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湯の世界(2)

 雨で濡れた服を洗濯カゴに、無造作に入れる。何もかもどうでもよくなった。

 あの時言った愛しているも、あの優しさも全て噓だった。怒りや悲しみを通り越し、ただ虚しかった。

 お風呂場の扉を開き、中に入る。手早く髪と体を洗い終え、湯舟に体を沈める。

 外の雨音を聞きながら、私は決意を固めて目を瞑る。

 

 目を開けて無事にこの世界に来れたことを確認して、安堵したと同時に不安にも駆られる。

 もうあんな世界に戻りたくない。その一心が、私をこの世界に連れてきてくれたと思う。しかし、あの影の恐怖が頭から離れない。

 段々とこの世界にずっと永遠に居られる根拠のない自信が、湧いてきた。興奮してきたせいか、せっかくの温泉も楽しめそうになかった。

 頭を冷やして冷静になるため、露天風呂に移動することにした。露天風呂に繋がる扉が、以前よりも重たくなっていることに気づいた。しかし、ここまで来たら引き返せないし、帰る場所なんてない。

 意を決して、扉を強く動かす。突き刺すような冷気で、鳥肌が立つ。小走りで向かい、湯舟に足を入れる。その時、私の耳に波の音が届く。あの時の気持ち悪さが蘇ってくる。しかし、抑えきれない好奇心とこれを乗り越えないと元の世界に戻ってしまう気がして、波の音がする湖の方を向いてしまった。

 いた

 月夜に照らされた影が、湖の手前で佇んでいた。すぐに目を離そうとしたが、金縛りにあったかのように体が全く動かない。目を瞑りたいのに瞼が一切閉じてくれない。

 突然、今まで微動だにしていなかった影が、ゆっくりと動き出した。その影は、私の方に振り返った。影だと思っていたそれは、ヒト型の真っ黒い物体に口と鼻を張り付けたバケモノだった。

 全身の毛が逆立ち、動悸が激しくなる。

 バケモノは、私が見えているのか口角を上げた。その直後、バケモノは口角を上げたままこっちに向かって走ってくる。

 頭の中では、命の危機を知らせる警告が鳴り響いていた。しかし、まだ金縛りは解けない。

 帰りたい。この世界に来てから初めてそう思った。その瞬間、物が倒れた音がした。

 音がした直後、金縛りで狭まっていた視界が、元に戻った。そして、体が動くことにも気づいた。音がした方を振り向くと、露天風呂の周りに置かれていた灯籠が倒れていた。

 すぐにバケモノが走ってきている恐怖を思い出した。頭をフル回転して元の世界に戻る方法を考える。そして、いつも脱衣所にある浴衣を手に取ったら目が覚めることを思い出した。これが、夢の出来事だとしても、一刻も早く目覚めたかった。

 すぐに湯から上がり、走って室内へ続く扉に向かい、中へと入る。脱衣所に向かって全力で走る。脱衣所に駆け込み、浴衣を掴んで目を強く閉じる。

 しかし、いつまで経っても元の世界に帰れる気配はなかった。

 ヤバいヤバい。本当にヤバい。

 焦りが、段々と表面化し始めた。とにかくここから早く逃げないと。悲鳴を上げたいのをこらえて脱衣所の出口へ走る。

「早く帰るぞ」

 私の目の前には、作業服を着ていた青年が立っていた。その青年は、いきなり私の手を引っ張っていく。

「いきなり何するんですか?」

「説明する暇はないし、大体気づいているだろ。帰りたくないのか?」

「帰りたい」

 細かいことは何も分からないけど、あのバケモノがこっち向かってきていること。このままこの世界に居たら危ないこと。そして、この人が元の世界に帰る方法を知っているかもしれないこと。これくらいのことは、何となく分かる。

「帰りたいならついてこい」

 私は、小さく頷いた。青年に引き連れられるままに、ついていく。周りの風景を見ている暇は、私には無かったが、この宿の内装は、日本旅館や某神隠しに出てくる油屋のようだった。

 しばらく行くと、階段が出てきた。青年が、階段を登り始めたため私も続く。

 階段をいくつも登っていると、下の方から物音がした。意識がその方向に向きそうになる。

「下は見るな」

 青年の短い忠告に従う。

 どれくらい登ったのだろう。急に青年が、止まった。

「僕は、ここまでしかいけない。突き当りの右のある部屋に飛び込むんだ。決してまだここにいたいとか思うな。扉が閉まってしまうから」

 青年が、言い終わると下からもの凄い勢いで階段を駆け上がってくる音がした。

「はやくいけ。絶対に振り返るな」

 私は、駆け出して青年に、言われた通りの部屋に飛び込んだ。

「もう戻ってくるなよ。次は助けられないから」

 飛び込んだ寸前、背後から青年にそう言われた気がした。


 無事に私は、元の世界に帰ることが出来た。

 帰ってきた世界は、変わらず希望や夢なんてないし、他の人間は信用出来ないし、する気もない。こんな世界だから、時々あのままあの世界から帰ってこなかったらどうなっていたのか考えてしまう。その度にあの青年の、次は助けられないからという言葉を思い出す。

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