(Ⅲ)
一方その頃――。
地上では、ミゲルド達の予想を裏切るかのように、獅子奮迅の戦いをする敵将がいた。
すさまじい轟音が響き渡り、黒く巨大な生き物と化した帝国軍の土手っ腹に風穴があく。
その中心で山の如き大男が、鎖に繋がれた大鉄球をぶんぶん廻しているのだ。
彼が一歩踏み出すたび、穴が大きく広がった。
ついに弓隊までもが、ちりぢりに逃げ出しはじめた。
もうこれ以上、ふがいない陸軍に任せてはおけない。
エミハール団長は集合の合図を出すべく、鏑矢を取り出した。
鏑矢とは、大きな音の鳴る矢であり、敵に対する威嚇などにも使われる。
エミハールはすぐさま番えると目一杯引き絞り、それを真上に向かって放った。
(むぅ、何事かあったようですじゃ!)
団長だけが持っている鏑矢の風切り音は、たしか緊急集合の合図だったはず。
よほどの事態が起こったに違いない。
しぼんだ水袋の止め金を鳴らして、ミゲルドは手綱を握りしめた。
高度が徐々に下がってゆくにつれ、黒い軍勢に風穴を空けた張本人が見えてくる。
「なんだ、あれは……」
あんな鉄球を振り回すだけの大男が、あの男にも家族がいるのだろうか。何故、あそこまでして戦うんだろうか。
ミゲルドが、そうやって思考の深みにはまっているそんな時、脳に直接語りかけるように、厳かな声が響き渡った。
(皆の者、よく聞けぃ。これより団長の言葉を伝える)
これは、エミハール団長の乗るワイバーンのものである。
そう、ワイバーンとのコミュニケーションは、なにもパートナーだけに許された特権ではない。
竜騎士ならば誰でも聞く事ができる。
言い方を変えれば、すべてのワイバーンと話せるのが、竜騎士という存在なのだ。
(敵は、風の防護魔法がかかった鎧を着込んでいる。よって、弓矢の類は全く効かないようだ。そこで五騎がおとりとなって炎を吐き、残りの者は囲い込むように飛行、隙を見て破魔矢を撃ち込め!)
竜騎士の切り札とも言える矢、それが破魔矢である。
本来は、厄介な魔術師相手に使うもので、いかなる防御結界をも打ち破る。
もちろん、とてつもなく高価な代物で量産配備などもっての他。
帝国軍のエリート部隊である竜騎士団といえども、一人一本がやっとであった。
(では、作戦開始だ!)
エミハール団長がさっと右手を上げると、集まっていたワイバーン達が大きく散った。
(若、我らは破魔矢を撃ちますぞ)
「ああ、分かった……」
ミゲルドにはまだ、おとり役は務まらない。セルジオンがほのめかした客観的な事実を、彼はすんなりと受け入れた。
(……ささ、囲みますぞ)
今までとは打って変わって、やけに静かになったミゲルドに戸惑いを感じるセルジオン。
さっきの説教が相当こたえたのだろう。
もう少し、休息の時間が欲しかったのだが、目まぐるしく移り変わる戦場にそんなわがままは通用しない。
おとり役が鉄球の大男に近づき、炎を吹き付けた。
ミゲルド騎を含む残りの竜騎士達は、彼らの外周を時計回りにぐるぐると飛んでいる。
(若、今はとにかく集中するのですじゃ!)
そう促され、ミゲルドが気怠そうに弓を掴んだその瞬間、悲劇は起こった――。
物がひしゃげるような、ものすごい音がこだました。
そして、一匹のワイバーンが地面に吸い付けられた。
びくっとワイバーンが大きく痙攣し、それっきり動かなくなった。
その近くに、大男の鉄球らしき物体がめり込んでいる。
この、わずか数秒の出来事を理解するのに、おそろしく長い時間を費やしたような気がした。
今はもう、周りの竜騎士達が破魔矢を次々と放っている。
ミゲルドは、弓を掴んだまま呆然としていた。
(しっかりなされませぇ、若っ!)
ああ、そうだ。誰かが戦死したんだっけ。
無敵のはずの竜騎士が死んだんだ。
俺も死ぬのかな、あんな風に。
あれ、影も形も残ってないや。どこ行ったんだろう。
(ミゲルド!)
不意に、セルジオンとは別の声がミゲルドの脳裏へ飛び込んできた。
セルジオンより、ずっと若々しい青年の声。そして、彼の記憶の片隅に残っている声だった。
「と、父さん……?」
はっと顔を上げ、周りを見回すミゲルド。
眼下では、ことごとく外れた破魔矢をあざ笑うかのように、大男が鉄球の鎖を手繰り寄せている。
(お前は、戦争をゲームと勘違いしてただろ?)
ドキッとした。
上から見下ろす戦場は、チェスの盤上とよく似ている。
自分は今まで決して危険が及ばない安全な場所から、駒を取り除くような感覚で敵兵を撃っていたと、気付かされたのだ。
(戦争は遊びじゃない。人が死ぬんだ。死んだ人間は、もう戻っては来ないんだ。分かってるのか!)
「分かってるさ……、教えてもらったんだ。でも……、俺は今、何をしていいか分からないんだ。敵にも家族がいるって、じいに、言われて……」
(ミゲルド、お前は帝国を守る竜騎士だ……)
父らしき声はそこまで言うと一呼吸おいた。嵐の前の静けさ、という感じの気配が漂う。
(これ以上、味方を殺すな!)
その言葉が烈風となって、ミゲルドの心に重くのし掛かっていた暗雲を、一気に吹き払った。
身体に再び、力と自信がみなぎってくる。
「今、あいつを撃たなければ、味方を殺す事になるんだ……」
足に力を込め、腰を鞍から浮かせたミゲルドは、弓を握り締めて破魔矢を抜き取った。
(げほ……、あ~、あ~、ごほん。若、今がチャンスですぞぉ。あやつが鉄球を回す前に仕留めるのですじゃ!)
少し変な響きを含んだ、セルジオンのしゃがれ声に違和感を覚えつつも、弓の弦を引き絞って狙いを定める。
ばさりと翼を一回羽ばたかせ、セルジオンは大男へ近づくように針路を向けた。
彼も、こちらに気付いたのか。
鎖を持つ手をぴたりと止め、ものすごい形相で睨んできた。その視線に射竦められそうになるミゲルド。
身体が小刻みに震え、冷や汗が吹き出す。
(ミゲルド、相手も必死だ。負けるなあ!)
「うおおおおおお!」
再び、父の声が――。
勇気づけられたミゲルドは、気合いの雄叫びをあげて軟弱な自分を追い払った。
鐙を砕かんばかりに力強く、恐怖を踏みつける。
(動きをよく見ろ! 絶対に外すなよ!)
大男の視線とミゲルドの視線が交錯し、火花を散らした。
互いに、相手の動きを見極めようと目を血走らせる。
ぴくりと大男の右足が動く。
しかし、それはフェイクだという直感がミゲルドの脳裏に囁いた。
(今じゃあ! 撃てぇ!)
「そこだあ!」
力の限り引き絞った破魔矢を勢いよく放ったミゲルド。茶色の絨毯めがけて、青白い光の軌跡が弧を描いた。
セルジオンは、我が目を疑った。
破魔矢の飛んでゆく先には、何もないではないか。
大男が、にやりと笑みを漏らすように口を歪め、大地を蹴った。
そして、絶妙のタイミングで光の前に飛び込んでしまう。
青白い軌跡は、そのまま左胸に吸い込まれた。
じゃらんと、大きな音を立てて鎖が地面に落ちる。
驚きと苦悶に歪んだ顔で、しばしこちらを睨め付けた大男の身体は、やがてゆっくりと仰向けに倒れた。
沈黙が戦場を支配する――。
(や、やりましたぞ……、若が、若が、やはりじいの目に、狂いは無かったですじゃ)
セルジオンが感動にむせいだその時、堰を切ったかのように歓声の津波が沸き起こった。
黒い大地がうねり、英雄を讃えるラッパが鳴り響く。
「俺が……、俺が……、やったんだ……? ははは、俺がやったんだな?」
(そうですじゃ! じいはしかと見ましたぞ! 若の心眼が敵の動きをしっかり見ていたのを!)
かくして、グリュンバード平原の傭兵隊をその圧倒的な兵力で飲み込んだドゥーレンベル帝国軍は、そのままセレディン王国の王都・リムサークを陥落せしめた。
軍事大国ドゥーレンベル帝国の輝かしき時代が、今ここに幕を開けたのである。
これで完結です。
途中で断念した長編を無理矢理リメイクしたので、おかしいところがあると思いますが、スルーでお願いします^^;