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婚約破棄された悪役令嬢、実家の執事に買われる。「今日から私が主です」と溺愛され、廃材チートで人生大逆転!  作者: 月雅


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第9話 契約更新の条件



「本日付で、貴女との雇用契約期間が満了となりますね」


静まり返った執務室で、シリルさんの淡々とした声が響いた。

マホガニーの重厚な机を挟んで、私は直立不動の姿勢を取る。

窓の外は穏やかな春の日差しに包まれているけれど、私の心の中は真冬のように凍えていた。


「……はい、存じております。会頭」


私は震えないように両手を組み、深く頭を下げた。

一年前、雨の路地裏で拾われたあの日から、今日まで。

夢のような日々だった。

最高の設備と、私の技術を認めてくれる仲間、そして何より、いつも私を守ってくれた「主」との時間。


けれど、契約書には明確に記されていた。期間は一年、と。

私の開発した魔導具は十分に普及し、商会に莫大な利益をもたらした。

もう、初期投資の回収は終わっているはずだ。

これ以上、元悪役令嬢という「爆弾」を抱えておくメリットは、彼にはないのかもしれない。


(泣いてはいけない。最後くらい、綺麗に去らなければ)


私は唇を噛み締め、覚悟を決めて顔を上げた。


「この一年、本当にありがとうございました。私のような者を拾っていただき、感謝の言葉もありません。……荷物はまとめてありますので、すぐに退去いたします」


「……は?」


シリルさんが書類に走らせていたペンを止め、顔を上げた。

眼鏡の奥の青い瞳が、怪訝そうに細められる。


「退去? 何を言っているのですか」


「え……? ですから、契約満了ですので……クビ、なのでしょうか?」


「誰がそんなことを言いました?」


彼は呆れたようにため息をつき、引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。

それは、以前の雇用契約書よりも遥かに上質な、金箔入りの紙だった。


「リリアナさん。貴女は相変わらず、自分の価値を過小評価しすぎです。……銀鷺商会が、稼ぎ頭の筆頭魔導技師を手放すとでも?」


「で、では……?」


「契約更新です。当然でしょう」


シリルさんはその羊皮紙を、私の目の前に滑らせた。

私は安堵で膝が抜けそうになりながら、慌てて内容を確認しようと身を乗り出した。


「ありがとうございます! 一生懸命働きます! 条件は以前と同じで……」


しかし、そこに書かれていた文字を見て、私は言葉を失った。


『終身雇用契約書』

『甲:シリル・アッシュフォード』

『乙:リリアナ・ベルンシュタイン』


ここまではいい。

問題は、その下に続く条項だった。


『第一条:乙は甲に対し、生涯にわたりその身柄、愛情、および未来の全てを提供するものとする』

『第二条:甲は乙に対し、生涯にわたり絶対的な守護と、全財産の共有、および唯一無二の愛を保証する』

『第三条:本契約の締結をもって、両者は婚姻関係にあるものとみなす』


「…………婚姻?」


私は目を瞬き、何度も読み返した。

婚姻。結婚。

つまり、これは。


「プロポーズですよ、リリアナさん」


シリルさんが立ち上がり、机を回り込んで私の前へと歩み寄ってきた。

その表情はいつもの冷徹な商人のものではなく、どこか切実な熱を帯びていた。


「え、あ、あの……」


思考が追いつかない。

結婚? 私とシリルさんが?

確かに彼は私を「自分のもの」だと言ってくれた。

でもそれは、優秀な「道具」としての所有宣言だと思っていた。

商会の利益のために、私を法的に縛り付けるための手段なのだろうか。


「そ、そんな……シリルさん、無理をなさらないでください」


私は後ずさり、首を横に振った。

動揺で声が上ずる。


「わ、私を商会に留めておくために、そこまで犠牲を払う必要はありません! 結婚なんてしなくても、私は逃げませんし、他社にも行きませんから!」


「犠牲?」


シリルさんの足が止まった。

部屋の空気が、一瞬にして張り詰める。


「……貴女は、私が商売のために貴女を利用しようとして、この契約書を作ったと思っているのですか?」


「ち、違うのですか? だって、私は元公爵令嬢で、傷物で……シリルさんは今や飛ぶ鳥を落とす勢いの大富豪です。私と結婚なんて、貴方の経歴に傷がつくだけで……」


「同情や計算で、私が一生を縛る契約を結ぶとでも?」


シリルさんが一歩踏み出し、私を壁際に追い詰めた。

逃げ場はない。

彼の長い腕が私の顔の横につき、視界が彼の胸元で埋め尽くされる。

いつもの清潔な香りが、今はひどく濃密に感じられた。


「リリアナ」


敬語が消えた。

執事時代にも、会頭になってからも、一度も聞いたことのない呼び捨て。

低く、甘く、鼓膜を震わせる男の声。


私は驚いて顔を上げた。

至近距離にある彼の瞳は、氷のような青色ではなく、暗い炎のように燃えていた。


「計算なわけがないだろう。……昔から、ずっと君だけを見ていた」


「む、昔から……?」


「ああ。君がまだ幼い頃、図書室で一人、魔導書を読んでいた時からだ。周りから『出来損ない』と蔑まれながらも、自分の好きなことに没頭する君の強さと、その指先が生み出す魔法に、私は惹かれていた」


シリルさんの指先が、私の頬を包み込んだ。

熱い。火傷しそうなほどに。


「執事を辞めて商会を興したのも、力をつけるためだ。いつか君が家を追い出された時、誰にも文句を言わせずに君を迎え入れるための『城』を作るために」


「え……じゃあ、あの時、雨の中で私を拾ってくれたのも……」


「偶然だと思ったのか? 君が追放された瞬間から、私の情報網は君の居場所を特定していた。……誰にも渡したくなかったからな」


彼は苦笑し、私の額に自分の額を押し当てた。


「君は鈍すぎるよ、リリィ。……私がどれだけ君に執着しているか、まだ分からないか?」


リリィ。

それは、幼い頃に母様だけが呼んでくれた愛称。

彼がそれを口にするなんて。

心臓が早鐘を打ち、息ができなくなりそうだ。


「で、でも……私なんかで、本当にいいのですか? 可愛げもないし、研究ばかりしていますし……」


「それがいいんだ。君以外の女など、石ころと同じだ」


シリルさんは断言した。


「それに、今の君の価値を知らないのは君だけだぞ。王宮は今や火の車だ。エドワード殿下は借金のカタに王家の離宮を差し出したし、君の父上は鉱山を失って破産寸前だ。……彼らが失った最大の財産が何だったのか、骨の髄まで理解させてやった」


さらりと恐ろしいことを言った気がするが、今の私にはどうでもよかった。

目の前にいるこの人が、全てを賭けて私を求めてくれている。

その事実だけで、胸がいっぱいになってしまったから。


「シリル……さん」


「返事を聞かせてくれ。……君の主は、私一人でいいか?」


彼は私の左手を取り、薬指にそっと口づけを落とした。

そこにはまだ指輪はないけれど、彼の唇の熱さが、どんな宝石よりも確かな契約の証のように感じられた。


私は涙が溢れるのを止められなかった。

悲しいからではない。

嬉しくて、温かくて、幸せすぎて。


「……はい。私、シリルさんのことが好きです。……ずっと前から、怖くて、厳しくて、でも誰よりも優しい貴方のことが」


「……っ」


シリルさんが息を呑む気配がした。

次の瞬間、私は強い力で抱きしめられていた。

肋骨が軋むほどの強さ。

いつも冷静沈着な彼の、余裕のない抱擁。


「愛している、リリアナ。……もう絶対に離さない」


耳元で囁かれる言葉に、私は彼の背中に手を回し、しがみついた。


「はい……旦那様」


窓の外から差し込む光が、私たちを祝福するように包み込んでいた。

契約書へのサインはまだだけど、私たちの契約は、もう心の中で結ばれていた。

それは、どんな魔法よりも強力で、永遠に解けない絆だった。


          ◇


しばらくして、落ち着きを取り戻した私たちは、改めて契約書に向き合った。


「……シリルさん、敬語に戻っていますよ?」


私が指摘すると、彼は咳払いをして眼鏡を直した。


「……職場ですからね。公私混同はしません。ただし」


彼はペンを走らせ、契約書の末尾に一文を書き加えた。


『特記事項:勤務時間外においては、互いに名前で呼び合うこととする』


「これで文句はありませんね? リリィ」


「ふふっ、はい。シリル……様」


私が少し悪戯っぽく呼ぶと、彼は不意を突かれたように目を見開き、それから困ったように笑った。


「……その呼び方は反則です。心臓に悪い」


「あら、最強の会頭様にも弱点があったのですか?」


「君限定ですよ。……さあ、サインを。これで君は、法的にも社会的にも、銀鷺商会の奥方だ」


私はペンを取り、震える手で署名した。

リリアナ・アッシュフォード。

新しい名前。新しい居場所。

紙の上にインクが染み込んでいくのを見ながら、私はかつてない充足感を感じていた。


「さて、契約成立祝いといきましょう」


シリルさんが引き出しから小さな小箱を取り出した。

パカッ、と開かれたそこには、私の瞳と同じアメジストと、最高級の魔石をあしらった指輪が輝いていた。


「これは……」


「君のために特注した魔導指輪です。身につけているだけで体調管理と位置特定、そして防壁魔法が常時発動します」


「……性能が重くないですか?」


「愛の重さだと思って諦めてください」


彼は私の左手を取り、薬指に指輪を嵌めた。

少しひんやりとした金属の感触。

けれど、そこから流れ込んでくる魔力は、とても温かくて優しかった。


「似合いますね。……世界で一番美しい手だ」


シリルさんは満足げに私の手を見つめ、再び口づけをした。


私は窓の外を見た。

王城のある方角は、今日も厚い雲に覆われているのだろうか。

けれど、ここから見える空はどこまでも青く澄み渡っていた。

私の新しい人生が、ここからまた始まるのだ。


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