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気ままに行こう!  作者: 空魚
王座の影に巣くう者
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王座の影に巣くう者-4

 しかしその時、足下で何かが蠢くのが目に入った。黒々とした小さなモノが靴の周りを埋め尽くしている。無数の黄色の光がちらついた。耳障りで奇妙な鳴き声が耳に忍び込む。よく見ると、それは夥しい数の蜘蛛の大群だった。

「ッ!」

 声にならない声を上げ、思わず飛び退こうとする。だが、体が動かない。そればかりか掌の中から短剣が滑り落ち、飛散した硝子と接触して硬質な音を立てた。

「効き始めたか」

 そのままの姿勢で硬直したわたしをディノーバは床になぎ払った。衝撃が体を襲う。だが、痛みは鈍く、感覚らしい感覚は大幅に損なわれていた。

「(……何なのよ、これ)」

 わたしは床に倒れたままもがいた。もがいてもがいて、けれど動けなかった。体は鈍く痺れ、自分のものではないように感じられる。

「冥土の土産に教えてやろう」

 わたしの無言の問いかけに冷笑を返し、ディノーバは全身に力を漲らせるようにして仁王立ちになった。

 男の体にヒビが入る。人間の皮の下で何か醜悪な物が身を捩るように律動した。不自然な形に体が膨らみ、顔があった場所に黄色の光が八つ灯る。それがギョロリと動いた途端、ヒビが縦に裂けて黒い繊毛に覆われた巨体が現れた。

 人の皮を脱ぎ捨てた相手の姿に狼狽しながらも、わたしはそれを見ていることしか出来なかった。

 等身大の蜘蛛の姿がそこにはあった。変体による感覚の違いを確かめるように黒い四対の足を交互に動かすディノーバ。奴は横開きの口を動かして片言の人語を紡いだ。

「我ガ体液二ハ神経二作用スル毒ガ含マレテイル。ソレ故、我ガ体液ヲ浴ビタ者ノ体ハ麻痺シ、力ヲ失ウ」

 八つの黄色に光る目の焦点を機械的に動かし、ディノーバはわたしの方へ近寄った。

「(来ないでよ! 気持ち悪い)」

 叫ぼうとするが、喉はヒュルヒュルと空気が漏れる音しか紡ごうとしない。そうこうしている間に、先ほど足下にいた小さな蜘蛛の群れがわたしの目の前まで迫ってきた。

「我ガ眷属ノ餌トナレ」

 死を宣告するディノーバ。男は腕を死神の釜のように振り上げた。

「(こんな死に方だけは嫌っ!)」

 まだ剣で刺された方がいい。串刺しでも細切れでもこの際我慢する。けれど、蜘蛛の餌にされるのだけは勘弁願いたかった。わたしは何が嫌いかと聞かれたら、真っ先にこいつを挙げるくらいに蜘蛛が嫌いなんだから……って、このフレーズ、前にも使ったような……

「レーン、そろそろ俺を頼ってくれてもいいんじゃない?」

 今まさにディノーバがその腕を振り下ろそうとした瞬間、奇妙に明るい声が緊迫した室内に響いた。わたしは咄嗟に声のした方へ首を向けた……かったが、無理だった。

「ナ、二?」

 ディノーバがわたしの代わりに声のした方へ顔を上げる。誰を目にしたのか、男はすぐさま後ずさった。相手の態度から動揺が伝わり、わたしは誰が現れたのか疑問に感じた。

 目の前の蜘蛛達がちりぢりに逃げてゆき、それと入れ替わるように二組の足が床上に降り立つ。

「嬢ちゃん、大丈夫か?」

 遠慮がちなゼンの声が上から降ってきて、ますます状況が飲み込めなくなった。一体全体、何が起ころうとしているんだろう。

「俺の大切なレンに手を出そうだなんて命知らずだね」

 明るい声とは裏腹に、部屋の中に凄まじい殺気が満ちた。部屋の家具が細かく震え、カタカタと小さな悲鳴を上げる。

「おい、ハルディクス。いつ嬢ちゃんがお前のものになった。大体、こうなる前にいくらでも助ける機会はあっただろうが」

 ゼンの抗議を受け、ハルディクスと呼ばれた男は面倒そうに返した。

「煩いな、ゼンは。レンのことはずっと見てきた俺の方がよく知ってるの。『もう駄目。助けて、ハーディー!』ってシーンのギリギリのところで駆けつけた方がぐっと親密度が増すでしょ」

 何を真面目に話しているかと思えば……こいつ、わたしが危なくなるまでずっと見ていたのか?

「親密度の問題かっ!」

 ゼンがふざけた男に怒号を浴びせる。まったくだ。

 とはいえ声を失ったわたしには事の成り行きを見守ることくらいしかできなかった。

「……コレハはるでぃくす様二ぜん様デハアリマセンカ」

 ようやく口を開いたディノーバの声には若干焦りの色が滲んでいた。どうやらこの二人と面識があるらしい。

「ディノーバ。ウェルネスの命に背き、ここで何をしていた」

 ゼンが厳しい口調で問い詰める。男は無言で頭を下げた。

「答えろ」

 ゼンがドスのきいた声音で命ずると、蜘蛛男はさらに後ろへ下がった。迫力に押されたのかとも思ったが、その憶測は見事に裏切られた。

「……イズレ時ガ来レバ分カリマス」

 ディノーバははぐらかすようにそう言うと、俊敏な動きで寝台へ回り込んだ。そしてそのまま意識のないガルディナ王の体の上に覆い被さり、威嚇するように王の喉元へ鋭い爪を据えた。

「(陛下!)」

 叫ぼうとする。が、やはり声はでない。もどかしさに苛立ちばかりが募る。いくら知らなかったこととはいえ、己の失態が恨めしかった。

「ディノーバ!」

 代わりにゼンが吼えた。その怒気を孕んだ声を耳にし、蜘蛛男は呆れたように言った。

「ぜん様、我々ハ魔族デゴザイマショウ? 人ノ命ヲ尊ブ必要ハアリマスマイ」

「今そんなことを論ずるつもりはない。王を放し、この国から手を引け」

 ゼンがそう言い放つと、ディノーバは可笑しそうにチキチキと奇妙な音を立てた。

「コレガカツテ数多ノ国々ヲ焼キ払い、人ノ命ヲ喰イ散ラカシタオ方ノ言葉トハ。腑抜ケニナッタモノデスナ」

 国を焼き、人の命を食い散らかしたって……ゼンが?

 わたしはハタと気付いてその後ろ姿を凝視した。魔王直属の四人の魔族の一人、火の魔族長の名前が『ゼン』だったことを思い出す。あまりにも単純で人間臭い反応をするから同一人物だとは思いもしなかった。

「自分が誰を相手にしようとしているか、わかっているんだろうね」

 と、それまで傍観していたハルディクスが口を開いた。冷ややかな台詞にただならぬ空気が漂う。ディノーバは空間の歪みにガルディナ王を引きずり込みながら答えて言った。

「ワカッテイナイノハ、ムシロうぇるねす配下ノ者達ダケデゴザイマショウ」

 その言葉を最後に、ディノーバの姿はガルディナ王と共に完全に闇に溶けた。

 ディノーバが立ち去った後、ハルディクスは踵を返して倒れているわたしを抱き起こした。

「こんなに傷だらけになって……レンはいつもそうだね」

 記憶がないからなのか、良くわからないことを口にするハルディクス。

「でも、頑張りすぎは体に悪いよ」

 そう呟くと男はわたしの頭を撫でた。

「(……変な奴)」

 世の中にはちょっとズレた魔族しかいないのか。こう言っては何だが、ディノーバの方がまだまともに思える。

「あ、おいっ。嬢ちゃんに触るな!」

 わたしがぼんやりそんなことを考えていた時、ゼンが慌てて叫んだ。前回のこともあるのでその声には焦燥が滲み出ている。けれど、当のアレルギーは毒のせいか、なりを潜めていた。

「レンは俺を拒んだりしないさ。ゼンとは違って」

 近寄ってきたゼンを鼻で笑うハルディクス。

「き、貴様っ」

 言葉に詰まったゼンに、わたしを抱き上げた男は追い打ちをかけた。

「そもそも、ゼンはさっきまでウジウジ悩んでたでしょ?」

 そのまま窓辺に落ちていた短剣を拾い上げ、ハルディクスはそれを鞘に戻した。

「それは……」

「どうしてレンの機嫌を損ねたかなんて聞かなくても大体分かったけど、俺に相談することじゃなかったね」

 あの出来事をよりにもよってこんな奴に相談しに行ったのか……相談相手を選ぶことすら忘れるくらい傷付けてしまったなんて、ゼンには本当に悪いことをした。

「俺はレンの恋人なんだから」

 そう男は楽しそうに言ったけれど、わたしは同意しかねた。記憶はないけどこれだけは断言できる。こんなやつ、恋人だったはずがない。もし万が一恋人だったとしたら……悪趣味すぎるぞ、記憶を失う前のわたし。

「(誰がいつあんたの恋人になったって?)」

 人が声を出せないのをいいことに、好き勝手言うな。

「ハルディクス。嬢ちゃんはお前みたいな奴には渡さんぞ」

「(……ゼン、そいつの言葉、真に受けないでよね)」

 声帯までイカれてしまっていて声が出せないのが、背中の痒い所に手が届かないくらいもどかしかった。

「何?『わたし、早くハーディーと二人になりたい』?」

 嬉々として自分に都合のいいように解釈する男。視線で人が殺せるなら今すぐ息の根を止めてやるのに。

「無視するな」

 ゼン、こんな奴に相手にして欲しいのか。

「(あんた達ねぇ……)」

 人を差し置いてよくもまあペラペラと。何だかどっと疲れが出てきた。

「ごめんね、レン。俺、レンちゃんとまた逢えたことが嬉しくてさ。そうだよね、はやく治療してほしいよね」

 沈黙。

「とにかくここを離れよう。邪魔な奴もいることだし」

 そうしてください。

「ハルディクス、それは俺のことか?」

 もう、いいかげんにして。

「わかってるじゃないか」

 むしろこんな奴と二人にしないでほしい。

「レンちゃん?」

 投げやり気質になっているのがわかったのか、男はわたしの顔をのぞき込んできた。間近になった男の顔につい目が引き寄せられる。

 それまで見たこともない整った顔立ちがそこにはあった。夜の華を思わせる艶美な雰囲気。突き抜けた美貌に反する、あまりにも子供っぽい仕草。アンバランスな感じがするのにそれは絶妙に解け合っていて、説明しがたい魅力を醸し出していた。

「照れてるんだね? 可愛いなぁ」

 もう好きにしてくれ……

「お前なんかに嬢ちゃんが照れるか」

 ゼンがまたしても食ってかかる。それを聞いてもハルディクスは全く意に介していないようだった。

「(……はあっ)」

 体が麻痺していなかったら、すぐにでもこいつの腕の中から逃げ出すのに。

 こうしてわたしは三度目の命の危機から脱出したのだった。

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