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婚約破棄された悪役令嬢、実家の執事に買われる。「今日から私が主です」と溺愛され、廃材チートで人生大逆転!  作者: 月雅


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第6話 招かれざる客



ドンドン、と粗暴に扉を叩く音が、静謐な商会ビルの一階ロビーに響き渡った。


「開けろ! 王太子の使いであるぞ!」


私はビクリと肩を震わせ、手にしていた設計図を取り落としそうになった。

会頭執務室にまで届くほどの怒鳴り声。

聞き覚えのある、衛兵たちの声だ。


「……来たようですね」


シリルさんは手元の書類から視線を外し、ゆっくりと立ち上がった。

その表情には焦りなど微塵もなく、むしろ待ちわびた獲物がかかったかのような冷ややかさを湛えている。


「リリアナさん、貴女は奥の個室にいなさい。顔を合わせる必要はありません」


「で、ですが……あれは王太子殿下の近衛兵の声です。もし強行突破されたら、商会の方々に迷惑が……」


「迷惑? 迷惑を被るのは彼らの方ですよ。ここは私の城です」


シリルさんは優雅に眼鏡の位置を直し、部屋の入り口へ向かった。

私は迷った末に、個室へは隠れず、執務室の隅にある衝立ついたての陰に身を潜めた。

怖い。心臓が痛いほど脈打っている。

けれど、シリルさん一人を矢面に立たせて、自分だけ安全な場所に隠れていることなどできなかった。


直後、執務室の重厚な扉が乱暴に開かれた。

止めようとした秘書の制止を振り切り、数名の男たちが土足で踏み込んでくる。


先頭に立つのは、豪華な金刺繍のマントを羽織った青年――エドワード王太子殿下。

そしてその隣には、私の元父親であるベルンシュタイン公爵の姿があった。


「無礼者! 余を誰だと思っている!」


エドワード殿下は寒さで鼻を赤くしながら、シリルさんを睨みつけた。

王城の暖房が壊れているという噂は本当だったらしい。

厚着をしていても隠せない震えが、彼の威厳を損なっていた。


「これはこれは。アッシュフォード会頭でございます」


シリルさんは完璧な礼法で一礼したが、その頭を下げる角度は浅く、目線は決して伏せなかった。


「事前のご予約もなしにご来訪とは。……王家の方々は、随分と時間にルーズであらせられる」


「減らず口を叩くな、元執事風情が!」


ベルンシュタイン公爵が怒鳴った。

かつての使用人に見下ろされる屈辱に、顔を朱に染めている。


「単刀直入に言う。リリアナをここへ出せ。貴様が囲っていることは分かっているのだ」


その名前が出た瞬間、私の呼吸が止まりそうになった。

衝立の隙間から見える父の顔は、私を「出来損ない」と罵ったあの日と同じ、冷酷なものだった。


「リリアナ……ああ、弊社の技術顧問のことでしょうか?」


シリルさんは涼しい顔で首を傾げた。


「彼女は今、重要な業務の最中です。部外者にお会いさせるわけにはいきませんね」


「部外者だと!? 余は王太子だぞ! そしてこっちは彼女の父親だ!」


エドワード殿下が机をバンと叩いた。


「王城の魔導具が全て故障した! あの女がいなくなってから、何もかもがおかしいのだ! さっさと彼女を返せ。今なら不敬罪は問わずに許してやる!」


「許す、ですか」


シリルさんの口元から、笑みが消えた。

執務室の空気が、一瞬にして凍りつく。


「勘違いなさらないでいただきたい。……彼女を追放したのは、貴方方だ」


低く、地を這うような声。

シリルさんは一歩前に踏み出した。

ただそれだけの動作で、王太子と公爵が気圧されて後ずさる。


「家名を剥奪し、婚約を破棄し、着の身着のままで放り出した。……その時点で、彼女と貴方方の縁は法的に切れています。今の彼女は、私の商会の正当な従業員だ」


「だ、黙れ! 親が呼んでいるのだ、戻ってくるのは当然だろう!」


公爵がわめく。


「あの娘は私の所有物だ! 少し頭を冷やさせようと外に出しただけで、本気で手放したわけではない! 『無償で修理をします』と泣いて謝れば、また屋敷に置いてやらんこともないのだぞ!」


所有物。

その言葉が、鋭い刃物のように私の胸を抉った。

彼らにとって私は、娘でも人間でもなく、ただの便利な道具でしかなかったのだ。


悔しさと悲しみで視界が滲む。

けれど、それ以上に――シリルさんを侮辱されたことが、許せなかった。


私は震える脚に力を込め、衝立の陰から一歩を踏み出した。


「……お断りします」


私の声は小さかったが、静まり返った部屋には十分響いた。

全員の視線が私に集まる。


「リリアナ!」


公爵が目を剥いた。


「そこにいたのか! おい、そのみっともない作業着は何だ。すぐに着替えて戻ってこい!」


「みっともなくなどありません」


私は顔を上げ、かつての父と婚約者を直視した。

膝が震える。声も震えている。

でも、もう逃げたくなかった。


「これは、私が自分自身の力で生きている証です。……私はもう、ベルンシュタイン家の娘ではありません。銀鷺商会のリリアナです」


「なっ……貴様、親に向かって……!」


公爵が手を振り上げた。

いつものように、私を打つつもりだ。

私は反射的に身を竦めた。


だが、その手は振り下ろされなかった。

シリルさんが私の前に立ち塞がり、公爵の腕を片手で掴み上げていたからだ。


「……私の大切な部下に、何をするつもりですか?」


シリルさんの声は、絶対零度よりも冷たかった。

青い瞳が、公爵を射殺すかのように細められている。

ミシミシ、と骨の軋む音が聞こえた。


「い、痛い! 離せ! 貴様、貴族に触れてタダで済むと……!」


「貴族?」


シリルさんは公爵の腕を無造作に振り払った。

公爵は無様に尻餅をつく。


「貴方がたがその地位に胡座あぐらをかいていられるのも、今のうちですよ」


シリルさんは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、王太子殿下の目の前に突きつけた。


「これは、王家および公爵家が当商会から借り入れている負債の総額一覧です」


「な……なんの話だ」


「長年にわたる魔導具の購入費、メンテナンス費の未払い分。そして今回、リリアナさんを不当に解雇したことによる、技術提供契約の違約金」


シリルさんは淡々と告げた。


「合計で、金貨一億枚になります」


「い、一億……!?」


エドワード殿下が絶句した。

国家予算の数年分にあたる金額だ。


「リリアナさんを連れ戻したければ、まずこの借金を完済していただきたい。……ああ、もちろん一括で」


「そ、そんな金、あるわけがないだろう!」


「ならばお引き取りください。……それとも」


シリルさんは眼鏡の奥で目を光らせた。


「借金のカタとして、王家の領地や公爵家の鉱山を差し押さえましょうか? 商法に基づき、私にはその権利がある」


王太子と公爵の顔色が、土気色に変わった。

この国では、経済活動の安定のため、商法上の契約は王命よりも優先される場合がある。

特に、最大の債権者である銀鷺商会を敵に回せば、物流が止まり、国が干上がることは明白だった。


「くっ……覚えておれ!」


エドワード殿下は捨て台詞を吐き、踵を返した。

公爵もまた、這々のほうほうのていで立ち上がり、私を睨みつけながら後を追った。


「リリアナ! 後悔するぞ! 野垂れ死んでも知らんからな!」


バタン、と扉が閉まる。

嵐のような騒音が去り、部屋には静寂が戻った。


私はその場にへたり込んだ。

全身の力が抜けて、指先一つ動かせない。


「……リリアナさん」


シリルさんが屈み込み、私の目線に合わせてくれた。

その表情からは先ほどの修羅のような冷酷さは消え、いつもの穏やかな、少し呆れたような色が戻っていた。


「個室にいなさいと言ったのに。……貴女という人は」


「ご、ごめんなさい。でも……」


私は涙を堪えながら、彼を見上げた。


「シリルさんが悪く言われるのが、嫌だったんです。……私を守ってくれているのに」


「……」


シリルさんは目を見開き、それからふっと息を吐いた。

そして、大きな手が私の頭に置かれた。


「馬鹿な人だ。……ですが、よく言いましたね」


ポンポン、と優しいリズムで撫でられる。

その温かさに、張り詰めていた緊張の糸が切れた。


「怖かったです……」


「ええ、震えていましたね。子鹿のように」


「でも、帰りたくありませんでした。……私の主は、シリルさんだけですから」


私がそう言うと、シリルさんの手がぴたりと止まった。

眼鏡の奥の瞳が揺れ、何かを言おうとして口を開き、また閉じる。

珍しく、彼が言葉に詰まっているように見えた。


「……その言葉、忘れないでくださいよ」


彼は少しだけ視線を逸らし、咳払いをした。

耳元が微かに赤くなっているのは、私の見間違いだろうか。


「さて、邪魔者は消えました。仕事を再開しましょう」


シリルさんは立ち上がり、私に手を差し伸べた。

私はその手を強く握り返し、立ち上がった。


「はい、旦那様」


窓の外では、雪がちらつき始めていた。

王城の方角は暗い雲に覆われている。

きっとあちらでは、これから本格的な冬の寒さと、借金の督促という現実が彼らを襲うことになるだろう。


けれど、今の私には関係のないことだ。

ここには暖かい工房があり、私の才能を認めてくれる人がいる。

それだけで、私はどんな寒さにも耐えられる気がした。


私はデスクに戻り、設計図を広げた。

そこには、未来を作るための線が引かれている。

過去に縛られていた私は、もういない。


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