消えた王女-1
街の掲示板を見て最初にわたしが思ったのは、これは名を上げるチャンスかもしれないということだった。数ある掲示物の中から見つけたのはガルディナ国王直々のおふれ。詳細は謁見時に説明されるようだけど、こんなチャンスは滅多にない。
わたしはつい顔をほころばせた。この仕事には年齢や性別、経験の有無に関する制限が特に見受けられない。わたしのような賞金稼ぎだけでなく、巷の傭兵や兵士もかき集めているらしかった。
「幸先がいいわ」
乾いた唇を舐める。腕になら多少の自信はある。ところが独り立ちしてから約二年間、歳や性別のせいで散々仕事を断られてきた。確かに十五、六の女に仕事を依頼するのはクライアントからしてみれば不安なことかもしれない。けれど、こっちにだって生活がかかっているんだから面白くない話だ。とはいえ現実は厳しく、師匠と一緒にいた頃と比べると賞金稼ぎらしい仕事をほとんどしていなかった。
「いくら何でも門前払いはないわよね」
独りごち、わたしは自分の格好を客観的に眺めた。
深い藍色の髪は三月ほど前に肩上で切りそろえたため、みっともないほどザンバラにはなっていない。若干色あせた灰青色の外套は防具というより防寒具に近いから謁見の際には脱いでおけば問題ないだろう。武器もちょっとした手違いから手に入れたものとはいえ、ビゼ=アの国宝の一つである『水霊の短剣』だったりするから見劣りはしないはず。けれど、胸当てと小手は痛みが激しく見るからにみすぼらしい。
わたしは懐から軽い財布を取り出すと、その中身を確かめた。前の仕事の報酬の残りは西の大陸から東の大陸へ渡る際にすっかり目減りしてしまった。一週間程度の路銀はあるけれど、装備を整える余裕はない。とはいえ、正式に仕事を受けることができれば多少なりと前金が出るはず。それで補うしかないだろう。
王への謁見はどうやら午後の三時から行われているらしい。今、一時を過ぎたところだから謁見の時間までにはそれなりに時間がある。お昼もまだだし、先に済ませようかと考えていたらお腹がそれに答えるように高い音で鳴った。何もせずとも腹は減る。まあ、食べるの好きだからいいけど。
わたしは安価な食堂を求めて街の中央へと進んでいった。けれど進むにつれてこの街の雰囲気がどうもおかしいことに気づいた。
「……ニーナで聞いた噂はホントだったのね」
ぼそりと呟く。ニーナの街はガルディナの北にある海洋貿易の盛んな所で、ガルディナ主産業のシルクを毎年大量に取引している。ところが、去年辺りから取引量が大幅に減り、代わりにガルディナを離れる人が日に日にニーナへ押し寄せてくるようになったらしい。彼等はおびえるようにしてガルディナの異常を語っていたという。
わたしはゆっくりと街中を眺め渡した。
誰も彼もがうつろな目でぼんやりとしている。普段なら楽しそうに井戸端会議に花を咲かせるおばさん達は集まろうともしないし、子供達の笑い声もしない。市や店に入って行く人も目的の物を買うとすぐにその場を離れ、店の主人もそのことに関してあまりにも無頓着だ。生活はしている。けれど、全体的に活気が、というよりも生気が感じられなかった。
三年ほど前に来た時とはあまりにも印象が違う。中央の城に向かって伸びる大通りには常に笑い声と商人の掛け合いの声が響き、どこに行っても活気があふれていた。だからここがおかしいという噂を聞いてもぴんとこなかったんだけど……これでよくわかった。
真面目に考えていたらお腹が再び抗議の声を上げた。まあ、とにかく今はお昼を食べるのが先決のようだ。
とりあえずわたしは目についた食堂の一つに入った。けれど、入ってからちょっと失敗したなと思った。
店内には街中と同様の陰気なムードが立ちこめていた。お昼時だっていうのに人の声は聞こえず、ナイフやフォークが食器に当たる硬質な音だけが響いている。
わたしは窓際の空いている席の一つに座ると、その陰気な空気を振り切るようにして「Bランチ一つ」と厨房に呼びかけた。するとその場に居合わせたお客さん達がいっせいにわたしの方を見た。その目のどれにも生気は見うけられない。一瞬ぞっとした。しかし、彼等はすぐに何もなかったかのように自分の食事に戻った。
一体、この国の人達はどうしてしまったんだろう。まさか悪い病気が流行ってるわけでもあるまいし。
しばらくしてわたしの前に湯気の昇るBランチが運ばれてきた。まともな料理が運ばれてくるか心配だったけど、それは杞憂に終わった。スープのいい匂いが鼻を刺激する。今日の献立はコーンスープに鳥の空揚げ。それに厚めのトーストが二枚に季節の野菜サラダ。お味もなかなかよろしい。
「ここ、いいかな?」
不意に声をかけられてわたしは食事の手を止めた。
「どうぞ」
ざっと見て席が空いてないのを確認するとわたしはそう言った。昼時の相席なんて珍しくもない。
「他人行儀とはさみしいな」
でも、わたしはすぐに後悔した。相席の承諾をしただけなのにいやに馴れ馴れしい返事が返ってきたせいだ。こんなことなら断っておけばよかった。
「ナンパなら他でしたら?」
わたしは昼食を再開すると黙々と皿の上のものを平らげていった。前の席に座った男の顔を見ようともせずに。こうなったらさっさと食事を終えて席を離れた方がいい。
ところが相手はそうは思っていないようだった。男はツイッとわたしの顔を覗き込むと、一目で人を惹き付けるような艶やかな笑みを浮かべた。
「つれないね。でも、気が強い女の子は嫌いじゃない」
公衆の面前でさらっと何を言う。危うく吹きそうになったじゃないか。
しかし、わたしはその風貌を目にして再び食べる動きを止めた。
さらさらで少し長めの漆黒の髪に、深い闇を思わせる黒曜石の瞳が目に飛び込んできた。顔の輪郭はひどく滑らかで、切れ長の双眸と通った鼻梁がバランスよく配置されている。笑みを刻む唇も調和を崩すことなくあるべきところにあるといった感じ。服装は全身黒ずくめで、温和な物腰なのにどこか人を不安にさせる何かがあった。
「綺麗な瞳。警戒心と不安にさざ波立ってる」
わたしはそれを聞き流しながら注意深く相手の気配を探った。頭の奥の方でチカチカと警戒信号が明滅する。何とも言えない違和感に肌が粟立った。男から洩れ出る僅かな妖気を感じ取り、わたしは思わず声を漏らした。
「魔族……」
けれど、これだけ魔力を洩らさずに人の形が維持できるのは上級魔族くらいなもの。しかも通常、上級魔族なんてお目にかかる機会は滅多にない。さらにその上、規格外の部分を見つけてわたしは眉根を寄せた。こいつには魔族特有の属性を現す瞳の色がない。黒い瞳の魔族なんて初めて見た。
「当たり。あ、でも心配しなくていいよ。俺はレンに危害を加えるつもりはないから」
そういう問題なんだろうか。って、今こいつ、わたしの名前を呼んだような……教えてもいないのに。
「耳触りのいい言葉は信用しないことにしているの」
皮肉で返しつつもわたしは焦りを覚えていた。魔族の中には人を魅了して魔力を奪い取る個体もいる。こうと言われてハイそうですかと信じるには得体が知れなさ過ぎた。
「強がったりして。可愛いな」
こいつ、今の言葉を聞いてなかったのか? さっきの今で「可愛い」だなんてよく言えるな。ますます信用ならない。
「で、わざわざ声までかけて何か用でもあるの?」
上っ面が友好的でも相手は魔族だ。こいつの機嫌を損ねれば被害は街にも及ぶだろう。何か用があるのならさっさと済ましてしまった方が得策だ。
慎重に問いかけると、男は懐から白い紙封筒を取り出した。
「そう。今日はこれを渡しに来たんだよ」
「何それ?」
胡乱げにその封筒を眺める。特に際立った特徴はないが薄手の漉き紙を使ったもののようだ。
「預かり物。ウェルネスからの」
ニコニコと笑いながらあっさりと答える男。わたしは一瞬理解が遅れた。
「……え?」
普通、ウェルネスと聞いて人が真っ先に思い浮かべるのは一つの存在だけだ。魔族の統率者、『魔の島フェイドゥ』を根城に構える魔王の名前。かつてこの世界ジェリアを半壊させた張本人。喉が干上がるのを感じ、わたしは唾を呑み込んだ。
「その表情もいいね」
深刻そうに眉をひそめるわたしを見つめながら目の前の男が言った。いちいち誘いかけるような笑みを浮かべるので始末に悪い。わたしはその言葉に気付かなかったふりをして残りのサラダを口の中へかき込み、指先に飛んだサラダのドレッシングをおしぼりで拭いた。
手を差し出すと男はその薄紙でできた上等な封筒をわたしの手の中に落とした。糊がピッチリと貼られた封筒の口を切り、手紙をそこから出す。と、ふんわりとした微かな甘い花の香りが手紙と一緒にこぼれ出た。手紙に香りを薫き染めるなんて風流なことをする。一瞬感心したが、それはともかくわたしは文面に目を通した。
手紙は二枚。一方は魔王ウェルネスからのもの。目の前の男の言うとおりであるらしい。なかなかに達筆で性格が伺い知れるよう。伝承のイメージとは違いひどく丁寧な文体で「助力を乞いたい」という頼みとも脅しとも受け取れる言葉が綴られていた。
そして他方。わたしが驚いたのは、どちらかというと柔らかい筆跡で綴られた二枚目の手紙の方の内容だった。
「スペイリー?」
スペイリーといえばここ、ガルディナの第一継承権を持つ王女様の名前じゃないか。
手紙にはウェルネスの手紙と同様の内容の他に、ガルディナ国王への謝罪の言葉が綴られていた。
ガルディナ王直々のおふれと魔王と王女の手紙。それらがつながり、わたしは息をのんだ。王女は魔王と共にいる。ふれには詳しく書かれていなかったが、国王の望みはまず間違いなく彼女を救い出すことだろう。
わたしは三年ほどこの大陸には足を踏み入れていなかった。去年の春頃までガルディナは隣国『海炎』と国境付近で戦をしていたこともあり、無闇に関わりたくなかったのだ。だから、この国で異変が起きていたなんて露程も考えたことがなかった。
わたしは手紙の上に落としていた視線を手紙を持ってきた男の方へ戻した。
「場所、変えるわよ。詳しいことが聞きたいわ」
「いいよ。巡り会えた記念に手取り足取り教えてあげる。ああ、名前をまだ伝えてなかったね。俺の名はハルディクス。ハーディーって呼んでほしいな」
「あっそう」
明るく笑うハルディクス。その黒い瞳には本当に嬉しそうな感情が滲んでいる。こいつが魔族だと知っていなければ危うく騙されるところだ。何しろ魔族には通常、黒い瞳を持つ者はいないのだから。
奴等にとって瞳の色ほど力に関わる重要なファクターはない。人が自然石を魔法の媒体に使うのと同様に、魔族は己の瞳を魔法の媒体に用いるためだ。そのせいか大抵の魔族の瞳の色は純粋で一つの色に限られている。まあ、中には魔王ウェルネスみたいに金と銀の色違いの瞳を持つ魔族も例外的に存在するけれど。
かくいうわたしも簡単な魔法を一つだけ使える。わたしの媒体は左手中指にしている指輪の柘榴石。小さな石であまり魔術の媒体としてはふさわしくないけれど、良い石はそれなりのお値段がするから仕方がない。
「そんなに警戒されると、かえって振り向かせたくなるな」
艶っぽく言い寄る相手に肩をすくめて見せると、わたしは小銭を置いて立ち上がった。仕方なさそうに魔族の男も席を立つ。
店の外に出て並んでみるとかなり身長差があることが分かった。黒い外套から覗くすらりと引き締まった姿態は均整が取れ、つい人目を引くような美しさがある。どことなく漂うアンバランスな雰囲気がそれに拍車をかけていた。
「ところで、あんた何者よ」
人気のない路地に移動し、低い声で尋ねるとハルディクスもそれまでのにこやかな笑みを消した。深淵の闇をたたえた瞳がじっとわたしを見据える。その視線はそれだけで心の中へ忍び込んでくるようで、わたしは無意識に少し身を引いた。
「ウェルネスの——」
「魔王ウェルネスの?」
コクリ、と息を飲み込み次の言葉を待つ。
「友達かな」
「……あんた、ふざけてない?」
からかうような節に睨み上げてはみたものの、あながち嘘ではないのかもしれない。そうでなくてはああいう内容の手紙をこいつが持っているはずがない。でも、だからといって友達はないでしょ、友達は。
「まさか。俺はいたって真面目な男だよ。試してみる?」
「試すか、バカタレ。あんたみたいな相手は神様に頼まれたってごめんだわ」
始終こんな調子だったこともあり、わたしはもう相手の機嫌がどうだとか考えていなかった。それよりもこいつをどう扱ったらいいのかはかりかねていた。
「怒った顔も可愛いなあ。ますます気に入っちゃった」
ところがハルディクスは気を害する風でもなく、にっこり笑ったまま間合いに入ってきた。あまりにも急なことだったから判断が遅れた。
「え、ちょっと、やめ――」
いきなり正面から抱きつかれて顔が真っ赤に染まる。触れられた瞬間、体の奥の方で何かが花開いた。皮膚が一斉に粟立つ。瞬く間に全身に広がった痒みを振り切るように、わたしは相手を力の限り強く突き飛ばした。
「この変態!」
手をかざし、態勢を崩した相手をねめつける。何も考えず攻撃体制に入り、わたしは素早く呪文を唱えた。
「世を統べし七精霊
動の精霊、火の精よ
我が魔力を喰い、汝が力開放せよ」
左手を相手に向かって振るう。柘榴石を媒体にして空中に凝り固まった拳大の火の玉がハルディクスの方へ飛び出した。だが、奴はそれを軽々と避けて上空へと身を転じた。まるで風属性の魔法、飛翔を使ったみたいに空に浮かんでいる。
「危ないな。こんな街中でやっちゃ」
「逃げるな」
わたしは再び詠唱をはじめた。何とかの一つ覚えと言われようがこの際かまわない。現状、火球くらいしか使える攻撃方法がないのだから。
「仕方ないな。今日のところは退散するよ。じゃ、またね」
「二度とその面見せるなっ」
炎を繰り出しながらわたしはそう叫んだが、ハルディクスは既にわたしの魔力の飛距離では届かないところまで移動しており、やがて見えなくなった。
飛翔は風属性の魔法の中ではごく簡単なものなので、奴が上空へと飛び去っても誰もそのことには驚かなかった。でも、普通は呪文の詠唱なくして術は作動しない。それは魔族であることの証のようなものだが、人気のない場所から飛び飛び立ったせいでその違いは誰の目にも触れなかった。
「まったく、何だったのよ」
痒みを堪えるように自分自身を抱き締め、わたしはハルディクスが消えた辺りの空を睨み続けた。
「それにしても、質の悪いお土産残してくれたものね」
わたしには厄介な身体的特徴がある。それは異質な魔力に直に触れるとジンマシンが生じる、というものだ。一種のアレルギーだと思うけど、ちょっと違うのは余程大きな魔力じゃない限り自分の力である程度症状が押さえられるという点。あの魔族、ふざけた態度の割に尋常じゃない力を持っていたようだ。
結局その日、わたしはガルディナ城に行かなかった。と言うより、行けなかった。ジンマシンはなかなか引かず、予定の時間を過ぎても体が痒かったせいだ。いくら何でも国王の前で体を掻くわけにはいかない。それもこれも全てあのバカ魔族のせいだ。
下町の安宿の一つで呪詛の言葉を呟きつつ、その日は過ぎていった。