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気ままに行こう!  作者: 空魚
忘れ去られた記憶の闇
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忘れ去られた記憶の闇-5

 その日、空は晴れていた。千切れ雲はいくつかあったけれど、雨を降らせるような種類のものじゃない。外へ出かけるには絶好の日和だ。

 それなのに、わたしは朝から自分の部屋の中を落ち着きなく歩き回っていた。お父さんが呼びにくるのが怖い。その気持ちは時を追って強くなっていった。

 何故こんなに恐怖を感じるのだろう?

 掌はすっかり汗ばんでしまっている。身に着けた服も肌に吸い付くようだ。それに、やたらと口の中が乾く。嬉しいはずなのに嬉しくない。楽しいはずなのに胸騒ぎがする。乖離した感情が動揺を誘った。

「レン、用意はできたか?」

 声と共に部屋の扉が開いた。足を止めて扉の方をみやる。すると白い麻の服を着たお父さんがそこに立っていた。

「……うん」

「ならば行こう」

 優しく促す声に心が歓喜の声を上げる。同時に、心臓を打ち抜くほどの恐怖が走った。行動を制するかのように。

「レン?」

 部屋の中から動こうとしないわたしに、お父さんは近付いた。

「町へ行きたくないのか?」

 わたしは首を横に大きく振った。

「私と一緒が嫌なのか?」

 再び首を横に振る。

 わたしは自分でも説明をつけられない感情をお父さんにわかってほしかった。けれど、それを伝える術を全く見出せなかった。

「それなら早く来なさい」

 もしもこのまま付いて行かなかったら、ひょっとしたらお父さんはもうわたしに見向きもしなくなるんじゃないだろうか。そんな考えが頭の中をよぎる。

 お父さんは振り返りもせず足早に部屋を出て行った。わたしは慌ててお父さんの後を追った。

 町の中心部に足を運ぶのは久しぶりのことで、いつもならもっとわくわくしながらその道程を歩いているはずだった。

 けれど、その日は違った。

 一足一足、歩を進めるごとに気分がどんどん落ち込んでゆく。不安だけが募ってゆき、黙っているとそれは余計に大きく感じられた。

「ねえ、お父さん。この間はどんなお仕事をしたの?」

 わたしは沈みがちな気持ちを無理やり奮い立たせると、お父さんに問いかけた。前を歩いていたお父さんは、少しだけ後ろを振り返った。

「馴染みの職工の作品を売り込みにいったんだよ」

 リマの町には採掘した石を加工する職人さんがたくさんいる。現に今もそこここからノミと金槌が打ち合う音が聞こえてくる。もっとも、今日は夏至の祭儀があるせいか、その音は普段よりは控えめだった。

「だからいつも家にいないの?」

 その問いかけには答えず、お父さんはわたしに逆に聞き返した。

「お前は私の仕事に興味があるのか?」

「うん。だってお父さんのこと、もっと知りたいから」

 わたしは出来る限り明るく振舞った。率直に嬉しかったのもある。お父さんがこんな風にわたしと話をしてくれるのは滅多にないことだった。

「そうか」

 お父さんは再び前を向いて歩き始めた。

「レン、お前はミリアよりもアレに似ているのかも知れんな」

 お父さんの言葉の意味がわからなかった。お母さんよりもわたしが誰に似ているというのだろう?

 けれど、わたしはその疑問を口に出すことはなかった。仮に尋ねたとしても何も答えてはくれないだろう。そう思った。

 何だか気まずくなって口をつぐむ。わたしとお父さんは無言のまま壁を漆喰で塗り固めた家々の前を通り過ぎていった。足は相変わらず重く感じられる。

 まばらだった人通りは次第に増えていった。友達の姿も何人か目にした。だけど、皆、わたしがお父さんと一緒にいることを知ると挨拶もせずにそそくさと姿を消した。

 中央広場に辿りつく。夏至の祭儀のため、真ん中にある噴水には祭壇が設けられている。普段は大人の背よりも高い水柱を吹き上げている噴水は、今日は水量を調整しているせいか静かだった。

「あ、ヴェルバ」

 祭壇からやや離れたところに神官の服を着せられた同い年の男の子を見つけてわたしは思わず呟いた。

「知り合いか?」

「うん。少し話してきてもいい?」

 お父さんがゆっくり頷く。わたしはそれを確認すると人ごみを潜り抜けてヴェルバの近くに駆け寄った。

「ヴェルバ、おはよう」

 わたしが走ってくるのに途中で気付き、ヴェルバはニッと口の端を吊り上げて笑った。

「よう、レンじゃないか」

「なかなか様になってるわね」

 ヴェルバの姿を頭からつま先まで眺める。栗色の短い髪と同じ色の瞳のヴェルバは「まあな」といって得意そうにそばかすだらけの鼻の下をこすった。

「でも、服に着せられてるみたい」

 そう言って笑うと、ヴェルバはすねたように口を尖らせた。

「うるせぇ。いちいち祭りの度に代えるわけじゃないから、仕方ないんだよ」

 シルクで織られた淡い緑の服の裾を手で引っ張り、ヴェルバは続ける。

「毎年着まわしてる服なんだから」

 ブツブツと文句を言う姿に何故かホッとした。ふと、お父さん以外の人と話すことに安堵を感じている自分に驚く。わたしはどうしたわけか無意識にお父さんから離れようとしているらしい。

「そういえば、トルテやリトリアには会わなかったのか? 今日はあいつらも来るって聞いてたけど」

 わたしが自分の思考にとらわれようとした時、ヴェルバはそんなことを尋ねた。

「来ているみたいよ。まだ挨拶はしてないけど」

 わたしは肩をすくめた。会うことには会った。けれど、わたしがお父さんと一緒に出かけることは本当に珍しいことで、二人にとっては声をかけづらい状況だったんだろう。

「そうか。あと半刻で俺の晴れ舞台だ。きっちり見とけよ」

 ヴェルバは屈託のない笑みを浮かべた。

「それじゃ、俺、準備があるから」

「うん。しっかりやりなさいよ」

 力一杯ヴェルバの背中を叩いてやる。ヴェルバは「痛えよ!」と吐き捨てつつも、祭壇の方へ戻っていった。

 祭壇の近くにはヴェルバのお父さんが立っていた。ヴェルバが何やら話かけると、その人は大きく口を開けて笑い、ヴェルバの頭を撫でた。遠目からだけど、ヴェルバは照れくさそうにしつつもとても嬉しそうに見えた。

 その姿を見ていたら、急に心臓をギュッと締め上げられるような痛みが走った。

 何だろう、この気持ち。

 どうしてこんなに悲しいんだろう。

 急に広場のざわめきが遠のいた気がした。

「レン、どうした」

 ボウッと突っ立っていたら、お父さんに背後から声をかけられた。わたしは弾かれたように振り向くと、お父さんの顔を見上げた。その表情は逆光でよく見えなかった。

「お父さん」

 無性に寂しくなってわたしは手を伸ばした。手を握って欲しかった。頭を撫でて欲しかった。ヴェルバのように。

「お父さん」

 繰り返し呼びかけると、お父さんはわたしに手を伸ばした。とても大きな掌だった。綺麗な指をしていた。無骨さのない、整った形の掌。

「レン」

 降ってきた声はそれまで耳にしたことがないほど優しかった。慈しむような響きに、わたしは全身に喜びが駆け抜けるのを感じた。乾いた砂地に水を落とすように、その声はわたしの心に染み渡った。

 けれど、お父さんの手がわたしの手に触れたとき、わたしは愕然とした。

 掌の接触した部分から敵意に満ちた力が注ぎ込まれる。掌から腕へ。腕から胴へ。無数の針で刺し貫かれるような痛みが走った。

「お父……さん?」

 わたしは自分の身の上に起きたことが理解できなかった。眉根を寄せ、苦痛に耐えながらもお父さんの顔を見上げる。表情は見えぬまま。

 力はわたしの核になる部分を押し潰すように体のさらに奥深くに侵食していった。力から逃れようと手を振りほどこうとしたが、お父さんは手を離さなかった。わたしは全身に走る痛みに耐えかねてその場にうずくまった。

「レン、お前は私と手をつなぎたかったのではないのか?」

 優しい、優しすぎる声。わたしはすがるようにお父さんの顔を見続けた。

「ど、うして」

 四肢を這い回る苦痛に声がかすれる。理不尽な痛みは徐々に強くなっていく。

「お前達にはほとほと愛想が尽きたのだ」

 掌を通して注ぎ込まれる力が一際大きくなった。それは肉体的な痛みとともに心にも突き刺さった。

「私がお前に訳もなく優しくするはずがないだろう? レン」

 目を見開く。思いもよらない言葉にわたしは色を失った。

 何かが体の中はじける。その何かは注ぎ込まれる力に反発するように、急速に膨らんでいった。

「いい子だ」

 お父さんは力の発現に気付くとようやく手を離し、わたしの頭を撫でた。

「ど……して」

 裏切りに対する哀しみと怒りが糧となり、生まれた力は闇雲に外に溢れ出ようとした。その力は凄まじく、ともすれば簡単に飲み込まれそうだ。わたしはもう、何もかも投げ出してしまいたかった。

 けれどその時、噴水の水面がキラキラと陽光に反射しているのが目の端に映った。と同時に、昨日見た水がめの画像が頭の中をよぎった。

 大切なことを見落としている。

 いつか感じた違和感。正反対にぶれる心情。それはこの出来事をわたしが知っていたせいで起きた現象なんじゃないだろうか?

 深く考えなかった事象が突然一つの像を取り始める。芋づる式に生まれた疑問にわたしはゾッとした。

 わたしはこの後、何が起きたか知っている。

 これは過去、既に起きた出来事だ。では、何のためにわたしはこの出来事を追体験しているんだ?

「だ、め……」

 全ては手遅れの一歩手前まで来ていた。体の中に篭った力は時を追って成長していく。それをこのまま解放するわけにはいかなかった。もう二度と、あんな間違いを繰り返したくない。

 制御しきる自信は全くなかった。それでも制御しなければ町の皆をまた殺してしまうことになる。

 わたしは全身に走る痛みに集中力を乱されながらも、誰にも危害が及ばないように力を自分の内へ向けた。

「……グゥッ」

 相乗的に膨れ上がる苦痛。体が四散するような錯覚。痛みで意識は朦朧とし、「全てを見限ってしまえば楽になるのに」と抗いがたい誘惑が沸き起こる。

 それでもそんなことを許すわけにはいかなかった。

 街の人達の顔を、友達の顔を、お母さんの顔を、お兄ちゃんの顔を思い浮かべる。その誰をも二度と失いたくない。

 苦痛の塊となった体を起こし、わたしは祭壇に向かって歩き始めた。一歩一歩、足が地面を踏みしめる度に痛覚が刺激される。ともするとその場に倒れてしまいそうだった。わたしは体を引きずるようにして前に進んだ。

 幸いわたしを引き止める者はなかった。その場に居合わせた人達はわたしとお父さんのやりとりを見て、ただならぬものを感じていたのかもしれない。

 木組みの祭壇のところまで来たとき、ヴェルバが心配そうな顔をして前に出た。苦痛に満ちた表情で前のめりに歩くわたしに手を貸そうとしてくれたのだろう。けれど、わたしは首を小さく横に振った。

 祭壇の上に立つ。噴水の水面には顔を歪めた本当の『わたし』の姿が映った。じっと見ていると、今までの経緯が頭の中に次々とひらめいていった。丁度それは手品の種明かしのようだった。

「これが、答えね」

 腰に下げた短剣を抜く。躊躇う時間はなかった。わたしは切っ先を自分の喉にあてがうと、一気にそれを突き立てた。

 四肢を支える力を失い、体が噴水の中に落ちる。体を噴水の底にしたたかに打ちつけた痛みよりも、顔にかかった水しぶきが気になった。喉元から何かがドロドロと流れ出てゆく。血と一緒に。

 もう広場の様子は気にならなかった。目の前の水がわたしの血で赤く染まる。痛みも苦しみも思考を止めてしまうほど酷かったが、頭の中ではこれはどこかで辿るべき道だったのだと理解していた。偽りの殻を破らなければ全ては始まらない。

 水に揺らぐ視界はやがて暗転していった。体の中の力が水に溶け、緩やかに霧散するのを確認してからわたしは意識を手放した。


 ――――――レン


 名前を呼ぶ声がする。

 深いまどろみの中にいたわたしは、ぼんやりとしたまま声の発信源を探した。


 ――今……とは……るんだ。


 その声をわたしは聞いたことがあるような気がした。けれど、その声は酷く小さく途切れ途切れで、はっきりとは聞き取れなかった。

 瞼を薄っすらと開く。光がゆらゆらと上の方から降り注いでいる。わたしはゆっくりと沈んでいっているようだった。光は少しずつ小さくなってゆく。

 先程まで体を支配していた痛みは消えていた。思い出したように緩慢な動作で首に手をやる。だが、そこに傷はなかった。

 やはりそうか。

 得心がいき、わたしは妙な安堵感に包まれた。あの空間はそれ自体が虚像だったのだ。それでも一つ一つの出来事はあまりにも生々しかった。

 あの日、わたしの力は一つの町を破壊した。そこに住む人達の命を巻き込んで。

 胸いっぱいに息を吸い込む。すると、一箇所だけ痛みの引かない場所があることに気が付いた。

「……くしょう」

 あのバカ親父にいいようにあしらわれた自分が腹立たしかった。わたしは唇をかみ締め、胸を占める痛みに懸命に堪えた。

 ややすると水底にたどり着いたらしく落下は止まった。わたしは立ち上がって辺りを見回した。暗がりの中に水晶の扉がポツンと立っている。

「どうやらあれが出口のようね」

 陰鬱な気分を振り切るように声を発する。今はこんな思いをいつまでも引きずっている場合じゃない。

 扉に近付き、意を決してそれを開く。案の定、その先にはあの広場の風景が広がっていた。満天に輝く星、浮遊する海蛍、わたしがそこを離れてから時間が止まったように立ち尽くす無表情な案内者。

 わたしは後ろを振り返らずに重い足を踏み出した。

 ……そうすることしかできなかった。

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