『ガルディナを見捨てるような真似をし、誠に申し訳ありません』か」
どちらにせよこのことについては王から詳しい話を聞く必要がありそうだ。ニュアンスは違うかもしれないけれど、この手紙を上手く使えば仕事を正式に受けることだってそれほど難しくはないはず。
楽観的に結論づけるとわたしは荷物を抱え上げ、宿をチェックアウトした。
外へ出ると昨日と同じ陰気な空気が街に漂っていた。あまりジロジロ見るのは悪いかなと思いつつも、ついつい周囲を見回してしまう。蝋人形の街に迷い込んだようで居心地が悪い。
城へ続く石畳の道には無頓着に捨てられたゴミが所々に吹きだまっていた。誰もそれを片付けようとしないし、気にもとめていない。道の脇に流れる水路に詰まり、悪臭を放っているところもある。
顔をしかめながらもわたしはさらに街の中心部へ歩いていった。
城へ続く曲がりくねった坂道にはガルディナの要人の屋敷やこの世界の神『龍王』の神殿の他に、武器や防具、雑貨などを売る様々な店が軒を連ねている。以前、師匠に連れられて来た時にはにぎわいを見せていたそこも、今は火の消えた蝋燭のようにひっそりとしていた。いくつかの店は主を失い、扉を固く閉ざしている。
辟易しつつもどこか開いている店はないかとわたしは道を辿っていった。すると、一軒の店が目に留まった。そこは防具屋でも何でもない魔術の道具屋。その店先に白く染め上げられたレザーアーマーがぽつんと置かれていたのだ。
わたしは引き寄せられるようにその鎧の前で立ち止まった。蔓草を模した銀の装飾の中央に据えられたのは鳩の卵ほどの大きさの紅玉。容易く人を寄せ付けない高貴な紅が目を射るようだ。
「それは『白炎の鎧』と言ってね。銘は刻まれていないが、造りは一級品の代物さ」
突然声をかけられてわたしは顔を上げた。店主と思しきおばちゃんが店の奥から姿を現す。彼女は表の日差しに目を細めながら鎧の方に歩み寄った。
「どうだい。安くしておくよ」
疲れきったように嗄れ声で告げると、彼女は近くに置いてあった丸椅子に腰掛けた。
「あいにく手持ちがないわ」
ちらり、と鎧に付けられた値札に目をやる。四万三千ゴルか。品物からすると特価と言ってもいい値段だけど、財布の中身は五千ゴルにも満たない。所詮高嶺の花と思いつつも、わたしは諦めきれずに鎧の肩に手を置いた。すると、胸にあしらわれた紅玉が一際明るくなったように見えた。
「気に入られたね。こいつは気に入らない相手には火を噴くからすぐわかる」
歯の抜けた顔でニッと笑うおばちゃん。わたしは困りきった顔で首を振った。
「そうは言っても買えないのよ」
彼女は思案するようにわたしの姿を眺めた。とりわけ腰の辺りを重点的に。
「それは『水霊の短剣』じゃないかね?」
言い当てられて、わたしはちょっと驚いた。
「よくわかるわね」
「もちろんさ。何年この商売をしていると思っているんだい」
おばちゃんはしげしげと短剣を見つめると、少しだけ触らせてくれないかと懇願した。あまり自分の武器を人に預けたくはなかったが、あまりにもその様子が熱心だったためわたしは短剣を鞘ごと腰から抜いて彼女に手渡した。
「写ししか見たことはなかったが、まさか生きている間にこの目で拝めるとは思ってもなかったよ」
ひとしきり感心しながら彼女は短剣を幾方面から眺めた。柄にあしらわれた蓮の花の装飾を特に念入りに調べると、おばちゃんは短剣をわたしに返した。
「本物だね。短剣もあんたを信頼している」
さすがに魔術の道具を扱い慣れているだけあり、その審美眼は伊達じゃないようだ。
「あんた、あのおふれを見てここに来たのかい?」
声をひそめて尋ねながら、彼女は椅子から立ち上がった。
「そうだけど……」
相手のブルーグレーの瞳に疲れよりも強いものが現れ、わたしは少したじろいだ。
「それなら持っていきなさい」
わたしは目を見開いた。いや、持ってけって言われてもこんな高価な物をただでもらうわけにはいかない。
「ちょっと、話が見えないんだけど」
鎧を台座から外そうとするおばちゃんの肩をとらえて振り向かせる。と、彼女は苦痛の滲んだ表情でわたしを見た。
「この国の現状を見ただろう?」
わたしは頷くと街の人達の様子を思い浮かべた。そういえばこんなにはっきりと自分の意思を現したのはあの魔族以来初めてだ。
「私はね、丁度一年くらい仕入れのために国を出ていたんだよ。戻ってきたらこの有様さ。目立たないように暮らしてきたものの、自分の故郷がこんなになってしまったのが悔しくてね」
わたしの両手をギュっと握りしめるとおばちゃんは続けた。その力は痛いほどだ。
「この国を救ってくれないかい?」
すがるような瞳に押されてわたしはつい心を動かされた。彼女の国を憂う気持ちがストレートに胸を打ったのだ。
「今はもう、誰かに頼るしか道はないんだよ」
その言葉を聞いてわたしはもしかしたら、と思った。王が望むのはスペイリー姫の救出だと考えていたが、問題はそれほど単純じゃないのかも知れない。考えていたよりも状況は複雑なようだ。
「わかった。でもただでは受け取れないわ」
取り外した鎧を差し出すおばちゃんに首を振ってみせたが、彼女は頑として譲らなかった。
「それじゃあ私の気が済まないんだよ」
わたしは根負けしておずおずと鎧を受け取った。別に鎧が欲しくないわけじゃない。何しろ胸当ては交換しなくてはならない時期に来ている。破損するのは時間の問題だ。
「ありがとう。期待に応えられるように全力を突くすわ」
新しい防具を手にした喜びが胸の中にじんわりと広がる。と同時に、どうあってもこの国を救わなくてはいけないという責任感が芽生えた。
「身につけていきな」
胸当てを外し、それを身に纏う。白い鎧はまるで元からわたしの物だったかのようにぴったりと体になじんだ。
「頼んだよ」
おばちゃんはそう言ってわたしの背中を叩いた。
「まかせといて」
わたしはニッと笑うと、彼女に別れを告げて店を後にした。