時に取り残された場所-1
無言で扉を通り抜けると、わたしは肌寒さを感じて腕をさすった。血の気が引き、全身が凍るように冷たい。噴水に落ちた時から体は元の年齢に戻っていたが、心を刺し貫いた悪意の氷柱は溶けずにその場へとどまっていた。
「第二の試練、突破おめでとうございます」
無機質な声で祝福され、わたしは否定するように首を振った。
「……おめでとうって、何がよ」
甦った記憶の数々に気持ちがかき乱される。
全てを思い出した。幼かった頃のこと、師匠のこと、現在に至るまでにわたしがたどった経緯を。試練が私の記憶を再構築した際、ついでにほつれが修正されたらしい。
「あんな重要なこと、忘れていたなんて」
呟いて唇を噛む。
わたしは記憶を取り戻すためにここへ来た。そして、今まで本当の記憶と信じて疑わなかった記憶さえ偽りだったことを知った。
恐らくその重責に耐えられず、自ら記憶を封じていたのだろう。親父が引き金を引いたとはいえ、リマの街を破壊したのはわたしの力だったのだから。
「……わたしが、皆を殺したんだ」
記憶の重さがまるで鉛のように体に付随している。このまま水の中に身を浸したら水底に沈んでしまいそうだ。だが、罪悪感に苛まれるわたしには構わず、案内者は機械的に言葉を発した。
「過去は過去です。第二の試練は過去を追体験し、絶望を克服することを目的としますが、その内容の是非を問うものではありません」
淡々とした口調で彼女は続けた。
「貴女は及第しました。私にとって重要なことはそれだけです」
「ちょっと待ってよ」
わたしは無性に腹立たしくなって、全く表情を変えない案内者の肩を掴んだ。が、その瞬間、雷を直接掴んだような鋭い痛みが走り咄嗟に手を離した。見ると、両掌に赤い水泡が浮き出ている。
「私はただのエネルギー体に過ぎません。怒りに任せて危害を与えようとしても、貴女の思うようにはならないでしょう」
静寂を瞳にたたえ、彼女はわたしの目を見返す。その冷淡さが気に障った。
「あんたには感情ってものがないの?」
「かつてはあったかもしれません。ですが、私という人格はここへ試練を受けにくる者達を迎え、導くためだけに創られた存在。感情が何の役に立ちましょう?」
言いよどむことなくそう告げる案内者。けれど、相手の瞳に僅かな感情が浮かんだことに気付き、わたしは口をつぐんだ。
「私がこの場所をまかされたのは数千年余り過来し方。ここへ来る者達はそれぞれ事情を抱えた者ばかりで、私に興味を持つ者などほとんどいませんでした」
案内者はわたしの両手をそっと掬い上げた。一瞬身構えたが先ほどの痛みはなく、彼女の手がほんのり温かくなったかと思うと水泡は端から消えていった。
「私は理解しました。己の立場を。ここに存在することの意味を。一人で存在し続けるには感情は邪魔なのです」
彼女は手を離すと、一歩後ろへ退いた。
「だから貴女も私に心を求めないでください」
深々と頭を下げる案内者。納得できなかったが、かける言葉が見つからない。
「ではそろそろ次の試練を受けていただきます」
そう言って彼女は両手を上へ掲げた。その動きに合わせ、今まで翡翠色に輝いていた扉が青い光に染まる。
「三つ目の試練は魔力に関するものです」
前の時と同様、彼女はそれ以上説明するそぶりを見せなかった。わたしは無理矢理気持ちを切り替え、扉に向き直った。
今は考えるのはよそう。過去は二度と戻らないのだから。それに、今は他にすべきこともある。
扉を押し開け、わたしは再びそこをくぐった。