1 子どもと大男は剣で語らう
次回は9月9日㈫午前6時以降に投稿予定です。
最後までお付き合いいただければ幸いです。
風切り音と共に一筋の閃光が空間を走る。
光の軌道に迷いはない。
円の半周程の弧を描くと、閃光は異なる平面に向けて飛び立つ。
……否。
空を飛翔していたのは光ではなく――剣だ。
太くも細くもない平たい剣身と、それに見合った大きさの鍔。
少ない装飾の質素な作り。
実用美に溢れたその姿は「敵を斬ること」に特化した、極々ありふれた剣である。
その剣の刃先が、陽光の反射によって輝いて見えているのだ。
「……こうじゃねえな」
低音の呟きが切っ掛けとなって、縦横無尽に飛び回っていた剣がその動きを止める。
声の主は大柄な男だった。
疎らに染められた赤紫の上着。
いわゆる貫頭衣を男は着ており、下には黄土色の長ズボンを履いている。
庶民としては標準的な格好ではあるのだが――
「こうか?」
男には卓抜した特徴が三点程あった。
一つ目は男の身体だ。
巨体とそれを覆う筋肉は、明らかに庶民のそれではない。
緩やかな服の中にあるにも関わらず筋骨隆々の肉体の主張は激しく、剣を振る度に鋼の筋肉が躍動し、上下の衣服が男の身体の形に隆起する。
バサッ
巨躯の男が首を傾げると、その背後で乾いた音がする。
二つ目の特徴はその音の発生源――男の髪だ。
濃紺の長い髪。
腰まで届く長い髪が、男の背後で乱雑にまとめられ、色気も何もない紐によって大雑把に結ばれているのだ。
そして最後に――その束ねられた髪と連動する二振りの得物。
男の帯びる二振りの武具が、男の存在をより際立たせていた。
一振りは剣。
男が今振るっているそれよりも、更に装飾の少ない剣である。
強いて言うなら鍔が多少目立っているだろうか。
その銀の鍔の意匠は、機能性の集約された剣であるからこそ、唯一異彩を放っている。
もう一振りは刀だ。
緩やかな曲線のシルエットに金の鍔。
持ち手には黒の柄糸が蛇腹状に巻かれている。
剣は白の、刀は黒の鞘に収められ、対照的な二振りは男の左腰で歪な十字を描く。
「ああ……こうだな。いい感じだ」
自身に言い聞かせるように男は呟くと、先程から振るっていた三本目の剣の素振りを再開しようとする。
その巨大な背中に向かって――
ガサッ!
俺は草むらから飛び出す。
男の握る剣と同程度の得物を右手に、男の死角に向けて駆ける。
……いい感じだ。
全力の踏み込みが大地に支えられ、この身を加速させる。
調子の良さも相まって、いつも以上に周囲が視える気がする。
狙うは男の髪の結び目。
その先にある、がら空きの首だ。
ドッ!
全霊の跳躍によって空中へと跳び上がりつつ、剣を両手で握り直す。
籠めるのは自重と速度。
更に剣を振り被る事で、剣そのものの重量も剣速に乗せて――
「隙あり」
一気にその首筋に向けて振り下ろす。
しかし――
キンッ!
勢いよく振り向いた男の剣によって、あっさりと受け止められる。
岩を叩いた様な手応え。
おそるべき硬さに、思わず顔をしかめる。
「残念だったな……エヴェナ! 俺に隙なんてねえよ!」
ここにきて、完全に踏み切ってしまったことを後悔する。
全体重を剣に乗せることは出来た。
おそらくこれまで振るってきた中で、最高の威力の斬撃を放つことが出来たはずだ。
問題は剣を受けられた場合を考えていなかったこと。
躱されるならそのまま地面に転がるつもりだったのだが、止められたことによって完全に両足が浮いてしまったことである。
……しまった、身動きが取れない。
そんな後悔の中――空中で静止してしまった俺の身体に、男の拳が突き刺さった。
「あのなあ……エヴェナ。
どうしてお前は俺の背後を取ったんだ?」
痛む腹を擦りながら大の字で晴天を見上げていると、俺を殴り飛ばした大男がこちらの視界にゆっくりと入って来る。
……ムカつく顔だ。
今にも「やれやれ、仕方のない奴だ」などと言い出した上で、説教を垂れてきそうな顔である。
俺を殴った左手で無精ひげを無造作に撫でる仕草が、妙に様になってるのがまた輪をかけて腹立たしい。
「そりゃあ、じいさんに勝つために決まってるだろ」
「誰がじいさんだ、誰が!
俺は見ての通り、まだまだ現役バリバリだろうが!」
大男――じいさんはそう言うと、自身の言葉が正しいと主張するかのように剣を持っている右腕で力こぶを作る。
「……筋肉とかそういう意味じゃないよ。
そのバリバリって表現が、じいさんをじいさんと呼ぶ所以だよ。
文脈で意味は理解できるけど、もう死語だろそれ」
「ああ言えばこう言うクソガキめ」と悪態をつきながら、じいさんは前髪をかき上げる。
前髪が除けられたことで、じいさんの顔立ちが露になる。
高い鼻と形の良い眉。
それらによって形成された額縁の中には、吸い込まれそうな漆黒の瞳が飾られている。
粗野な言動や大柄な体格、雑に伸ばされた髪や身繕いのせいで気付かれにくいが、案外この男の見目は悪くない。
……尚更ムカつく。
「俺に勝つつもりだったなら、どうして『隙あり』なんて声を上げたんだ?
背後から斬りかかるなら奇襲狙いだろ?
声なんて出したら台無しじゃねえか」
「だってじいさん、最初から気付いてただろ?
俺の気配を嗅ぎ当ててただろ?」
「人を野生の獣みたいに言うんじゃねえよ!
匂いでは気付いてなかったわ!」
「なら匂い以外の何か――音あたりで気付いてたんだろ?
どうせバレてるなら、逆に声出したらどうなるんだと思って試してみたんだよ。
これでじいさんが少しでも驚いて、動きを乱してくれれば儲けもんだし。
……まあ、見てのとおり失敗したわけだけど」
「そんな事考えてたのか……抜け目のない奴だな」等と言いながら、じいさんは転がっている俺に左手を差し出す。
……大きい手だ。
その手を俺は全力で握る。
……強い。
大きさも硬度も密度も。
俺とはまるで違う掌だ。
どれだけの修練と実戦を重ねれば、こうなるのだろうか。
先程渾身の一撃を受けられた時も自然と岩を連想したが、この手は最早岩どころではない。
ゴツゴツとしたこの感触は、金属塊と称してもいいかもしれない。
「まあ……声のことは良いとしよう。
それにしても、あの大振りに踏み切りはなんだ?
あんなの『防御してくれ』『反撃してくれ』って言ってるようなもんだろ」
「仕方ないだろ……剣が重いんだから。
全力で振るにはああした方が、都合が良かったんだ。
むしろあの一撃を防御できたじいさんがおかしい」
生半可な獣なら、あの勢いで斬り込めば仕留めることができたはずだ。
熊や虎といった凶暴な相手でも、手傷くらいは負わせられただろう。
……その斬撃を、どうして無傷で防ぎ切れる?
何年も共にいるが、やはりこの男はおかしい。
「じいさんは気付いてないかもしれないが、その馬鹿力は当たり前じゃないんだぞ?
普通の人間の筋肉はもっと慎ましやかなもんだ。
じいさんみたいな怪物は、世間の常識をきちんと理解した方が良い」
「どうして俺は育てたガキ相手に、妙な説教をされてるんだ⁉
絶対お前の方が世間知らずだからな⁉」
ぐいっと凄い勢いで引っ張り上げられる。
「大体6歳の子どもの腹を突くって、どうなんだ?
大人としてそれでいいのか? 虐待にあたるんじゃないか?」
「止めろ止めろ止めろ! これ以上それっぽい正論を抜かすな!
生きてく上で必要なんだから、仕方ないだろ!」
じいさんは俺が立ち上がるのを確認すると、ぱっと手を放す。
その直後――
ヒュッ!
こっそり右手で隠し持っていた剣で、会心の一撃を放つ。
バカな会話をしている最中の不意打ち。
俺を持ち上げる為に左手を用いたことで、じいさんの左脇は空いている。
……今度こそ隙ありだ。
自信のあった不意打ちはしかし――
「だから隙なんてねえよ!」
嵐の様な身のこなしと、閃光にも等しい斬撃によって迎撃される。
それどころかその鋭い剣戟によって、剣そのものが切断されてしまった。
「……なんで今のが分かるんだよ。
読心術でも使えるのか?」
……絶対捉えたと思ったのに。
勝ったと思ったのに。
「バーカ、心なんて読めなくても分かるに決まってるだろ。
何年お前と一緒に居ると思ってんだ」
不貞腐れる俺に、じいさんは笑みを向ける。
誇らしげに、得意気に。
しかしどこか哀しさの混ざった笑み。
……この顔は嫌いだ。
何十回、何百回と見た表情。
これから口にする言葉も、幾度となく繰り返されているものが出てくるのだろう。
「まあ兎にも角にも、今日も俺の勝ちだな
……この調子じゃあ、お前が俺に勝つのは――母親の仇を討つのは、まだまだ先になりそうだな」
じいさんのいつも通りの呟きが、晴天に虚しく響いたのであった。
――剣士の大男と子ども。
そんな二人の剣のやり取りから、お話は始まります。
二人の今後がどうなっていくのか、楽しんでいただけると幸いです!
今後ともよろしくお願いします!
※前作『どうして異世界に来ることになったのか。』本編、番外編完結しました。
もし時間に余裕があれば、そちらもよろしくお願いします。