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気ままに行こう!  作者: 空魚
王座の影に巣くう者
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王座の影に巣くう者-2

 梟さえ微睡むような真夜中になってからわたしは人目を避けて宿を抜け出した。

 城下街に編み目のように張り巡らされた裏道を密かに駆けてゆく。真夜中とはいえ物音一つしない静けさは一種異様な空気を醸し出していた。その上、街中には鼻を覆いたくなるような据えた臭いが立ちこめている。

 無言で街の中央広場まで駆け抜け、わたしはそこで立ち止まった。充分に満ちた月が広場を明るく照らし出している。荒れ果てた植え込みには幾つものゴミの山が出来ていた。中央に配された噴水も汚水で澱んでいる。街中に漂っている腐敗臭はこれらのゴミが発生源のようだった。

「酷い有様ね」

 思わず呟き、眉根を寄せる。街は完全に放置されていた。通常は国に雇われた清掃員が広場を清掃するものだが、そういうことは一切放棄され、また放棄されてもそれを咎める者が全くいないらしかった。この分だと街だけでなく城の中も同じ有様なのかもしれない。

 わたしは城の方角へ目をやった。月明かりに照らされ、白亜の壁がぼんやりと浮かび上がって見える。

「……あれ、何だろう」

 城の一角から金色に煌めく光が放たれているのに気付いて目を懲らす。それは明滅を繰り返し、時折一際明るい光を放った。その光を目にした途端、何か異質な力が目の中へ侵入しようとするのを感じ、わたしは反射的に目を逸らした。光はしばらく網膜に纏わり付くような残像を残していたが、やがて薄れて見えなくなった。

 明らかな異常現象にわたしは落ち着かない気持ちになった。あの光が何なのかはわからないが、目にしただけで身体に干渉するような力を発する光。そんなものが無害であるはずがない。

 わたしは城郭目指して走り出した。途中、繁華街と平行する道を通ったが人の話し声は全く聞こえなかった。ガルディナのような規模の街には普通、明け方まで開いている酒場が幾つかあるものだ。けれど店のほとんどは扉を固く閉ざし、来訪者を拒んでいた。

 いよいよ危機感が募ってくる。街の人達は一体どうしてしまったのだろう。

 疑問に思いながらも城の正門の近くへ辿り着き、わたしは城郭を道の影からそっと覗いた。

 衛兵はいない。だが、正面から城へ潜入するのは不可能だった。城を取り囲む壕がこちら側とあちら側を分断するように黒い線を引いている。跳ね橋が上げられていたのだ。

「正面からは無理、か」

 独りごち、わたしは小物入れの中からスペイリーさんから受け取った地図と灯石(光を封じた透明の玉石)を取り出した。灯石に魔力を注ぎ、松明のような灯りを得る。地図を灯石で照らしながら、わたしは出発前に確認したその地図をもう一度丹念に見つめた。そこにはガルディナ城を中心とする主な建造物の配置とその建物に関する注釈が書き込まれている。

「やっぱりここから潜入するしかなさそうね」

 今いる場所とは反対側に位置する建物に目をやる。この世界の創造主、龍王を祀る神殿だ。

 龍王はその名の通り『龍』だったと伝承にはある。世界はその鱗がはがれ落ちて組成された。時に龍王は人の姿を借りて地上へ降臨し、世界に安寧をもたらしている、と。龍王信仰の戒律は実際には秩序や道徳を庶民の常識とするために支配者層が後から付け加えたものに過ぎないが、一般人の信仰は厚い。

 地図をしまい、わたしは再び裏道を走り始めた。けれど何故かあまり気乗りがしない。理由はわからないが『龍王の神殿』に忌避を感じるのだ。これも失った記憶の名残なのだろうか。

 とはいえ今はそんなことを気にしてはいられなかった。身を隠して行動できる時間は限られている。行動できる内に出来るだけ多くの情報を掴まなければならない。

「ここね」

 神殿へ辿り着き、わたしはその青白い建物を見上げた。青磁のタイルで飾られた荘厳な建物は月明かりを浴びて静かに輝きを放っている。縦長の細い尖塔が幾つも連なったそれは、さながら宙に掲げられた矛先を思わせた。その周りを取り囲むように黒々とした木々が密生している。

 わたしは意を決し、神殿へ続く砂利道に足を踏み入れた。真夜中の神殿が静まりかえっているのは普通のことだが、何故か違和感を感じる。拒まれている、といったらいいのだろうか。

 風が夜空を渡ってゆく。ザワザワと葉と葉が擦れ合う音が辺りに木霊する。少し肌寒い。ガルディナはフェイドゥやホセよりもかなり北に位置する。今の季節、昼は暖かいけれどまだまだ夜は冷え込むのだ。

 神殿の人間が起きてくるのを警戒しながらわたしは奥へ進んでいった。外側からは見えなかったが、木々の合間にはいくつもの小さな廟が建てられていた。その一つ一つに死者が弔われていると考えると少し怖かったが、あえてそのことは考えないようにした。

「本当にこの場所にあるのよね」

 心細くなり、つい独り言がこぼれる。

「そこにいるのは誰かね?」

 ところが、返ると思わなかった返事が木々の奥から返り、わたしは心臓が喉元までせり上がったように感じた。腰の短剣に手をかけ相手の出方を待つ。もし相手が人を呼ぶつもりならしばらく眠っていてもらわなくてはならない。息を潜め、わたしは相手が近づく足音に集中した。

「もしお主がわしを傷つけるつもりなら、わしはそれを甘んじて受けよう。もしお主がわしに助けを求めるつもりなら、わしにはその話を聞く準備がある。いずれにせよこの場所へ足を踏み入れた者に正しい道を示すことがわしの役目だ」

 木の陰から姿を現したのはカンテラを手にした白っぽいローブを着た初老の男だった。どこか威厳があり、信頼に足る空気をその身に纏っている。

 わたしは相手の目を見据えた。男が嘘を吐いているようには見えない。わたしは一か八かの賭に出ることにした。

「……城への抜け道を探している」

 ぼつりと呟くと、相手は少し驚いたように眉を上げた。

「どこでそれを?」

 わたしは口をつぐんだ。スペイリーさんの地図に書かれたメモのことを伝えるべきかどうか迷ったのだ。何しろわたしは彼女をさらった罪人ということになっている。そんな立場の人間が軽々しく王女の名前を口にすることははばかられた。

「答えられぬか。まあいい。こちらへ来なさい」

 そう言って男はわたしに背を向けた。普通に考えれば武器に手をかけたままの相手に背を向けるなんて自殺行為だ。わたしは身を持って己の言葉の誠を示した男を信用することにした。

「何故城へ向かおうとしているのか聞かないのね」

 黙々と歩く男に話しかける。すると、相手は前を向いたまま答えた。

「ここに城への抜け道があることを知るのは王族だけだ。それを他者が知っていた。それだけで説明はいらぬ」

 今度はわたしが驚かされる番だった。そんなことを知っているなんて、この人、ただの神官ではなさそうだ。

「入りなさい」

 神殿の前へ辿り着き、男はその扉を開いた。わたしは男の後ろに続いて中に入り、その場で足を止めた。

 そこにはおびただしい数の人が身を寄せ合って眠っていた。まるで何かから避難してきたかのように、着の身着のままで横になっている人もいる。子供もいれば大人もいた。

「皆疲れて眠っている。静かに付いてきてくれるとありがたい」

 わたしが立ち止まったのに気付き、初老の男は振り返った。わたしは無言で頷くと、再び歩き出した男の後を追った。

 男は幾つも扉をくぐり抜け、他に人の姿が見えなくなった頃ようやく口を開いた。

「あれは街から逃れ、神殿に救いを求めてきた者達だ」

 地下へ続く階段を降りながら男は続けた。

「わしは衰えたゆえこの神殿におる者しか守れぬ。だが、このまま異常が続けばいずれ国は滅びる」

 階段を降りる足音が静けさの中、鳴り響く。

「そうなる前にこの事態を解決しにきた。そうであろう? レン=シュミットよ」

 最下部の扉の前で立ち止まって踵を返す男。突然名前を呼ばれてわたしは相手の顔をまじまじと見つめた。

「忘れておるのも無理はない。お主がファウスターに連れられてここに訪れたのはまだ十を過ぎたばかりだったのだから」

 男は懐かしそうに双眸を細めた。思わぬところで師匠だった男の名前を耳にし、わたしは驚きを隠せなかった。

「わしはこの神殿の宗主イルミナード。お主はわしの経典を祭壇の下に隠したこともあったのだぞ?」

 初老の男はそう言って朗らかに笑った。相手と会った記憶はなかったが、その名前には聞き覚えがあった。ガルディナを拠点に数々の慈善活動を行い、数多の人を救済してきた人物。それがイルミナードだった。

「以前に会ったことがあったのね」

 イルミナードはゆっくり頷くと扉を内側に開いた。かび臭い冷ややかな空気が頬を掠める。

「さあ、行きなさい。この道は城の地下へ続いている。だが、もし何かあれば無理せず引き返すのも一つの手だと言うことを忘れずにな」

「わかったわ」

 わたしは深く頷くと、暗闇の続く地下通路へ足を踏み入れた。

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