賞金首になったわたし-5
「観念するんだな」
ヨルグは勝ち誇ったような口ぶりでそう言うと、苦痛に顔を歪ませるわたしの髪を掴んで自分の方へ向けた。その吊り上がった目には狂気に似た光が浮かんでいる。頭皮ごと上に持ち上げられた頭に刺すような痛みが走り、わたしは苦痛の声を漏らした。
「貴様等、何をしている」
けれど、今まさにヒデが鎧を剥ぎ取ろうとした時、その怒気を孕んだ声は地を揺らす雷鳴のように轟いた。思わず声のした方へ顔を向ける。ヨルグの掴んだ髪の辺りに鋭い痛みを感じたが、そんなことに構っていられなかった。
格子の向こう側に現れた人影を見てわたしは顔をほころばせた。白い髪に紅の瞳。グミの実のように真っ赤な全身鎧を纏ったその姿は見間違えようがない。
「ゼンッ!」
遅いっ! 現れるならもっと早く現れろっ!
わたしがかすれ声で呼びかけるのと、ゼンが鉄格子に手をかけるのはほぼ同時だった。
「仲間がいやがったのか」
忌々しそうに吐き捨て、ヨルグはヒデにわたしを立ち上がらせるよう指示した。太った男は興奮のあまり顔を赤黒く染めたまま立ち上がり、わたしの首に太い腕を絡めた。
「俺達に危害を加えるつもりならこいつの首をへし折るぞ」
未だ自分の有利を信じて疑わず、ヨルグは強気な態度に出た。その言葉が余計に気に障ったらしく、深紅の瞳を持つ魔族は鉄格子を握る手に力を込めた。
「楽な死に方が出来ると思うな」
言うや否や、鉄格子から蒸気が噴き出し始める。次の瞬間、ゼンは掴んでいた障害物を左右にグニャリと広げた。
「な……何だこいつ……魔族か!?」
ヨルグは怯えるように後ずさった。ヒデは状況の変化について行くことが出来ず、ただただ呆然とその場に立ち尽くしている。わたしは首に回された腕の力が緩んだのを感じ、隙を突いてその戒めから逃れた。
「嬢ちゃん、後ろに下がってな」
「わかったわ」
すぐさまゼンの元に駆け寄り、牢から抜け出す。見ると、曲がった鉄格子はまるで炎で熱したかのように溶けかけていた。
わたしはヨルグに投げ捨てられた短剣を拾い上げ、怯えて壁際に追い詰められた二人の姿を冷ややかな目つきで見やった。ヨルグもヒデも近づくゼンを震えながら見ていることしかできない。その双眸にはまぎれもない恐怖が浮かんでいた。
自分であの二人を殺ることだってできないことではない。けれど、何しろあんな風にわたしのことを扱ったんだ。同じように恐怖を味わえばいい。
「嬢ちゃんを傷物にした代償を払ってもらうぞ」
状況が状況だっただけにゼンは勘違いしているようだった。貞操の危機には陥ったけれど、喉を痛めるくらいですんだのだから不幸中の幸いだ。
「簡単には殺さん」
ゼンは左手を構えるとヨルグのいる床の少し手前に白銀に光る炎の雨を降らせた。火花が散り、鉛筆男の服に幾つもの炎が灯る。傍らでそれを見ていたヒデは慌ててその火をもみ消したが、焦げた服の下からは赤くただれた皮膚が覗いていた。
怯えて縮こまり、卑屈そうに命乞いをする二人。けれど構わずゼンは二撃目をはなった。
どんなに人間に近い姿をしていてもこいつは魔族なのだと改めて思う。悲痛な声で騒ぎ立てる二人の恐怖には全くお構いなく逃げ道を無くし、自らの命の灯火が簡単に吹き消される程度のものでことを強制的に突き付けるのだから。
こういう残忍性を裏に持ち合わせている奴をわたしは他にも知っていた気がする。名前も顔も思い出せないけれど、そういう奴はいたことは間違いない。余程印象深かったんだろう。
「ゼン、もうそれくらいでいいわ」
ゼンの放った火属性の禁呪、焼尽によって牢の内部は灼熱の空気に支配されていた。ヨルグとヒデの足下は溶岩の海のようにドロドロに溶けて赤光を放っている。二人が無事そこから逃れられるとは考えにくかった。
「……わかった」
ゼンは渋々承諾し、わたし達は床に残されたわずかな足場に棒立ちになっている二人を一瞥してから牢屋を出た。
牢が郊外に建てられていたおかげで、わたし達はそれほど苦労することなくホセを離れることができた。ガルディナの方角へ向かってしばらく歩を進め、追っ手がないことを確認するとわたしはようやく口を開いた。
「助けてくれてありがとう」
心底感謝して礼を言う。さすがにあの時はもう駄目かと思った。
「いや、遅くなってすまなかった。俺が嬢ちゃんの気配を見失ったりしなければあんなことには……」
憤りの表情を隠しもしないゼン。けれど、わたしはその言葉を聞いて黙り込んだ。
森の中のことといい、この町のことといい、自分の身すら自分で守れなくてこの先やっていけるんだろうか。もしマリンやゼンが助けてくれなかったら、今頃わたしはどうなっていただろう。殺されていたか、もしくは……
ぶり返してきた恐怖に胃が縮み上がる。不意に涙がまぶたを押し上げてきてわたしは慌ててそれをぬぐった。
「嬢ちゃん、泣いてるのか?」
静かになったわたしの様子を窺っていたらしく、ゼンは気付かなくてもいいことに気付いた。
「な、泣いてなんかないわよっ!」
怖さで涙が出るなんて幼い子供みたいで恥ずかしかった。こんな涙、誰にも見られたくない。けれど、ゼンは立ち止まってわたしを真正面からジッと見つめた。
「辛い思いをさせたな」
後悔の滲む声音で呟くゼン。こいつはわたしを見失ったことに随分責任を感じているようだった。けれど、ゼンにそんな責任はない。これまでの過程で起きてきたことの意味を深く考えなかったのは明らかにわたしのミスだ。それにこいつは誤解したままのようだけど、本当の危機には間に合ったのだから謝るなんてお門違いだ。
「さっきのことなんだけど――」
わたしは誤解を解こうとしてそう言いかけた。けれど、ゼンは顔をしかめてそれを遮った。
「言わないでくれ。俺は自分の好きな相手も守れなかったなんて」
好きって……何、言い出すんだこいつ。
わたしは突然の告白に頭が真っ白になった。驚きに目を見開くわたしをゼンはその腕の中に引き寄せた。
「こんな感情はとっくに無くしたと思っていた。だが、ティーポスでかいま見た優しさ、不安を隠して明るく振る舞おうとする強さ、弱さ。守ってやりたいと思った」
顔がカッと赤らむのを感じ、慌てて目をそらす。相手の気持ちを受け止めきれずにわたしは困惑した。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
突然のことにパニックになりかけたが、状況とは無関係に体はいつもの反応を返した。触れられたところがむず痒くなる。それは徐々に範囲を広げていった。
「俺じゃ、駄目か?」
浸食していく痒みに我慢がならず、わたしはゼンの腕から逃れようとした。
「駄目とかじゃなくて――」
けれど、わたしの言葉は逆効果でしかなかった。この奇妙な体質のことをすっかり忘れていると思われるゼンは、わたしが真面目に自分の話を聞いていないことを感じ取り、一層『愛の告白』に夢中になってしまったのだ。
「強がりなところも含めて、嬢ちゃんが好きだ」
そらした顔を硬い掌に戻され、わたしは真っ向からゼンに向かい合う形になった。真剣な眼差しだけで想いが伝わってくるようだ。
「お願い……はなして」
しかし、だからといって受け身のままでいるわけにはいかない。時を追って気分が悪くなってきた。何だか頭がグラグラする。前後不覚。体と精神が分裂しようとしているみたいだ。
「嬢ちゃん」
切なそうに呟き、ゼンはわたしの顔に自分の顔を寄せてきた。
「やめ――」
すぐに相手の意志を悟る。
「ん……」
奴の唇がわたしのそれに重なった。ゼンの熱が唇から伝わり、波だった思考がさらに混沌としたものになる。が、次の瞬間、頭の中で雷の閃光のようなものが走り、身体の奥から何かがあふれ出してきた。けれど、わたしはそれを抑えることが出来なかった。それが何なのか分からないまま、わたしはその何かに飲み込まれた。
膨大な魔力が体から放出される感覚。心が張り裂けそうなほどの悲しみ。それが意識を失う前に感じた最後の感覚だった。
 




