失われた都-1
ゼンやハルディクスと共に行動にするようになってからこれで四日目。
わたし達はエルムの森へ向かっていた。『時の試練』を受けるという目的もあったが、マリンとの約束を果たす必要があったためだ。
「……あのね、いい加減にわたしの隙を狙って抱きついてくるの止めて欲しいんだけど」
「その通りだ、ハルディクス」
この四日間、ジンマシンの出なかった日は一度とてない。ただ、恐ろしいのはわたしの体の方だ。奴の魔力に耐性が付いてきたのか、徐々にアレルギー症状が軽くなってきている。調子に乗って奴の行動がエスカレートしないことを祈るばかりだ。
「相変わらず恥ずかしがり屋さんだね、レンは」
そういって人好きのする微笑みを浮かべるハルディクス。けれどわたしは知っている。この間、こいつがディノーバに放った殺気の大きさは尋常ではなかった。猫をかぶっているのは明白だ。
「嬢ちゃん、放っておくのが一番だ。こんな奴」
「……そうね」
わたしはふざけた言動を繰り返すハルディクスや怒りっぱなしのゼンのことを考えて頭を悩ますのを一旦止め、そろそろ近くなってきたエルムの森の方へ目をやった。あの森の木々は他の沿道のそれと種類が違うため、遠目からでもすぐにわかる。
「レン、ちょっといいかな?」
あと少し、とばかりに足を踏み出したとき、黒衣の魔族はわたしを呼び止めるように声をかけた。
「何?」
「レンはそのマリンって女の子の依頼、受けるつもり?」
珍しく真面目なことを問われ、わたしはちょっと考えてから答えた。
「まだわからないわ」
そもそも『時の試練』が上手くいかなければ依頼を受ける以前の問題だし、ガルディナのことをこのまま放っておくつもりもない。その上、時間がどれだけ残されているかも関係してくる。
「でも、最初からできないって決めつけるのは性に合わないの」
ニッと笑ってみせると、ハルディクスは得心したように頷いた。
「それなら、もし時間が足りないようだったら俺がその子をインゼリオに送ってあげるよ。レンと離れるのは淋しいけれど、レンが情のない人間だと誤解されるのはもっと辛いからね」
わたしはハルディクスの言葉に少し驚き、返答に詰まった。いつも自分の気持ちばかり押しつけてくる奴だから、わたしが他人にどう思われようが感心がないと思っていた。
「どうしたの? レンちゃん」
ボウッと相手の顔を見つめていたことに気付き、わたしは慌てて移動を再開した。
「あんたがらしくないことを言うからちょっと驚いただけよ……ハーディー」
仕方がないから呼び名くらいは相手の望みに合わせることにする。
「……まったくだな」
ゼンは若干不満そうに同意した。
「それにしても、あれからぱったり敵に遭遇しなくなったわね」
話題を変え、わたしは少し前から気になっていたことを呟いた。と、ハーディーが思わせぶりな含み笑いを漏らした。
「だって、せっかくレンと一緒に旅ができるのに、お邪魔虫はゼンだけで充分でしょ」
ギョッとしてハーディーを仰ぎ見る。もしかしてこいつ、道中ずっと追手を追い払ってたのか? わたしが知らないところで。
「ハルディクス、お邪魔虫とは何だ」
ゼンがハーディーに詰め寄る。が、男はそれをさらりとかわすと、後ろ向きに歩きながらわたしの前へ出た。
「お邪魔虫をお邪魔虫って言っただけだよね、レン」
ニコニコと笑いながら同意を求めるハーディー。わたしは呆れて首を振った。
「わたしにとってみればあんたもゼンも変わらないわよ」
「今はまだそうかもしれないね。でも、いずれ変わるよ」
唇に微かな笑みを刻み、男は歌うようにそう言った。けれど、魔族の中には人をたぶらかして命を吸い取る輩もいる。これまでの行動から察するに、こいつがそうじゃないとは言いがたい。
「自分の都合のいいようにだけ考えるな」
ゼンはハーディーにそう釘を刺したが、奴は相変わらず涼しい顔してそれを聞き流していた。
そんなやり取りを続けながら先を急ぐと、しばらくして見覚えのある場所へ出た。あの時は夜の闇に紛れて細部まではわからなかったが、様々な宿り木が生え、苔と茸に彩られた楡の大樹はマリンの住処に間違いなかった。
「レンさん?」
呼ばれて振り返る。背後から現れた黒髪のお姉さんを目にし、わたしは自然に顔がほころぶのを感じた。
「お久しぶり、マリン」
「ご無事で何よりです。そちらの方々は……魔族の方ですね」
両隣に立つ二人の男を交互に見やるマリン。わたしは頷くとゼンとハーディーをそれぞれ紹介した。
「初めまして、マリン」
にっこり笑って挨拶するハーディーに対し、ゼンは顔を引き締めて「よろしく」とぶっきらぼうに呟いた。
「ところで依頼のことなんだけど……」
本題に入ろうとすると、マリンは言いよどんだわたしの言葉を先取りした。
「時間がないんですね」
頷き、わたしは続けた。
「諦めるつもりはないけど、期待させておいて結局間に合わないなんて無責任なことにならないうちに、現状だけでも説明しておこうと思って」
「もしレンが間に合わなかったら、俺がインゼリオに送るよ」
さらりと助け船を出したハーディーを振り仰ぎ、細目のお姉さんはにっこりと笑った。
「お心遣いありがとうございます。立ち話も何ですからどうぞこちらへ」
マリンは木の幻影を取り払うと、わたし達を中へ促した。相変わらず物の散乱している部屋を通り抜け、前に通された部屋に招かれる。
「あら、椅子が足りないわ」
部屋に入ると、少し困ったようにマリンは頬に手を当てた。
「俺とゼンはいいよ」
けれど、ハーディーはそう言って近くの壁に背を預けた。ゼンもまた特に気にする風でもなく、わたしの座った席の後ろに腕を組んで立つ。まるで番犬みたいでちょっと笑えた。
「では今お茶を煎れますね」
奥の部屋に入って行くマリンを見送り、聞こえてくる食器がわずかに接触するような物音に耳を澄ます。少しの間待っていると、前ここに来たときと同じような香りが奥の部屋から漂ってきた。
「レンさん、机の上、少し開けておいてもらってよろしいですか?」
くぐもった声が聞こえ、わたしはそれに従った。机の上に山のように積まれている本を他の本の山の上にさらに重ねる。崩れないようにそれを整えていたところにマリンが戻ってきた。
「相変わらずすごい数の本ね」
「そうですね。たまに片付けるんですけど、もう棚に収まらなくて」
ということは、これ以外にもまだ本があるのか。
苦笑いしながらマリンはわたし達に薬湯を手渡した。そして自分も小さな丸椅子に腰掛けると、ハーディーの方へ顔を向けた。
「そちらの方……」
「ハーディーがどうかしたの?」
尋ねると、マリンは座ったばかりなのにすっくと立ち上がった。
「ちょっと待っていてくださいね」
彼女は再び奥の部屋に戻ると、程なくして両掌で覆うには多少大きめの水晶玉を重そうに抱えて運んできた。そしてそれを机の上に据え置くとそっと掌をかざした。銀細工の留め金に支えられた水晶が光を反射して金色の三日月を表面に映す。
「少し確認させてください」
言うが早いか水晶の表面が露を浮かべたようにぼんやりと曇り始めた。マリンはそれをつかの間眺めると、納得したように腕を下ろした。
「どうやら、私が探していた方はハルディクス様だったようですね」
微笑みを浮かべながら、マリンはわたしとハーディーを交互に見やった。
「私が以前占った結果はこうでした。『南西より来たる者あり。其の者を連れ、西の魔力の集いし都へ赴けば失せ物は見つかるであろう』と。また『其の者、黒き男の影あり。其は魔性を帯びし者なり』とも出ていました。最初、この『黒き男』というのは魔族と言うこともあり、ゼン様のことだとばかり思っていたのですが……どうやら違ったようですね」
最後の言葉に実に楽しそうなニュアンスを感じ取り、わたしは嫌な予感に襲われた。
「こんなに仲の良い方がいらっしゃるだなんて知りませんでした」
ちょっと待て。それは多大なる誤解だ。
「そのことなんだけどね、レンったらいつも恥ずかしがっちゃってなかなか肝心なことはさせてくれないんだ」
……肝心なこと、だって? あれだけ色々やっておきながら!
「ハルディクス。貴様、あれだけ嬢ちゃんにちょっかいを出しておきながら、良くそんなことが言えるな」
「マリン、何を視たのか知らないけど、変な誤解しないでよね」
わたしもゼンもほぼ同時に反論した。が、奴はお構いなしに笑っている。
「ほらね。照れちゃって。可愛いでしょ? でも、こういうところも好きだから仕方ないんだけどさ」
井戸端会議中のおばちゃんのような手振りをしながらマリンに話しかけるハーディー。まったく、たちが悪い。
「ハルディクス様。レンさんは貴方の言うように恥ずかしがり屋さんなのでしょう。ですが、誠心誠意込めて接すれば、きっとそのうちレンさんも心を開いてくださるはずです」
奴の言葉を真に受けてマリンは力を込めてハーディーを励ました。
「そうだよね、マリン」
こらこら、そこ。何を意気投合しているんだ。
「マーリーンー?」
わたしは飲みかけの薬湯を机の上に置き、上目遣いに言った。
「レンさんも少し素直になられるといいかもしれませんね」
しかし、マリンはあっけらかんとそう言い放ち、にっこりと微笑んだ。
「……一理あるな」
後ろからぼそりと呟き声が聞こえ、ゼンを睨みあげる。ゼンは慌てて「いや、何でもない」と取り繕い、わざとらしく咳払いした。
「こんなことで時間を潰してられないわ。さっさと本題に入るわよ」
仕切り直し、わたしは鞄の中から簡易地図を取り出すと机の上に広げた。
「この後、わたしはこの場所へ向かう予定よ」
丁度フェイドゥと大陸との中間辺りにある海上を指でトントンとつつく。
「ここには何があるんですか?」
マリンが不思議そうに尋ねた。疑問に思うのも当然だ。そこには島も何もないのだから。
「ここにはかつて人が精霊から奪った都が眠っている」
ハーディーの説明にマリンだけでなくわたしも顔を上げた。そんなこと初耳だ。
「忘れ去られ、朽ちていくだけの場所さ。今はもう直接あの場所へ行くことはできない」
壁から離れ、ハーディーは地図のある地点を指した。ここから南に三十マイル程先にある岬の先端だ。
「現時点での目的地はここ。痕跡はわずかでもレンになら扉を開くと思うよ」
相手の言葉の意味がよくわからないのは、わたしが記憶を失っているからだろうか。
「……『孤影の碑』ですか」
マリンがそう口にすると、ハーディーはそれに答えて頷いた。
「そう。あれは旧時代の遺物の一つ。最早その役割を知っている者はほとんどいないだろうけどね」
「ハルディクス、お前、よくそんなことを知っているな」
ゼンが珍しく感心したように呟いた。ハーディーがそれを聞いてニヤリと笑う。
「俺が一番知りたいのはレンの胸の内だけさ」
「もう、ハルディクス様ったら」
クスクスと笑うマリン。こいつの本性知ったら笑ってなんかいられないよ?
「ともかく、わたしはそこで記憶を取り戻すために『時の試練』を受けるつもりよ。その後、もう一度ガルディナへ戻るから少なくともあと一週間は時間がかかると思う」
全て順調にいったとしても、オゾンの捜索に費やせる時間は十日にも満たないだろう。
「では、私もお供させてください」
「え?」
突然の申し出に、わたしは驚きの声を上げた。
「私の力を使えば今レンさんがなさろうとしていることのお手伝いができます。自分勝手なことを言うようですが、なるべく早くオゾンのことを探しに行きたいのです」
と言いながらも悠長に薬湯をすするマリン。マイペースだなぁ。
「いいんじゃないかな? マリンの占いの腕は確かなようだし、この先、力になってもらえることが色々とあると思うよ」
驚いたことにハーディーが助け船を出す。
「それはそうだけど……」
危険に巻き込むことになる手前、わたしは承諾するのを渋った。が、何を勘違いしたのか、ハーディーはぽんっと手を打った。
「あ、そうか。レンは俺と二人きりの旅ができなくなるのが嫌なんだ。なんだ、そうならそうと初めから言ってくれればいいのに」
「ハルディクス……お前なあ」
拳を握りしめてワナワナと震えるゼンを無視するハーディー。そんな二人の様子にマリンは笑いを堪えられない様子だった。
「マリン、危険な旅になると思うけど、大丈夫?」
「構いません」
それなら無下に断るつもりはない。三人で行動するより気が楽だし。
「ですが、ハルディクス様はそれでよろしいですか? 私、お二人の邪魔になったりしませんでしょうか……」
いけない。マリンってば、ハーディーに洗脳されてきたみたいだ。確かに、こいつはマリンの要望を好意的に処理しようとしてるから、疑えというのも難しいのかも知れないけれど。
「全然、邪魔じゃないから。むしろいてくれたほうがありがたいわ」
慌てて取り繕う。
「俺は気にしないよ」
奴は悪意のない笑顔でそう答えた。マリンはその顔にすっかりと騙されてしまっているようだ。先が思いやられるな……
何はともあれ、かくしてわたし達は『孤影の碑』へ駒を進めた。