鏡の中の令嬢は嘘をつかない
「まあ、また“氷の令嬢”が睨んでるわ」
──そう囁かれながら、侯爵令嬢クラリス・グランチェスターは学園の廊下を歩いていた。
整った容姿、礼儀作法も完璧、それでいて笑わず、他人に媚びることもなく──
学園内では“冷たい悪役令嬢”と呼ばれていた。
だが、クラリスは婚約者である王太子セシルの傍らに寄り添い、常に誠実に支えていた。
婚約は政略的なものであり、彼女自身に恋情はなかったものの、役目は忠実に果たしていた。
──ところが、学園に“平民の聖女候補”とされる少女・ティナが転入してから空気は一変する。
セシル王太子はティナに夢中になり、クラリスの冷静な忠言も無視するようになる。
そればかりか、ティナとその取り巻きは「クラリスが虐めている」と嘘を広め、
クラリスは学園内で孤立していく。
そしてついに王太子は、学園の卒業式で――
「侯爵令嬢クラリスとの婚約を破棄する。
彼女は聖女ティナを虐げ、貴族の誇りを貶めた」
と宣言した。
クラリスは顔色一つ変えず、ただ一礼して去る。
(……鏡はすべてを見ている。だから、私は取り繕わない)
そう、彼女の部屋には、“真実を映す鏡”があったのだ。
クラリスの祖母は「真実を記録する魔道鏡」の継承者だった。
この鏡は、“鏡の前で交わされた会話・行動・感情”をすべて記憶して映し出す魔道具。
クラリスはそれを用いて、王太子との会話、ティナによる嫌がらせ、平民側の捏造工作の全てを記録していた。
そして彼女は、卒業式から一ヶ月後。
王都の大劇場を借り、ある演目を開催した。
『聖女劇――本当の真実』
王族、貴族、民間の観客が集まり、話題騒然の舞台が始まる。
スクリーンに映る“劇”は、なんと鏡の記録映像。
・王太子がティナに心を奪われていく様
・ティナが使用人を使ってクラリスの物品を破損させる様
・ティナが王子に抱きつき「クラリス様が虐めてくるんです」と涙を見せる演技
映像は明確で、ねつ造の余地はない。
観客のざわめきは悲鳴に変わる。
王太子の無能さと、ティナの“聖女詐欺”が、国中に晒されたのだ。
王宮に召喚されたクラリス。
王と貴族会議の場で、王太子セシルとティナが罪を問われる。
「映像は偽物だ! 操作だ!」
ティナは叫ぶが、魔道鏡が本物であることは王族の誰もが知るところ。
「……私が人を蹴落とす必要があるとお思いですか?
あなた方が自ら、鏡に醜い姿を映しただけでしょう」
クラリスの冷静な一言が、貴族会議を静寂に染める。
王は王太子の継承権を剥奪。
ティナは“聖女の資格詐称”により、国外追放。
クラリスはその後、帝国の法典改正を主導する貴族監察官に任命される。
その“公正さ”と“記録魔道鏡”の信頼性から、貴族社会を刷新する存在として国民からも支持を受ける。
それから数年。
クラリスは一人、静かに暮らしていた。
彼女の机の上には、あの“真実の鏡”が今も置かれている。
「嘘をつく者ほど、真実を恐れる。
私はずっと、この鏡に恥じないように生きてきた」
──王太子が、最後にすがるように送った謝罪の手紙も。
鏡に映せば、彼の心が“未練と後悔”に満ちているのが分かる。
クラリスは手紙を破り捨てるでも、読み返すでもなく、そっと引き出しにしまった。
「鏡が嘘をつかないように、私は今日も冷静でいましょう。
それが、“悪役令嬢”と呼ばれた者の矜持ですから」
静かに、夜の窓辺で紅茶を飲む令嬢の横には、決して曇らぬ鏡が静かに光っていた――。