忘れ去られた記憶の闇-3
目が覚めたとき、わたしは見覚えのある部屋にいた。ぼんやりとした視界のまま辺りを見回すと、夜の帳が落ちて暗い部屋の隅にお母さんが立っているのが見えた。
お母さんは私に背を向けたまま肩を震わせていた。くぐもった嗚咽がかすかに聞こえてくる。何故だか声をかけてはいけないような気がして、わたしは眠ったフリを続けた。
「レン、入るよ」
しばらくするとお兄ちゃんが部屋に入ってきた。お兄ちゃんもお母さんもわたしが起きていることには気がついていないようだった。
「……母さん、こんなところにいたのか」
二十歳になったばかりのお兄ちゃんは既にお母さんよりも背が高い。薄目を開けて見る二人の姿は、何だか知らない人達のようにも感じられた。
「ごめんなさい、ルーザック」
お母さんは消え入るような声で何度もごめんなさいと呟いた。
お母さんのそんな姿を見るのは初めてだった。わたしが知っているお母さんは優しい微笑の絶えない人で、人前で涙を流すようなことは一度もなかった。
「今はもうわかってしまったことなんだ。取り返しがつかないことを嘆いても時間は元には戻らないよ」
お兄ちゃんはお母さんに説き伏せるような口調でそう言うと、ベッドの方へ近づいてきた。わたしは慌てて力一杯目を瞑った。知ってはいけないことを盗み聞きしたような気がして、全身に力がこもる。緊張しすぎて体が震った。
「レン……」
お兄ちゃんはわたしが狸寝入りしていることに気がついたようだったが、あえて起こそうとはしなかった。
「母さん、レンにも本当のことを伝えたのか?」
瞼の裏の赤黒い世界に閉じこもったまま、わたしは早く時間が過ぎ去るのを待った。不安が鎌首をもたげ、掌に汗が滲む。心臓の音が外まで洩れ聞こえていそうな気がした。
お母さんはお兄ちゃんに何も答えなかった。あるいは何か答えたのかも知れないが、それはわたしやお兄ちゃんの耳には届かなかった。
「……今日はもう休もう。母さんも疲れただろうし」
答えなかったことを了解と捕らえたのか、足音が離れていくのが聞こえた。
「ほら、ここにいたらレンもゆっくり休めないよ。行こう、母さん」
お兄ちゃんの声音は優しかったが、同時に哀しみに満ちていた。わたしはお母さんに何があったのか全くわからなかったが、漠然とした不安が押し寄せてくるのを感じた。
「……おやすみ、レン」
二人の気配が部屋から消えた後、わたしは重苦しい空気を払拭するように胸の中に溜め込んだ息を吐き出した。