王座の影に巣くう者-5
瞬間移動の魔法を使ってガルディナ城から離れると、わたし達は荒れ果てた郊外に出た。放棄され枝が伸び放題になっている桑畑の向こう、月が沈みかけている方角に城郭の一部が影になって見える。
「やっと二人きりになれたね」
ツッコミを入れたかったがわたしは黙っていた。あの後、ディノーバの毒は徐々に浸透していたらしく、最早それどころではなかった。意識も体も泥のように重い。
「おい、ふざけるのもいい加減にしろ !」
ゼンの言葉はとことん無視してハルディクスは会話を進めた。
「こんなに傷だらけになって……」
男は悲壮な顔をして言ったが、その大袈裟な驚き方はどうかと思う。この程度の擦過傷は日常茶飯事なのだから。
「傷の治療を先にした方が良さそうだね。感覚が戻ってからだとレンが痛い思いをするから」
相手はそう言うとわたしをそっと地面に降ろし、額に掌を掲げた。
「月光」
魔族は自らの魔力を目的に応じた形にするだけなので魔法を使う際、精霊に対する契約の言葉は必要ない。その上自分の瞳を媒体にするため、使用できる魔法は一つの属性に縛られる。
だが、目の前にいる男は違った。黒曜石の瞳は徐々に霞がかったようになり、瞬きをする間に銀色へ変化したのだ。
「(何なの、こいつ)」
そもそも魔族は人が闇の魔術を使えないように、通常、回復系の魔法や陽霊と月霊が司る魔法は使えない。太陽と月の魔法を行使できるのは唯一魔王ウェルネスだけと伝えられている。だからこそ魔族はウェルネスを魔王として認め、数々の伝説を築いてきたのだと習ったのに……多分、レム=ファウスターという人から。
「お待たせ。それじゃ今度は毒を抜いてあげるよ」
傷を癒し終わったらしい男はにっこりと笑うとわたしの額に口付けた。毒消し効果を持つ魔法、消去を使用しながら。
「おいっ、何して――」
その行動を見て、ゼンが慌てたような声を上げる。
「何するのよっ」
わたしは体から毒素が抜けるや否や奴から飛び離れた。恥ずかしさで顔が赤くなっているのが自分でもわかる。
ゼンのように一直線だと対処する方法はいくらでもある。けれど、こいつのように不意を突かれるとどう対処したらいいかわからなくなってしまう。わたしが一番苦手なタイプだ。
「ハルディクス! 貴様、悪ふざけが過ぎるぞ」
ゼンが胸倉をつかもうとしたのを巧みに逃れると、ハルディクスはその場にしゃがみ込んだ。
「そんなに怒らなくてもいいのに」
拗ねたように呟くハルディクス。地面に「の」の字を書くな!
「……まぁ、おかげで助かった訳だし、お礼は言っておくわ」
げんなりしつつもわたしは礼を言った。実際、窮地を救われたのは間違いないわけだし。
「気にしなくていいよ。お礼はいずれまとめてもらうからね」
がしかし、その言葉を待っていましたと言わんばかりに立ち上がると、全身黒ずくめの男はにっこりと笑った。何だか、借りを作っちゃいけない相手に借りを作ってしまった気分だ。
「嬢ちゃん、こんな奴に礼なんて言うことはない」
今更そんなこと言ったって口から出た言葉は戻らないんだよ、ゼン。
「はぁっ」
溜め息が出た。体は自由に動くようになったし傷もなくなったけど、気分はどんより雨模様だ。
わたしは鬱々とした気分のままガルディナ城の方へ視線をやった。
結局、問題はまだ何も解決していない。呪いをかけられた街の人々、城にあった装置の女性、ディノーバに連れ去られたガルディナ王。どれもこれも今のわたしで解決できることなのか、不安は募るばかりだ。
「……記憶さえ戻ればもう少し上手く立ち回れたかもしれないのに」
不意に自分自身の不甲斐なさを感じ、わたしは唇をきつく噛みしめた。これまで危機を自分の力だけで乗り越えられたためしがない。力不足は否めなかった。
「記憶さえ戻ればって、どういうこと?」
小さな声で呟いたにもかかわらず、ハルディクスは耳聡くそれを聞きつけた。先程とは打って変わった真剣な声音にわたしも少し声のトーンを落とした。
「どういうことって……そのままの意味だわ。過去の記憶が抜け落ちていて充分に力を発揮できないのよ。今までの経験は生かせないし、短剣の力も引き出せないし」
言葉にすると余計にもどかしく感じた。かといって今すぐ記憶を取り戻すことはできない。
「あんなことを言っておいてお前は嬢ちゃんの現状すら知らなかったのか、ハルディクス」
呆れたようにそう言ったゼンには構わず、男はしばらく考え込むように無言になった。そして、やがて考えがまとまったのか再び口を開いた。
「レンは記憶を取り戻したい?」
突然そんなことを聞かれ、わたしは眉をひそめた。
「当然よ。でも、そんなことすぐにどうこうできる問題じゃないでしょ?」
「できるよ。多少、危険を伴うけどね」
思わず耳を疑う。わたしは即答した相手に詰め寄り、その顔をじっと見上げた。
「どうすればいいの」
「そんなに見つめられたら俺、どうして良いかわからなくなっちゃう」
男は両手で自分の頬を包み込み、イヤイヤをして見せた。一回、殴ってもいいかな?
「ハルディクス、お前は一々話の腰を折るな」
ゼンも苛立ちを顕わにする。ハルディクスはやれやれとでも言いたげに肩をすくめると続けた。
「『時の試練』を受けるといい。その中に記憶に関するモノがある」
初めて聞く単語に頭をひねる。するとゼンも同じように感じたらしく首をかしげた。
「『時の試練』とは何だ? 俺も初めて聞くが」
「知らなくても無理はないさ。あれは忘れ去られた過去の遺物だから」
ハルディクスはさらっとそう答えたが、ゼンだって少なくとも五百年以上は存在してきた魔族だ。そのゼンも知らないようなことを何故こいつは知っているんだろう。
「力の獲得を餌にした龍の玩具さ。挑戦者の過去を暴き、心を壊し、挫折を味わう様を楽しむために創られた、ね」
龍って、もしかして龍王のことだろうか。それにしても龍の玩具って……魔族が人の神を蔑むのは仕方ないにしても、今の言い草ではまるで龍王が人の心を弄んでいたと言っているも同然じゃないか。
「……何だ、それは」
ゼンが顔をしかめる。わたしも表情が強ばるのを感じた。
「もし失敗したら?」
「力を失う。命まで取られることはないけど、神の試練に挑戦するような人間が力を失うことがどういうことを意味するか、想像つくでしょ」
わたしは唾を飲み込んだ。自分の身に置き換えるとそれは人ごとではなかった。失敗すればガルディナを救うことなんてとても出来なくなるだろう。それは恐ろしく危険な賭だった。
「レンはどうしたい?」
ハルディクスはわたしの判断を促すように尋ねた。
危険は確かにある。けれどそれを避けていては前にも後にも進めない。記憶を取り戻し、力を手に入れることができるのなら挑戦するだけの価値はある。
わたしは覚悟を決め、相手の顔を見据えた。
「それはどこで受けられるの」
「一緒に行ってもいい?」
にっこりと微笑みながら尋ねるハルディクスに、わたしは考えるまでもなく即答した。
「嫌。ついて来ないで」
「嬢ちゃん」
ゼンの顔が目に見えて明るくなる。
「レンちゃん、冷たい……」
かたや目を潤ませてチラチラこちらの様子を窺うハルディクス。その同情を誘うような表情に耐えきれず、わたしはついつい折れた。
「もうっ! わかった。連れて行けばいいんでしょ? 連れて行くから泣き真似はよしてよね」
「じょ、嬢ちゃん? それは止した方が――」
ゼンは慌てて制止しようとしたが、ふざけた男の声に阻まれた。
「レンは素直じゃないな。恥ずかしがらずに「一緒にいて欲しい」って言ってもいいんだよ? ほら、照れずに俺のこと『ハーディー』って呼んでごらん?」
ハルディクスはそう言ってわたしに抱きついてきた。わたしはゴキブリから逃れるようにしてそいつから逃れると、それはそれは大きな溜め息を一つ吐いた。
「ハルディクス、ふざけるのは止せと言っただろうが」
心底腹立たしげにゼンが吼える。しかし、当人は何処吹く風と言った様子だ。
「ふざけてなんかないさ。恋人達は肌を寄せ合って愛を確かめるものでしょ?」
「誰と誰が恋人なのよ」
「誰と誰が恋人だっ!」
わたしとゼンは同時に否定の言葉を口にした。
「もちろん俺とレン」
そう言って頬をつついてくるハルディクス。頬が痒くなるから止めて欲しい。
「ところで肝心の場所を聞いてないんだけど」
このままこいつの戯れ言に付き合っているわけにもいかないので、わたしは話を元に戻した。
これ以上話をそらされないようジロリと黒衣の魔族を睨み付ける。ハルディクスは少し肩をすくめるとその場所の名前を口にした。
「失われた都シャグシェルシー。海に浮かぶ蜃気楼の街さ」
シャグシェルシー……聞いたことがない街の名だ。
「俺も同行するぞ」
シャグシェルシーがどんな場所か思いを馳せていたとき、ゼンが突然そう宣言した。
「そう言えばゼンはどうして戻ってきたの?」
わたしはゼンに向き直ると率直に尋ねた。あんな別れ方をした後だ。もう顔を合わすことはないと思っていたのに。
「そうそう。俺とレンの甘酸っぱいスウィートライフにゼンはいらないね」
「ハルディクス、お前は黙ってろ」
厳しい口調でハルディクスを諫めるゼン。どうやらこの二人、とことん相性が悪いらしい。
ゼンは気を取り直すように咳払いをすると、わたしを見つめて答えた。
「嬢ちゃん、あの時は本当にすまなかった。だが、嬢ちゃんの力になりたいという気持ちは今でも変わらないし、自分の気持ちを偽るつもりもない」
真剣そのものの表情。こいつの真面目さの半分くらいハルディクスにもわけてやりたい。
「……わたしも言い過ぎたのは謝るわ」
気まずさ故に小さな声でそう伝えると、ゼンははにかむように笑った。それを見ていたハルディクスがつまらなさそうな顔をしたのは言うまでもない。
「こいつとは嬢ちゃんの気配を追っていたときに偶然合流したんだ。普段はウェルネスの前にも姿を現さない奴だが……何か不安を覚えてな」
そう判断してくれてよかった。こんな奴と二人きりにならなくてすんだわけだし。けれど、ハルディクスはそうは思わなかったらしい。
「早くゼンを追い払ってイチャイチャしようね、レン」
「そんなことするわけないでしょ」
「お前は全く……」
この二人と一緒に旅をするなんて頭痛の原因にしかならないのかも知れない。けれど、ハルディクスの同行を認めておいてゼンを連れて行かないとなると、ますますこの勘違い男はつけあがるだろう。それは御免被りたい。
「冗談ばかり言ってないで、そのシャグシェルシーってところへ向かうわよ」
わたしはひっそりと夜の闇に沈むガルディナに視線をはせた。記憶を取り戻したらすぐに戻ってくる。だからどうかそれまで持ちこたえていて欲しい……そう切に願いながら。